2012年1月29日日曜日

人工知能

今世紀は確実に「ロボットの世紀」になると考えている。
その際、ロボットのAIがどのようなモノになるかを考えていてハタと思いついた。

今までの「ロボット」の概念はスタンドアローンであった。
アイザック・アシモフが「ロボット三原則」を考案した時や手塚治虫が鉄腕アトムを生み出した頃にはインターネットなるものは想像だにされておらず、知能がつながり合うことも想定できていなかった。
自分の子供の頃に埋め込まれたこの「ロボット」の概念が色濃く息づいているせいで、ロボットはスタンドアローンであるという先入観から脱皮できなかったが、よく考えるとこれから生まれ、発展するであろうロボットは全て『繋がって』くるはずだ。
人間に仕える場合でも、誰はどういう傾向がある、ということを知り対応するには他の個体の状況を知っている方が望ましい。
すなわち、個々の人間に使えるロボットはあくまで駆動機能かつセンサーの役割がメインであり、一定の判断機能は持つものの、本当の頭脳にあたる部分は中央集権型(いわゆるクラウド型)にした方が効率がいい。

以前、東京大学特任教授の妹尾堅一郎先生が、
「①センサー機能②駆動機能③判断機能の3つが揃えばそれはもう立派なロボット。そういう意味で、実は全自動洗濯機は既に立派なロボットと言える」
と言っていたのを思い出す。
そう考えると、将来展開されるであろうロボットの個体には一定の判断機能があるものの、そのアルゴリズムは中央で情報を集約する知能が最新のデータをもとに作り上げた、最新かつ統一のものとなるはずだ。
(i-phoneでアプリが個別に動くものの、利用状況を吸い上げて中央でアプリを更新するのと同じイメージ)

さて、この中央で情報を集約する知能、これはどのような存在であろうか。
ロボットが普及すればするほど、世の中の全ての事象を(センサーにより)把握し、そしてそのロボットへ指示を出す(駆動機能への命令)ことができる存在となる。
この神にも似た知能にもアルゴリズムが必要となるが、そのアルゴリズムには「これが正しい」という一定の規範が必要となる。
サンデル教授の『これからの「正義」の話しをしよう』ではないが、アリストテレスが主張したように一定の「正義の規範」が必要となってくるはずだ。
(これが間違っていると、全てと繋がり、全てを執行できる全脳の神は破壊神となってしまうことになる。)

サンデル教授の本を読んでいて、ロボット時代が来た時に、人間ではなくロボットだったらどのように判断するのかというのを想像しながら読んだ記憶がある。
(特に一人を犠牲に五人を助ける判断。その場合、「人を傷つけてはいけない」というロボット三原則に基づきフリーズするということか?その場合5人は想定通り犠牲となり、それは問題視されることはないのか?)

この「中央知能」(名付けて「Central Intelligence」?)はどのようなカタチになるのであろうか。
『エヴァンゲリオン』にあるように3人の知性による合議というカタチになるのか、はたまた『地球へ』にあるような単独知能で暴走することになるのか。
『攻殻機動隊』においては、マスター的な「中央知能」は出てこないが、端末であるロボットへの指令を考えると「中央知能」は(レベル感は別にして)必ずつくりだされることになりそうだ。
もし中央知能が「人間は”正義”のために存在すべきではない」もしくは「”正義”のため、人間を管理することが望ましい」と判断した場合にはどうなってしまうのか。。

自分の世代で直面する問題ではないが、色々考えてしまった。
おっと、いかんいかん、もっと”今”対応しなければならない、直面する課題がたくさんあった。一隅を照らさずして余計な心配をしていたようだ。
我々がしなければならないこと。それをクリアしてから心配することとしよう。



DIC川村記念美術館

佐倉の南側にあるDIC川村記念美術館に行ってきた。
佐倉巡りの一カ所という感じだったのだが、なかなかどうしてすばらしい場所であった。

美術館もそれほど期待せずに行った(正直事前の調査がいい加減だった。佐倉巡りの一カ所という整理が深堀させなかった、と言い訳)のだが、レンブラントやルノワール、モネ、シャガールなど一級の芸術家の作品が展示されていた。(企画展ではなんとピカソも!)
併設のレストランもしっかりしたレストランで、食事も美味しく、庭園が見渡せる場所に張り出す形で建築されている。
冬だったので、今ひとつ寂しい感じであったが、庭園には四季折々楽しめる植栽が植えられている。
クリスマスの時期には「クリスマス市」というのが行われるとのことなので、またその時期に訪れてみたい。

フランク・ステラの『リュネヴィル』ハウルの動く城みたい

2012年1月16日月曜日

『東京の地霊(ゲニウス・ロキ)』

東大の鈴木博之教授が、様々な土地・建築の歴史を紹介していくもの。
会社の後輩からのお勧め(その大本は某建築家の大先生らしいのだが)で読んでみた。


東京生活が長くなっているので、出てきた土地は大体想像がつくこともあり、非常に面白かった。
いくつかピックアップしたい。

まずは上野の東叡山寛永寺。
江戸城からみて丑寅(東北)の方角(つまり鬼門)であり、寛永寺は江戸城と江戸の街の鬼門を鎮護するべく創建された寺院として天海僧正の構想により建立された。(この反対側の未申の方角が芝の増上寺)
面白いのが京都の延暦寺を模して造られたということ。

「江戸における延暦寺」として、東の比叡山という意味を込めて東叡山と名付けられた。
そして不忍池は琵琶湖に比せられた。そして中の島は竹生島のうつしである。
さらに比叡山の麓に坂本という町があるので、上野の山の麓(鴬谷の方向)にも坂本という町をつくってしまった。(この町名は戦後まであった)


次は縁も深い三井本館。
元禄7年の初代建物から数えて、今の三井本館はなんと15代目の建物にあたる。(意外と多いのは火事による類焼により代替わりが進んだため)
一世代前の旧三井本館は大正12年の関東大震災によって「類焼」し、あえなくその21年の寿命を閉じる。

時の三井首脳、三井八郎衛門高棟(たかみね)と団琢磨は旧三井本館の改築を決断する。
が、久能木商店の三代目久能木宇兵衛の土地を買収する前提で臨んだのが結果としてうまくいかず。。
代替わりの節目や久能木商店の隆盛を読み誤った三井は隣地買収をすることができずに、昭和4年に久能木商店の土地を使わない形で三井本館は竣工する。
三井を寄せ付けなかった久能木商店だが、第二次世界大戦末期にいたって、強制疎開にあい、ついに取り壊されることとなった。木造商店のままで建ち続けていたことが、ここで裏目に出た形になる。
久能木商店は須田町の方に移り、やがて戦後の混乱が収まった昭和28年、ようやく三井不動産はかつての久能木商店のあった土地、93坪2合9勺を取得。昭和33年に本館増築部を竣工させた。

建物にも「歴史あり」である。
 

東京大学の成り立ちも知らなかった。
時代が明治に入っていくなかで、蕃書調所は洋書調所、開成所、開成学校と変化しながら大学南校というものになっていく。
一方、1858年に江戸お玉が池に開かれた種痘所というのが、その後西洋医学所、医学所、医学学校と変化しながら大学東校になっていく。
大学東校は神田和泉町(現三井記念病院の場所)、南校は一橋門外(現如水会館の場所)にもうけられた。この大学南校と東校が合体して生まれるのが東京大学であり、その合体場所が本郷だった。

当時、官の建築はゆったりとした敷地に建てられることが多く、その中で堂々としている必要があったので中央に塔をつけて、左右対称形に建物をまとめあげることが多かった。
一方、商業建築は角地に建てられることが多く、角地の角の部分に塔を上げるのが一番存在を示しやすい。

かくして、官の建築は中央に塔を上げ、民の建築は角地の角の部分に塔を上げるという、ふたつの建築表現の流れが形成される云々。

いずれにせよ、いろんな土地の歴史を知ることは非常に楽しいことである。

2012年1月15日日曜日

キッチンみのり

松戸市みのり台にあるお惣菜の店。
「出汁とスープを丁寧にとった素材を生かしたお料理が自慢。
栄養バランスの良い13種類の雑穀と一緒に直火でふっくら炊いたごはんが評判。
しかもお手頃価格!」

ということでコマ電機さんの前に出張で来ている時に良さげだったので、実際に行ってお弁当を購入してみた。

写真はハンバーグ弁当大盛り@650円也。デミグラスソースがしっかりしていて、とてもお弁当には思えない美味しさ!ゴボウサラダもごま入り卵焼きも他ではちょっと食べれない感じ。
 総菜も100円で、きんぴら、ひじき、ポテトサラダなど種類も豊富。
近ければしょっちゅう行っちゃいそうなお店。
なんでこんな品質のモノがお安く提供できるのかは不明だが、すぐ脇のマブチモーターが絡んでいると推察。


お店でも食べられるけど、正直お店の内装は普通過ぎて食事の美味しさとはちょっとアンバランスかも。
本当、もっと近ければいいのにというお店。
近くに行く機会があったらフル活用したい。
http://ameblo.jp/nihonfoodsupply/

2012年1月9日月曜日

『生物のなかの時間』

理化学研究所の3人の精鋭研究者が、生命とは何か、生物における時間とは、という哲学的ともいえるテーマに関して対談を行ったもの。
正直難しすぎて良くわからなかった部分もあるが、素人でも楽しめる部分もあって、知識人の対談に参加した気分を味わえた。
難しい用語については脚注でしっかり解説されていたのも助かった(というより、この解説がないとチンプンカンプン。とてもいちいち調べる量ではないので、専門でなければ分からないまま流れていたものと思われる)


面白小ネタ
<クマムシ>
乾燥にさらされると、樽状に変身して、呼吸も代謝も全て止めてしまう。この状態になると、絶乾はもちろん、真空、低温、高温、高圧、X線にも耐え、宇宙空間に放り出しても生き続ける。
樽状に変身している間はクマムシの時間が止まっているかのよう。


<ヒトの祖先はナメクジウオ>
ヒトなど脊椎動物の祖先はホヤ類ではなく、ナメクジウオ類であることが、ゲノム解読で分かった。
ナメクジウオは脊椎動物の前段階で背骨に似た筋肉組織を持つ『脊索動物』の一種。大きさは3〜5センチ。頭部はないが尾びれに似た器官があり、魚のように泳ぐ。
ホヤも同じ仲間で、今から5億2000万年以上前に、ホヤ、ナメクジウオ、脊椎動物の順に進化したと考えられてきた。
ナメクジウオのゲノムの大きさはヒトの約6分の1(ヒトゲノムは約30億個、ナメクジウオは約5億個)で、約2万1600個の遺伝子を特定した。
このうち、1090個の遺伝子をホヤと比較し、ナメクジウオの方が早く現れ原始的であることを確認した。また、遺伝子の6割がヒトと共通しており、並び順も似ていた。
一方、ホヤは独自の進化を遂げた傍流と分かった。










<「相同」と「相似」>
共通の祖先から生じたと考えられる生物の構造を「相同(homology)」と呼ぶ。例えばヒトの手は、コウモリの翼やニワトリの手羽の相同器官である。
鳥の羽と昆虫の翅のように機能や形状が似ていても由来が異なるものには「相似(analogy)」という用語を使う。
進化発生学(Evolutionary Development Biology:通称エボデボ)によると、別起源と考えられてきた哺乳類と昆虫の目が「相同」であることが証明された。 


<構造的ネットワーク>
目 という器官は、最初は光受容細胞の塊でしかなかったものが網膜を成し、レンズを備えて、虹彩をつくって、眼球を動かす筋肉を配備して、と進化の過程で次第 に構造を複雑に整備してしまっている。結果として、レンズも網膜も、フォーカスが合うようにその形を次第に洗練させてきたのだろうけれど、気がつけば、で きた眼球の構成要素が機能的に完璧に連関しているものだから、もうどんな構成要素も勝手に変化できなくなっている。
複雑精妙に構成されたネットワークが成立してしまうと、その先は非常に進化しにくくなるという理屈。
これなんかは企業の組織も似ている気がする。生物も組織も自らが歩いてきた経緯を無視して進化はできないということだと思っている。


久しぶりにストーリーのない記載であるが、本書自体が色々な方面に話しが飛びながら進んでいくのでやむを得ないと思っていただきたい。


『記憶自体が、生命に表現される時間を規定している可能性がある。蓄積した「過去」が「今」という瞬間に実現するという感覚は、一環して生命体について回る。
蓄積とその実現がなければ、死ぬしかない。情報を介して時間が実現されると、全く違う世界が生まれる』
という西川氏の言葉を読んでまたしても『攻殻機動隊』を思い出してしまった。

 

2012年1月8日日曜日

『脳は平気で嘘をつく』

臨床心理士、心理学者の植木理恵女史の著作。
仕種で嘘は見抜けるのか?というキャッチコピーなのだが、これについては、結論は見抜けません、とあっさり。
でも色んな小ネタが満載で雑学として面白いものもたくさん。
その一つが美人はモテて、不美人はモテないのかという研究結果の話し。
不美人から美人までを5段階に分け、どのレベルの人が一番早く結婚するかを調べた研究が行われた。(こんなことをよく真面目に研究したものだという気もするが)
結果、結婚が一番早かったのはやはり5の美人。
驚くべきは、ランキング最下位が予想された1の不美人も5の美人と同じ位結婚が早かった。
そして意外なことに、婚期が最も遅れるのが4の「やや美人」。
マッチングセオリー(心理的にも社会的にも自分と同じ位のレベルの人間と一緒にいることが精神状態を安定させるというもの)と、「すごい美人はすぐに断られてしまいそうな気がする」という男性陣の意見を合わせみると、女性の中で一番モテるのは4の「やや美人」。実はこの「相手が選ぶほどいる」という状況が「やや美人」の婚期を遅らせているのではないか、というのが定説らしい。


有名なロールシャッハ・テストなど、深層心理を知るために被験者の思ったことを自由に言わせる方法があるが、実は 科学的なアプローチを重視する近代の心理カウンセリングでは「自由連想法」において「発言したこと」にさほど大きな意味を求めない。
カウンセラーが重要視するのは確実に計量化できる「言葉を発するまでにかかった時間」である。
「何を連想するか」を重要視するのが深層心理学であるとするならば、「どれだか時間がかかったか」といったデータ化できるものに注目するのが表層心理学のアプローチ法といえる。


面白かったのが、成長を続ける企業のリーダーとそうでない企業のリーダーの比較。
メタ認知能力を磨くには「教訓帰納」が大切であるが、成長を続ける企業のリーダーは、「悪い時」「悪いところ」よりは「いい時」「いいところ」に注目し、「何故今、会社の調子がいいのか」を分析することに熱心であったという。
「調子のいい時を分析する」という思考は人間の本能にはない。メタ認知の中でも高度な部類に入る思考法といえる。


これからは「いいのは何故?」ということに注目して、会社を成長を続ける企業にしていこう。

2012年1月7日土曜日

『「通貨」を知れば世界が読める』

浜矩子女史の著作。
基軸通貨というものについて、独自の見解を述べ、基軸通貨という存在そのものを巡る大河ドラマをリヒャルト・ワーグナーの代表作『ニーベルングの指輪』になぞらえてストーリーを展開していく。
新書で読みやすいにも関わらず非常に内容の濃い著作である。

基軸通貨は希少価値があると同時に流動性が十分でなければならない。だが、希少性と流動性を同時に満足させることは極めて難しい。
この「流動性のジレンマ」こそが、基軸通貨国にかせられた「呪い」に他ならない。

そもそも基軸通貨とは何か。
著者は
「その国にとっていいことが、世界中にとっていいことである、という関係が成り立っている国の通貨」
であると考える。
基軸通貨国も独立国であるので「自分さえよければ」という国家運営をするのだが、それで他の国もよくなる、という関係がある時、その通貨は真の基軸通貨だということである。
そうした通貨は自然と非常に通用性の高い、足の長い通貨となる。

ここから「ニーベルングの指輪」になぞらえて、基軸通貨の大河ドラマばりの歴史が語られる。
もともと最初の基軸通貨はイギリスのポンドであった。
1694年にロンドンはシティにイングランド銀行が誕生する。
途中金本位制をやめたりやったりを何度か繰り返すが、1929年のアメリカ発の世界恐慌を受けて、1931年9月イングランド銀行はついに金本位制を放棄した。
この後、金本位制を維持していたアメリカとフランスとの通貨戦争が勃発する。そして実質上の為替戦争停戦協定である「三国通貨協定」が結ばれた。
「三国通貨協定」において、アメリカは固定価格で金を無制限に売却することを宣言しているが、それには有る条件がついていた。
「相手側が自国通貨の対ドル為替相場を可能な限り安定的に維持すること」
そうでなければアメリカは24時間の予告をもって金売却を停止する、という。
これは、「私からみてお行儀の良い子であれば、金を売ってあげますよ」ということに他なこのようなアメリカの一方的な強さが顔を出したという意味で、三国通貨協定はその後の「パックス・アメリカーナ」の時代の幕開けを告げたといってもよい。

第二次世界大戦終了時に、金本位制を維持できるような国はアメリカ以外に残されていなかった。この時点で世界の貨幣用金の約3分の2がアメリカにあった。
そして1944年7月のブレトンウッズ会議こそが、基軸通貨ポンドの終わりを告げる瞬間だった。

1971年1月にニクソン・ショックがおこる。
このあたりからドルとアメリカは「大きすぎて潰せない」存在になる。

1985年9月22日のプラザ合意。
これは、これ以上のドル高を是正することで各国が合意する、ということであった。
アメリカのご都合主義のとばっちりを食うことに対して、その他の国々が拒否権を発動した場面だったと言っていい。
いわば「ドルをそっと見放す」ことを目指す試みだった。

基軸通貨ドルが凋落し続ける中、第3の基軸通貨候補としてユーロが登場する。
しかし、ユーロは未だ第3の基軸通貨足り得ていないし、ユーロは基軸通貨にはならないであろうというのが著者の考えのようだ。

面白いのが『第4の基軸通貨「円」』というもの。
日本は実に奇妙な形で財布の中の円をグローバルな舞台に送り込んできた。
そのための乗り物として力を発揮したのが「円キャリートレード」という手法だった。
長年、日本は超低金利状態の下に置かれてきた。事実上ゼロ金利状態の日本なら、資金コストも事実上ゼロである。そのただ金を海外で運用すれば、金利分がほぼ全面的に自分の収入になる。これほど単純明快な儲け話はない。
このようなジャパン・マネーの流れがグローバルに世間に揺さぶりを与える。その力量と影響の波及度合いは、まさに債券大国にしか発揮しえないものだ。
実は既に「円」は隠れ基軸通貨としての実力を備えている。それが証明されたのが、今回の東日本大震災・福島原発事故である。通常であれば、「円」は売られて円安になってもおかしくないところ、実際には円相場はさして大きな円安シフトを示していない。これは債券大国の通貨であるからだ。

通常は次の基軸通貨は中国の「人民元」ではないか、という意見が多いが、著者はこの見方にも否定的である。理由は中国は貧富の格差が大きいこと。
社会の不満を抑制するためにも引き続き高い経済成長を目指す必要があるが、インフレにならないように引き締めも行わなければならない。さしあたり、基軸通貨の座を目指してあれこれ考えていられるようなお家の事情ではない。

では今後どうなっていくと著者は考えているのか。
ふたつのストーリーが考えられると著者はいう。
一つはソフトランディングの協調型。
但しドル基軸時代の最終的終焉を受け入れるためには、いわば「第二プラザ合意」が必要。
1985年のプラザ会議は、まさにドルを「そっと見放す」ことを目指して開かれた会議だった。あの時はその課題達成に失敗して日本のバブル経済化を産み落とした。今度こそ、秩序あるドル安に再チャレンジすべきである、というもの。

もう一つのハードランディングの最悪シナリオは、「グローバル時代に幕が下りる」こと。
通貨安競争に歯止めがかからなくなれば、各国は高い関税障壁で自国市場を囲い込み、ヒト・モノ・カネの独り占めを目指すことになる。要は鎖国だ。
鎖国して自己完結的に経済を回していける国などめったにない。どうしても外部に新たな領地や経済水域が必要となる。その結果は領土を争う戦争の勃発になりかねない。
実は昨今世を騒がせているTPPは、環太平洋の国々が協定を結んで自由貿易圏を作ろうというものである。言ってしまえば、特定地域の囲い込み政策。いわば集団的鎖国主義。保護主義はどうしても拡張主義に転化していき勝ちである。


今後の21世紀的通貨のあり方としての提言もされている。
単一通貨(基軸通貨)ではなく共通通貨で、というものだ。
足は短くても、しっかり足元が固まっている(地域)諸通貨がひしめき合いながら、共存している。そしてその上に、円やドルといった国内向けの通貨があり、さらにその上に「共通通貨」が存在している。そんな、がっしりした短足通貨に支えられた集合体として、グローバルな通貨秩序ができあがる。「3D型」のグローバル通貨秩序、通貨体制の三元構図というのが21世紀的な通貨のあり方となっていくのではないかと著者は指摘している。

浜さんは他にも色々本を書いているが、この本は仮説が明確で論理的であり、非常に分かりやすく書かれていた。他の本についても今後読んでみたい。

2012年1月2日月曜日

『SQ "かかわり”の知能指数』

 立ち読みによりEQみたいな本なのかと思って購入したのだが、実は違って社会学の本であることが判明。
しかし、これからのコンパクトシティつくりに大規模商業施設を活用すべしという主張もあり、別の意味で非常に有益であった。(これもセレンディピティといえなくはない)

指標っぽい話しとしては、アンケートの結果から導き出されるSQ指標が記載されている。
「適切な範囲での手助け」こそが、人々の幸福感に最も影響を与えているというもので、
①献=他者への貢献:自分さえよければいいという考えではなく、他者への支援を望む
②広=広範囲で協力:家族や友人関係より広いかかわりを志向
③心=モノより心:数字で表される貢献だけでなく、それが体現する「心」を重視
④次=次世代志向:現在ではなく未来を考えて行動
いずれもそれぞれに関わりの適切な範囲があり、高ければ良いということではないとのこと。
(過ぎたるは尚及ばざるがごとし。)

面白かったのは社会学的な考察で、実は若者達の友達の数は増えているというもの。
更に言うと、悩み事を相談できる友達の数も増えているらしい。
これは携帯電話やネットメディアの存在によるところが大きい。(そもそも携帯電話やネットのコミュニケーションというのは、よく知っている人との関係性をよりくする目的で使われることが多い。)
社会学的にみると、携帯電話、ソーシャルネットワークといった個人メディアを使いこなしている人ほど友達が多く、さらにその友達ごとにうまく自分のキャラを切り替えている。
現代人は巧みにキャラを使い分けるようになっているとのこと。
依然フェイスブックについて記載したことがあるが、この「キャラの使い分け」が実名制のフェイスブックにおいてはできなくなる。
ミクシィのようなソーシャルネットワークサービスは、ネットという広い世界に開かれているサービスのように見えるが、ほとんどのサービス利用者は、身内同士、友達同士のやりとりに終始している。
このような元々知っている人と、さらに関係を深めるために利用されているような関係性の「ボンディング(Bonding)」という。
一方、フェイスブックや、グーグルプラスのような実名登録型は「ブリッジング(Bridging)」といって、知らない人達とつながっていくタイプのコミュニケーションが前提とされているということがこの本にも記述されているが、上記の違いにおける「キャラの使い分け」についての考察も今後して欲しいと思う。

またSQの概念とシェアの概念の違いについても述べられている。
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SQの概念とシェアの概念は似て非なるもの。
シェアの場合、そこで重視されるのは、資源を共有しようとするユーザーの「評価」。つまり、ネットを介してサービスが展開されていく中で、そのユーザーのレーティングが蓄積されていく。自動車ビジネスであれば、きれいに車を使ったユーザーの評価が上がり、マナーの悪い人の評価は下がる。こうした、ユーザーのマナーを可視化させ、レーティングが高い人が優遇されていくことによって、参加者みんなが気持ちよく共有できるようになる、これがシェアのビジネス。
あまり評価の高まらない状況におかれている人、緊急的に資源が足りていない人に対して、低いコストで手を差し伸べることがシェアの発想では難しい。また、レーティングしにくい、とてもピンポイントなニーズや、あまり同じようなことで困っている人が少ないニーズも、シェアの仕組みで解決するのは困難。
SQによって相互に助け合う社会像は、基本的には高い評価を日常から得るような余裕のない人達を手助けするところに重点が置かれており、資源が足りない人、手助けを必要としている人と、それに応えられる人をうまくマッチングする仕組みがあるかどうかが鍵になる。
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少子高齢化社会における社会の目指す方向性についても、SQに絡めて提言されている。
少し長いが紹介させていただく。
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ユニバーサルサービスやこれまで地方で維持されてきた生活インフラが、これから先も同じように維持されるかどうか。過疎化はこうした問題を投げかける。
「市街地の百貨店や商店街を中心にした徒歩圏で人々が生活する」モデル、コンパクトシティは絵に描いた餅に終わるだろう。
最大の理由は、人が商業地を求めて移動するスピードより、商業施設が住宅地に向かって進出するスピードの方が速いから(理想的な環境に人を移動させるよりも、人が住んでいる場所に商業が動いてくるスピードの方が速い)。ショッピングセンターの存在感が増してくる前からシャッター商店街などといわれていた。中心市街地の衰退は郊外のロードサイド型ショッピングセンターによるものではない。

ではどうするか。人口1万人から30万人までの中規模都市を、こうした高齢者を含めた人々の新しい生活圏としてモデル化していくこと。
伝統などない街でも、高齢者が移住してきて十分に生活できる環境を作るとすれば、それはどのようなものかを考える方が重要。
「ジモト志向の若者達」が、高齢者を含めた地域社会との関わりを求めて、同様にこうした中規模都市へと移住してくる、あるいは生まれた土地に居残るだろう。

理想的な環境に人を移動させるよりも、人が住んでいる場所に商業が動いてくるスピートの方が速いのであれば、中規模都市にショッピングセンターのような商業施設が移動して、ショッピングセンターを核にした地域社会をつくればよい。
そのためには「つくられた地域の祭り」にも意味がある。
今後10年間に若者と高齢者の出会いの場になるだろうと思われる中規模都市の核に、ライフスタイルセンター的なものを据えてはどうか。
複数のショッピングセンターで形成される広域経済圏を支えるための鍵は二つある。
ひとつはモビリティ。
もうひとつは世代間の交流をもつ場所づくり。

女性が働きに出ると出生率が下がる、だから女性を家庭に戻そう、というのは間違いで、女性が共働きで働いている国ほど出生率が上がっている。
1980年と2000年を比べ、出生率が増加した国(アメリカ、ノルウェー、デンマーク、フィンランド)、減少した国(スペイン、イタリア、日本)
両陣営の違いは、女性の労働力率の差として明確に浮かび上がる。
スペイン、イタリア、日本は女性の労働力率が低く、50%台。増加した国は軒並み70%位の数字を示している。
男性の賃金を100としたときの女性の賃金。アメリカ79に対して日本58。
管理職に占める女性の割合。アメリカ45.3%。日本9.2%。

黄金時代(高度成長時代)に成立した社会システムは既に崩れていて、今子供を育てていこうと思ったら、男性だけではなく女性も働かざるを得ない場合が多い。
もう家庭だけで子育てはできない。地域で子育てを行っていく必要があるのではないか。
社会福祉として子育てを支援する制度拡充は重要だが、地域社会によるSQ的なサポートが有効なのではないか。
世代間の知識の違いや価値観の違いから生じる意見の食い違いは発生し、間違いなく衝突が起きる。でもそれは起きた方がいいのではないか。交流することで、世代間の意識のギャップが見えてくるのであれば、その交流には意義がある。
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人口1万〜30万人程度の都市にて、ライフスタイルセンターと呼べる大規模商業施設を核に街づくりを行い、モビリティと世代間交流の場(「つくられた祭り」もこの一つであろう)を鍵とした街づくり。。
これってそのまんま「柏の葉」ではないか!と思ってしまった。
後は女性が働きやすい環境を整えれば、社会学者の考える未来の街は見えてくる感じだ。
楽しみだぞ。柏の葉!!

2012年1月1日日曜日

今年の抱負

去年も年明けに抱負を述べていた。
去年の抱負は「不惑」ということであった。
大晦日に手帳を見ながら振り返ったところ、昨年は異動もあり、新しい組織、新しい業務をバタバタとこなすのに精一杯であったのが良くわかる。「惑う」余裕もなかった感じだ。
そういう意味では抱負は達成されている。
しかし、それでは自らの意志をもっての「不惑」ではないので、今年の抱負は「余力ある不惑」としたい。
意識的に時間をつくって、自らの成長のための時間を確保しつつ、惑わずに生きることを目標とする。
実は、もうちょっと色々な意味で余力が欲しいと言うだけなんだけど。。