2016年1月30日土曜日

『フツーの会社員だった僕が、青山学院大学を箱根駅伝優勝に導いた47の言葉』

青山学院大学陸上部監督として、箱根駅伝連覇を果たした原晋監督の著作。
実は今年の箱根駅伝で1区から完全勝利で連覇を果たす前に書かれた本というのがまた面白い。

元々原監督、世羅高校→中京大学→中国電力と進むのだが、一番成果を残したのが世羅高校の高校3年生の時の全国高校駅伝大会準優勝。後は大きな成績を残すこともなく、中国電力陸上部を辞めて、普通の会社人として勤める。
その後、母校ではない青山学院大学陸上部監督の話しが来てということなのだが、日本一のチームをつくったチームビルディングの手法は社会人時代の経験も相当活きていると思われ、非常に共感できるものとなっている。

青学の監督も3年契約で、「3年目にはどうしても結果が欲しくて」チームカラーに合わない生徒をスカウトしてしまった苦い経験もありながらの10年目の大成果は本当にスゴい経験だと思う。

個々のタイムが問われる陸上において、「10年前の組織力では、もし、2015年の優勝メンバーが揃っていても、箱根駅伝優勝は難しかっただろう」と語る原監督のチームビルディングは、スーパーエースの出現を待望するのではなく、時間をかけてチーム力を底上げして優勝を狙うものであった。


◯良質の土壌をつくるには時間がかかる
素材が良くても、その潜在能力を引き出し伸ばす環境がなければ育たない。 耕していない土壌に、いくらいい種を撒いても芽は出てこない。土壌を耕すには時間がかかる。


◯強い組織をつくるには、「コーチング」の前に「ティーチング」
組織の進化には4つのステージがある。ティーチングの段階が、強い組織の土台をつくる最初のステージ。部員に知識や技術を細かく教えていく段階(命令型)。
次がステージ2。スタッフを養成してすこしずつ権限を与える(指示型)。
さらに選手の自主性を重んじるステージ3に進む(投げかけ型)。
そして最終的なステージ4に入った段階で、コーチングという指導法が大きな効果を発揮するようになる。(サポーター型)

ステージ1 命令型
監督の命令で全員が動くチーム。規則や方向性を徹底させ、チームや組織の土台をつくるには適しているが、部員が監督の指示通りにしか動かないので、自ら考えないようになってしまう。
ステージ2 指示型
監督が学年長(代表者)に指示を出し、学年長が部員に伝えて動くチーム。権限を与えられた学年長は自覚が生まれ成長するが、他の部員はまだ自ら積極的に考えようとはしない。
ステージ3 投げかけ型
監督が方向性だけを学年長(代表者)に伝え、学年長と部員が一緒に考えながら動くチーム。ステージ1、2を飛ばしていきなりステージ3から組織作りをしてしまうと、部員が自主性と自由をはき違えたチームになるため注意が必用。
ステージ4 サポーター型
チームづくりの最終段階は、監督が外部指導者を巻き込みながら、部員に対してサポーター役になる。部員の自主性とチームの自立を求めていくことになる。

ステージ3以上のチームは陸上界ではほとんどない。チーム1,2でも監督があらゆる必要分野に精通していればそれも可能だが、はっきり言えることは「そのチームは監督の器以上のチームにはならない」ということ。

チームビルディングについて、そのチームのフェーズによってやるべきことが異なるということを意識しながらマネジメントしている指導者がどこまでいるだろうか。
同じことは企業にも言える。


◯リーダー
組織を強くしていくときに不可欠なのがリーダーの存在。キャプテンは部員が「この人と一緒に戦いたい」と思える人。
キャプテンに求めるのは「チームの空気を変えられるかどうか」。陸上競技でもタイムの速い選手が必ずキャプテンになるとは限らない。最後は、やはり人間性。
キャプテンに必要な資質は、「できる理屈」を考えられるかどうか。物事を前向きにとらえて、それを周りの人に伝える言葉を持っているか、ということに尽きる。


◯エース
チームを強くするには、エースという存在が必要。
では、エースを育てるにはどうすればいいか。
私はエースをつくるには、「平等感」が不可欠だと考えている。選手が同じスタートラインから切瑳琢磨できる環境を整えるということ。
指導者がもっともやってはいけないのは、選手同士が切磋琢磨する前に、その時点で高い能力を持つ一人を「お前がエースだ。お前を中心にチームをつくっていく」と決めてしまうこと。
組織の中では常に平等感を前面に出すべき。誰にでもチャンスがある環境こそが、チーム全体、組織全体を底上げするパワーになる。


◯スカウト(リクルーティング)
勝てる組織をつくるには、優秀な人材の採用が不可欠。
私が人材を見極める際のポイントにしている一つが「強さ」。強さとは、どんな環境にも対応できる能力。
タイムも重要だが、それ以上に着目しているのが「着順」。多少タイムは悪くても、出場した大会で常に優勝、あるいは上位に入っている選手の方が魅力的に映る。そういう選手の方が、勝負どころで勝負できる選手であり、競り合った展開でも最後まで粘り勝ちできる選手だからだ。この強さは、勝負においては大きな資質。ビジネスの世界でより求めらる資質かもしれない。

将来活躍が期待できる素材は、その段階から他の選手とは異なる雰囲気を持っている。
オーラを放つ選手はとにかく歩く姿勢がいいし、胸を張り堂々としている。
オーラを放つ子は、自分の言葉を持っている。目の前にある課題を的確に分析して、自分には何が出来るかをシンプルに言葉にする。誰にでもできることではない。
私がよく高校生にする質問の一つが「自分を自慢してもらえますか?」というもの。ただしこの質問は会社の採用面接では何度もシュミレーションしているので役に立たない。むしろ使い古されたマニュアル通りの言葉ではなく、自分の頭で考えた自分の言葉で話しているかどうか、そこにオリジナリティが感じれられるものがあれば期待できる人材。
今は、人の指示を待たずに動ける、考えられる人材が伸びる時代。
伸びる子は真面目でチャラいこともできる。

どんなに超一流の素質をもっていても、チームカラーに合わなけばとらない覚悟が必要。 その人材を環境に適合させるには時間がかかる。せっかくの優秀な人材が環境に合わないだけで能力を発揮できないのは不幸である。


Googleもそうだが「組織の文化にそぐわない人間は、どんなに優秀であっても採用しない」というのは採用するサイドの視点でよく言われること。
原監督はそれを「そういう採用は、採用される側から見ても不幸である」という観点で見ている。


◯柿の木作戦
目標は半歩先を設定する。名付けて「柿の木作戦」。
柿の実を取るときは、いきなり一番上の柿を取ろうとはしない。まず少し手を伸ばせば届く実からとるはず。そして、取った実がうまいと分かれば、さらにその上の実に手を伸ばす。手が届かなければ工夫するであろう。気がつけば、一番上の実を取るためにどうしようかとあれこれ考えることになる。頂点を目指すなら、まずは半歩先の目標からということ。
簡単には届かないけれど、つま先立ちになって必死に手を伸ばせば届きそうな半歩先の目標にこそ、人を動かすエネルギーが秘められている。
人の心に響かせるには、理屈と情熱がリアリティをもってバランスよく存在することが大切。
この「柿の木作戦」はメンタルも強くしてくれる。 最近は、メンタルを強くすることが、パフォーマンスを高める大切な要素と言われている。メンタル強化には自信を積み重ねることが近道。
「自分はできた」と思う機会が増えれば増えるほど、緊張することは少なくなる。


◯監督の仕事
組織が成熟してくると、日々の変化を感じ取るのが監督の主な仕事になる。
チームに緊張感が足りないと感じたときだけ、部員との距離を詰める。それでも緊張感が足りないなら、さらに近づいていってつぶやく。それで十分。
管理者は、管理するのではなく「感じる」のが仕事。感じることは、管理職の危機管理能力。異変を早めに察知して、事故やトラブルを未然に防ぐ。
そのためには「本気で観察する」こと。

相談することは、「考える」癖をつけるいい訓練。相談できる空気をつくるのは指導者の務め。
できるだけ答えを出さずに、彼らが考えるのを待つこと。

チーム全体の力を底上げしていくには、試合に出れない人たちのモチベーションをいかに維持するかが重要で、指導者として意識して気を配らなければならないところ。
私がそうした部員に対して意識してきたことは、面と向かって直接話しをすること。そして、彼らに自覚を持たせること。
自覚とは、試合に出ることを諦めずに練習に前向きになる姿勢を保つこと。
今のポジションを理解させ、どうするべきか道筋をつけてあげることも、指導者の大きな役割。


◯監督就任3年目の失敗
「3年契約で監督に就任した私は、3年目はどうしても結果が欲しいと焦っていました。そこで、記録優先で選手をスカウトすることに決めたのです。入部が決まったのは持ちタイムで全国ランキングでも上位の即戦力といえる選手たちでした。これで最初の目標である箱根駅伝出場を達成できると思ったのです。
しかし、その目論見はもろくも崩れました。
お願いして来てもらった選手達は寮則、門限を守らず、まともに練習もしなかったのです。
しかし、ずば抜けた資質を持っていたことで、他の部員は腫れ物に触るように遠巻きに見ているしかありません。
彼らには「来てやったんだ」という思いが強かったのだろうと思います。
逆に、監督の方が「とってやった」と思ったら選手が萎縮します。どちらの場合もうまくいきません。
採用する側もされる側もメリットがなければなりません。win-winの関係には伸びしろがあります。 お互いにメリットがある関係でなければ、組織も人も伸びません。」

3年目に原監督を解任していたら、今年の青学の箱根駅伝連覇はおろか優勝することもなかっただろう。
結果のでない「土壌をつくる期間」に信じて耐えるということはボード側にも必要だということだ。


◯グループ
ランダムなグループが、上下の関係なく刺激を与える ランダムなグループというのが目標管理ミーティングの肝。それぞれの置かれた立場や状態が違う部員が集まることで、まず目標を客観的に見直すことができる。 仕上げた目標管理シートを寮の廊下に貼り出す。自分の目標を表示することで、達成へのモチベーションを高める。

多様性のいい面をちゃんと理解しているあたり、自分でも言っているが陸上界では相当異色な監督だろう。でも自分のやり方を貫いて10年の歳月を経て最強チームを作り上げたという実績はスゴい。

更に監督業が遠巻きでよくなって、講演をされるようであれば一度聞いてみたい人だ。

2016年1月24日日曜日

『WORK RULES!』

グーグルの組織のあり方の考え方について述べられた本。
流行の本ということでちょっと敬遠していたが、手に取ってしまった。
結論から言うと非常に、啓蒙的で参考になった。

<マネジャーの役割>

>>>>>
グローバルな幹部要員は自由度の高い企業で働きたがるから、有能な人材はその手の企業に流れ込む。適切な環境を構築できるリーダーは、地上で最も有能な人材を惹き付ける磁石となるだろう。
だが、そうした職場をつくるのは難しい。経営の中枢における権力の力学が自由とは逆方向に働くからだ。
グーグルのアプローチはこの難局を打開する。我々は、権力と権威をマネジャーから社員へと譲り渡すよう意識している。
新たに雇われたマネジャーはこれを嫌がる。昔さながらのアメとムチを使えないとしたら、マネジャーはどうすればいいのだろうか? 残された道は一つしかない。グーグルのエリック・シュミット会長の言葉を借りれば「マネジャーはチームに奉仕する」のだ。
ご多分に漏れず、わが社にも例外や失敗はある。とはいえ、グーグルのリーダーシップの原則的なスタイルは、賞罰を与えることではなく、障害を取り除いてチームを鼓舞することにマネジャーが集中するというものだ。
>>>>>


<「文化が戦略を食う」>

社風(文化)は戦略に勝る、という趣旨。
グーグルの文化を定義する3つの要素、ミッション、透明性、発言権

グーグルの文化にとってミッションは一つ目の礎石である。
「世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにする」
この種のミッションが個人の仕事に意味を与えるのは、それが事業目的ではなく道徳だからだ。
歴史上極めて大きな力を振るった運動は、そこで求められたものが独立であれ平等な権利であれ、道徳的な動機を持っていた。こうした考え方を拡張し過ぎたくはないが、革命を起こすのは利益や市場シェアではなく理念だと言っていいだろう。
重要なのは、我々がこのミッションを決して達成することができないことだ。これが、絶えずイノベーションを起こし、新たな分野に進出するモチベーションとなる。
「マーケットリーダーになろう」というミッションは、一旦達成されれば、さらにインスピレーションを生むことはほとんどない。

グーグルの文化の2つ目の礎石は透明性。
透明性の思いがけない利点の一つは、データを共有するだけで成績が向上することだ。
記録は、コミュニケーションの手段としてだけでなく学習ツールとしても利用される。
オープンを原則とすれば、社員はこう実感できる。自分達は信頼に値するし、優れた判断力を持っていると信じてもらっているのだと。何が、いかに、なぜ起こっているかについてさらに情報を与えれば、彼らは仕事をより効率的にこなせるし、トップダウン型のマネジャーには予想もできない仕方で会社に貢献してくれる。

グーグルの文化にとって発言権は3つ目の礎石だ。発言権とは、会社の経営方針について、社員に対して実際に発言の機会を与えることを意味している。

こうしてみると、何とも驚いたことに「文化が戦略を食う」というフレーズはまったく正しかった。
グーグルでは中国のケースがそうであったように、一貫して経済性ではなくわが社の価値観を支える文化に基づいて結論が下されていた。
ミッション、透明性、発言権というわが社の 文化的礎石が、我々を何度となく次のような課題に向き合わせた。
意見が別れる難題に取り組むこと、そうした難題について議論すること、そうした難題を明確な戦略に分解すること。つまり、わが社の文化がわが社の戦略を形成していたのであって、逆ではなかったのだ。

人の心をつかむミッションを見つけること、透明性を保つこと、社員に発言権を与えることの論拠は、いくぶんプラグマティックなものだ。世界中で増えている、有能で、機動力があり、やる気にあふれるプロフェッショナルや起業家の集団は、こうした環境を求めている。
これからの数十年間、地球上で最も才能があり、最も勤勉な人々を引き寄せるのは、社員が有意義な仕事に携わり、所属する組織の運命を左右できる職場だろう。もちろん、道徳的な論拠もある。
その根底にはきわめて単純なこんな格言がある。「自分がしてもらいたいと思うことを、他人にしてあげなさい」


<Googleの採用>

グーグルは採用に時間・お金をかけて(何でも普通の企業の2倍はコストをかけるらしい)、人数が必要だからと妥協して採用することはないという。

>>>>>
並外れた人材を選び出すには、採用についての考え方を2つの面で大きく変えなければならない。 一つ目の変化は、採用にもっと時間をかけることだ。
二つ目の大きな変化は、「自分より優秀な人物だけを雇え」というものだ。
傑出した人々を見つけるのにかかる時間は長いが、こうした時間はつねに待つだけの価値があった。

自分より優れている人を待つことにもっと時間をかける気になったら、次は採用に関する権限をマネジャーに手放してもらう必用がある。前もって言っておかねばならないが、グーグルが新たに雇うマネジャーはこれを嫌う!マネジャーは自分のチームを選抜したがるものだ。
ところが、意欲に満ちたマネジャーでさえ、人材発掘の作業が長引くと採用基準を緩めてしまう。さらに悪いことに、個々のマネジャーはえこひいきをする可能性がある。つまり、友人を雇いたがったり、取締役や大口顧客に好意を示すためにインターンを採用したりするのだ。 半年くらいすぎると、新任マネジャーは、自分が雇おうとしている人材の質は過去のどの社で経験したものよりも高いし、自分は同じ厳格なプロセスをくぐり抜けてきた並外れた人々に囲まれているのだと気付き、その価値を認める。

頭の良さを基準に盲目的に人を雇い、やりたいことは何でもできる際限のない自由を与えれば、突如として壊滅的な失敗を招くことになる。最高の人材を雇いたいと願うのは当然だが、「最高」とは知性や専門技術といった唯一の属性によって定義されるものではないのである。
ある環境でスターだからといって、新たな環境でもスターになれるとは限らない。だから、自社の環境で人を確実に成功に導くことが極めて重要になる。その方法は、幅広い属性を探すことであり、なかでも最も重要なのは謙虚さと誠実さである。
>>>>>

それにしても、Googleの採用に対するリソース(お金と時間)のかけ方は半端がない。
>>>>>
2013年4月、グーグルは過去2年間で1万人以上の社員を増やしてきた。
毎年のように約5000人ずつ社員を増やしてきた。そこまで絞る前に、まずは毎年100万人から300万人の求職者からの応募を受け付ける。つまり、ふるいにかける人々の約0.25%しか雇わないということだ。ちなみにハーバード大学は志願者の6.1%に入学許可を出した。(34,303人の志願者のうち、2,076人が入学を認められた)
ご想像の通り、採用マシーンは実にノロノロとしか動かなかった。グーグルに採用されるまでには6ヶ月以上かかることもあったし、求職者は採用通知を手にするまでに15〜25回もの面接に耐えねばならないこともあった。
一人のグーグラーが、たった一つの仕事に応募してきた数百人、数千人という人々のうち10人余りを面接した。面接を行い、最終的な採用者に関するフィードバックを書くのに10時間〜20時間を費やした。合格した受験者がそれぞれ受ける15〜25回の面接にこの時間をかけると、150時間から500時間の労働時間があらゆる採用プロセスに投じられる計算になる。しかも、新人採用担当者、採用委員会、そして創業者が費やす時間は考慮されていない時点での話しだ。
一人を雇うのに250時間かかるとすれば、年に1000人を雇うのに25万時間を費やす必用があるということになる。言い換えれば、1000人を雇うためには125人の社員がフルタイムで働く必用があるということだ。
だが、今にして思えば、当時はこれが理にかなったトレードオフだった。採用マシーンが過度に慎重に運用されていたのは、誤検出を避けることに主眼がおかれていたのだ。優秀な人材を2人雇い損ねたとしても、うんざりするような人物を一人避けることができるなら、わが社にとってはその方が良かった。

トッド・カーライルは、受験者ひとりにつき25回もの面接を行うことが本当に役立つかどうかを調べた。
カーライルは、受験者を採用すべきかどうかは、4回の面接によって86%の信頼性で予測できることを発見した。その後の面接では1回につき1%しか予測精度は向上しなかった。
そこで我々は「4回の法則」を実行に移し、受験者が実際に受けられる面接の回数を制限した。(ただし、一定の場合には例外を認めている)
この変更だけで、わが社が採用に費やす平均時間は従来の90〜180日から47日に減り、社員の労働時間は数十万時間も短縮した。

グーグルの社員数が約2万人に達するまでは、ほとんどの社員が週に4〜10時間を採用に費やし、最高幹部は丸一日を費やすことも多かった。
採用に年間8万〜20万時間が使われていたことになる。(しかもここには人材募集チームが費やす時間は含まれていない)
こうしたことは急成長のために必用だったが、人材の質に妥協しないためにも欠かせなかった。正直なところ、当時の我々にできる最善のやり方がそれだった。
>>>>>


<業績評価と人材育成>

[グーグルガイスト]
ほとんどの社員調査は帰属意識に焦点を合わせている。帰属意識は人事関係者のお気に入りだが、実際には多くを語らない漠然とした概念である。
グーグルガイストは、その代わりに我々が手にしている最も重要な結果変数に焦点を合わせる。すなわち、イノベーション(既存の製品を絶え間なく改善することと、明確なビジョンのもとに思い切った賭けに出ることをともに重視し奨励する環境を維持する)、実行(品質の高い製品を迅速に発売する)、定着率(辞めないで欲しい人材を辞めさせない)だ。

業績評価の本質は評価の適切な調整(キャリブレーション)にある。他社の社員と比べグーグラーが会社の評価システムに対して2倍も好意的なのはキャリブレーションのおかげである。
では、キャリブレーションとは何だろうか?マネジャーがつけた評価案が最終評価になる前に、マネジャーのグループが集まって部下の評価案をともに検討することだ。我々はこの手続きをキャリブレーションと呼んでいる。
キャリブレーションによって評価の手続きがひとつ増えることになる。しかし、公正さを確保するには極めて大切な手続きだ。一人のマネジャーの評価は同様のチームを率いる複数のマネジャーの評価と比較され、マネジャー達は集団で社員を審査する。

昔ながらの業績管理システムは大きな誤りを犯している。完全に切り離すべき2つのこと、つまり業績評価と人材育成を結びつけてしまうのだ。
業績評価が必用なのは、昇給やボーナス向けの資金のような有限の資源を配分するため。人材育成が同じく必用なのは、社員を成長させ、向上させるため。
社員に成長して欲しいと願うなら、これら2つの議論を同時にしてはならない。人材育成については、マネジャーとチームメンバーの間で不断に議論を交わすようにすべきであり、年度末のサプライズにしてはいけない。

我々が発展させなければならなかった基本的な考え方は、ほぼあらゆる企業に応用できる一つの言語を形成している。
第1に、目標を正しく設定する。それを公にする。目標は野心的なものにする。
第2に、同僚のフィードバックを集める。人々はレッテルを貼られることが好きではないが、仕事の質を高めてくれる有益な情報なら大歓迎だ。
どの企業も何らかの評価システムを持ち、それを使って報酬を配分しているが、同じように規律のある人材育成のメカニズムを持つ企業はほとんどない。
第3に、評価のために、何らかのキャリブレーション・プロセスを導入する。我々が好むのは、マネジャーが一堂に会し、一つのグループとして社員について検討する会議だ。時間はかかるが、評価と意思決定のための信頼出来る公正なプロセスを実現できる。
同じ席につき、意見を交わし、価値あるものを確認することには、企業文化に好影響を与えるという副次効果もある。直接顔を合わせての会合は、社員数が1万人までの企業にとって最も有効だ。
第4に、報酬についての話し合いと人材育成についての話し合いを分ける。この2つを結びつけると学習が台無しになってしまう。企業の規模に関わらず、これは事実である。


<プロジェクト・オキシジェン>

プロジェクト・オキシジェンは当初、マネジャーは重要ではないと証明しようとしたが、最終的には良いマネジャーが必須という結論になった。
「優れたマネジャーは、呼吸と同じで必用不可欠な存在。マネジャーを向上させるのは、新鮮な空気を吸うのと同じ」なのだ。

最高のマネジャーのチームと最低のマネジャーのチームが移り変わったら、マネジャーによって差がついた。定着率、業績管理への信頼度、キャリア開発度を測る質問に関するスコアが変動した。

プロジェクト・オキシジェンの8つの属性
1.良いコーチであること。
2.チームに権限を委譲し、マイクロマネジメントをしないこと。
3.チームのメンバーの成功や満足度に関心や気遣いを示すこと。
4.生産性/成果志向であること。
5.コミュニケーションは円滑に。話しを聞き、情報は共有すること。
6.チームのメンバーのキャリア開発を支援すること。
7.チームに対して明確な抗争/戦略を持つこと。
8.チームに助言できるだけの重要な技術スキルを持っていること。

意外にも、優れたマネジャーに必用な8つの属性のうち、技術的な専門知識の重要度は一番低いことが分かった。誤解のないように言っておくが、技術的な専門知識はもちろん必須である。プログラムを書けないエンジニアリング部門のマネジャーは(ノップ(NOOP)扱いされて)グーグルでチームを率いることはできない。だが、最高のマネジャーとその他のマネジャーの違いを生む行動のうち、技術的な貢献はチームにとって最も影響が小さかった。


マネジャーが実は必須なのだ、というのは今マネジャー職にある自分にとってモチベーションの高まる結論である。


<報酬について>

我々は約10年をかけて、適切な環境要因と内発的な動機づけ(会社のミッション、透明性の確保、組織運営に対する社員の強い発言権、物事を追求して失敗して学習する自由、協力体制をつくりやすい物理的空間)を整え、外発的な動機づけとしての報酬体系を洗練させた。そして次の4つの原則が生まれた。
①報酬は不公平に
②報酬ではなく成果を称える
③愛を伝え合う環境づくり
④思慮深い失敗に報いる

公平な報酬とは、報酬がその人の貢献と釣り合っているということだ。
報奨の内容も金銭的なものより経験を重視するようになった。

グーグルでは現在も、例外的に優秀な人には、例外的な額の現金や株式で報いる。ボーナスと株式報酬の金額は、以前よりベキ分布に近くなった。
ただし、我々はこの10年をかけて、報奨の内容と同じくらい、報奨の決め方が重要であることを学んできた。
現金だけでなく、経験の報奨を積み重ねていくことの大切さも重視している。
経験の報奨によって成果を公に称え、ボーナスや株式報奨の金額に大きな差を付けることによって個別に称える。その結果、社員も以前より満足している。



他にも諸々知見があって非常に参考になるのだが、
Googleのスゴさは長期的な視点にたった施策を実行し、それを測定することで説得力を持たせるという点だ。(だからこの本に載っている成功事例の他に失敗したトライアルもたくさんあるはずだ)
こう言ってしまうと、なんだそんなことか、という感じだが、測定するための結論が出るまでは”仮説”でしかない長期施策を「実行してみる」というのがGoogleの文化のスゴいところということだ。
そんな実行してみた長期施策の成功事例を教えてもらっているので、自分の会社でも色々採用できるポイントがありそうだ。


大分端折ったが、最後に、まとめて書かれているWORK RULESについては記載しておこう。

<WORK RULES>

自由度の高い環境を手に入れたい人のため、チームや職場を変える10のステップ
①仕事に意味をもたせる
②人を信用する
③自分より優秀な人だけを採用する
④発展的な対話とパフォーマンスのマネジメントを混同しない(人材育成と業績評価は分ける)
⑤「2本のテール」に注目する(上位10%と下位10%の違いを調べる)
⑥カネを使うべきときは惜しみなく使う
⑦報酬は不公平に払う
⑧ナッジ 〜きっかけづくり
⑨高まる期待をマネジメントする
⑩楽しもう!(そして①に戻って繰り返し)


ちなみに以下はちょっと刺さったフレーズ。
◯最高のグーグラーは、理にかなう場合には、自分の判断でルールを破る。
◯グーグルの昔から変わらない基本方針の一つ
 「政治活動をするな。データを使え」
◯必死に働け、ただし見せびらかすな。それがシリコンバレーの精神だ。


2016年1月4日月曜日

今年の抱負

なかなか決めきらなかった今年の抱負。
昨年の抱負は「進」であった。
色々とやって「進」めた年だったが、正直、今は今の業務をこなすのに精一杯で、中々他に手を回す余力がないのが実際のところ。
今やっていることが次の50歳代への布石になるのではないかとは認識していて、現状のままでいいとも思っていない。

現業務で”軸”はつくりつつあるので、今年はそれをベースに色々な意味で拡げていくということで

拡」

を今年の抱負としたい。
拡げる為には優先順位をつけて断捨離する必用があるのかもしれないとも覚悟している。
今年は実は年男。
今年も公私にわたって頑張ります。




『「洞察力」があらゆる問題を解決する』

現場主義的意思決定の父、ゲイリー・クライン博士による、「見えない問題を見抜く力(=洞察力)」に関する本。

<個人・組織を左右する2つの矢印>
「パフォーマンスのモデル」 パフォーマンス向上(技能・性能・生産性)=目に見えるミスを減らす+見えない問題を見抜く力(=洞察力)を上げる

◯ミスというのは目に見えるものなので、特に組織ではミスを減らそうとする。
しかし、問題発見・問題解決の能力アップの方が効果が高い。

◯組織は何かを発見することよりも、ミスや不確実性を減らすことばかりに偏ってしまい、組織に「予測可能性の罠」「完璧主義の罠」にはまってしまう。
組織のDNAは、例外や不規則な性格をもつ「見えない問題を見抜く力」を抑制するようにプログラミングされているのだ。


◯「見えない問題を見抜く力」は我々のものの見方(理解の仕方、考え方)も変える。そして、異なる視点を我々に与え、行動の仕方をも変える。場合によっては、我々の理解や行動だけでなく能力までも変えてしまう。我々のものの感じ方を変え、最後に我々の欲求を変える。

<「見えない問題を見抜く力」を生じさせる5つの方法>
・出来事のつながりから見抜く方法
・出来事の偶然の一致から見抜く方法
・好奇心から見抜く方法
・出来事の矛盾から見抜く方法
・絶望的な状況における、やけっぱちな推測による方法

◯イスラエル人研究者 ダニエル・カーネマンとエイモス・トベルスキーによる「ヒューリスティック・バイアス」
カーネマンらによると、思考システムには、速くて直観的な思考システム1と、より遅く、より批判的かつ分析的で、思慮深い思考システム2というように区別される。
認知バイアス(物事を判断する際に、我々が持っている合理的基準からの体系的な偏りのこと)とは思考システム1、つまり、我々が受ける認知上の衝動から主に生じる。
思考システム2は必要な時にそうした衝動を抑制し、かつ修正するために監視し続ける心理的なメカニズム。
ヒューリスティック・バイアスでは、思考システム2で強化する方法を提言し、そうすることで思考システム1を十分にコントロールできるとしている。
これは、「パフォーマンスのモデル」の中の二つの矢印とぴったりと適合する。
「見えない問題を見抜く力」が発揮される思考プロセス、つまり、パフォーマンスを向上させる上方への矢印は、認知バイアスへの懸念となるミスをなくす下方への矢印とバランスをとるのである。

◯見えない問題を見抜くための『発見への3つのプロセス』 引き金(トリガー・きっかけ)
①出来事の矛盾
②出来事のつながり・偶然の一致・好奇心
③やけっぱちな推測


以上、分かりやすい部分(というより自分が理解できた部分)だけを列記した感じだが、ところどころ非常に曖昧で哲学書を読んでいる気分になってくる。
「ストーリーとは、状況の詳細について認識し、構成する道筋のこと。ストーリーは、我々が遭遇する状況や出来事についての認識を形作る共通の方法。そういった種類のストーリーは、状況に関するあらゆる種類の詳細な事柄を構成し、「アンカー(錨)」とも呼べる中心となるべきいくつかの要点に支えられている。 アンカーはかなり安定していて、他の詳細な事柄を解釈する方法を決めるのである。人は新しい情報をさらに獲得する事で、アンカーによってストーリーの内容を変える事ができる。」
などは定義も曖昧で実用的に使いたいと思って手に取った本にしては分かりづらい。
(たくさんの事例がひかれて説明されているのだが、残念ながらなかなかピンとこない事例が多い)


実用的に使えそうな部分を列記すると下記の通り。
◯我々は様々な集団と交流し、会合などのリアルな場所もソーシャル・ネットワークのようなバーチャルな場所も利用すべきである。自分一人の努力によって何かを成し遂げるのではなく、グループや人的ネットワークによる共同作業を奨励すべきである。つまり、複数の趣味を持つべきなのである。そうすることによって、我々は予期しない出来事に偶然のつながりを見つける機会が増えるのである。
◯1つのアイデアとして、発見に導くような活動を活発にするために、「見えない問題を見抜く力」を提唱するチームを立ち上げることである。
諜報機関には、分析結果を統合したり、批判的思考を促進するための部署がある。
大企業には、品質向上と欠陥品を減らすための部署がある。なぜ、「見えない問題を見抜く力」を提唱するチームを作って、バランスを取ろうとしないのか。
◯「見えない問題を見抜く力」の提唱者達は、ストーリー(物事の流れ、物語)を利用する事で、彼らが学んできたことを他者と共有する事ができる。
「変化をもたらすストーリーの力とは、感情と理解の両方から生じるものである。」
◯大胆すぎるという理由で却下された意見書を審議するための場所を設ける。(いわゆる「見過ごされた意見書の再審議場」) 組織にとって好ましくない見解を排除しようとする企てからの抜け道を提供する上で、必要となる書類審査会。
多くの場合、問題は「見えない問題を見抜く力」を持つことや、何かを発見することについてではない。その力や何かを発見することに基づいて「行動すること」に他ならない。
組織というものは、変化を起こす意志力に欠けているものである。どれだけ状況が緊迫しているのかに盲目的かもしれない。
リーダーたちは何をしなくてはならないのかについて知っていても、そうするためのエネルギーを起こすことができない。
◯チャールズ・オライリーとマイケル・タッシュマンは「両利きの経営」という概念を打ち出した。それは、効率の良さを追求してミスを減らす一方で、イノベーションと創造性を奨励するというものである。
コツとしては、2つの手法をそれぞれ区別することである。仕事の効率化を促進させるグループとイノベーションを推進させるグループに分け、経営者に同時に報告をさせるというものである。
◯権力に訴えるには、競争の激しい環境の中で勝ちたいと思うための実践的な動機を利用するのだ。
実践、生存、競争という要素は、予測可能性という罠と完璧主義という罠に対抗し、下への矢印に抵抗する強い組織力を生み出すのである。


面白かったのは、続けてイノベーションをやり続けようとすると(継続的な変革)、それ自体がルーティン化されてしまうというものである。
今の日本の企業の大半がこの「継続イノベーション症候群」に罹っていると言えるのではないか。
シックスシグマが、目に見えるミスを減らすという⇩方向のベクトルを強化するだけのものなので、合わせて⇧の「目に見えない問題を見抜く力」を上げないと効果が薄いというのも面白かった。

◯継続的な変革と再興という概念は、ダイナミックで興奮を覚える。しかし、過剰に組織を変革することや、絶え間なくビジョンを掲げ直すことで、企業が受ける損失、混乱状態、ならびに組織内の調整が崩れることについて、私は心配するのである。
大抵の場合、「継続的な変革」というものは、「見えない問題を見抜く力」が偶然にも関係すると私は懸念する。継続的か、もしくはある一定期間の変革を提唱することは、それがルーチン化された行動のようになってしまうからである。
◯シックスシグマとは、今となっては、組織が下への矢印を過剰に強化したとき、どのようなことが起きるのかということを証明した、1987年から30年間モトローラ社を中心に行われた社会的実験名のこととなっている。
パフォーマンスを示す上下の矢印が明らかにしていることは、「見えない問題を見抜く力」を発揮する必要がある一方で、ミスや不確実性も減少させる必要があるということだ。 我々はその両方が必要なのであり、どちらかの矢印を極端に伸ばす必要もない。だから「シックスシグマ」そのものは捨て去られるべきではない。むしろ、保持しておくべきものだ。
「逸脱の習慣化」とは、例外的な出来事が繰り返し怒ることで慣れ親しんでしまい、それ以上の注意を払うことがなくなってしまうということ。


訳者が著者の助け舟を出していて最後に記載があるのだが、まだまだこの分野については理論化されているとはいいづらい気がする。
デューイが教育学の祖とされているような立場と似ているとされているが、NDM理論がどこまですごいことだったのかは、これからどこまでこの分野が後継者により深堀されていくのかによるのだろう。(個人的には今はまだ判断できない)


>>>>>
クラインは、火災現場のように、時間的制限があり、不確実性と危険度が高く、しかも目的が明確化されていない状況下で、消防士がどのように意思決定しているのかを調査した。
体験談を集めて分析するという方法から「現場主義的意思決定(NDM理論)」という分野が誕生した。
調査で判明したのは、彼らが決断を下すのに、行動の選択肢をいくつか列挙して比較検討するようなやり方をとっていなかったというのである。
熟練者になると、直感を働かせることで瞬時に適切な行動をとることができる。その意思決定における基礎的なメカニズムは、『認知主導意思決定(Recognition Primed Decision)PRD(☞RPDでは?)モデル』と呼ばれている。
NDM理論に先駆けて、1985年にクラインはこのモデルを既に考案している。

実験室内で人工的に設定された課題を被験者に挑戦させるという従来の調査方法から、実際の現場で被験者の行動を観察し、インタビューすることで意思決定のメカニズムを分析・解明しようとするNDMムーブメント(その分析手法を「重要意思決定分析法(Critical Decision Method:CDM)という)は、認知心理学の分野において革命的な出来事であった。
教育学の分野で言うならば、現代アメリカ教育学の父であり、プラグマティズムの概念を教育界に導入したジョン・デューイによく似ている。デューイの学校教育観とは、「学校と社会を隔離する4枚の壁を取っ払い、学習者が開かれた実社会の中で学ぶ」というものである。クラインは、実験室の4枚の壁を取っ払い、実際の現場で人がどのように意思決定をするのかを調査したのである。

本書でも記されているが、直感について、クラインとカーネマンは真逆の見解を示している。
クラインは、人間の創造力の源泉とも言うべき直感力と、さらには洞察力(本書では「見えない問題を見抜く力」)に絶大の信頼を置く。さらに興味深い点として、クラインは、統計やアルゴリズム、ソフトウェアなどが我々に正しい意思決定を導くのにそれほど役立たないとさえ主張する。
クラインに対して、カーネマンらは、専門家の直感は統計やアルゴリズムに劣るものであり、人間である以上、主観や先入観などのバイアスから逃れられないとする。 認知科学の分野において、現場での研究調査グループと実験室内での研究調査グループという両派の対立は日本でもかなり深刻である。
>>>>>

2016年1月3日日曜日

『超一流の雑談力』

世の中には、どんどん使うべき「マジックフレーズ」なるものが存在していると思っている。
メラビアンの法則では、言葉自体はコミュニケーションにおいて大きな要素ではないとされているが、やはり人間は言葉でコミュニケーションをとる生き物。特に普段から一緒にいるメンバー間の普段のやり取りで、「どう言うか」は深層心理に働きかける意味でも非常に重要である。

という訳で時々そのマジックフレーズの新しいのを仕込むためにこういう本を読む。

◯ちょうどいい声の高さの目安は「ファ」か「ソ」の音。(思っているより高い高さで。)
特に電話は、対面でのコミュニケーションよりさらに声が低く聞こえる。対面時のトーンよりもさらにトーンを上げて、声量をいつもより大きくして話さなければならない。
◯あいずちの「さしすせそ」
さ:さすがですね
し:知らなかったです
す:素敵ですね
せ:センスがいいですね
そ:それはすごいですね
共通するのは、「相手の話しに価値がある」というリアクション。
◯目に力を入れない。目尻をやわらかくしたソフトな表情。おばあちゃんが孫の話しを聞いているときのようなスタンスを心がける。
慈愛の表情で参考になるは、ジャズピアニストのカウント・ベイシー
◯「なるほどですね」「そうですね」は会話を止めてしまうから、よくない相づち。
「何か特別な事をされているんですか?」
 会話を広げる、相手に気持ちよくなってもらう、お勧めの質問フレーズ。
◯理由を問う「なぜですか?」は会話の流れを止めがち
「なぜか」を考えるのは人間にとって大きな負担になるから。
また、言葉そのものが持つニュアンスとして「なぜ」という言葉には圧迫感があるから。
◯意見が食い違ったときには 「うかつでした!」でさらりと流す。
◯会話中、基本的に目線は相手の顔に向け続けるべき。ただし一つだけ、相手から視線をはずしていいタイミングがある。相手を褒める時。
相手からためになることを教えてもらったり、感動するような言葉をもらえたときに、目線を外して、独り言をつぶやくように感想を言って相手を褒める。
◯大事な話しをする前には少し間(0.5秒程度)を置く。

主に営業系もしくは上司に対するフレーズが多いが、いくつか早速使ってみよう。

2016年1月2日土曜日

『最後はなぜかうまくいくイタリア人』

イタリアのイメージというと、三国同盟であっという間に降伏してしまった国というイメージを田宮のミリタリーミニチュアシリーズを作りながら覚えた(?)記憶がある。
その後は身近にイタリア人を感じる環境になく、漠然としたイメージしかない。

タイトルを見て「最後って定義はいつのことなんだろう?」とか思いながら手に取った本。

著者の宮嶋勲氏はイタリアと日本を行ったり来たりの生活をしているらしいが、お互いの国の特徴を理解しつつ、空港でそれを切り替えるのだそうだ(そうでないとお互いの国でそのままではうまくいかないということだ)。


<イタリアで仕事をするということ>

第一に、予定表や打ち合わせ通りに物事が運ぶなどと考えるのはイタリアでは大きな間違いで、そんなのはあくまで努力目標のようなものでしかなく、不測の事態が起こることの方が普通である。(まさに「不測」の事態は「予想」できるという矛盾した状態だ)。慌てる必要は全くないということだ。人生は常に不測の事態の連続で、そんなことに一々腹を立てること自体がおかしいという哲学?である。
第二に、そのようなことがイタリアで常態化している限り、不測の事態に慌てるというのは愚の愚であり、どっしり構えて、解決策を見いだすことに全力を尽くす方がよほど大切であるということだ。そこでイライラしても何も生まないし、むしろ事態は悪化する。不測の事態を乗り越えたときによりよい仕事ができる準備をすることこそ重要なのだ。
そして第三に、どんな不測の事態が起こってもイタリア人は諦めずに、ほとんどの場合は最後に何とかする能力があるということである。子供の頃から不測の事態に慣れきっている分、それに対する対応能力が破格に高いのだ。全てが綿密に準備され、計画通りに物事が進むことが当たり前になっている日本とはずいぶん異なる仕事のやり方となる。


<イタリア人の特性>

◯イタリア人にとって、アポの時間はあくまで数値目標である。選挙の時に出てくるマニュフェストのようなもので、「この数字を目指して頑張ってみます」と言った感じだ。
15分から30分の遅れは、ちょうどハンドルの「遊び」のようなもので、杓子定規でない寛容な社会を、無意識のうちに生み出している気がする。
◯イタリアでは、公私の区別が曖昧だ。というより、公私混同が激しい。しかも、激しければ激しいほど、社会に活気が出て、皆が生き生きとしているような気がする。
分かりやすい例でいうと、銀行の窓口業務をしている人と、駄菓子屋の店先に座っているおばあちゃんを比べてみればいいだろう。
銀行の窓口にいる人は、業務を遂行していて、「賃金を払った資本のものになってしまった時間」に「私の時間」が入り込む隙はない。
駄菓子屋の店番をしているおばあちゃんも、確かに駄菓子やメンコを売るという業務を遂行しているが、同時にそこはおばあちゃんの本来の居場所であり、「私の時間」を十分に生きる場所でもある。
ここでは公私の区別はきわめて曖昧で、それぞれの時間を簡単に行き来することができる、ゆるやかで寛容な世界だ。
要は働き方の問題。完全に疎外された労働は苦役に陥りやすい。「公」と「私」が、「仕事の時間」と「私の時間」がうまく溶け合った労働は生き甲斐を生みやすい。イタリア経済を支える中小企業はこのような働き方の好例である。
◯イタリア人は先の計画をたてることが苦手である。特に24時間以上先の予定は立てたがらない。今を生きること、精一杯楽しむことに夢中になるスタイルなので、その事案が終わるまでは先のことを考える精神的余裕がないのかもしれない。
もちろん仕事だと予定なしというわけにはいかないので予定は立てるのだが、可能な限り曖昧さを保とうとする。どうも直前までフリーハンドでいたいらしい。
◯イタリア人の仕事能率が低い原因に、分業の概念の欠如が挙げられる。しかし、それは同時にイタリアの活力や想像力の高さの源でもあるので、話しはややこしい。
複数の作業や事案を平行して同時進行させると作業効率があがり、「段取りがいい」「要領がいい」と褒められる。しかし、イタリア人はこれが苦手である。ひとつずつ作業を進めていくことを好み、複数のことを一度に依頼すると混乱する人が多い。
◯先の段取りをするよりも今のことを考えるという典型的な例は駐車の仕方だろう。イタリアの場合はほぼ100%の人が前進駐車を行う。切り返してバックで駐車しておいた方が出る時に楽だ、という発想はないようだ。
◯イタリア人は、とにかくなんにでもダメもとで果敢にトライする。相手に失礼だとか、恥をかくかもしれないと言った心配はあまりしない。これは明らかに一種の才能だ。
◯イタリア人のすごいことろは、無謀な計画を立てるが、それがダメだったときの対応力と、驚異の粘り腰を持っていることろである。


<不思議の国の”イタリア”あるある行動>

①国民意識を持つのは、サッカー観戦のときだけ。
 イタリア国家は統一されて154年。国家への帰属意識は低い。
②列は絶対につくらない。
③レジを待つ最中に商品を食べ始める。
④夜でもサングラスをかける。
 なんとなく落ち着く、らしい。
⑤雨が降ると元気をなくす。
 イタリアには雨があまり降らない。地中海性気候なので雨は春先と秋に集中していて、夏は全くと言っていいほど降らない。 特に南部の人間は雨が降ると急に元気をなくす。「今日は雨が降って気分が乗らないから」という理由で中止になったことが何回かある。
⑥どんなに空いていても、ホテルの部屋は隣同士。
日本だと部屋をあけて設定し、お互いに騒音などで気を遣わなくていいようにするのだが、イタリアではむしろ隣同士の部屋をとることこそ気配りした結果であり、イタリア人はその方を喜ぶ。


その他、イタリアの歴史からくる国民性であるとか、実は十把一絡げにとらえている「イタリア人」にも当然地方性があって、州ごとに気質も違っている話しなど、社会人類学的な読み物としても楽しめた。


でも、「スーパープレーを続出するキーパー」と「何故か点のとれないキーパー」の話しと同じで、敵に回した時には「何故か点のとれないキーパー」の方が恐い。
やっぱりミリタリーミニチュアシリーズで学んだイメージはあたらずとも遠からずだったか?!
せっかく学んだので、身近にイタリアを感じる出会いがありますように。




大掃除の窓ふきにて思う

大掃除の窓ふきをしていて考えた。
窓ふきには水拭きと乾拭きの両方が必要だ。
乾拭きだけでは汚れが落ちないし、水拭きだけでは水跡が残ってしまって本当にはきれいにならない。
そしてその順番は必ず水拭きが先である。

新規事業(さらに言うと国を興すこと)もこれに似ていると思った。
ウェットなメンバーがウェットなやり方で新たなものを立ち上げる。
この時大切なのはルールを守るというようなことではなく、必ず結果を出すという事だ。
やり方はウェットでもなんでも構わない。

しかし一度”こと”が成就した場合、今度はドライなメンバーによるドライな運営が必要になる。
この時に大切なのはルールを遵守すること。そうでないと新たに起こしたものを維持して行くことができない。

「創業と守勢といずれや難き?」と聞いた唐の太宗の言葉は、”守勢が実は大切”という趣旨でとらえられることが多いが、実はどちらも大切ということを太宗は言いたかったのではないだろうか。
(ということを乾拭きだけで窓ふきをする大変さになぞらえて考えた)


やり方だけでなく、メンバーについても同様。
「狡兎死して走狗烹らる。高鳥尽きて良弓蔵(かく)る」
事業を成し遂げるのに必要なメンバーと、それを維持するのに必要なメンバーは異なる。
水拭き用の雑巾と乾拭き用の雑巾は、必ず別物である必用があるのだ。


やっかいなのは、昔と違って最近は色んな時間のスパンが短くなっていて、一生のうちに何度も両方を経験しないといけなくなっているからだ。
(神田昌典さんの言う「シグモイドカーブを乗り継ぐ」ことで成長カーブをのぼって行けるとすると一度「事を成して維持する」だけではダメな世の中になってきている)
時宜に合わせてカメレオンがごとく、自らを変えていける人が生き残るということか。


本当なら今年の抱負を述べなきゃいけないタイミングだが、まだ降りて来ないんだよな〜