2012年1月2日月曜日

『SQ "かかわり”の知能指数』

 立ち読みによりEQみたいな本なのかと思って購入したのだが、実は違って社会学の本であることが判明。
しかし、これからのコンパクトシティつくりに大規模商業施設を活用すべしという主張もあり、別の意味で非常に有益であった。(これもセレンディピティといえなくはない)

指標っぽい話しとしては、アンケートの結果から導き出されるSQ指標が記載されている。
「適切な範囲での手助け」こそが、人々の幸福感に最も影響を与えているというもので、
①献=他者への貢献:自分さえよければいいという考えではなく、他者への支援を望む
②広=広範囲で協力:家族や友人関係より広いかかわりを志向
③心=モノより心:数字で表される貢献だけでなく、それが体現する「心」を重視
④次=次世代志向:現在ではなく未来を考えて行動
いずれもそれぞれに関わりの適切な範囲があり、高ければ良いということではないとのこと。
(過ぎたるは尚及ばざるがごとし。)

面白かったのは社会学的な考察で、実は若者達の友達の数は増えているというもの。
更に言うと、悩み事を相談できる友達の数も増えているらしい。
これは携帯電話やネットメディアの存在によるところが大きい。(そもそも携帯電話やネットのコミュニケーションというのは、よく知っている人との関係性をよりくする目的で使われることが多い。)
社会学的にみると、携帯電話、ソーシャルネットワークといった個人メディアを使いこなしている人ほど友達が多く、さらにその友達ごとにうまく自分のキャラを切り替えている。
現代人は巧みにキャラを使い分けるようになっているとのこと。
依然フェイスブックについて記載したことがあるが、この「キャラの使い分け」が実名制のフェイスブックにおいてはできなくなる。
ミクシィのようなソーシャルネットワークサービスは、ネットという広い世界に開かれているサービスのように見えるが、ほとんどのサービス利用者は、身内同士、友達同士のやりとりに終始している。
このような元々知っている人と、さらに関係を深めるために利用されているような関係性の「ボンディング(Bonding)」という。
一方、フェイスブックや、グーグルプラスのような実名登録型は「ブリッジング(Bridging)」といって、知らない人達とつながっていくタイプのコミュニケーションが前提とされているということがこの本にも記述されているが、上記の違いにおける「キャラの使い分け」についての考察も今後して欲しいと思う。

またSQの概念とシェアの概念の違いについても述べられている。
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SQの概念とシェアの概念は似て非なるもの。
シェアの場合、そこで重視されるのは、資源を共有しようとするユーザーの「評価」。つまり、ネットを介してサービスが展開されていく中で、そのユーザーのレーティングが蓄積されていく。自動車ビジネスであれば、きれいに車を使ったユーザーの評価が上がり、マナーの悪い人の評価は下がる。こうした、ユーザーのマナーを可視化させ、レーティングが高い人が優遇されていくことによって、参加者みんなが気持ちよく共有できるようになる、これがシェアのビジネス。
あまり評価の高まらない状況におかれている人、緊急的に資源が足りていない人に対して、低いコストで手を差し伸べることがシェアの発想では難しい。また、レーティングしにくい、とてもピンポイントなニーズや、あまり同じようなことで困っている人が少ないニーズも、シェアの仕組みで解決するのは困難。
SQによって相互に助け合う社会像は、基本的には高い評価を日常から得るような余裕のない人達を手助けするところに重点が置かれており、資源が足りない人、手助けを必要としている人と、それに応えられる人をうまくマッチングする仕組みがあるかどうかが鍵になる。
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少子高齢化社会における社会の目指す方向性についても、SQに絡めて提言されている。
少し長いが紹介させていただく。
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ユニバーサルサービスやこれまで地方で維持されてきた生活インフラが、これから先も同じように維持されるかどうか。過疎化はこうした問題を投げかける。
「市街地の百貨店や商店街を中心にした徒歩圏で人々が生活する」モデル、コンパクトシティは絵に描いた餅に終わるだろう。
最大の理由は、人が商業地を求めて移動するスピードより、商業施設が住宅地に向かって進出するスピードの方が速いから(理想的な環境に人を移動させるよりも、人が住んでいる場所に商業が動いてくるスピードの方が速い)。ショッピングセンターの存在感が増してくる前からシャッター商店街などといわれていた。中心市街地の衰退は郊外のロードサイド型ショッピングセンターによるものではない。

ではどうするか。人口1万人から30万人までの中規模都市を、こうした高齢者を含めた人々の新しい生活圏としてモデル化していくこと。
伝統などない街でも、高齢者が移住してきて十分に生活できる環境を作るとすれば、それはどのようなものかを考える方が重要。
「ジモト志向の若者達」が、高齢者を含めた地域社会との関わりを求めて、同様にこうした中規模都市へと移住してくる、あるいは生まれた土地に居残るだろう。

理想的な環境に人を移動させるよりも、人が住んでいる場所に商業が動いてくるスピートの方が速いのであれば、中規模都市にショッピングセンターのような商業施設が移動して、ショッピングセンターを核にした地域社会をつくればよい。
そのためには「つくられた地域の祭り」にも意味がある。
今後10年間に若者と高齢者の出会いの場になるだろうと思われる中規模都市の核に、ライフスタイルセンター的なものを据えてはどうか。
複数のショッピングセンターで形成される広域経済圏を支えるための鍵は二つある。
ひとつはモビリティ。
もうひとつは世代間の交流をもつ場所づくり。

女性が働きに出ると出生率が下がる、だから女性を家庭に戻そう、というのは間違いで、女性が共働きで働いている国ほど出生率が上がっている。
1980年と2000年を比べ、出生率が増加した国(アメリカ、ノルウェー、デンマーク、フィンランド)、減少した国(スペイン、イタリア、日本)
両陣営の違いは、女性の労働力率の差として明確に浮かび上がる。
スペイン、イタリア、日本は女性の労働力率が低く、50%台。増加した国は軒並み70%位の数字を示している。
男性の賃金を100としたときの女性の賃金。アメリカ79に対して日本58。
管理職に占める女性の割合。アメリカ45.3%。日本9.2%。

黄金時代(高度成長時代)に成立した社会システムは既に崩れていて、今子供を育てていこうと思ったら、男性だけではなく女性も働かざるを得ない場合が多い。
もう家庭だけで子育てはできない。地域で子育てを行っていく必要があるのではないか。
社会福祉として子育てを支援する制度拡充は重要だが、地域社会によるSQ的なサポートが有効なのではないか。
世代間の知識の違いや価値観の違いから生じる意見の食い違いは発生し、間違いなく衝突が起きる。でもそれは起きた方がいいのではないか。交流することで、世代間の意識のギャップが見えてくるのであれば、その交流には意義がある。
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人口1万〜30万人程度の都市にて、ライフスタイルセンターと呼べる大規模商業施設を核に街づくりを行い、モビリティと世代間交流の場(「つくられた祭り」もこの一つであろう)を鍵とした街づくり。。
これってそのまんま「柏の葉」ではないか!と思ってしまった。
後は女性が働きやすい環境を整えれば、社会学者の考える未来の街は見えてくる感じだ。
楽しみだぞ。柏の葉!!

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