2012年4月30日月曜日

『終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか』

『人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか』の著者、水野和夫氏の著作。
実はこの2ヶ月くらい、この本とガップリ付き合っていたので、他の本のアップが遅れていた。
内容は、16世紀の状況と現在の状況が見方を変えると非常に似かよっていることを指摘したもの。世界史弱者の自分にとって非常に時間のかかる本であったが勉強にもなった。


近代においては、「成長」がすべてを解決する時代だった「大きな物語」
しかし、「成長の時代」(=近代)は終了する。
 (「成長」は中心領域ではなくなった)

21世紀は「陸と海のたたかい」である。
カール・シュミットがいう「陸の国に対する海の国のたたかい」は16世紀〜17世紀における「陸の国」スペイン(ローマ・カトリック)に対する「海の国」英国(英国教会)の戦いが宗教改革を通じて行われたことをいう。
20世紀〜21世紀においては、「海の国」米国に対する「陸の国」EU、ロシア、中国の戦いである。

<利子率革命>が起こっている。
16〜 17世紀の「利子率革命」は、1555年に始まって1621年に終わった。
ジェノバに銀と金が殺到した時期にあたり、この時代には銀と金は投資の手段を見 出すのが困難であり、資本がこれほど安く提供されたのは、ローマ帝国の衰退以来ヨーロッパの歴史において初めてであり、実は並々ならぬ革命であった。
魅力的な投資先がみつからないという16〜17世紀と同じことが、20世紀末から21世紀の初めの現在において生じている。


資本主義が依って立つ原理とは、安い移動コスト、エネルギーコストを与件として、「もっと遠く」へ行くことによって利潤を極大化することである。
しかし、資源を有する「陸の国」が成長するために自国の貴重な財産である資源を高く売るようになると「もっと遠く」に行くほどコスト増となって(限界費用逓増)、利潤が増えるどころか減少するようになった。

成熟化とは、経済的側面から捉えれば、実物投資に対する利潤率が低下することに他ならない。


利潤率の趨勢的低下という限界を打ち破るものとして期待されたのが、新自由主義だった。
すなわち、これまでの「実物投資空間」が広がらなくなると、欧米の金融資本は新たな「電子・金融空間」を創出することで利潤極大化を目指した。




1970 年代半ば以降、先進国の成熟化を原因として21世紀の「利子率革命」が始まり、90年代半ば以降になると、原油に象徴される資源価格が高騰し、交易条件の 悪化を通じて先進国の低利潤率化に拍車がかかった。そして株主重視の経営がもてはやされ、一定の利益率の確保が要求されるようになると、人件費が変動費化 するようになった。所得が恒常的に増えなくなれば、消費支出が伸びなくなるのは当然。


1970年代半ば以降、先進国が成熟化して利潤率が上がらなくなったので、利潤を再び極大化させようとしてグローバリズムが新たな「空間」を創造していった。その一つは「電子・金融空間」であり、もう一つは「新興国市場」という「陸の空間」である。


1990年代半ば以降、グローバリズムは新興国・資源国の台頭、すなわち「陸の国の海の国に対するたたかい」を引き起こした。(原油価格を代表とする資源および食糧価格の高騰)
そして、資本が労働に対して優位に立つことによって初めて、原油価格高騰による追加支払い代金を人件費の削減で相殺できるようになった。
そのことで必然的に、中産階級は不安に陥る。その不安を除去するために新自由主義と新保守主義が必要とされた。すなわち、中産階級から落ちこぼれないように「努力すれば報われる」と説き、道徳的価値観を重視している新保守主義は、不満を抱いた白人労働者階級に広まった。

「もっと速く、もっと遠くへ」が近代社会の基本理念であり、それに基づいて利潤を極大化させるための前提条件が、安価なエネルギー、具体的には豊富でタダ同然の化石燃料の存在だった。資本主義はその誕生からして「グローバル指向」なのである。

グローバリズム、「海に対する陸のたたかい」、人件費の変動費化、はいずれも21世紀の「利子率革命」を如何に克服するかを共通課題として生じたのであり、これら3つは「利子率」すなわち資本の利潤率を再び引き上げようとする反「利子率革命」として捉えることが出来る。

グローバリズムとは、英米の「電子・金融空間」で、そして同時に新興国における「実物投資空間」で、利潤を極大化するためのイデオロギーである。
「海に対する陸のたたかい」は具体的には誰が資源を支配するかのたたかいだが、資源ナショナリズムを背景に陸の国が有利にたたかいを進めていくことが予想される。
さらに、長期的視点からみれば、脱化石燃料社会をどの国が築くかにかかっている。
資源価格が高騰している間、新興国の「実物投資空間」で利潤を極大化するために、先進国企業は人件費を変動費化することになる。




1996年〜1997年を境に、企業の売上高は増加しているにもかかわらず、雇用者報酬が減少するようになって、景気(資本)と所得(国民)が離婚した。
16世紀に国家と資本(家)が結婚して近代資本主義が始まったが、20世紀になって両者の蜜月関係は終わった。
 


色々なことをスパイラルに記載するため、どれが原因でどれが結果なのかが非常に分かりづらい。(経済の実態がそうなのかもしれない)
が、独断でまとめてみると
成熟化⇒「近代」(=成長の時代)の終了

利子率革命

反利子率革命その1
 バブルの物語(失敗)
「電子・金融空間」において巨額のマネーが短期間で生み出されたことは、所得増から生まれる従来のマネー(貨幣)とは異質であるという点で「貨幣革命」とも言える。

反利子率革命その2
①グローバリズム(「電子・金融空間」および新興国における「実物投資空間」の創出)
②海に対する陸のたたかい(資源支配に関するイニシアチブの取り合い。価格革命=非連続な価格の高騰)
③人件費の変動化 (資本と国家との決別。利潤革命=賃金革命。資本至上主義)


といった感じか。




新自由主義の基本は「市場が決めることは正しい」ということであり、新自由主義が「利潤革命」と結びつけば、バブルを未然に防ぐという選択肢は最初から排除されている。市場で決まる価格が極限まで到達しないと、利潤が極大化したかどうかが分からないからである。
米国が日本の1990年代から教訓として学んだのは、バブルを発生させないことではなく、バブル崩壊後にいかに被害を極小化するかということだった。

「利潤革命(賃金革命)」の実体は、資本と労働の成果として生み出される付加価値を全て資本側に回すことにある。

ROE=15%を達成しようとすると、28年度の人件費は10年度を100として46.3になる。人件費が半減しないと、ROEが15%にならないのである。
先進国で所得水準が半減するなどというのは非現実だと思えるかも知れないが「長い16世紀」には、このような悲劇が先進国・イタリアや新興国・英国で起きていた。
この悲劇的な状況から脱出する方法は二つしかない。一つは売上を増やすこと。二つ目は、売上高変動比率が上がらないように、脱化石燃料社会を構築すること。現実には、この二つの組み合わせで、所得半減のリスクを回避することが望ましい。 


16世紀との符合性についての記載はほとんど省略したが、世界史を広く知っている人にはその方も面白いと思われる。
今後の方策として、海と陸のたたかいに関するイニシアチブをとり、中産階級の没落を避けるために、著者は売上を増やすことと、脱化石燃料社会を構築すること、を挙げている。
『脱化石燃料社会構築』とはすなわち、「スマートシティの構築」だと考えると現在進むべき方向性がみえてくる。
1990年代後半にREITを創設して「金融空間」と不動産の一体化を目指してきた不動産業界の次なる方向性はスマートシティなのかもしれない。
 


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