2011年6月19日日曜日

黒板に板書

次男坊の授業参観に行ってきた。
字のきれいな先生で、黒板にきれいな文字で消してしまうのがもったいない位の丁寧さで図表等を書いていた。
せっかく書かれるこの内容、次の授業前にはきれいに消されてしまうということが日々繰り返されている。先生の業務負荷を考えると非常に無駄でもったいない仕事のようにも思える。(プリントやら、電子黒板のようなものに一度作った内容を順次表示する方式でもいいのではないか?)
この「黒板」というもの、日本には明治初期の頃から入ってきているようだが、いまだに学校で利用されているのは何故なのだろうかと考えてしまった。

<仮説1>費用対効果説
わかりやすいが、もしIT化バリバリの電子黒板が教育にとって有用ということであれば、公立はともかく、私立で採用して”売り”にする学校がでてきても不思議はないのではなかろうか。

<仮説2>時間をかけることに意義がある説
子供達の理解度を考えると時間をかけることに意義があるという説。
でも、これはIT黒板を利用しても、適正な理解時間をとるように授業を進めれば、先生方は黒板に板書する時間を生徒達の観察に使えるのでよりいいので?

<仮説3>先生がお手本となって板書することに意義がある説
色々考えるとどうやらこれに落ち着くのだが、まだどうやって書いたらいいかわからないような生徒達にとって、先生が実際に目の前で書いてみせることによって「お手本」となるという説。
でもこれだって、IT黒板になったら、書いているシーンを撮影して流せば持って足るような気がする。

授業時間において、先生が板書している時間はほぼ板書以外のことはやれない。(せいぜい後ろの生徒の気配を耳で感じる位である)
このIT化時代、その負荷を減らしてもっと先生にやって欲しいこと(子供の観察、子供ごとの指導・対応など)をやってもらえるデバイスを導入した方がよりよい教育ができるのではなかろうか。



翻って、ビジネスの世界では、パワーポイントなどのIT化全盛である。
いちいち手で書いていたのでは説明時間が足りないということなのだろう。
しかし、実はパワーポイントでやると聞く側(ビジネスだと大体クライアントや上司、学校の授業でいうと生徒側)の本当の理解が得られにくいのだとすると、本当に大事なことは板書して説明し、それを書き取ってもらうくらいのことが必要なのではないのか。
それはわかってるけど、流しながら説明(かつイラスト・写真なんかのイメージをふんだんに盛り込みながら)し、分かった気になってもらうのが話す側の目的だったりすると案外的確なやりかたをしているということか。クワバラクワバラ。

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