2011年11月20日日曜日

妖怪人間ベム

妖怪人間ベムの実写版がテレビで放映されていて、ついつい毎週見てしまう。
鈴木福くんのベラもさることながら、杏のベラが秀逸。メトロの杏のポスター見てもベラがいると思ってしまう位のはまり役だ。
内容は、ご存知の通り、正義の心をもった妖怪人間が「早く人間になりた〜い」と、その姿ゆえ人に嫌われようと憎まれようと人を助け善行を積むというストーリーだ。

人から疎まれても嫌われても、3人は同じ境遇にあるので結束は固い。
実際に他人から嫌われ続けても他人を助ける気持ちになり続けるかは疑問だが、これが一人だったらその孤独感から精神がおかしくなってしまうだろう(もちろん「人間」だったらだが)
いわゆる「多重人格」を指す解離性同一性障害では、自分が酷い目にあっているという現実から逃避するためにもう一人の人格(「交替人格」というらしい)を作り上げ、酷い現実を客観視するということがあるそうだ。
ただ、多くの場合元々の自分は切り離された自分(自分が切り離した別の自分)のことを知らない。そして、普段は心の奥に切り離されている別の自分(交代人格)が表に出てきて、一時的にその体を支配して行動すると、本来の自分はその間の記憶が途切れ、何をどうしたのかが解らないらしい。
これは、酷い目にあっていることを認識しないために生まれた人格なのだから当然かも知れない。
しかし、逆に交替人格は本来の人格のことを認識することが多いという。
酷い環境におかれた仲間というのは連帯感が強まるが、主人格と交替人格のなかではその連帯性は生まれないということだ。
妖怪人間ベムも一人だったら、正義の心を持ち続けることはなく、解離性同一性障害になっていたかもしれない(これも「人間」だったら)

妖怪人間は姿は醜いが、その肉体的能力は人間を凌駕している。(だからベムの「人間になりた〜い」は、普通の人間からするとちょっともったいないとも思える、キャンディーズの「普通の女の子に戻りたい」というのと通じるものがある。)
バイオ技術の発達により「妖怪人間」が生まれるかどうかは分からないが、テクノロジーの発達によりロボットが生まれることは間違いがない。

人間は極度の恐怖を感じると、脳から放出されたノルアドレナリンが、消化機能、免疫機能、生殖機能といった機能を管理している自律神経に働きかけ、一切の機能を停止させる。
結果、恐怖が心に充満し、「逃げる」というたった1つの目的に集中することができる。
災害用ロボットが「逃げる」というタスクだけにすべての電気回路を集中するようプログラムするのは実は難しいらしい。人間は恐怖という感情を持つことでこれを達成した。
1978年にノーベル経済学賞を受賞しているハーバード・サイモンはAIのパイオニアでもあり、既に60年代に「機械が知能を持つためには感情が必要だ」と発言している。

ロボットが感情が感情を持つとすると、妖怪人間の叫び「早く人間になりた〜い」をロボットが発することがあるのかもしれない。
その後、ロボットが感情をもち、自分たちより能力の劣る人間達に仕えるのをやめ、排除しようとし始めるのかも知れない。(これは昔の鉄腕アトムのひとつのテーマ)
そうでなくても、ロボットはある意味、間違いなく人間の労働機会を奪うことになる。
創造的でない業務は全てロボットにとってかわられるであろう。

鉄腕アトムや猿の惑星のテーマが、「人の生み出した人を超越した人外のモノ」による人間支配と考えると、それをいかにヘッジするのか。
科学が進歩するとそういったことを真剣に議論する必要がでてくるのかもしれない。


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