前著『決断力』に続く、棋士羽生善治氏の著作。
この人は棋士になっていなくても大成したのではないかと思えるくらい洞察力がある。
いや、日々真剣勝負だからこそ、哲学的とも言える洞察が身についたのであろうか。
本人曰く「私はこれまで、何と闘うという目標を立ててやってきていない。信じていただけないと思うが、常に無計画、他力志向である。突き詰めると「結論なし」となる。人生は突き詰めてはいけないと思う。」
と述べているのだが、目標の無い人があれほどの結果をだせるものなのだろうか。
日々「自分ができることを精一杯やる」ということでやってきたとすると、やはり羽生善治は天才なのであろう。
今回の著作も前回の高速道路理論と同様すてきな考察が多い。
前著よりも、古今の棋士に対するコメントが増えたのは、将棋界での地位が上がったこととリンクするのであろう(とはいえ、辛口コメントはほとんど無く、ポジティブな評価ばかりであるが)
名棋士は比喩が巧みである。
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将棋の世界は、リスクをとらなければ棋士の成長は止まってしまう。
だから、私は、新しい手を見つけたら、メジャータイトルを含む実際の対局で試すようにしている。
本番で試すリスクをおかさない限り、プロ棋士としての成長はない。
同じ戦法を手堅くとり続けるというのは、一見すると最も安全なやり方のように見えるが、長いスパンで考えたら、実は、最もリスキーなやり方なのである。
リスクとは自動車のアクセルのようなものだ。運転の上手な人は、アクセルを強く踏んでも決して事故を起さない。
それは、どの程度のスピードまでならきちんと自分で対応できるかをちゃんと知っていて、適切なタイミングでブレーキを踏んでいるからだと思う。
リスクの取り方にもバランスが必要。
リスクをとるという行為は、クルマの運転と似ている。
相手のスピードと同じスピードで走っていると、自分がどれだけ速さで走っているのかわからなくなるので、スピードを定期的に確認する必要がある。
有益な情報を抽出するためのプロセスは、コーヒー豆からコーヒーを作るのに似ている。
まずコーヒー豆を粉状にする作業(第一のプロセス)。次に、フィルターをかけ、お湯を注ぐ作業(第二のプロセス)。まったく異なる二つのプロセスを通すことによって、抽出されるものが有益な情報になるのではないか。
深く集中して考えることは、深い海に潜ることと感覚的に良く似ている。
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また、名棋士の様々な洞察力には怖れいる。
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全てを教えるのではなく、大部分を伝え、最後の部分は自分で考えて理解させるようにするのが、理想的な教え方。
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」
捨ててしまったら二度と取り戻せないものを手放すことができるかどうかは、過去を総括する覚悟ができるかどうかにかかっている。つまり、現実として消化できているかだ。その覚悟さえできれば、未練も後悔もなくモノを捨てることができるはずだ。
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前著よりも散発的な感があるとはいえ、結果を出し続けている著者の洞察力に富んだ言葉には非常な重みがある。
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