子供の中学の授業参観があったので見に行った。
道徳の時間で、まずアンケートに回答することで自分の行動パターンを知るという授業なのだが、
最終的には
①攻撃パターン(ライオン)
②遠回しな攻撃パターン(キツネ)
③受け身パターン(ヤギ)
④事実を追求するパターン(フクロウ)
という4つに分類されていた。
もうネーミングみただけで”どれであるべき”という意図が見えてしまう感じのネーミングだ。
社会人になっても、同様に自分の行動パターンを知るための研修があるが、その場合には『正解』というものはないという前提で話がされるので、どのパターンであっても強みと弱みが均等に存在することになる。
(そもそも人間の特性の場合、「強み」は別の面から見ると「弱み」だったりする)
自分の経験から照らし合わせると、高校時代までは正解が存在する前提での「勉強」であった。
大学にはいってようやく、必ずしも正解があるとは限らない「学び」の世界をかいま見ることになったように思う。
日本古来の「守・破・離」の考え方からしても、最初はまず基本を守るということで正解がある前提で「勉強」を行う体系、それから解がないことを学ぶ体系となっており、効率的なのだと思う。
企業における育成時にも、習熟度に応じて、更には「正解がある」前提の内容と「正解がない」前提の内容とで研修の仕方を明確に変えていく必要があるのかも知れないと気づかされた。
それにしても(当然なのだが)、土曜日が休みなので1週間に5日間28コマしかない。
道徳、総合、学級などといった特殊科目もあるので、いわゆる英数国理社の5教科で17コマ(数国のみ4コマずつ)しかない。
英語なんて週3コマなのだが、そんなコマ数で英語を学べる(教えられる)のだろうか。
ゆとり教育が路線変更となって学習内容は増えたが学習時間は増えずに、現場レベルでは悲鳴があがっているという話を聞いたことがあるが、ちょっと心配である。
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