2011年11月24日木曜日

『僕は君たちに武器を配りたい』

ちょっと過激なタイトルだが、学生向けに生き抜いていくための武器(知識)を伝えようという、京大で「企業論」を教える瀧本哲史氏の本。

一言で言うと「投資家的な生き方」のすすめ、ということなのだが、投資家になれ、ということではない。
あくまで発想を投資家的に変えよ、ということが書かれている。

まずは資本主義というものを理解する。
かつて資本主義には3つのモデルチェンジがあった。
富を得る方法で、いちばん古くからあるのは「略奪モデル」
次いで富を生み出す仕組みとして「交易モデル」が生まれた。
「交易モデル」の後に出てきて、大きく社会を変えたのが「生産性革命」
ここまで来て、あらゆる商品、サービス、そして人材までもが「コモディティ化」してしまったことを著者は指摘する。
そして、全産業の「コモディティ化」が進む世の中で、唯一の富を生み出す次の時代のキーワードは「差異」。この「差異」はデザインやブランドや会社や商品が持つ「ストーリー」と言い換えてもいい。

次に<資本主義社会の中で主体的に稼ぐ人間6タイプ>
1.トレーダー
2.エキスパート
3.マーケター
4.イノベーター
5.リーダー
6.インベスター(投資家)
ただし、トレーダーとエキスパートについては今後段々稼ぐことができなくなるであろうと著者は予測している。

その中でも著者のお勧めは投資家。
ただし、色々注意点がある。
ひとつは「投機」と「投資」の違い。
「投機」とは、利殖のみを目的に、一攫千金を狙って行う賭け事。得する人間が一人いれば、損する人間がその何倍もいるゼロサムゲーム。
「投資」は、畑に種をまいて芽が出て、やがては収穫をもたらしてくれるようにゼロからプラスを生み出す行為。投資がうまくいった場合、誰かが損をするということもなく、関係した皆にとってプラスとなる点が投機とは本質的に異なる。
また、投機が非常に短期的なリターンを求めるのに対して、投資は本質的に長期的なリターンを求める。

シリコンバレーの投資家達はリスクを回避することよりも、リスクを見込んでも投資機会を増やすことを重視する。投資と言う行為は何よりも「分母」が大切だからだ。重要なのは、できるだけたくさん「張る」ことなのである。
トータルで成績をよくしたいと思うならば、リスクを恐れず積極的に投資機会を持たねばならない。
失敗を恐れて確実に儲かる案件だけに投資することは、結果的に自分が得られたかも知れない大きな利益を逸失することにつながる。
投資家として生きるのならば、人生のあらゆる局面において、「ハイリスク・ハイリターン」の投資機会をなるべくたくさん持つことが重要となる。

ただし、ここでも注意すべき点がある。
それは、「自分で管理できる範囲でリスクをとる」ということ。
投資の世界に「計算管理可能なリスク」(calculated manageable risk)という言葉があるが、リスクを人任せにしてしまうのは投資としてやってはいけないこと。

そう考えると、サラリーマンは実はハイリスク・ローリターン
大学を出て新卒で会社に入り、定年の60歳まで働いたとすると、38年間を会社で過ごすことになる。しかし、近年会社の「寿命」はどんどん短くなっている。平均すると30年ぐらいで「会社の一生」は終わるようになっている。
管理できない、ひとつの会社に自分の人生をすべて委託するのは非常に高リスクなのである。

前段で、現在の勉強ブーム、資格ブームの裏には、「不安解消マーケティング」があって、勉強しただけじゃダメなのよ、という論調から始まる。
「それこそ不安をあおるだけでは?」と思ったが、「英語・IT・会計知識」の勉強というのは、あくまで人に使われるための知識であり、きつい言葉でいえば、「奴隷の学問」、勉強するならリベラル・アーツ(教養)を学べ、というのが著者の言いたいことらしい。
人材もコモディティ化するこの時代故、「Boys Be Special!」ということなのだが、どうスペシャルになるのかは各人各様自ら編み出さねばならない。

その他にも
○専業主婦というリスク
○入ってはいけない会社の見分け方
○4大監査法人の話
○名伯楽の教え方
など面白いネタも多々あった。

入ってはいけない会社の見分け方でいうと、従業員を大切にする会社は、顧客を大切にする。逆を言えば顧客を大切にしない会社は、従業員も大切にしない。
会社のビジネスモデル自体がお客様を小馬鹿にしている、もしくは馬鹿な顧客をターゲットにしている会社には、長期的には未来がないといえるとのこと。
そういった点でも顧客志向というのは大切ということだ。

それにしても、今更サラリーマンはハイリスク・ローリターンといわれてもね・・・
こまっちゃうな。

2011年11月20日日曜日

この世の沙汰も金次第?

下の子供がクリスマスに、カードゲームのカードが欲しいと言う。
理由を聞いたら、「年明けには○○君にカードゲームで勝ちたいから」とのこと。
強いカードが無いと勝負に不利で、強いカードはたくさんカードを買ってレアカードを集めないといけないのだと言う。

我々の子供の頃は、メンコにしても野球にしても、「○○君に負けない」ためには努力や工夫あるのみだった。お金のかかるギアによってそれが勝敗を左右する要素になるようなことは少なかった。
それよりも「弘法筆を選ばず」で、ぼろいギアを使ってる奴の方がうまかったりしたものだ。

「○○君に勝ちたい」というのは非常に純粋かつ自然な感情であるが、そのために「努力をしよう」という方向に子供達の思考回路が向かわないのだとすると由々しき問題である。
カードの話しを見る限り、「勝つために」「お金を払って手に入れよう」という思考になっているのである。
正直、大人の世界においては金がないと叶わない世界もある。
しかし、子供の頃から「勝つためにはお金」という思考回路になるようだと、資本主義の悪い面が出て、そういう子供が大人になった世界はどこかでクラッシュするのではないか。

最近は、無料のゲームなのに、ゲーム世界で有利に事を運ぶためのギアが有料というシステムが横行しているという。とあるゲーム会社は表示をいちいち「一部有料」を明記するようになった。
たかだかゲームかもしれないが、子供達のマインドを間違った方向にねじ曲げる可能性のある、恐ろしいものであることを認識した。
にも関わらず、ゲーム禁止については、子供同士のコミュニケーションがとれなくなるという理由から踏み切れない。。
社会全体で「使えない人間」をつくるべくシステムを作ってしまい、レベルダウンしているような気がしてならない。
人育ては待ったなしの課題である。

妖怪人間ベム

妖怪人間ベムの実写版がテレビで放映されていて、ついつい毎週見てしまう。
鈴木福くんのベラもさることながら、杏のベラが秀逸。メトロの杏のポスター見てもベラがいると思ってしまう位のはまり役だ。
内容は、ご存知の通り、正義の心をもった妖怪人間が「早く人間になりた〜い」と、その姿ゆえ人に嫌われようと憎まれようと人を助け善行を積むというストーリーだ。

人から疎まれても嫌われても、3人は同じ境遇にあるので結束は固い。
実際に他人から嫌われ続けても他人を助ける気持ちになり続けるかは疑問だが、これが一人だったらその孤独感から精神がおかしくなってしまうだろう(もちろん「人間」だったらだが)
いわゆる「多重人格」を指す解離性同一性障害では、自分が酷い目にあっているという現実から逃避するためにもう一人の人格(「交替人格」というらしい)を作り上げ、酷い現実を客観視するということがあるそうだ。
ただ、多くの場合元々の自分は切り離された自分(自分が切り離した別の自分)のことを知らない。そして、普段は心の奥に切り離されている別の自分(交代人格)が表に出てきて、一時的にその体を支配して行動すると、本来の自分はその間の記憶が途切れ、何をどうしたのかが解らないらしい。
これは、酷い目にあっていることを認識しないために生まれた人格なのだから当然かも知れない。
しかし、逆に交替人格は本来の人格のことを認識することが多いという。
酷い環境におかれた仲間というのは連帯感が強まるが、主人格と交替人格のなかではその連帯性は生まれないということだ。
妖怪人間ベムも一人だったら、正義の心を持ち続けることはなく、解離性同一性障害になっていたかもしれない(これも「人間」だったら)

妖怪人間は姿は醜いが、その肉体的能力は人間を凌駕している。(だからベムの「人間になりた〜い」は、普通の人間からするとちょっともったいないとも思える、キャンディーズの「普通の女の子に戻りたい」というのと通じるものがある。)
バイオ技術の発達により「妖怪人間」が生まれるかどうかは分からないが、テクノロジーの発達によりロボットが生まれることは間違いがない。

人間は極度の恐怖を感じると、脳から放出されたノルアドレナリンが、消化機能、免疫機能、生殖機能といった機能を管理している自律神経に働きかけ、一切の機能を停止させる。
結果、恐怖が心に充満し、「逃げる」というたった1つの目的に集中することができる。
災害用ロボットが「逃げる」というタスクだけにすべての電気回路を集中するようプログラムするのは実は難しいらしい。人間は恐怖という感情を持つことでこれを達成した。
1978年にノーベル経済学賞を受賞しているハーバード・サイモンはAIのパイオニアでもあり、既に60年代に「機械が知能を持つためには感情が必要だ」と発言している。

ロボットが感情が感情を持つとすると、妖怪人間の叫び「早く人間になりた〜い」をロボットが発することがあるのかもしれない。
その後、ロボットが感情をもち、自分たちより能力の劣る人間達に仕えるのをやめ、排除しようとし始めるのかも知れない。(これは昔の鉄腕アトムのひとつのテーマ)
そうでなくても、ロボットはある意味、間違いなく人間の労働機会を奪うことになる。
創造的でない業務は全てロボットにとってかわられるであろう。

鉄腕アトムや猿の惑星のテーマが、「人の生み出した人を超越した人外のモノ」による人間支配と考えると、それをいかにヘッジするのか。
科学が進歩するとそういったことを真剣に議論する必要がでてくるのかもしれない。


2011年11月13日日曜日

『9割のお客がリピーターになるサービス』

会社で勧められた本。
国友隆一氏はセブンイレブンを研究していた頃によく読んだ著者だ。

まずは、企業が「お客様」と呼んでいる人達にとって、企業やお店は「赤の他人」である、という厳しい指摘があげられる。
それ故、客観的に自らを見ないとすぐにそっぽを向かれるということだ。
新規客を一人獲得するための経費よりも、現存のお客様にリピーターになってもらうためのコストの方がずっと安い(約五分の一)ということで、これからの日本におけるリピーターの重要性につながっていく。

常に「価格」以上の「価値」を提供する。これが極意。
顧客を感動させるには、「水で薄めない強烈なサービス」が必要であり、その具体的な企業の事例として、餃子の王将、サイゼリア、マクドナルド、ディズニーなどが出てくる。

顧客視点の客観視(恐らく自分の好きな言い方で言うと「メタ認知」)が大切ということの事例としてプロとベテランの違いを述べている。
一般的に言われるベテランはプロではない。プロといえるベテランがいるに過ぎない。
ベテランは往々にして自分をプロと思い込む。プロはその傾向が薄いが、ベテランはとかく、素朴な思いやりを失い勝ちだ。
一つは狎れが生じるからである。
二つ目は業界や社内、店内の常識に染まるからである。
三つ目は、自分のこれまでの体験に汚染されるからである。体験は客観化することによって色んなことを学ぶことができる。しかし、対象化するだけだと、過去の体験という目で現在を見てしまう。
ベテランが最も陥り勝ちなのは、初歩的なことと基本的なことを混同することである。自分が初歩的なことをマスターしていると思う結果、基本的なことをおろそかにしてしまう。
なるほど、ついつい基本をおろそかにし勝ちだが、基本はできてなければならないことだから「基本」なのであろう。
「いつまで経っても『初々しいベテラン』たれ」
というのが伊勢丹の女性社員が先輩から言われた言葉として紹介されているが、正にそうありたいものだ。

人に青春があるように、組織にも青春がある、という著者の考えも面白い。
「青春」にある人(企業)は
・思考や心の動き、行動がパターン化されておらず、柔軟である。
・外部(マーケット)に対し好奇心が強く、その変化を敏感にキャッチする
・社会における自分の居場所を、傷ついたり試行錯誤しながら探している。
・成長しそれを喜ぶDNAを持っており、その成長が最も著しい時期である。
・細胞など生命の新陳代謝が旺盛で、その分、最もエネルギーに満ちている。生きているだけで輝いている。
のだそうだ。
サミュエル・ウルマンの「青春の詩」にあるように、「青春」であるかどうかが「心の持ちよう」であるならば、自分の会社も再度「青春」期を迎えるべく努力しなければならない。

王将フードサービスの大東隆行社長は、強烈すぎて個人的にはちょっとついていけそうもないが
「人を稼いで、人を残す」
という素晴らしい言葉を言っているらしい。

リピート率の高い、水で薄めない強烈なサービスを提供しているところは人の大切さをよく分かっている。だから、どこも人を育てることに熱心だ、という著者の指摘を待つまでもなく、後進の育成ができない組織はいずれ消えてなくなるしかないことは自明の理である。
サービス関連の本なのに、人材育成についての想いも新たにさせられた。

『ダイレクト・マーケティングの実際』

某マーケティング会社の社長さんからのお勧め本第2弾。
実は絶版になっている10年以上前の古い本なのだが、今も基本の考えは変わっていないということで紹介をいただき、アマゾンの中古で購入した。(余談だが、アマゾンでの絶版した古本の注文の簡便さは感動的ですらある)

まずはざっくりダイレクト・マーケティングの歴史。
18世紀後半 種苗カタログが東海岸で発行

19世紀後半、アメリカで通信販売が定着(モンゴメリー・ワード、リチャード・シアーズら)

ダイレクト・マーケティング(パーソナル・マーケティング、リレイションシップ・マーケティング、ワン・トゥ・ワン・マーケティングとも)
・顧客との長期的関係を維持するパーソナルコミュニケーション
・通信販売から生まれたプロモーション手法

インタラクティブ・マーケティング
・新規客獲得に効果を発揮
・売り手側のレスポンス体制の強化が必要
・コミュニケーションのスピード・アップ
・セグメント単位から個人単位へ
・マーケティング費用の節約

ダイレクト・マーケティングでは、
①顧客や見込み客は同質ではないのだから、セグメンテーションできないかをまず考える。
②内容的にも費用的にも各セグメントに合ったメッセージを送る。このとき可能であれば個人に合わせてメッセージをパーソナライズする。
③レスポンスを獲得する
この3つの目的を達成するために必要な要素を、媒体(メディア)、オファー、クリエイティブの三要素に分けて検討していく。

参考になったのが、インターネット利用時の留意点。
仮想店舗の考え方はそぐわないというもの。
なぜならば、インターネットの利用者は能動的で自発的なので、インターネットが登場した初期に見られたようなサイバーモール(電子商店街)のような、ここに来ればなんでもあるよ的な考え方は受け入れられない。
何でもあるからアクセスするのではなく、特定の何かを求めてアクセスしてくる。
商店街を成功させたいのなら、統一したコンセプトの共通した個性をもった店を揃えた商店街とすべき、というもの。
WEB上においても、「何でも屋」にしてはいけない(安いものを用意するなら、安いというコンセプトで商店を構成しなければならない)ということ。

RFM分析は、もともと、アメリカのカタログ通販会社が、増大するプロモーション費用に頭を痛め、セグメントによってカタログ配布回数を増減したり、中止したりする戦術の基準として考案されたセグメンテーション方法。
RFMに購買商品タイプ(Type)の要素も付け加えたのがFRAT分析。
F:Frequency 購買頻度
R:Recency 最新購買日
A:Amount 購買金額
T:Type 購買商品タイプ

20年前に書かれたものを10年前に加筆修正したものなのだが、基本は既にその頃から変わっていないらしい。
とはいえ、社会もIT技術も変化しているので、この本にある基本を抑えた上で発展形をつくるべく業務にいそしみたい。

2011年11月12日土曜日

『データ分析できない社員はいらない』

過激なタイトルだが、顧客データからPDCAサイクルを回す仕掛けを作る業務を担当している関係上、復習の意味も含めて購入、読んでみた。

データ分析で気をつける2点として
①データを見る際は表面的な見方や偏った方法で数字を見るのではなく、バランスとつながりを考えて様々な角度からデータをみることによって、多くの指標を用意すること。指標が多ければ、それだけ色々な選択肢が生まれる可能性がある。
②データ分析によって得られた指標から次のアクションを決める際は、”得られた数値を見て即決断”ではなく、数値を目安とし、数値が示す背景と現実を熟考した上で決定する、というステップを踏むこと。
というものが冒頭挙げられている。
物事の一面しかみないということの無いように、ということと、数字だけで実行に移すと酷い目にあうよ、ということであろうか。

その昔、ホテルの予実績管理等をやっていた経験があるので、知っているつもりであったが、「Zチャート」「在庫流動数分析」等については初めて知った。

巻末にエクセルのピボットテーブルとソルバーの使い方が載っていて、これも今まで使ってみたくてできていなかったスキルなので、今回マスターしたく思っている。
後は習うより慣れろということか。


妻の退院

昨日、妻が退院してきた。
午前中仕事を休んで、手続き等をしてきたが、1〜2週間程度様子を見れば完治予定だ。
あっという間の1週間であったが、退院してきた妻にとっては諸々が新鮮に見えるらしく、ただ買い物に出ただけでも、いちいち感動していた。
何につけ、一安心。よかったよかった。感謝,感謝。

『売り方は類人猿が知っている』

某マーケティング会社の社長さんからお勧めの本として聞いた本。
進化心理学が非常に分かりやすくまとまっている素晴らしい本。

現在の「巣ごもり消費」は不安感によるもの、という整理で、その不安は恐怖の感情が形を変えたもの、というところから論は始まる。

”恐れ”の感情は、遠い祖先にあたる初期の哺乳類、多分1億5000万年前頃の地球に生息していたネズミのような小動物も持っていたはず。
我々が恐怖を感じると、脳の一部から化学物質のノルアドレナリンが放出され、それが神経系統を伝わり脳下垂体を促して、内臓を刺激するホルモンを血液中に放出させる。その刺激ホルモンに影響されて副腎からアドレナリンというホルモンが分泌される。そのアドレナリンの働きで血管が収縮される結果として血圧が上昇し、心拍数が増加する。
アドレナリンは、敵の動きがよく見えるように瞳孔を拡大し、大量の酸素が吸収できるように気管支も拡張する。逃げる時には、消化機能、免疫機能、生殖機能も働いている必要はないので、脳から放出されたノルアドレナリンが、こういった機能を管理している自律神経に働きかけ一切の機能を停止させる。
結果、恐怖が心に充満し、「逃げる」というたった1つの目的に集中することができる。
災害用ロボットが「逃げる」というタスクだけにすべての電気回路を集中するようプログラムするのは実は難しいらしい。
”恐れ”と同時に、”怒り”の感情も生まれた。
「fight」or「flight」。自分よりも強いかも知れない敵と遭った時に動物がとる行動はいずれか。
怒りは、恐れを感じても逃げることができなかったときに必要な感情。

脳の発達遍歴順にいくと、5億年前に登場した魚類に現れた脳で「爬虫類の脳」と呼ばれる脳幹が最初。
この脳は呼吸、脈拍、血圧など生きていくために必要な基本機能を遂行する。
次に発達したのが「哺乳類の脳」と呼ばれる大脳辺縁系。大脳辺縁系は、脳幹の上にある。
恐怖の感情を生成するのに関係する扁桃体(扁桃:アーモンドの和名。アーモンドの形をしているため命名された)や、腐った食べ物などを不快に感じる(嫌悪の感情を生む)島皮質も大脳辺縁系にある。
大脳辺縁系で恐怖や怒りの感情が生まれても、それ自体を我々は意識できない。無意識の感情を「情動(emotion)」という。大脳新皮質に情報が伝達されて初めて、我々は恐怖を意識的に感じることができるのだ。
大脳新皮質は200〜300万年前ころの霊長類において格段と発達した。
現在、脳の体積のうち大脳新皮質は、哺乳類で30〜40%、原始的なサルで50%、人間では80%を占めるまでになっている。この結果、人間の脳は、身体が同じサイズの哺乳類の9倍の大きさにまで成長している。

「恐怖」や「怒り」といったネガティブな情動をつくることで、危険を察知し、戦うことを可能にした脳は、次いで生殖して繁殖するために、セックスを快感と感じるように報酬系をつくりだした。
そして、脳は自分が属している個体が遺伝子を残すことができるよう、親が子供に感じる愛情を誕生させた。
ちなみに爬虫類は、ワニを除いて子供は誕生したその瞬間から親離れして独りで生きていくことができるので”愛情”という情動はもっていない。(正確には爬虫類に聞いてみないとわからないのだが。。)
子育てをする必要がないので、爬虫類の脳(脳幹)は子供を愛する情動をつくる必要がなかったということ。

「妬み」という感情は、先行人類が群れをつくり社会生活を営むようになってから、新しい環境に適応するために生まれたと考えられている。
妬みは、恐れとか嫌悪とかとは異なり、古い大脳辺縁系ではなく大脳新皮質による処理をはるかに多く必要とする。

行動経済学の基本概念のひとつに損失回避性がある。
人間は損失を同額の利得よりも2〜2.5倍も大きく感じるというものだ。
今食べなければ餓死してしまうかも知れない生活をしてきた生き物の脳は、「損失」を「利得」の倍以上に評価するということだ。
損失回避性は霊長類に共通する。
一方、恥や罪悪感といったような道徳的感情を、霊長類は持ち合わせていない。
今食べなければ餓死してしまうかも知れない生活をする生き物の脳は、生存率を高める行為に罪を感じるようにはプログラムされていないはず。
人間だけ、恥や罪悪感といった「自分の利益を損なうような」感情をもつようになったのは、集団(社会)を単位にして考える場合、協力関係の堅固な集団の方が、協力関係の低い集団に比べて、全体としての生存率や繁殖率が高くなるから。
さらに、脳は他人に感情移入できる(共感できる)ミラーニューロンという神経細胞までつくりだした。
人類が言語を持つようになったこと、他者の心を理解したり他者の観点を採用する能力を持てるようになったことは、もしかしたらミラーニューロンのお蔭かも知れないと言われている。

というわけで、脳は人間が集団生活(社会生活)に適応できるように3重の仕組みを作った。
罪悪感や恥といった道徳的感情に、他人と協力すると快感を感じる報酬系、そしてミラーニューロン。
個人が集団(社会)の暮らしに適応することは非常に難しかったため、脳は、人間が社会に適応する仕組みを念入りにつくっていたのではないか。

ちなみに、ネガティブ感情ばかりがクローズアップされているが、最近はポジティブ感情についても研究が進んでいる。
ギリシアの哲学者アリストテレスは「動物の中で笑うのは人間だけだ」といっているが、これは間違い。チンパンジーやボノボ、ゴリラといった霊長類も笑う。
霊長類の共通する祖先は、既に笑っていた。つまり、「笑い」は1000万年前から1600万年前には既に存在していたことになる。
そして、ネズミも笑う。
現生のネズミと人間との共通する祖先は7500万年前には地球上に生きていた。恐怖や怒りほどではないにせよ、喜びと言う感情も、動物にとっては根源的な情動の1つだということになる。
ポジティブ感情には、ネガティブ感情がもたらした生理的ダメージを減少させる効果がある。
また、ポジティブな感情を喚起されると、幅広い観点(マクロの観点)からものを見る傾向が高くなるということが分かってきている。

ポジティブつながりでいくと、「感動のサービス」といったものが昨今もてはやされているが、顧客に感動を与えることができるのは従業員(人間)だけらしい。
長く記憶に残るポジティブな感情体験を提供する成功物語は、ホテルや小売店のようなサービス業に限られるということだ。
人間を介さない非サービス企業は、顧客に長期にわたって記憶してもらえるような感動を与えることはできない。だから、商品というモノを販売するような会社であっても顧客とのコンタクトポイントは非常に重要だということだ。


fMRI技術の発達により、脳科学的に色々なことが分かるようになってきた。
買いたいという欲求を刺激する商品が登場すると、報酬系の一部で外部からの刺激を受ける側坐核が活性化し、値段が高すぎると考えると嫌悪や痛みといった不快感に関係する島皮質が活性化する。
購買決定は、何かを買うことからくる快感と、それに対してお金を支払う不快感とのバランスの上に成り立っている。
価格が高すぎると、痛みや不快を感じる島皮質が活性化するが、安い価格の場合に脳のどこかが快感を感じるという実験結果は出ていない。
また、快を感じる報酬系の刺激を受ける側坐核が含まれている線条体は、新しい刺激になれてくると活性度が落ちることが分かっている。
大脳辺縁系にある報酬系は、すぐにお金が手に入ると期待できるときだけ活性化する。
論理的思考をする前頭前野の神経細胞はお金を受け取るのが現在であろうと将来であろうと、関心度に違いはない。
両システムが同程度活性化しているときには、一般的に大脳辺縁系が大脳新皮質に勝つ。
つまり、今の誘惑が分別に勝利するということだ。

その他にも、
○個人が集団の意見に反対することが、本人が意識していなくても(扁桃体のある大脳辺縁系は無意識の領域)かなりのストレスになっていること。
○報酬系はお金以外にも、食べ物やセックスにも反応するが、お金ほど、人間の脳の報酬系に大きな刺激を与えるものはないということ。
○人間にとってはほめ言葉や社会的評判を得ることも報酬と感じられること。(だから、他人に善行を施す。)
○自己犠牲を払ってでも、互いに協力しているような場合には、報酬系の一部である側坐核のある腹側線状体が活性化した他、前頭葉眼窩皮質が活性化した。ここは、報酬系の一部であると同時に、衝動を抑制する機能もある。相手に協力するのは止めて、より多くお金を得よう、という自分の衝動を抑制していると考えられる。
といった様々なことが分かりかけてきているようだ。

進化心理学が面白いのは、以下のような一見関係のないような話しも全て関わってくる点だ。
○以前は道具を使うために手が必要になったので直立するようになったという説が一般的だったが、道具を使い始める少なくとも200万年前(300万年〜350万年前)には2足歩行をしていたことが明らかになっており、現在では、アフリカのサバンナの太陽光線から身を守るために立って歩き始めたという説が有力である。
○霊長類の睾丸の大きさや精子の放出量から、チンパンジーから分岐して600万年ほどの歴史において、かなりの間、人類にはチンパンジーのような乱婚社会があったはずだと推測できる。
現在の人間の女には発情期というものがない。
これは男が外で女を作らないように、自分の排卵期を隠すように進化したという説がある。
○女性がセックスから得る快感度はパートナーの男性の所得とともに増大するという説がある。
自分の遺伝子を後世に伝えるために最善の選択をする自然選択の結果であり、こういった選択をするように女性の脳はプログラムされている。


最後に著者の言葉。
>>>>>
進化の歴史の過程で変わったことに注目するのではなく、変わらなかったことに焦点をおくと、新しい現象も納得いく形で説明がつく。そして、右往左往することなく、自信を持って決断を下すことができる。それは、企業経営者にとっても、マーケティングの意思決定者にとっても、不確実な時代においては特に必要とされる態度である。
>>>>>
変化の激しい現代においては、変わるものを見るよりも(変わっていてもおかしくないのに)変わらないものに注目することが肝要であるというのは非常に共感を覚える。
久しぶりに長文となってしまったが、人にも自信をもってお勧めできる本だ。

2011年11月5日土曜日

妻の入院その2

検査も含め、無事手術終了。
3年前にがんセンターで待っていた時に比べるとあっという間であった。
本人も手術前の準備やら検査やらでちょっとやつれ気味とはいいながら元気そうに戻ってきた。
通常こうなるのがそうなっただけなのだが、3年前のことを考えると無事終わって何よりである。
感謝!

妻の入院

昨日、妻が入院した。
同じタイトルの日記が3年前の2008年10月29日にある。
>>>>>
本日、妻が入院した。
明日手術なので今日から会社の方はお休みをいただいている。
命に関わるような手術ではなく1週間程度で退院する予定なのだが、入院手続きをして病室に入り手術に関するビデオなんかを見させられる(事前レクチャー)と、なんとも不安な気持ちになってくる。
「成功率○割の手術」となった場合の家族の心境や如何に、というのが恐ろしい程想像できてしまった。
本当に家族は大切にせねば、とも思った瞬間であった。
どうか無事に終わりますように。
>>>>>

その時の検査で大腸がんが判明し、摘出手術を受け、抗がん剤治療を行い本日にいたる。
正に3年前の「命に関わるような手術」ではない手術なのだが、この3年間を考えると3年前以上に「どうか無事に終わって欲しい」と思う。
本日これから手術。無事に終わりますように。

『スマート革命』

会社で「スマートシティ」を勉強するように仰せつかった。
柏の葉でも色々勉強したつもりではあったが、詳しい人達に話しを聞いてみると色々見えてくることがあった。
そんな中で、分かりやすく「スマート○○」がわかるということで紹介されたので読んでみた。

経済産業省はスマートシティの実証実験を5年計画で、横浜、北九州、豊田、けいはんなの4都市で実施している。各都市の特徴については勉強していたつもりであったが、この本では
「各都市からの提案は、総じて単一の配電用変電所の範囲内でのエネルギーマネジメントの実証にとどまっている。
複数の配電用変電所の潮流を見える化し、それらの間でエネルギーを面的に融通するマネジメントにまで、さらに踏み込んだ形での実証に取り組むことが要望される。」
というのが次なるステップであることが明記されていた。

将来に向けては
「電柱にICT(情報通信技術)や蓄電のシステムが装着され太陽電池からの逆潮流を双方向で管理・制御するスマートグリッドをはじめ、各地にクラスター状に存在する知能を備えた各種分散型エネルギーシステム群とメガインフラとが、相互にエネルギーを融通しながら全体最適を図るスマートエネルギーネットワークを目指していくことになる。
最終的には基幹系統との調和を図りつつ、既存のインフラを高度に活用し、電力のみならず熱や水素などの物質までも併給する統合型インフラ構造を適切に整備するのである。
これにより、省エネルギーと再生可能エネルギーの活用は最大化され、低炭素社会の公共インフラを構築する早道となる。加えて、従来システムのように、需要のピークに合わせて基幹のメガインフラを設計する必要がないことから、結果として公共インフラへの投資を最小限に抑えることができる。」
とある。
電気というエネルギー媒体のみならず、将来的には熱や水素も融通の対象となってくるということだ。

再生エネルギー普及のための手法についても記載されていた。
主にRPS制度と呼ばれるものと、FIT制度と呼ばれるもの2種類があるようだ。

RPS制度:
電気事業者に対し、販売する総電力量の一定割合について、太陽光を含む、バイオマス、風力など再生可能な新エネルギーからの電力を利用することを義務づけた量による規制制度。
コストの低い再生可能エネルギーから順に導入でき、数値目標すなわち総導入量を設定できるのが特徴。

FIT(フィード・イン・タリフ)制度
一定価格での再生可能エネルギーの買い取りを義務づけ、価格によって規制する制度。
将来の数値目標を設定することは難しいが、高い買い取り価格によって、再生可能エネルギーの導入量を一気に加速させることが可能。

ドイツでは、太陽光で発電した電力を、電力会社が一般電力価格の3倍で20年間買い取る、全量買い取り(FIT)制度を採用している。このFIT制度には功罪あるようだ。
ドイツにおいては、旧東ドイツ側の農家に風力発電システムの設置を勧めると同時に、FIT制度を導入。旧東ドイツにおいて風力発電システム導入が進み、その全量を電力会社が売電価格の3倍で買い上げ、この割高な価格負担は電力消費の多い旧西ドイツが主に負担することになり、マクロ的にみると資金が西から東へのうまく流れ込み、旧東ドイツ側の富を生み出した。
さらに、旧東ドイツ側に太陽電池メーカーQセルズを設立して新産業を育成。
FIT制度を起爆剤にして、環境と経済活性化の両立を国内で実現させた好例。
しかしながら、気がつけば、2009年度は導入量の国内シェアの約5割を安価な中国製品が占めていた。Qセルズも赤字転落へ。

FIT制度において、個人で利益を享受できるのは、屋根の広い一軒家に住み、初期の導入コストを負担できる資金力の有る富裕層。一方、電力会社が買い取り費用を補うために家庭用などの電力料金を値上げすれば、それを負担するのは一般家庭。太陽光発電システムを持つ富裕層を、持たざる一般家庭が支えるという、歪んだ市場構造を生んでしまう恐れがある。
よって、日本における買い取り制度においては、太陽光発電の買い取り対象は余剰電力のみに限定すべきであるというのが著者の考え。
IEA(国際エネルギー機関)の見解によると
「陸上風力発電やバイオマス焼却といった既存電源との価格差が少ない技術については、RPS制度などが適しており、太陽光発電などの既存電源との価格差が大きい技術は補助金、固定買い取り制度が適する」とされている。

これから普及が見込まれる、太陽電池、燃料電池、蓄電池の三電池。単に普及させればよいというものでもないというのが著者の考え方だ。
三電池の開発メーカーなどは、設計段階からリサイクルもしくはリユースを容易にする構造や部品の選定を考慮して商品化を進めていくことが肝要。同時に「逆工場(インバース・マニュファクチャリング)」を機能させるシステムも構築しなければならない。
知的財産権は尊重しながらも、再生品の提供、および部品等の再生利用を円滑に行うための法的整備や、ビジネスモデルの開発が不可欠である。

インフラの普及速度の関する考察も面白い。
インフラの置換えについては、大規模集中型と分散型では時間軸に差がある。
原子力発電を見ても分かるように、大規模集中型は安全性や安定性を確保するための高い条件をクリアしていくことが求められるため、なかなか大きく前進することができない。
これまでの経験則では、大規模集中型のメガインフラの転換については、思ったより速く進むことはない。
一方、分散型システムについては、パソコンや携帯電話の進化がそうであったように、生活者は利便性や経済性の高いものの動きやすい。家庭あるいは地域コミュニティに配備される太陽光発電システムや燃料電池なども、自家発電による家計へのメリットから、その普及は思ったよりも遅く進むことはないと思われる。
定量的な考察ではないものの、定性的な考察としては目から鱗である。
インターネットの普及に照らし合わせて考えると、エネルギーインフラの普及速度(時期)も想定できるのはなかろうか。

日本は国土面積は小さいものの、領海と200海里の排他的経済水域とを合わせれば、世界第6位の”国土”面積を有するとも言える。
この海洋資源を最大限に活用しながら安全保障を確立することが、日本の経済発展には不可欠。
海洋バイオマスの原料には藻類を用い、その生産には海洋を利用する。
海洋バイオマスを発展させた「海洋都市構想」は、境一郎博士のコンブ海中林造成計画の発展形ではなかろうか。

著者の柏木孝夫東京工業大学大学院教授の、スマート○○にとどまらない日本の将来ビジョンも書かれていて面白かった。