2011年8月17日水曜日

『哲メン図鑑』

柏の葉でもご一緒させていただいたアーティストの高橋信雅さんがイラストを描いている哲学の入門書。
現在、仕事でご一緒させていただいているE社の齋藤社長が、たまたま高橋信雅さんをプロデュースされているとのことで、頂戴して読んでみた。
70人の哲学者の人となり、考え方を高橋氏の楽しげなイラストで魅せる哲学入門書ではあるが、お堅い感じが全くなく、我々の世代にはわかりやすい樫辺勒氏の解説が楽しい。(哲学書は喩えが無いと全く理解できないが、その喩えがマンガやらアニメやら現代社会の登場人物やらで非常にユーモアに富み分かり易い)

恥ずかしながらこの歳で初めてしったことも多々あった。
○哲学というものは最初は自然科学に対する洞察(自然哲学)から始まったこと。
○ソクラテス辺りまでは、哲学とは”実践”するものであったこと。(著作がなくてもソクラテスは大哲学者!)
○キリスト教というものは、哲学においては思考の足枷となっている要素が大きかったこと(中世スコラ学における「神」の位置づけは間違いなく自由な思考の足枷となっていたはず) 。
○「愚行権」という素晴らしい考え方は多湖輝先生の独創とおもっていたらミルが提唱したものであったこと。
○思想についても、政体と非常に関わりがあり、流行すたりがあるということ。
476年のゲルマン諸族の大移動と西ローマ帝国の崩壊に伴う混乱で、ギリシアの哲学者の写本がヨーロッパから失われてしまう。
その後およそ1000年におよぶ「中世」のヨーロッパ社会での知の主役を担ったのは神学者達だった。それが学問として高度に体系化されたのが「スコラ(哲)学」。
そして、その際に重用視されたのが、13世紀にイスラーム世界から逆輸入されたアリストテレスの哲学だった。
アリストテレスに遅れること200年あまり、プラトンの哲学もまた東からやってきた。
1453年に東ローマ帝国がオスマン・トルコに滅ぼされると、学者達が貴重なギリシャ語写本を携えてイタリアに逃れてきた。当時の中世末期のイタリアでは、ルネサンスが全面開花しようとしていた。)
などなど。

それにしても哲学者というのは変わった人が多い。
ソクラテスあたりまでは”実践”するのが哲学者だったから、わからなくもない。
中世以降は、裕福な家の出が多い気がするのは、忙しいと哲学なんてやってられない(考えていられない)からであろうか。
そういう意味では久しぶりのオフで、ゆっくり哲学に思いを馳せる時間がとれるのはありがたい。

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