2011年8月28日日曜日

facebook

仕事の関係もあり、知らないわけにもいかず、といって始めたフェイスブック。
早半年以上になる。
人の投稿をみるのは非常に楽しく有益なのだが、どうも自分で投稿することが少ない。
ブログに書いたり、社内SNSに投稿するの以上にローペースなのはどうしてなのだろうと考えてちょっと、気がついた。

人間は社会的動物なので、色々な面を併せ持っている。
家庭の中の自分、仕事の世界の自分、趣味の世界での自分、地域の中での自分。。
そういった様々な面を使い分けて人間は生きている。
スターバックスのコンセプトである「third place」も、”家庭”、”職場”の次にくる”第三の場所”をスターバックスは提供しますということだ。
そういった様々な世界の中で、人は自ら発信する内容を変えている。各々の世界における自らの立ち位置は違うということだ。(だから、ほぼ全ての”世界”で「先生」と呼ばれる人達は、その幅が狭くなり、驕りが発生しやすくなるということだ)
家庭内では、仕事関連でいくアフターファイブの話はほとんどしないだろうし、家庭内の込み入った痴話を職場ですることもない。
たとえ仕事という”世界”ひとつとっても、グループによって話す話題は全て違うものとなる。

そういった中で、フェイスブックはあまりに360度に発信することになるので、自分のどの”世界”に向けて発信するのかが絞れない。
フェイスブックの「友達」は会社の上司から後輩、昔の同級生までいる(下手すると奥さんを「友達」にしている人もいる)ので、発信した情報は全て筒抜けとなる。
悩みをアップして相談するにしても、友人や上司に対して打ち明ける表現と、後輩に向けて話す表現とでは自ずと違うはずなのに、フェイスブックではそのコントロールが効かない。
それゆえ、全方位で話せる内容に限り発信することになる。

実名制の善し悪しもさることながら、フェイスブックには個々人の持つ世界を統一してしまう怖さがある(仮面ライダーディケイドみたいなものか?)
果たしてフェイスブックは、世界を融合する「人類補完計画」(byエヴァンゲリオン)たりうるのか、はたまた人間の様々な世界をぶちこわす破壊者(by仮面ライダーディケイド)なのか。
それとも、単に第4のネット上の”世界” が増えたというだけのことなのか。

 どちらにしても、自分は色々な”世界”を持ち続けることで、色々な自分を演じていきたいと思う。

0 件のコメント: