2015年2月15日日曜日

『2018年までのマンション戦略バイブル』

あまり不動産関連の本って買わないのだが、ついつい気になることが書いてあるので購入して読む。
色々知らないビックリなことも書いてあって、恥ずかしながら非常に勉強になった。


基本的には日本の不動産を巡る7つのメガトレンドを示した上で、
「不動産投資は自宅で」「買うなら湾岸タワー」というのが著者の主張。

<7つのメガトレンド>

①デフレからインフレへ
これから数年は不動産でどう資産を形成するかを考える時期だと言える。
②人口増加から減少へ
今後、郊外では住宅に買い手がつかない状況となるだろう。
③相続対策需要の増加
東京都心部では、今から30年は続く「相続税対策特需」がある。
④資金の出し手の国際化
円安も進行し、外国人投資家の目からみれば、東京の不動産はまさにお買い得。
⑤不動産評価方法の変化
取引事例比較法から収益還元法へ。
⑥新築購入リスクの増加
これから数年間、新築で売り出されるマンションは、中古物件になったとき大きく値下がりする可能性が高い。
⑦自宅購入者の情報力向上
売る側と買う側の情報格差が縮小。

まぁ、正直このあたりは知ってるよ〜(もしくは言ってることは分かるよ〜)、という感じだが、相続対策需要の増加などは数字で説明されるとなるほどという感じ。

<相続対策需要の増加>

◯日本国民の個人金融資産を保有年代別に分けると、60歳以上は1000兆円以上を保有している。この1000兆円が保有者の死亡に伴う相続により、1世代およそ30年間をかけて次世代に移転されることになる。それだけで毎年33兆円。不動産を合わせると年間50兆円にも達する。 この巨大マネーの流れが相続対策用不動産の需要を生む。
◯国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口」における推計では、現在およそ130万人の年間死亡者数は今後年を追って増加し、2040年頃に168万人〜165万人でピークを迎える。その後は漸減するものの、2060年になっても150万人を超えている。
2014年現在を上回る相続需要がこの先、30年以上続くのだ。

某高額物件仲介会社さんのチラシだと「相続税圧縮率」という指標が案件ごとに記載されていてビビったが、それも上記のような世の中の流れを捉えての話ということだ。

<不動産アービトラージ>

アービトラージとは「サヤ抜き」という意味。
【不動産アービトラージその1】
賃貸に出ている物件を入居者がいる状態で売却することを「オーナーチェンジ」と呼ぶ。 オーナーチェンジの場合、買い手は投資家となるため、利回りだけが注目され、価格は完全な収益還元法で決まる。
しかし賃貸物件ではあっても、ファミリーユースの場合、入居者が引っ越すのを待ってから空き家の状態で売れば、自宅用として購入する買い手が出てくる。多くの場合その方が高値がつく。
この投資用の収益物件と実需用のファミリーユース物件の価格差はアービトラージの代表例と言える。
投資用と実需用のアービトラージを利用して、オーナーチェンジ物件を買って空きになるまで待ち、入居者が出て行ったら売る、という売買を繰り返して利益を上げ成長したのが、ジャスダックに上場しているスター・マイカ株式会社である。同社はこの独自の視点による運用で時価総額120億円まで成長したが、その後ビジネスモデルを真似されて伸び悩んでいる。

【不動産アービトラージその2】
「タワーマンションの高層階の北向き物件は、中古になった時に値上がりする傾向が強い」
 2006年〜2010年の東京23区の中古マンション販売事例6万8683戸を調べ、方角別に中古騰落率を調査したところ、結果は北向きが11.0%値上がりしているのに対し、南向きは1.9%値下がりしていた。南北の騰落率差は12.9%に達しており、北向き物件を購入した方が1割以上お得だったのである。
新築時には、実物を見る前に購入を検討する。北向き物件は「日照ゼロ」ということで敬遠されることになり、デベロッパーは売りやすくするために「南北格差」を10〜20%設定する。
一方、中古物件の購入は実物を内覧した上で判断される。その際、北向き物件は開口部の間口が違う。
スタイルアクトのデータベースをもとに、75㎥の間取りの場合の主開口部の長さを方角別に算出すると、南向き物件の7.1m(7m×11m)に対し、東と西は7.9m、北向き物件は9.1m(9m×8m)と突出していた。これはデベロッパーが単価を高く設定できる南向き住戸を少しでも増やそうとした結果である。

うーん、北向き住戸の値付けについては認識していたけど、正直間口の広さにまで考えが及んでなかった。やられた感あり。


その他に、恥ずかしながらとても勉強になったこと。
◯賃料の下落率はざっくり10年で10%程度。
首都圏の家賃は過去20年間ほとんど横ばいで推移している。
本来統計上、家賃は消費者物価に連動することが判明しており、給与水準との間にも連動性が見られる。近年の日本で家賃が変わらなかったのは、過去20年間、消費者物価も給与水準も変わらなかったためと考えられる。

◯東京に人が集まるのは、そこに職があるから。大学生は3年で就職活動を行うので、大学3年時点で企業がどれだけの数、社員を募集するかで、卒業後に東京に流入してくる新卒の数が決まってくる。このため、大卒に対する有効求人倍率は、その2年後の流入人口の多寡に直結している。
(大卒の有効求人倍率が、2年後の単身者向け賃貸市場の需給の指標となる)

◯不動産価格と明確に連動している金融的な指標がある。市場のお金の量を示す、マネーストック(名目貨幣残高)である。
日銀短観(全国企業短期経済観測調査)の中の「貸出態度指数」というデータは、スタイルアクトで作成している「新築マンション価格インデックス」とほぼ連動している。
要は金融が緩和され、市場のマネーの量が増えると、不動産価格は上がるということだ。

◯「マンションは、エリア・価格帯に関わらず、坪当たり年に4万円値下がりする」
この法則は、過去20年のマンションデータ1万8千棟のデータを集計してマンションの値下がりの傾向を分析たものとのこと。
不動産会社の中でも中古案件の下落率ってよく分からない世界だったので、一つの指標(法則)を示されて目から鱗。


「湾岸タワーを自宅として転売を続けるべし」という結論に対しては異論がなくもないが、全体的に一般個人にも分かりやすいように書かれていて面白い。
実際にどうするかはやはり個人の価値観の違いということか。


不動産アービトラージの項で、著者が述べている内容に対してはちょいと耳が痛い。
「タワーマンション高層階の北向き物件についてのアービトラージは今後もしばらく続くだろう。なぜなら値付けを行うデベロッパーの担当者は、このことに気がついていない可能性が高いからだ。これが業界の実態である。不動産業界はいまだに「経験と勘と度胸」の世界なのだ。」

「士別れて三日なれば刮目して相待つべし」と言えるよう頑張ろう。

2015年2月1日日曜日

『村上式 シンプル仕事術』

グーグル日本法人の社長を務めた村上憲郎氏の本。
実は相当前(4年位前?)に購入して面白いのでまとめようと思ってとっておいた本。
村上氏の『村上式シンプル英語勉強法』も読んで感化され、英語の勉強に踏ん張った時期は既に5年近く前だ。

この本は実は仕事術のことはあまり書いていない(最初の2割位)。
むしろ、グローバル社会で西欧の人間とコミュニケーションを取るにあたり理解しておくべきキリスト教から仏教のこと、哲学のことが書かれている。
これが良くまとまっていて面白い。


<キリスト教について>

アメリカ人は自分の年俸や年収を堂々と包み隠さずに話す。
彼らの価値観では「背が高い」「学歴が高い」「年収が高い(多い)」ということは第一義的な価値ではないからだ。
彼らの価値の基準は「神様と直面した時にどうなるのか、どうするのか」にある。
キリスト教は形而上学だ。形而上学とは、我々の経験では確かめようのない言説のこと。確かめようがないから「信じるしかない」。
形而上学としてのキリスト教の本質を、手っ取り早く理解するには、旧約聖書と新約聖書を手元に置くこと。

まとめると、キリスト教における神とは、「唯一の時間的・空間的に無限の意識存在であり創造主」である。
「神による創造」について概要を述べる。
キリスト教の空間概念や宇宙観の底辺には、まず無限界がある。
「天」は「天国」ともいわれ、無限界の中に神が創った有限の時空間で、選ばれた存在だけが住むことの出来る神の国のこと。
「宇宙」は「世」ともいわれ、「天」の中に神が創った「天」とは違う、もうひとつの有限の時空間のこと。
「地」は「地球」のことで「世」の中に存在する、としている。

無限の過去(永遠の昔)から、すでに神だけの無限界があった。
↓
1.神が、天(神の国=天国)を創った。
↓
2.天(神の国=天国)が聖霊(神の霊)で満たされた。
↓
3.天(神の国=天国)に、神の名が置かれた。
↓
4.神が天使を創って、神の名を礼拝させた。
↓
5.天使の一部が、悪魔に変容した
↓
6.悪魔の仕業を打ち壊すため、無限界に神の子『イエス』が出現した。
↓
7.イエスが天(神の国=天国)に入って世(宇宙)を創造し、そこに悪魔を落とし込んだ。
↓
8.6日間で人間を含む創造がなされ、7日目が安息日となった。
↓
9.アダムとイブが創られ、「いのちの息」を吹き込まれた。
↓
10.アダムとイブは、エデンの園で、「いのちの息」によって、神との協和の中に生きていた。ところが悪魔(蛇)の誘惑によって、神から禁じられていた「善悪の木の実」を食べたことで自分で善悪の判断を始め、「いのちの息」が部分的に損なわれ、神との協和が崩れてしまった。それにより、アダムとイブは(神の国=天国)の雛形であったエデンの園から追放された。
↓
11.神の子イエスは処女マリアの無原罪のお宿り(処女懐妊)を経て、ヒトの形となって地(地球)に現れ、言葉で「善悪の木の実」で損なわれている「いのちの補充」を施した。
さらにイエスは、十字架上の死によって、自分を信ずる者に無限の「いのち」を分け与えて「いのちの補充」(=救い)を行い、天(神の国=天国)に住まわせようとしているという福音が伝えられる。
<<この段階が時間的には「今現在」>>

ちなみに、神の名は唱えることができないとされており、ヘブライ文字の子音4文字で「YHWH」と表記された。しかしユダヤ教徒が、どうしても神の名を読む必要に迫られたときは「わが主」という意味の「adnay(アドナイ)」と読んだ。 それをキリスト教徒が間違えて、「adnay」の母音だけを「YHWH」と組み合わせ「YaHoWaH(エホバ)」と読んだと言われている。

『創世記』で注意すべきは、人間が2回にわたって創られているということ。「アダムとイブ」は最初の人間ではなく、実は2回目に創られた人間。
聖書考古学的に言うと『創世記』では、第2章4節を境に、その前までは「司祭文書」と呼ばれ、それ以降は「ヤハウェ文書」と呼ばれている。
1回目に創られた人間と、2回目に創られたアダムとイブには違いがある。それは、アダムとイブには「いのちの息」(=理性)が吹き込まれているという点。その「いのちの息」によってアダムとイブは神との協和の中に生きることができたのだ。
後にノアの洪水が起こり、アダムとイブの子孫であるノアの家族だけが生き延びることになる。つまり『創世記』第1章で最初に創られたほうの人間の子孫は、全く生き延びることが出来ず、今生きている人間はすべて、アダムとイブの子孫ということになる。
神によってアダムとイブには「いのちの息」(=理性)が吹き込まれ、後に「善悪の木の実」によって部分的に損なわれることになる。

さて、「神による創造」の続き。これからは未来編。
↓
12.この先の将来、あるとき地(地球)にイエスが再臨し、天使に命じて悪魔を封じ込め、1000年にわたって地(地球)を支配する(千年王国)。
その後に悪魔を開放して、世(宇宙)を焼き尽くす。そして、これまでのアダムとイブの子孫がすべて新しい体を持って復活し、天に受け入れられる者と地獄行きの者とに分ける「最後の審判」を受ける。
↓
13.イエスはすべての仕事を終え、無限界に帰る。

というわけで、キリスト教徒にとって、「3高」のような「この世」のことは些細なことで、彼らの最大の関心事は、「最後の審判で救われる側に選んでもらえるかどうか」なのだ。


グローバリズムにのってマネー資本主義を主張するウォール街に代表されるような西欧人にとって、本当に現世の収入など些細なことで、「最後の審判」でどちらに回るかが最大の関心事なのかどうかははななだ疑問だが、そういうことが一般の敬虔なキリスト教徒の思想の根源にあるということは押さえておくべきだろう。


<仏教について>

仏教とはブッダが悟ったこと、またその教えで、それは「原始仏教」のこと。
原始仏教は、極論すれば哲学としってもいいもので、キリスト教のような形而上学的な思考法は慎重に避けられている。
葬式などで遭遇する日本の仏教は、いわゆる「大乗仏教」で、これはブッダの説いた教えではない。「仏教=ブッダの教え」とするならば、大乗仏教は仏教ではない。
大乗仏教の経典にある教えは、原始仏教の哲学に迫るような内容ではなく、他の宗教が大衆の信仰を獲得し始めることに対抗して「信じれば救われる」という形而上学的要素を大幅に取り入れて大衆化された、ある意味での「新興仏教」といえる。

ブッダの教え
教え①四苦八苦—「人生は苦である」
1.生まれる、つまり、苦である人生をもう一度始めなければならないという苦しみと、もっと端的には、産道を通る苦しみ(生)
2.老いる苦しみ(老)
3.病気になる苦しみ(病)
4.死ぬ苦しみ(死)

次に怨憎会苦(おんぞうえく)、求不得苦(ぐふとくく)、愛別離苦(あいべつりく)、五蘊盛苦(ごうんじょうく)
1.嫌な人に会う苦しみ(怨憎会苦)
2.求めるものが得られない苦しみ(求不得苦)
3.好きな人と別れる苦しみ(愛別離苦)
4.五蘊(身体と、知覚・識別・想起・判断といった心の働き)は苦(五蘊盛苦)

お釈迦様曰く、
「楽しいこと」は長続きしません。「楽しいこと」を得ようとしたり、持続させようとすることは苦ですよ。
「楽しいこと」を得ようとして得られない、持続できずに失うことは苦ですよ。
だから「楽しいこと」も結局は苦ですよ。
って、お釈迦様って相当な悲観論じゃだったのね。

教え②四諦(四聖諦)ー「人生が苦なのは執着があるから」
1.苦諦(くたい)ー「生きることは苦である」と思い知る
2.集諦(じったい)ー「生きることが苦なのは、執着があるから」と思い知る
生きることが苦であるのには原因がある。それは、根本的には生存し続けたいという『執着』である、と。
3.滅諦(めったい)ー「この執着がなくなれば苦はなくなる」と思い知る
4.道諦(どうたい)ー「この執着をなくす八正道(八聖道)という道がある」と思い知る

教え③八聖道(はっしょうどう)ー「どうすれば執着を克服できるか」
お釈迦様は、そのためには、次の8つのこと(八正道)を行えば良い、とした。
1.正しいものの見方をする。
2.正しい思考をする。
3.正しい言葉使いをする。
4.正しい行いをする。
5.正しい生活をする。
6.正しい努力をする。
7.正しい教えをしっかり記憶にとどめる。
8.正しい思考の瞑想をする。

教え④五蘊非我(ごうんひが)ー正しい思考=五蘊非我を瞑想する」
五蘊(身体と、知覚・識別・想起・判断といった心の働き)は「我」ではない。体や心の働きが「我」のもののように思えるのは錯覚に過ぎないことを瞑想せよ、とした。
よく瞑想というと無念無想の境地とされるが、ここでいう「瞑想」はそうではない。
中国生まれの禅宗における坐禅と呼ばれる瞑想は「徹底思考」ではなく「無念無想を目指す」瞑想。
原始仏教でも、この無念無想を目指す瞑想を否定しているわけではなく、心を落ち着ける方法として推奨もしている。しかし「この瞑想では悟れない」と明確に述べている。
この無相無念を目指す瞑想の最高の境地は、「非想非非想処(ひそうひひそうしょ)」と言われている。分かりやすく言うと「思考も感情も停止した境地」。
お釈迦様は出家してすぐにこの境地に達してしまうが、この境地から戻ると元の木阿弥で、悟る(生存したいという執着を克服する)ことができない。
「この瞑想では悟れない」と気づいたお釈迦様は、最終的には徹底思考の瞑想によって、ようやく悟る。
これは現代風に言うと「徹底的に考え抜いてメタ認知せよ」ということか。

五蘊非我は実は五蘊無我ではないか、という説があり、仏教哲学における最大の問題として今も研究がなされている。
「五蘊非我」は、五蘊は「我」ではないが、「我」というものは存在するという考え方。対して「五蘊無我」は、五蘊は「我」ではないとするだけではなく、「我」自体存在しないという考え方。
村上氏は「五蘊無我」と考えているとのこと。
攻殻機動隊でもあるように、「一体何が自分なのか」という問いにつながる哲学的な話だ。

というわけで、「信じる者は救われる」とするキリスト教に対して「信じる必要はない。考えて納得すればよい。納得できなければ、さらに考えればよい」というのが原始仏教の姿勢。これがキリスト教と異なるというのが村上氏の分析だ。


<西洋哲学について>

「西洋哲学」とは古代ギリシャのプラトンに始まる哲学。プラトン以降の西洋哲学は、実はすべてプラトン哲学の脚注に過ぎないという見方で構わない。
西洋哲学=プラトンの哲学の解釈。
プラトンの哲学とは、つまるところ『イデア論』。
イデア論とは、簡単に言うと、「一方にイデアという完璧なものがあり、もう一方に不完全なものがある」という二項対立の発想のモデル。

例えば「紙に書いた三角形は、どんなに正確に書いても厳密な三角形ではない。それが三角形として認識されるのは、どこかに三角形というイデアがあるから」という考え方がイデア論であり、プラトニズム(プラトン主義)。
完璧な三角形というコンセプトが存在するのは、イデア界という完璧な世界であり、我々はその対岸にある現実界に生きている。これがイデア論=二項対立の発想であり、プラトニズムと呼ばれる考え方。
プラトンはこれを「形相(けいそう)と質量」とも言った。

プラトン以後、
・アリストテレスの「可能態と現実態」(可能態がイデアで現実態が不完全なもの)
・キリスト教神学(スコラ哲学)の「天と地」
・デカルトの「思いと我」
・カントの「物自体と現象」(あるいは「物自体と純粋理性」)
・ヘーゲルの「絶対精神と現実」
というように変遷するが、その根本はプラトニズム、つまり二項対立と同じ考え方にある。
その後、ニーチェやハイデガー、そして彼らの影響下にある最近のポストモダン派が、「プラトンに始まる二項対立的発想は間違いで、西洋文明の行き詰まりの原因だ」として、その発想の克服を目指しているが、いずれも二項対立そのものを否定しているではない。
そういう意味で、「西洋哲学とは、完全なものと不完全なものとの二項対立という考え方を本質に持つプラトン哲学の変奏曲」という解釈で何ら問題はない。



村上氏は、理系になるなら「量子力学」をやれ、経済学やるならマンキューを学べ、ということでこれらについても紙幅を割いている。

村上氏は原理論者である。
様々なテーマに原理原則を見つけて(定めて)、それを実践することで成果を出すタイプの経営者のようだ。
本のタイトルともなっている仕事術についても「仕事における7つの原理原則」というのを書いている。

原理その1 会社の仕組みを知る
原理その2 財務・簿記の基本知識を身につける
原理その3 疑問はその日に解決する
原理その4 仕事の目的は顧客満足にある
原理その5 仕事のプライオリティ(優先度)をつける
原理その6 アイデアは頭で考えない
原理その7 デール・カーネギーに学ぶ

この原理原則、ちゃんとMECEになっているのかとか色々考えたりしてしまうが、思い込みであれ何であれ、自分の仕事のやり方の原理原則はこれだ!と言い切れるというのはスゴいことだ。
振り返って、自分の仕事のやり方の原理原則を挙げられるかどうか。
そろそろ自分の原理原則を整理してもいいのかもしれない。

2015年1月10日土曜日

『読む餃子』

会社に「餃子部」なるものがあって(もちろん会社非公認)、時々会合が開かれる。
何故か得てして場末にある餃子の名店にお邪魔して餃子を食するというものだが、そういえば”餃子”というものについて実はあまり蘊蓄がないということに気づき、立ち読みしたら面白かったので購入した本。
パラダイス山元さんという会員制餃子の店「蔓餃苑」の苑主、入浴剤ソムリエ、マン盆栽家元などを歴任(?)する方が餃子に対する愛を書いたエッセー集。

というわけで以下餃子蘊蓄ピックアップ。

◯餃子は「食べて」「交わる」と「子供」ができると書く。

◯市販の皮68種類の「エア餃子」対決で頂点を極めたのは、モランボンの「もち粉入り餃子の皮」(20枚入り)。

◯餃子のルーツを調べていくと、もともとはニンニクは入っていなかったらしい。
餃子チェーン店のお偉いさんに会った際、聞いてみたところ 「ニンニクが入ってないと餃子って何個食べても満足感が得られないものなんですよ。一皿六個、いやW餃子の十二個ぐらいで、満腹中枢のシグナルが灯る量のニンニクをうちは仕込んでいます」
なるほど、街のサラリーマンがランチタイム時に、予算内で慌ただしく書き込む餃子定食には秘密が隠されていたのです。
ニンニクは、一皿か二皿でほどほどの満足感を得るために仕込まれたものだったとは。
中国から引き揚げた日本人が、その当時豚肉ではなく羊肉で餃子を作り始めたので、特有の臭みを消すことを目的に入れ始めたという説もありますし、 労働者にスタミナをつける目的で、うちがニンニク入り餃子の元祖だと主張している店もあります。

◯東京ディズニーシーの「ギョウザドッグ」
「お醤油とカラシ下さい」と言うと、袋入りの醤油とカラシを手渡してくれる。言わないともらえない。

◯IHクッキングヒーターでは、美味しい餃子は焼けません。
美味しい餃子を焼くために必要な絶対的な火力の不足、温度調節の難しさ、そして焼きムラに関しての問題は、現状何ら克服できていません。
パリで餃子を焼いたときはIHヒーターでしたが、やはり220Vの電圧のために火力は抜群。それでも、すぐに火力が落ちないというのが難点ではありました。
美味しい餃子を焼くには、ガスコンロが一番。

◯中国では焼き餃子を「日式餃子」という。
日式餃子は、日式たこ焼き、日式焼きそば、日式カレーライスとともに、日本スタイルの食文化として、今後更に多くの中国人を魅了していくことでしょう。

パラダイス山元氏は元々富士重工業のカーデザイナーだったのだが、”餃子”の他、盆栽、入浴剤、マンボ(音楽)など色々なニッチ専門家ともなっているスゴい人だ。
「自腹店舗開拓チャレンジで、それが口に合わなかった場合、自分の勘が鈍っていたんだと素直に認めます。」
「舌を憎んで、店を憎まず」
とか、
「何事も生涯学習」
とか、人柄としても何か惹かれるものがある。

というわけで今年も餃子道に励もう。


2015年1月4日日曜日

『なぜ、一流の人は「疲れ」を翌日に持ち越さないのか』

年末にインフルエンザに罹患した。
インフルエンザワクチンをうち、外出時には予防のマスクをしたのに結局罹患した立場として、「どうすればインフルエンザにかからなかったのか」という観点で手に取った本。

疲れのV字回復を実現するために「計画的に疲れよ」というのが著者、裴英洙氏の主張。

◯人間の疲労は主に次の3つのタイプに分類できる。
1 肉体的な疲労…簡単に言うと筋肉を動かすためのエネルギーが不足している状態。
2 精神的疲労…人間関係や悩み事などのストレスを原因とする心の疲れ。
3 神経的疲労…長時間のデスクワークや細かい作業などで、眼の神経や脳が緊張した状態が続くことによって起こる頭の疲れ。
疲れはこびりつく前に、すっきりと落としておくことが大切。

◯疲れの原因を見極める。
「生体の3大アラーム」 は「発熱」「痛み」「疲労」。
「痛み」や「発熱」の危険信号は、比較的対処がラク。しかし、「疲れ」は「痛み」や「発熱」ほど重要に捉えられていない。日常生活での疲労はジワジワとやってくる。ゆっくり進行するせいで、見逃しがち。気づいた時にはかなり貯蓄されていると思った方がいい。
「疲れを翌日に持ち越さない体」になるためには、このアラームを敏感に感じ取ることが第一歩。
「どれくらいまでやれば疲れるか、どれくらいが自分の「疲れの限界」なのかをすでに知っているビジネスパーソンはそれ以上のリミットを決して超えない。
 F1のレーサーは、車に異常が生じそうな危険水域を超える前にピットインする。超えてしまうことで、その後のマシンのパフォーマンスが大きく落ちることを知っているから。
ビジネスパーソンも同じ。リミットを超える前に、リミットが近づいてきたことを察知し、戦略的に休息し、あっさりと回復することで、素早く戦闘態勢に戻れるのである。
その際間違いやすい点は「疲労」と「疲労感」は違うということ。
「疲労」はカラダや精神に負荷を与えられたときにみられるパフォーマンスの低下。「疲労感」は個々人が感じる心理的なもので、心の持ちように左右される。「疲労感」は”意欲”や”達成感”に大きく影響されてしまうということ。
体は正直。
「疲労感は減らせても、疲労は減らせない」と肝に命じておくことが大切。


う〜ん、なるほど。
今回のインフルエンザ罹患も、ちょっとここ一番休みたい時に休めずに結局ダウンしてしまった気がしないでもない。
著者は、自分で
「徹夜を覚悟した瞬間から、翌日のお昼過ぎまで予定を変更し、午前中はすべて単純作業に切り替える。この日は徹夜仕事になるな、と感じたら、すぐにその翌日は丸一日犠牲にするくらいに割り切る。」
というような疲労コントロールを行っているようだが、正直そこまでできれば苦労はしない。
自分で振り返ってみると、得てして徹夜仕事になるときは別にピンポイントで忙しい訳ではなくて、翌日も忙しい。徹夜したからって翌日にそんな業務の割り振りなんか出来ない状況の方が多い。
でも、それで休みをいれなきゃ後でもっと大変なことになる、というのはその通りで、これには自分のおかれた状況を”カラダ”も含めて客観的に見ることが求められる。


その際に、必要となって来るのが著者の提言する「カラダ手帳」だ。
書くのは自分の体調について感じたことのみ。いつも使っている手帳と合わせて毎日記載することで、継続的に自分のカラダを”見える化”する。
「なぜか体調がよくない」「なぜか集中力がない」というようなことも記載し、それを自分のスケジュールと合わせ読み解くことで、自分の疲労の傾向を読み解くというものだ。
これをやって、日々の疲れを”見える化”することで、自分のカラダを客観的に観察し、F1レーサーばりの”自分のカラダのピットイン必要時期”を見極めるというもの。

著者の裴英洙氏は医者でありながら、コンサルティングファームを経営し、本まで書いているというワラジ履きまくりの人だが、疲れをコントロールすることで効率的に業務をこなしているらしい。
まずは、やってみるという基本原則から行くと、今年は「カラダ手帳」をつけることとしたい。
既に、自分の健康状態で特筆する事由が発生した時(熱が出たとか、お腹を壊した時とか)は記録を付けているのだが、それを日々のスケジュールと合わせて記載し、”点”を”線”として読み解くことが肝心ということか。
◯日坊主にならないように頑張ろう。

2015年1月2日金曜日

『社内政治の教科書』

高城幸司氏が書いた課長向けの社内政治の教科書。
課長向けというのがポイント。

課長の仕事は、「人を動かす」こと。
課長にとって「社内政治」は最重要の仕事である。

もうちょっと具体性を持たせていうと、課長の仕事とは
1 現場で起こっていることを経営に正確に伝えるとともに、経営の意思を部下に実行させる。
2 市場や会社全体の動きを見据えた上で、課の中長期的な方針・目標を明確にし、部下と共有するとともに業務進捗を管理する。
3 部下を指導・育成・監督するとともに、部下が働きやすい環境を整える。
ということ。

そんな整理をした上で、
社内政治とは、「影響力のゲーム」だ
と著者は喝破する。

では「影響力」とは何か。
著者は、社会心理学者のロバート・B・チャルディーニの著作から
「他人から『イエス』を引き出す能力」
と定義している。
自分の目指す方向へと相手に自発的に動いてもらうように促す力のことだ。

影響力には自己増殖性がある。
一つの影響力が形成されれば、それが別の影響力を強化していく。
だから人事考課の時に”ハロー効果”に気をつけろと言われるのだ。


◯「実績」は影響力そのもの。
◯「部下の昇格」は課長の最重要課題のひとつ。
◯「味方を増やして、敵をつくらない」のは社内政治の鉄則。
しかし、「八方美人」は必ず「八方塞がり」になる。場当たり的な対応は、いつか必ず破綻する。
課長は政争からは距離をとることを意識すべし。
◯社内政治は長期戦である。
「信頼」を貯金した者が、長期的には優位に立つ。
では、信頼を勝ち取るためには、どうしたらいいのか。答えはシンプル。
誠実であること。
これ以外にない。
課長時代は、若い人の支持を勝ち取る「最後のチャンス」。

なんかこれだけだと身も蓋もない感じだが、他にも社内を泳ぐにあたっての課長に向けたアドバイスがたくさん。

◯パワーの測る指標は次の3つ。
1 人事権
2 予算(事業規模)
3 人員数
これを押さえると権力が見えてくる(らしい)。
他にも昇格の人事を見ることでもどこに権力があるのか見えてくる(らしい)。

◯部下の管理については、中坊公平氏の
「正面の理、側面の情、背面の恐怖」
で臨め。
その際にも「刀」を抜く時は一瞬でかたをつけること。
「加害行為は、一気にやってしまわなくてはいけない。そうすることで、人にそれほど苦渋をなめさせなければ、それだけに人の憾みを買わずにすむ。これにひきかえ、恩恵は、よりよく人に味わってもらうように、小出しにやらなくてはいけない」
 by マキャベリ

◯部下の管理でいうと、よく褒めるが8割、叱るが2割などと言われるが、重要なのは相手のことをちゃんと見ているかどうか。

◯まず、人に与えよ。 しかし、善人にはなるな。 これが社内政治の鉄則。
 長野県上田市前山寺(ぜんさんじ)の石に刻まれた言葉
 かけた情けは水に流せ。受けた恩は石に刻め。


社内政治の話とはチトはずれるが、著者(元リクルート勤務)が経験から導きだした鉄則が面白い。
◯「共同経営体制」などは幻想。
組織において、複数の者が対等に権力を持つなどということはあり得ない。
権力は必ず集中する。そして、パワー・バランスが崩れた時には、権力をめぐる政治的闘争が必ず起こる。


それにしても、こんなタイトルの本を読もうと思ったのも社内政治に巻き込まれそうな予感がしたからか。
予感が当たりませんよ〜に。

『地方消滅』

人口動態から読める日本のありよう。課題について述べた本。
いわゆる経済見通しと違って、ほとんどぶれない人口動態という事実から導きだされるあまり知りたくない現実がここにはある。

◯日本は2008年をピークに人口減少に転じ、これから本格的な人口減少社会に突入する。
このまま何も手を打たなければ、2010年に1億2806万人であった日本の総人口は、2050年には9708万人となり、今世紀末の2100年には4959万人と、わずか100年足らずで現在の約40%、明治時代の水準まで急減すると推計されている。(日本の将来推計人口 平成24年1月の中位推計)
◯戦後1947〜49年の第一次ベビーブームのとき4.32だった日本の合計特殊出生率(一人の女性が一生に産む子供の平均数)は、低下傾向で推移し、2005年に過去最低の1.26を記録した。2013年には1.43まで回復しているものの、依然として低い水準に留まっている。
人口数を維持するのに必要な出生率を人口置換水準と言うが、2012年の日本の場合、これが2.07と言われている。1.43という数字は、将来、日本の人口が現在の約7割に減少することを意味している。
◯単純に計算すると、出生率回復(約2.1になるまで)が5年遅れるごとに、将来の安定人口数は300万人程度減少する結果となる。
◯日本は、2040年までの「老年人口増加+生産・年少人口減少」の第1段階、2040年から2060年までの「老年人口維持・微減+生産・年少人口減少」の第2段階、2060年以降の「老年人口減少+生産・年少人口減少」の第3段階という三つのプロセスを経て、人口が減少していくことが予測されている。
この人口推計を見ると、人口減少が本格化するのは2040年以降ということになる。しかし、注意すべきは、この減少プロセスはあくまでも日本全体を示していることである。多くの地方にとっては第2段階、第3段階の人口減少は、正に「現在」のことなのである。

☞少子化高齢化の世界最先端をいっている課題先進国 日本。
実は地方ではその課題先進国 日本の将来が”今”起こっているということだ。


◯戦後、日本では3度にわたって地方圏から大都市圏に大量に人口が移動した。
第1期は、1960年〜1970年代前半までの高度成長期。その後1970年代になると、第一次石油危機の到来により、日本経済は高度成長期から安定成長期に移行した。一方で、向上が三大都市から地方に分散することで、経済力の地域間格差は縮小した。その結果、都市部からのUターンやJターンが起こる一方で、関西圏、名古屋圏から人口が流出するなど、人口移動は均衡した。
人口移動の第2期は1980年〜1993年で、バブル経済期を含む時期である。その後、1993年のバブル崩壊に伴い、東京圏や地方中核都市で景気低迷が続いた結果、経済力の地域間格差が縮小し、東京圏から地方への人口の回帰が起こった。
第3期は、2000年以降の時期である。円高による製造業への打撃、公共事業の減少、人口減少等により、地方の経済や雇用状況が悪化したことが要因であった。これに伴い若年層を中心に地方から東京圏への人口流入が再び生じ、現在に至っている。
注意すべきは、現在まで続く第3期は、第1期、第2期とは性格が異なるということだ。
第1期、第2期が大都市圏の「雇用吸収力の増大」に由来する「プル型」であったのに対して、第3期は、地方の経済、雇用力の低下が原因の「プッシュ型」となっている。
これは地方の経済雇用基盤そのものが崩壊しつつあることを意味しており、地方が「消滅プロセス」に入りつつあることを示しているといえよう。

◯2010年から40年までの間に「20〜39歳の女性人口」が5割以下に減少する市区町村数は896自治体、全体(1799自治体)の49.8%(消滅可能性都市)。
さらにそのうち、2040年時点で人口が1万人を切る市町村は523自治体、全体の29.1%にのぼる。これら523自治体は「このままでは消滅可能性が高い」と言わざるをえない。


よく
「東京に人材含め資産を一極集中させて効率化を図って世界と対抗すべし」
という説を聞くが、実は人口動態からみるとそれは全くの愚作であるというのが著者の主張だ。

<極点社会の到来>
まるで東京圏をはじめとする大都市圏に日本全体の人口が吸い寄せられ、地方が消滅していくかのようである。その結果現れるのは、大都市圏という限られた地域に人々が凝集し、高密度の中で生活している社会、「極点社会」である。

<人口のブラックホール現象>
若年層を供給し続けて来た地方が消滅する一方で、人口稠密地域の大都市圏は一貫して低出生率である。特に東京都の出生率は2013年で1.13と際立って低い。
さらに今後は高齢者対策の費用が急増し、子育て支援など少子化対策に投入する財源にも限界があるため、出生率の大幅な向上は現実的には見込めないだろう。
人口稠密地域において出生率が低いという現象は、シンガポール(1.20)や香港(1.20)でも見られる。大都市圏への人口移動によって出生率が低下している現象は、日本に限らず多くの国において報告されている。
大都市圏のみが存在する「極点社会」の延長線上には、日本全体の人口減少がさらに加速化していく事態が想定される。「人口のブラックホール現象」と呼ぶことができよう。
日本全体の出生率を引き上げ、「人口減少」に歯止めをかけるためには、人口の大都市圏への集中という大きな流れを変えなければならない。 先進国の主張都市人口が各国の全人口に占める割合を見ると、東京だけが上がり続けている。(パリ、ロンドン、ニューヨーク、ローマ、ベルリンは横ばいもしくは微減)
「極点社会」は、経済変動への耐久力の面でも課題が多い。「極点社会」における大都市には、集積効果を追求する経済構造がつくり出される可能性が高いが、これは逆に大きな経済変動に弱い「単一的構造」ということができる。大震災などの大規模災害リスクに対する対応という点でも問題がある。
こうした観点から、我が国では、「極点社会」の到来を回避し、地方が自立した多様性のもとで持続可能性を有する社会の実現を目指すことが重要となるのである。

☞東京に人口(特に若年層)が集中しても、そこから人口を殖して再分配する機能が東京という都市にないということである。
本来、東京という都市で子育てしやすい環境を整えるというのが最善の解決策のように思えるが、あまりに一極集中し過ぎている首都圏においてそれが現実的でないというのが著者の主張であり、現実的にはその通りであろう。
そうなると、東京に若年層を呼び込むことは日本人口の急激な減少につながる、持続可能性のリスクヘッジの観点からも地方分散が急務であるというのが著者の主張だ。

では、どうしたらいいのかという具体策については、「人口ダム機能を備えた防衛・反転線」としての地方中枢拠点都市の創設など様々な提言がなされている。
(詳細は本書をお読み下さいませ。)

希望をつなぐデータとしては、若年層夫婦は「できれば子供はもっと欲しい」と思っているということ。

◯2010年出生動向基本調査結果における、夫婦の「理想子供数」は平均2.42人、「予定子供数」は平均2.07人であること、独身女性の結婚希望率が89.4%、「(結婚した場合の)希望子供数」が2.12人であることを踏まえると、現時点での「希望出生率」としては1.8人という水準が想定される。


具体策について、本当に実行できるのだろうかということを考えながら読みすすめた。
具体策については、大半が著者がいうように「撤退戦」であり、耳障りのいい政策のみが遂行されていく現在の政治を振り返って、実行できる気がせず、ちょっと民主主義の限界みたいなものも感じてしまった。
「朝三暮四」という諺があるが、同じことはサルの世界だけでなく人間の民主政治においても起こっているのではないか。


今年の抱負

昨年の抱負は「一所懸命」だった。
昨年は4月に会社で人事異動があり、年初に思っていた業務とは別の仕事をやることとなった。
正直、このタイミングで異動なのか?という思いもあったが、会社の人事とはそういうものだろう。異動先は会社の中ではむしろ元いた部署より花形の部署なので、文句を言っては罰があたる。
業務自体は経験したことのある業務ではあるが、昔とは色々勝手が違っていて、まるでまた新しい業務と言ってもいいくらい手探り状態だった。
今年は手探り状態だった状況から一歩進んで行く、進めるという意味で

「進」

を今年の抱負としたい。
(おりしも『”進”撃の巨人』が流行ってるしね)
今年も全力で頑張ります。


『常に前向き。一歩前進』と『常に周りへの感謝を忘れずに』。
自分も大切にしている、この二つのポリシーが組合わさると
全く別の文脈で使われるという面白い(?)事例。
男性陣にしか分からないかな。