2011年11月20日日曜日

この世の沙汰も金次第?

下の子供がクリスマスに、カードゲームのカードが欲しいと言う。
理由を聞いたら、「年明けには○○君にカードゲームで勝ちたいから」とのこと。
強いカードが無いと勝負に不利で、強いカードはたくさんカードを買ってレアカードを集めないといけないのだと言う。

我々の子供の頃は、メンコにしても野球にしても、「○○君に負けない」ためには努力や工夫あるのみだった。お金のかかるギアによってそれが勝敗を左右する要素になるようなことは少なかった。
それよりも「弘法筆を選ばず」で、ぼろいギアを使ってる奴の方がうまかったりしたものだ。

「○○君に勝ちたい」というのは非常に純粋かつ自然な感情であるが、そのために「努力をしよう」という方向に子供達の思考回路が向かわないのだとすると由々しき問題である。
カードの話しを見る限り、「勝つために」「お金を払って手に入れよう」という思考になっているのである。
正直、大人の世界においては金がないと叶わない世界もある。
しかし、子供の頃から「勝つためにはお金」という思考回路になるようだと、資本主義の悪い面が出て、そういう子供が大人になった世界はどこかでクラッシュするのではないか。

最近は、無料のゲームなのに、ゲーム世界で有利に事を運ぶためのギアが有料というシステムが横行しているという。とあるゲーム会社は表示をいちいち「一部有料」を明記するようになった。
たかだかゲームかもしれないが、子供達のマインドを間違った方向にねじ曲げる可能性のある、恐ろしいものであることを認識した。
にも関わらず、ゲーム禁止については、子供同士のコミュニケーションがとれなくなるという理由から踏み切れない。。
社会全体で「使えない人間」をつくるべくシステムを作ってしまい、レベルダウンしているような気がしてならない。
人育ては待ったなしの課題である。

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