2010年9月2日木曜日

『ビジネスマンの父より息子への30通の手紙』

佐々木常夫氏の本で絶対に読むべしと書かれていたロングセラー。(佐々木氏が新任課長の石田君宛の手紙形式で書いたのはこの本の影響であろう)
タイトルが印象的だったので父が読んでいたのは知っていたが(読めとも言われなかった)が、恥ずかしながら読んでいなかったので、読んでみた。

「ひとりの父親は百人の教師に優る」by ジョージ・ハーバート
という言葉があるらしい。(佐々木氏も引用していた)
少なくともキングスレイ・ウォード氏は30人の教師と同等だったようだ。
30通の各手紙の最後に書かれている自称が面白い。

子煩悩の親父より
君の進路指導教官より
君の応援団長より
カヌーの相棒より
君の教育の最高責任者より
君の守護天使より
「自分のやり方でやった」ウォードより
同じ道を志す友より
同僚より
共同経営者より
愛の天使より
「臆病者」より
君の資金源の父より
君に拍手を送る聴衆のひとりより
エミリー・ポストより (※エミリー・ポストはアメリカの著名エチケット・アドバイザー)
君と懇意の銀行家より
一歩も譲らないウォードより
ウォード船長より
本の虫より
完璧主義者より
人事部長より
君の親友でもある父親より
香しい花より
君の行きつけの個人金融業者より
君を破産宣告から守る最高の保護者より
共に健康を謳歌する釣り仲間より
君に感謝している同業者団体の会員より
元社長より
父さんより

息子が大学に入るところから、息子に社長を継がせて引退するまでの書簡なのだが、最後の自称が単に
「父さんより」
で終わる。
シンプルだがグッとくる終わり方である。

わざわざ人に読まれるために書かれたものでないので、父親の温かいまなざしを存分に表現している感じがする。
自分が子供に対してだったらと考えると、単に「説教」して終わってしまいそうである。(しかも「説得」でもない)
きっちりと伝えるためには手紙にするというのも一つのやり方かと、考えてしまった。

2010年8月30日月曜日

『勝ち残る!「腹力」トレーニング』

無酸素で世界に14座ある8000m峰に挑み続けている登山家、小西浩文氏の「腹力」に関する本である。

疲労で凍死した遭難者というのは、ザックの中に、まだ食料や着込むことのできる防寒具を残したまま亡くなっていることが多い。つまり、すべての力を使い切る前に力尽きているのだ。
肉体の限界より、「絶望感」が死に至らしめているのだ。
「72時間限界説」というものがある。地震などで生き埋めになった人が3日以内に救助されないとほぼ絶望的という話だが、これは肉体的な限界というよりも、人間の心が折れる限界なのだ。
もう、ダメだ。
このような絶望や恐怖に打ち勝つのは、「絶対に生き抜くのだ」という精神力、それを生み出すのが「腹力」である。

というわけで、その「腹力」の鍛え方についてである。
まずは何と言っても「腹式呼吸」。腹式呼吸が腹圧を生む。
「吐ききる」ことが無意識にできるようになれば、腹式呼吸はマスターできたと言ってもいいらしい。
全て吐ききるためには「力み」をなくすこと。
息を吐ききろうとして猫背になるのはまずい。背中を丸めるということは、肩に力が入っているということ。
「習慣」という点で「腹に力を入れない」という癖をできるだけ早くつけること。


また、「ニヤニヤ笑い」を会得せよ、とも言う。
どのように見られようと構わない、どのように思われても関係ない。そのような姿勢は、人間としての「器」を大きくもするし、敵対する相手には「何を考えているのかわからない」という心理的なプレッシャーを生む。
ムエタイにおける「ニヤニヤ笑い」は「教育」の賜物なのだという。対戦相手の自信を揺るがせるため、心理的な攻撃ということで、ムエタイの選手は戦いの時にニヤニヤしろということを幼い頃から徹底的に鍛えられるらしい。

風呂の最後に冷水シャワーを浴びると自律神経のリズムが整う。
温水シャワーの温度を下げて、徐々に水へと変えていく。
熱いお湯を浴びると「副交感神経」、冷たい水を浴びると「交感神経」というものが刺激される。交互に刺激することで自律神経のリズムが整い、新陳代謝や血流がよくなり、免疫力もアップする。

「太陽を食べろ」とかちょっと宗教がかっている部分もあるのだが(それも個人的には好きだが)、ロブサンというパートナーのシェルパが、一瞬の判断で小西氏を救うために分厚い登山用のグローブを外し、指笛を吹いたエピソードなどは圧巻。
リアルに生死の境を生きている小西氏の話には説得力がある。

カラオケは「腹力」を鍛えるのにいいらしいし、力まない呼吸法をマスターして「腹力」を鍛えることとしたい。

2010年8月28日土曜日

『モチベーション3.0』

久々読んだ骨太本。ダニエル・ピンク氏の著作。
氏は本書の概要ということで、巻末に3つの方法で「まとめ」を書いている。
色々なところで著作を発信してもらうにはとてもいい試みである。
その3つの方法というのも、時間(文字数)によってわかれていて非常に面白い。
その1:ツイッター向けまとめ(最大140字まで)
その2:カクテルパーティ向けまとめ(多くても100語程度。あるいは話して1分以内)
その3:きっちり各章ごとのまとめ
報告やら説明やらを短時間で行う場合に何を話すかで、勝負が決まることが多い。
佐々淳行氏が言う”エレベーターブリーフィング”、”スリーミニッツ・リポート”、”フィフティーンミニッツ・デシジョン”は説明時間により、説明する内容を絞るというものだ。
そう考えると、それを読者がやりやすく、また著者の意図通りにやってもらうためには非常に優れた方法である。

あまのじゃくなので、それをそのまま利用せずに自己流に感想を述べたい。

人間を行動に駆り立てるものは何か。
<モチベーション1.0>
原始時代は空腹を満たしたり、生殖など生存本能に基づくもの。
<モチベーション2.0>
工業化社会になって、アメとムチで駆り立てられた。
さて、それでは次なる<モチベーション3.0>とは?
という問いから本書は始まる。

仕事と勉強を「アルゴリズム」(段階的手法またはルーチンワーク)と「ヒューリスティック」(発見的方法)の二つに分類したとすると、外的な報酬と罰、つまりアメとムチはアルゴリズム的な仕事には効果を発揮するが、ヒューリスティックな仕事にはむしろマイナスに作用するおそれがあることが様々な実験で分かっている。
創造的作業であるヒューリスティックな仕事には、アメとムチがプラスに働かないというのは容易に想像がつくが、むしろマイナスに働くというのがポイントである。

ここで著者は、<モチベーション2.0>と<モチベーション3.0>の違いを、物理法則に喩えている。
ニュートンの法則が、物理的な環境を説明したり、投げたボールの軌道のグラフ化に役立つように、<モチベーション2.0>は社会的状況を把握し、人間の行動の予測に役立つ。
だが、ニュートン物理学は、素粒子レベルになると問題にぶつかる。「ハドロン」「クウォーク」「シュレディンガーの猫」といった量子力学の不確定性の支配する世界では、奇妙な事態が生じ、ニュートン力学では説明できない事態が発生する。
あるレベルになると<モチベーション2.0>では機能しなくなるという喩えだ。

さて、その”あるレベル”とはいかなるものか。
創造的業務においては、ひとたび「生計を立てる」という基本的な報酬ラインが充たされてくると、アメとムチは、意図した目的とは正反対の効果を生み出す場合が多い。

<モチベーション3.0>における重要な要素は、自律性、マスタリー、目的、の3つである。

【自律性】
課題(Task)、時間(Time)、手法(Technique)、チーム(Team)の4つについて自律性が得られると内発的動機が発現しやすい。
弁護士という職業は、この自律性が得にくいので傍から見ると楽しそうに見えないという指摘は秀逸だ。
【マスタリー】
マスタリーとは、何か価値あることを上達させたいとういう欲求のこと。
チクセントミハイの「フロー」の状況が理想であるが、熟達にはそれを繰り返す「根性」が必要であるというのが面白い。
また、マスタリーはキャロル・ドゥエックのいうマインドセット(心の持ち方次第)である。わくわくマインドセット(growth mindset)であるか、こちこちマインドセット(fixed mindset)であるかの違いはマスタリーにおいて大きな差となって現れる。
【目的】
高い成果を上げる秘訣は、人の生理的欲求や、信賞必罰による動機付けではなくて、第三の動機付け〜自らの人生を管理したい、自分の能力を拡げて伸ばしたい、目的を持って人生を送りたい〜という人間に深く根ざした欲求にあると科学で証明されている。
ということで、目的をもってモチベーションたらしめるべし、ということなのだが、もう一つ掘り下げて書かれてもいいテーマである気がした。

概略は上記の流れであるが、具体的な方策ついての記載が本書ではなされている。

マーク・トウェインのトム・ソーヤの中にでてくる話をひいて、「ソーヤー効果」と名付けているが、マーク・トウェイン曰く
「”仕事”とは”しなくてはいけない”からすることで、”遊び”とは、”しなくてもいい”のにすることである。」
なるほど、逆に”しなくてもいい一手間”をかけることで”仕事”を”遊び”へと意識的に変えることができるということかもしれない。

明日からは”しなくてもいい一手間”を意識的に行うようにしよう。

2010年8月11日水曜日

ホームスパン みちのくあかね会

「ホームスパン」というのをご存知だろうか。
ホームスパンとは、英国生まれの毛織物。家(home)で紡ぐ(spun)という言葉の通り、羊毛農家が羊の毛を自家用に紡ぎ、織ったのが始まり。
現在では、手織り・手紡ぎに限らず、ハンドメイドの感覚を大切にしたツイード(太い紡毛糸で織った厚地で丈夫な織物)の一種を指し、ホームスパンと呼んでいるとのこと。
厳選した羊毛を手で染め、手で紡ぎ、手織りでゆっくりと仕上げた織物は、柔らかく、あたたかなんだそうな。

第二次世界大戦が始まると、羊毛は軍需物資として管理され、ホームスパン生産は規制されてしまい、休眠状態だったホームスパンが再興したのは戦後。
国内の産地が消滅していく一方で、岩手のホームスパンは伝統産業として守られ、岩手県のホームスパンは、今では全国生産額の約8割を占めているらしい。

その「ホームスパン」の製造直売で有名な「みちのくあかね会」に行ってきた。
別段予約をした訳でもないのに、親切丁寧に案内をしてくれた。
建物は病院だった建物を利用しているとのことで、お世辞にも立派な建物ではないが、その建物の中で冷房もない中、妙齢の女性達がホームスパンの制作に精を出していた。
やはり手間ひまかかっているのが分かって、モノのよさを認識しちゃうと多少高くても財布のヒモが緩んでしまう。
妻ががま口財布やら印鑑入れやらを購入。ついでに二人でホームスパンのマフラーを購入することとなった。
今は暑すぎてとても首に巻く気がしない感じだが、冬が楽しみ。

それにしても東北の女性は歳をとっても本当によく働らかれます。これまた感動。

2010年8月10日火曜日

三ツ石神社

「みちのくあかね会」を目指していたら、図らずも三ツ石神社の前を通りかかり「鬼の手形」というのにも惹かれてフラフラと見に行ってしまった。
なんと、岩手県の県名の由来だったり、さんさ踊りの起源だったりとすごく由緒ある神社であった。


<神社のいわれ>
岩手の呼び名について大和物語りによれば、「平城天皇の御代に、みちのくの国から鷹が献上され、帝はこれを岩手と名付けた」とある。俗説では、「三ッ石と鬼の手形」の物語が岩手の地名や不来方の起源や地名であるといわれている。
伝説によると、むかしこの地方に羅刹という鬼が住んでいて、付近の人々をなやまし、旅人をおどしていた。そこで人々は、三ッ石の神にお祈りをして鬼を捕らえてもらい境内にある巨大な三ッ石に縛りつけた。鬼は二度と悪事をしないし、また二度とこの地方にはやってこないことを誓ったので、約束のしるしとして三ッ石に手形を押させて逃がしてやり、それからこの手形のあとには苔が生えないといわれている。
しかし、長い年月がたっているので今ははっきりしません。この岩に手形を押したことが「岩手」の県名の起源だといわれる。また鬼が再び来ないことを誓ったことから、この地方を不来方と呼ぶようになったと伝えられている。
鬼の退散を喜んだ住民達は、幾日も幾日も踊り神様に感謝のまごころを捧げた。この踊りが名物「さんさ踊り」の起源だといわれている。「さんさ踊り」の名まえは、「さしあげ踊り」、つまりお供え物をして踊るというのが短くなったとか、三十三も踊りの種類があるので「さんさ」というのだとか、いろいろの説がある。
三ッ石はもと一個の大きな岩であったが、長い年月の間に三ッに割れて現在の三ッ石になったのである。

どこが鬼の手形なのかは結局判別できなかったが、人口140万人弱とはいえ岩手県の起源となるような神社に図らずも詣でることができてよかった。

石割桜

盛岡地方裁判所の正面にある桜である。
樹齢が360年を超えるといわれるエドヒガンザクラらしいが、巨大な花崗岩の岩の狭い割れ目から生えてきて石を割ってしまったという。
いまだにすこしずつ割れ目が大きくなっているというから、成長しながら石を動かしているということであろう。
浅田次郎の壬生義士伝で「盛岡の桜は石ば割って咲ぐ」と出てくるのがこの桜とのこと。東北人の粘り強さを石割桜に喩えたということであろうか。
特段花が咲いていて美しかったたわけでもないのだが、その生命力には威圧される感じであった。桜の咲く季節にはまた違った魅力に違いない。

い〜はと〜ぶアべニュー材木町

盛岡のい〜はと〜ぶアベニュー材木町に行ってきた。
ここには宮沢賢治が生存中に出版された唯一の童話集「注文の多い料理店」を出版した「光原社」があるというだけでなく、民芸品店、陶器、木綿、漆器、木工家具などていねいな仕事を重んじる店が軒を並べ通りである。
宮沢賢治をモチーフとした6つのモニュメントが350mほどの通り沿いに設置されている。
(余談だが、岩手県内においては宮沢賢治はすごい人物であるらしい。お土産物でも宮沢賢治にちなんだものが非常に多い。)
この通りだけは歩道の舗装や排水枡も他とは異なり、更には道にもフォルトが設けられていて明らかに他とは違う一角という雰囲気を醸し出している。
(正しくは「フォルトがある」というより道が蛇行していて、いきなり歩道がなくなる部分があったりする。道路管理者がよくぞOKしたものである。そのおかげで、緑量が少ないわりには植栽がたくさんあるように見える素敵な通りとなっている。)
通り自体は材木問屋だった400年前からあるようだが、1994年に盛岡市の都市景観創作賞を受賞しているところを見ると、現在のような形状になってから既に15年以上が経過しているものと思われる。
6つのモニュメントでしっかりと残っているのは石できっちり作られたもので、鉄を塗装して作られた「詩座」や植栽を利用した「花座」についてはちょっと今ひとつになってしまっていた。イニシャルコストと素材、そして管理のバランスが大切であるのは時を経た造作物をみると痛感する。
道路だけでなく、沿道のお店も景観の保存に非常に気を使っていて、すごくレトロに素敵な歯医者さんがあったりして、雑誌片手の若い女性観光客を呼び込んでいた。
何事も全国区になって、観光雑誌にとりあげられるようなレベルにすることは商業的には非常に重要であると感じた。