2016年1月4日月曜日

『「洞察力」があらゆる問題を解決する』

現場主義的意思決定の父、ゲイリー・クライン博士による、「見えない問題を見抜く力(=洞察力)」に関する本。

<個人・組織を左右する2つの矢印>
「パフォーマンスのモデル」 パフォーマンス向上(技能・性能・生産性)=目に見えるミスを減らす+見えない問題を見抜く力(=洞察力)を上げる

◯ミスというのは目に見えるものなので、特に組織ではミスを減らそうとする。
しかし、問題発見・問題解決の能力アップの方が効果が高い。

◯組織は何かを発見することよりも、ミスや不確実性を減らすことばかりに偏ってしまい、組織に「予測可能性の罠」「完璧主義の罠」にはまってしまう。
組織のDNAは、例外や不規則な性格をもつ「見えない問題を見抜く力」を抑制するようにプログラミングされているのだ。


◯「見えない問題を見抜く力」は我々のものの見方(理解の仕方、考え方)も変える。そして、異なる視点を我々に与え、行動の仕方をも変える。場合によっては、我々の理解や行動だけでなく能力までも変えてしまう。我々のものの感じ方を変え、最後に我々の欲求を変える。

<「見えない問題を見抜く力」を生じさせる5つの方法>
・出来事のつながりから見抜く方法
・出来事の偶然の一致から見抜く方法
・好奇心から見抜く方法
・出来事の矛盾から見抜く方法
・絶望的な状況における、やけっぱちな推測による方法

◯イスラエル人研究者 ダニエル・カーネマンとエイモス・トベルスキーによる「ヒューリスティック・バイアス」
カーネマンらによると、思考システムには、速くて直観的な思考システム1と、より遅く、より批判的かつ分析的で、思慮深い思考システム2というように区別される。
認知バイアス(物事を判断する際に、我々が持っている合理的基準からの体系的な偏りのこと)とは思考システム1、つまり、我々が受ける認知上の衝動から主に生じる。
思考システム2は必要な時にそうした衝動を抑制し、かつ修正するために監視し続ける心理的なメカニズム。
ヒューリスティック・バイアスでは、思考システム2で強化する方法を提言し、そうすることで思考システム1を十分にコントロールできるとしている。
これは、「パフォーマンスのモデル」の中の二つの矢印とぴったりと適合する。
「見えない問題を見抜く力」が発揮される思考プロセス、つまり、パフォーマンスを向上させる上方への矢印は、認知バイアスへの懸念となるミスをなくす下方への矢印とバランスをとるのである。

◯見えない問題を見抜くための『発見への3つのプロセス』 引き金(トリガー・きっかけ)
①出来事の矛盾
②出来事のつながり・偶然の一致・好奇心
③やけっぱちな推測


以上、分かりやすい部分(というより自分が理解できた部分)だけを列記した感じだが、ところどころ非常に曖昧で哲学書を読んでいる気分になってくる。
「ストーリーとは、状況の詳細について認識し、構成する道筋のこと。ストーリーは、我々が遭遇する状況や出来事についての認識を形作る共通の方法。そういった種類のストーリーは、状況に関するあらゆる種類の詳細な事柄を構成し、「アンカー(錨)」とも呼べる中心となるべきいくつかの要点に支えられている。 アンカーはかなり安定していて、他の詳細な事柄を解釈する方法を決めるのである。人は新しい情報をさらに獲得する事で、アンカーによってストーリーの内容を変える事ができる。」
などは定義も曖昧で実用的に使いたいと思って手に取った本にしては分かりづらい。
(たくさんの事例がひかれて説明されているのだが、残念ながらなかなかピンとこない事例が多い)


実用的に使えそうな部分を列記すると下記の通り。
◯我々は様々な集団と交流し、会合などのリアルな場所もソーシャル・ネットワークのようなバーチャルな場所も利用すべきである。自分一人の努力によって何かを成し遂げるのではなく、グループや人的ネットワークによる共同作業を奨励すべきである。つまり、複数の趣味を持つべきなのである。そうすることによって、我々は予期しない出来事に偶然のつながりを見つける機会が増えるのである。
◯1つのアイデアとして、発見に導くような活動を活発にするために、「見えない問題を見抜く力」を提唱するチームを立ち上げることである。
諜報機関には、分析結果を統合したり、批判的思考を促進するための部署がある。
大企業には、品質向上と欠陥品を減らすための部署がある。なぜ、「見えない問題を見抜く力」を提唱するチームを作って、バランスを取ろうとしないのか。
◯「見えない問題を見抜く力」の提唱者達は、ストーリー(物事の流れ、物語)を利用する事で、彼らが学んできたことを他者と共有する事ができる。
「変化をもたらすストーリーの力とは、感情と理解の両方から生じるものである。」
◯大胆すぎるという理由で却下された意見書を審議するための場所を設ける。(いわゆる「見過ごされた意見書の再審議場」) 組織にとって好ましくない見解を排除しようとする企てからの抜け道を提供する上で、必要となる書類審査会。
多くの場合、問題は「見えない問題を見抜く力」を持つことや、何かを発見することについてではない。その力や何かを発見することに基づいて「行動すること」に他ならない。
組織というものは、変化を起こす意志力に欠けているものである。どれだけ状況が緊迫しているのかに盲目的かもしれない。
リーダーたちは何をしなくてはならないのかについて知っていても、そうするためのエネルギーを起こすことができない。
◯チャールズ・オライリーとマイケル・タッシュマンは「両利きの経営」という概念を打ち出した。それは、効率の良さを追求してミスを減らす一方で、イノベーションと創造性を奨励するというものである。
コツとしては、2つの手法をそれぞれ区別することである。仕事の効率化を促進させるグループとイノベーションを推進させるグループに分け、経営者に同時に報告をさせるというものである。
◯権力に訴えるには、競争の激しい環境の中で勝ちたいと思うための実践的な動機を利用するのだ。
実践、生存、競争という要素は、予測可能性という罠と完璧主義という罠に対抗し、下への矢印に抵抗する強い組織力を生み出すのである。


面白かったのは、続けてイノベーションをやり続けようとすると(継続的な変革)、それ自体がルーティン化されてしまうというものである。
今の日本の企業の大半がこの「継続イノベーション症候群」に罹っていると言えるのではないか。
シックスシグマが、目に見えるミスを減らすという⇩方向のベクトルを強化するだけのものなので、合わせて⇧の「目に見えない問題を見抜く力」を上げないと効果が薄いというのも面白かった。

◯継続的な変革と再興という概念は、ダイナミックで興奮を覚える。しかし、過剰に組織を変革することや、絶え間なくビジョンを掲げ直すことで、企業が受ける損失、混乱状態、ならびに組織内の調整が崩れることについて、私は心配するのである。
大抵の場合、「継続的な変革」というものは、「見えない問題を見抜く力」が偶然にも関係すると私は懸念する。継続的か、もしくはある一定期間の変革を提唱することは、それがルーチン化された行動のようになってしまうからである。
◯シックスシグマとは、今となっては、組織が下への矢印を過剰に強化したとき、どのようなことが起きるのかということを証明した、1987年から30年間モトローラ社を中心に行われた社会的実験名のこととなっている。
パフォーマンスを示す上下の矢印が明らかにしていることは、「見えない問題を見抜く力」を発揮する必要がある一方で、ミスや不確実性も減少させる必要があるということだ。 我々はその両方が必要なのであり、どちらかの矢印を極端に伸ばす必要もない。だから「シックスシグマ」そのものは捨て去られるべきではない。むしろ、保持しておくべきものだ。
「逸脱の習慣化」とは、例外的な出来事が繰り返し怒ることで慣れ親しんでしまい、それ以上の注意を払うことがなくなってしまうということ。


訳者が著者の助け舟を出していて最後に記載があるのだが、まだまだこの分野については理論化されているとはいいづらい気がする。
デューイが教育学の祖とされているような立場と似ているとされているが、NDM理論がどこまですごいことだったのかは、これからどこまでこの分野が後継者により深堀されていくのかによるのだろう。(個人的には今はまだ判断できない)


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クラインは、火災現場のように、時間的制限があり、不確実性と危険度が高く、しかも目的が明確化されていない状況下で、消防士がどのように意思決定しているのかを調査した。
体験談を集めて分析するという方法から「現場主義的意思決定(NDM理論)」という分野が誕生した。
調査で判明したのは、彼らが決断を下すのに、行動の選択肢をいくつか列挙して比較検討するようなやり方をとっていなかったというのである。
熟練者になると、直感を働かせることで瞬時に適切な行動をとることができる。その意思決定における基礎的なメカニズムは、『認知主導意思決定(Recognition Primed Decision)PRD(☞RPDでは?)モデル』と呼ばれている。
NDM理論に先駆けて、1985年にクラインはこのモデルを既に考案している。

実験室内で人工的に設定された課題を被験者に挑戦させるという従来の調査方法から、実際の現場で被験者の行動を観察し、インタビューすることで意思決定のメカニズムを分析・解明しようとするNDMムーブメント(その分析手法を「重要意思決定分析法(Critical Decision Method:CDM)という)は、認知心理学の分野において革命的な出来事であった。
教育学の分野で言うならば、現代アメリカ教育学の父であり、プラグマティズムの概念を教育界に導入したジョン・デューイによく似ている。デューイの学校教育観とは、「学校と社会を隔離する4枚の壁を取っ払い、学習者が開かれた実社会の中で学ぶ」というものである。クラインは、実験室の4枚の壁を取っ払い、実際の現場で人がどのように意思決定をするのかを調査したのである。

本書でも記されているが、直感について、クラインとカーネマンは真逆の見解を示している。
クラインは、人間の創造力の源泉とも言うべき直感力と、さらには洞察力(本書では「見えない問題を見抜く力」)に絶大の信頼を置く。さらに興味深い点として、クラインは、統計やアルゴリズム、ソフトウェアなどが我々に正しい意思決定を導くのにそれほど役立たないとさえ主張する。
クラインに対して、カーネマンらは、専門家の直感は統計やアルゴリズムに劣るものであり、人間である以上、主観や先入観などのバイアスから逃れられないとする。 認知科学の分野において、現場での研究調査グループと実験室内での研究調査グループという両派の対立は日本でもかなり深刻である。
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