NHK大河ドラマ「龍馬伝」の影響か、坂本龍馬ブームである。
大河ドラマでは、岩崎弥太郎を香川照之が熱演していて、あまりの”熱演”に三菱グループから「ありゃ酷すぎる」とクレームが来たとか来なかったとか。
さて、そんなこともあって、岩崎弥太郎の真の姿を知りたいと思って読んでみた。
大河ドラマでは、弥太郎と龍馬が土佐藩にて若い頃からの旧知の仲として描かれるが、どうやら実際のところは龍馬が脱藩した後、長崎で亀山社中を立ち上げ、後藤象二郎と面会して以降初めて会ったかも知れないとのことである。
とはいえ、岩崎弥太郎が大言壮語の士であったことは間違いないらしい。
著者の河合敦氏は
「多くの歴史人物の生涯をひもといていくと、面白い共通点がある。
偉人の多くが少年期を過ぎてからも、弥太郎のように大風呂敷を広げ続けていることである。
さらに言うと、人格と栄達とは、全く無関係なようである。善人や悪人の別なく、天は大志を抱き続ける傾向が明瞭に見て取れる。」
と述べている。
岩崎弥太郎は海運業で日本一の会社を作り上げたが、政府の横やりにより共同運輸というライバル会社をつくられて死闘を演じることになる。
この死闘の決着をみぬまま、岩崎弥太郎は胃癌にてこの世を去ることになる。
そして弥太郎の死後、2年と経たないうちに三菱汽船会社を共同運輸と合併することを決めた。
資本金は共同運輸が6百万、三菱が5百万なので、共同運輸が優位の合併である。
新会社名も日本郵船となり、海運業で岩崎弥太郎が興した”三菱”の名前は世から消えることとなる。
ところが、岩崎弥之助は陸の三菱社を創設する。
事業内容は、銅山、水道、炭坑、造船、銀行などであり、ここから三菱の多角的経営が展開されることになる。
すなわち、実は戦前の三菱財閥、戦後の三菱グループは、弥太郎の興した三菱商会からではなく、弥之助が立ち上げた三菱社から全ては発展していったものである。
その後、岩崎弥太郎の長男、岩崎久弥が3代目、岩崎弥之助の長男、岩崎小弥太が4代目となり、各々三菱グループの基礎を作っていったということである。
意外と知られていない三菱創業者、岩崎家の顔ぶれがわかって面白かった。
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