2014年11月30日日曜日

『CEOからDEOへ』

Facebookで紹介されていた本。面白そうでAmazonでポチッと購入した。

DEOとは、デザイン・エグゼクティブ・オフィサーの略。
「工業化時代」から「情報化時代」、そして気がつくと「コンセプトの時代」となった今、求められているリーダー像はCEOではなくDEOだというのが著者ら(二人いる)の主張。

<「DEO」の6つの特徴>
・変化を起こす
・リスクを冒す
・システム思考をする
・直感力が高い
・社会的知性が高い
・さっさとやる(GSD:Get shit down)

ということで、この特徴に基づいて色々と知見が述べられる。

以下は面白かったことのピックアップ。
<MVPとSFD>
DEOは「MVP」や「SFD」を推奨する。
MVP:Minimum Viable Product。テストするのに必要最低限の機能を備えた製品。
SFD:Shitty First Draft。ひどい第一草稿

<役割を明確にする>
コラボレーションを成功させるには、メンバーの役割を明確にし、はっきりしたコミュニケーションを行う必要がある。
グループ内での役割を明確にするために、メンバーを「オーナー」「インフルエンサー」「パーティシパント」の3つに分けるという手法がよく使われている。
オーナーはグループ全体の成功に責任を負い、最終的な意思決定を行う。
インフルエンサーは専門知識、批評、評価、意見をもたらす。
パーティシパントは実際のデザインや開発プロジェクトに才能を提供する。
役割と責任を明確にすることで、コラボレーションにありがちな「船頭多くして船山に登る」という弊害を防ぐことができる。

<インテレーション>
短期間のうちに不完全ながらも機能する最初のプロトタイプをつくり、その結果をもとに短期間で問題点を改善して次のプロトタイプをつくるというサイクルを繰り返し、最終的に市場に出せる完成品に仕上げるやり方を「インテレーション(反復型開発)」と呼んでいる。
DEOは、そうしたインテレーション型の開発が、ニーズの変化などに柔軟に対応できるアジリティ(機敏さ、敏捷性)とスピードを生み、その2つこそが市場が求め、見返りを与えるものだと考えている。
また、小さな改善を繰り返すインテレーションを会社のあらゆる面に取り入れることで、社員のスキルアップや、先を見据える姿勢、軌道修正を当たり前のものと捉える考え方を促すことになると考えている。
イノベーションに向けたインテレーション型の手法には、実行とプロセスの両面で、ここでは挙げきれないほど多くのメリットがある。
定期的に軌道修正することで、社員からのフィードバックを促し、優れたアイデアを引き出すことができる。意見の相違や誤解にすぐに気づき、対処することもできる。
1つの仕事のサイクルを短くすることで、各チームに仕事をバランスよく割り振りやすくなる。コストも見積もりやすい。システムも改善しやすくなる。
すばやく、頻繁に、新しい知識を習得することも出来る。そして皮肉なことに、リスクを減らすこともできるようだ。


また、色んな人の名言が記述されていたので、ビっときたものをピックアップ。

「変化は、人生にとって必要なだけではない。変化こそが人生なのだ」・・アルビン・トフラー

「私たちが証明するときには「論理」を使うが、私たちが発見するには「直感」を必要とする」・・仏数学者 アンリ・ポワンカレ

「一人で見る夢はただの夢だけど、一緒に見る夢は現実になるよ」・・ジョン・レノン

「私がIBMで学んだのは、「企業文化が全てだ」ということだ」・・ルイス・ガースナー

「私たちは行動を繰り返したことで、今の私たちになっている。だから優秀さとは、単発的な行動ではなく、習慣のことである」・・アリストテレス

「私が問題を解決するのに1時間与えられたとしたら、最初の55分は問題がどういうものかを把握するのに費やし、残りの5分で解決策を考えます」・・アルベルト・アインシュタイン

そして最後が
Done is better than perfect.(完璧であるよりも、終わらせる方がいい)
誰が言ったか、事業家として現実のプロジェクトを抱えていると、身につまされる格言。


「デザインとは集団的な変化を促すこと」と定義する著者らの言う”DEO”がこれからの会社のトップリーダーとなっていくのだろうか。
そうなっていって欲しいと思いつつ、期待。

ミライ×マンション×ミーティング

先日、日本橋三井ホールで開かれた、ミライ×マンション×ミーティングに参加してきた。
3部に分かれたうちのセッション2では、ena AMICE 蛯原英里さん、チームラボ 猪子寿之さん、issu+design 筧裕介さんの3人のセッションだった。
テーマは『マンションの新しい捉え方』

冒頭、猪子寿之さんが
「これだけネットワーク社会(場所に依存しないコミュニティ) が進んでいる中で、コミュニティは場所に依存するというのは幻想。それはたまたま何万年前から変わらなかったから。15年前よりもコミュニティは十分あるよ。一体何を議論してるのかな。」
「昔は”場所”→コミュニティ→文化ということで文化が生まれていたけど、 でももう”場所”から文化は生まれてない。問題なのはマンションの方だよね。ネットワーク社会の前のコミュニケーションの仕方をしているのでは?」
「コミュニティが先にあって”場所”はむしろ後から生まれいる。 ニコ動みてよ。」
「昔と違ってコミュニティが経済活動になったりしている。場所をベースとしたコミュニティが大切なんて、昔の人が寂しいだけでは?先にコミュニティにアプローチすべし。」
と発言したのを受けて、筧さんも
「場所コミュニティであるマンションのコミュニティってどうして必要なのか、分からなくなりました」
と発言して一時このセッションはどこに行ってしまうのか?という感じ。

蛯原さんは、母親の立場として
「コミュニティに加わるためには踏み出す一歩が必要。どうすればその一歩が踏み出せるのか? やはり相手を知ると声かけやすいですよね。」
と発言。

そのうち、子育ての話から今度は猪子さんが再び
「昔は子供は集団の中で育ててきた。今は突然、個人で育てなくてはならなくなっている(孤育て)。昔は作った側(男)も生んだ側(女)ももっと子育てにいい加減だった。集団で育てるルール、環境にすべき。」
と発言。
その中で
「考える、学ぶというのは複雑な情報なのでネットワークでは解決しないんだよね〜」
とポロリ。

筧さんが
「ネットワーク弱者を救う方法とすると地縁型コミュニティは必要。土地性のコミュニティでまずは集まってくる。子育て世代に受け入れられるかは地域の死活問題。」
と発言してまとまってった感じ。


という訳でまとめ。
○コミュニティは増えているけど、まだ格差がある。そういった色んなことは流動化が課題。その流動化はITが促進する。
○ネットワーク社会では、コミュニティは場所に依存しない。これからは先にコミュニティにアプローチすべき。
○「場所型(地縁型)コミュニティ」の必要なケース
・ネットワークがつながらない災害時。
・ネットワーク弱者が多い場合。
・教育、学び系のネットワークでは担えない複雑な情報が必要な場合。

マンションコミュニティの重要性がようやく認識されてきた中で、既に「場所から始まるマンションコミュンティ(『地縁型コミュニティ』 )なんて古いよ」という猪子さんの発言には揺さぶられた。もう何歩も先を行っちゃってる感じ。
”ミライ”に向けてどういう解決方法があるのかはこれから考えていこう。


セッション3はリアルにテーブルごとにワークショップ。
テーマは『ミライのマンションについて』
各テーブルとも真剣にかつ楽しそうに議論が進んでいるのが印象的だった。







『(日本人)』その8

橘玲氏第8弾。

<<お金と評判>>
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お金は限界効用が逓減するが、評判は逓増する。
評判は効用が逓増する。だから、芸能人、文化人、経営者、政治家などの職業に関係なく、一度有名になればもっと有名になりたくなる。それと同時に、自分が有名人(セレブ)の地位から脱落して人々から忘れられることをものすごく恐れるようになる。
貨幣の効用が逓減するのに、評判の効用が逓増するのは、評判こそが社会的な動物である人間が求める”本当の価値”だからだ。
貨幣と評判のトレードオフでほとんどの人が評判を選択する 。
経済合理性だけで考えるならば、リスクに対してリターンの高い業種には新規参入が相次ぎ、超過利潤はなくなるはずだ。アメリカの一流大学でMBAを取得した人たちが風俗業を始めないのは、大儲けできたとしても、社会的な評判を考えたら割に合わないからだ。
その一方で、お金と評判が完全に一致していると、人々は限りなく”強欲”になる。その典型がギャンブラーと投資銀行家だ。
ゲームとしてのこの”純粋さ”が、極めて知的能力の高い人たちを中毒(貨幣依存症)にさせ、金融市場を暴走させる原因となった。

資本主義というのは、欲望と恐怖によって自己増殖するシステムだ
こうした経済行為の集積が、「グローバル資本主義」となって世界を動かしていく。
その自己増殖は、原理的には外的な制約に達するまで止まらない。「外的な制約」とは、化石燃料が枯渇したり、環境破壊によって地球が人間の生存にてきさなくなることで、要するに人類が滅亡する時だ。

ネットオークションが大きな成功を収めたのは、出品者にモラルを説教したためではなく、道徳的に振る舞うこと(”高い評価”をとってそれを継続することが、出品者のインセンティブになる仕組み)が得になるような制度を設計したことにある。
正しく設計されたアーキテクチャは、ユーザーを”道徳的に”振る舞わせることができるのだ。
ネットオークションが成功したのは、評価が(原則として)価値判断を含まないからだ。 そこで検証されるのは、①商品と説明が一致しているか、②入金確認後に迅速に商品が発送されたか、の二点だけで、出品者の主義主張や人格が問題にされる訳ではない。
これによって、出品者の側も低い評価を受け入れやすくなる。(基準が明確だから) 共同体の中では、我々は悪意や嫉妬、コンプレックスやルサンチマン、怒りや憎悪と言ったネガティブな感情の噴出を抑制する強い圧力を加えられている。ところが匿名性の高い空間では、その抑制(共同体の規制)が外れてあらゆるネガティブな感情が表に出てしまうのだ。

Twitterには、サイバーカスケード(炎上)を減らすいくつかの仕掛けが施されている。
そもそもTwitterは「つぶやき」だから、「意見」と見做されるブログよりも許容範囲が広い。反論しようにも140字以内で、その上発言はタイムラインの中を時々刻々と流れていくから執着のしようもない。(Twitter上の論争などは、”まとめサイト”で時系列によって整理・アーカイブされる)
それ以外にもTwitterには、ネガティブな反応を返してくるフォロワーを排除するブロック機能がある(投稿を表示させなくする)。
なかでもTwitterの一番の特徴は、フォロワーに良い評判を広げていくインセンティブがあることだろう。人は悪い評判よりも、よい評判を知らせたいと思うものだ。
古代社会では、負け戦の知らせを持ってきた使者の首がはねられたという。人はどんなことにも因果関係を見いだそうとするから、よいニュースは自分に対するプレゼントで、悪いニュースは呪いになる。

退出(やり直し)が自由なネットオークション型のアーキテクチャでは、自分が人よりどれだけ目立つかを競うのがデフォルトの戦略になる。失敗しても悪い評判はリセットできるのだから、そこでは誰もが実名でたくさんの評判を集めようとするだろう(これがポジティブゲームだ)
それに対して退出できないアーキテクチャでは、人と同じことをして出来るだけ目立たず、バッシングの標的になるのを避けるのが最適戦略だ。一旦付けられた悪い評判(スティグマ)を二度と剥がすことができないとしたら、匿名の無責任社会に身を隠すほかに安心して暮らす方法はない。(こちらはネガティブゲームだ)

Facebookが徹底して実名にこだわるのは、自らをWEB2.0におけるポジティブゲームのインフラと位置づけているからだ。
Facebookの戦略は、評判確認装置のデファクト・スタンダードになることだ。そのとき、Facebookは社会的な関係そのものを生み出す必要不可欠なインフラとなり、我々は就職や結婚ばかりでなく、合コンや友達づくりなど日常のささいな出来事までFacebookで検索し、相手の素性を確かめようとするだろう。
Facebookの目指すユートピアでは、貨幣よりも評判の獲得を目指すアーキテクチャによって、本人の意志に関わらず誰もが善人になる。
インターネットのテクノロジーによってあらゆる評判が可視化される電脳空間は知識社会の究極のかたちでもある。そこで人は、ファッションやブランドなどの外見ではなく、知識やセンスのみで選別される。

誰もが貨幣よりも評判を選好し、実名の個人情報がインターネット上で公開・検索され、すべての人が善人として生きていくほかない社会・・・そのときグローバル資本主義の自己増殖運動は停止し、近代のパラダイムは意味を失って、誰も見たことのないポストモダンが始まるのだろう。 これが、サイバーリバタリアンの描くユートピア(もしくはディストピア)だ。
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歳をとると勲章が欲しくなるというのは、評判を得た人が忘れられるのを恐れるためと考えると動機がわかりやすい。
「貨幣と評判のトレードオフでほとんどの人が評判を選択する」というのは強論で、「貨幣」と「評判」のどちらをとるかは、囲碁でいうと”地”をとるか”厚み”をとるか、ということであり、どちらをとるかは自己ブランドに基づいた人生の戦略による。
仮にほとんどの人が評判を選択するようならもっと犯罪は少ないはずだ。
とあるワークショップで「僕のFacebookは『幸せ芝居』です」(本当は『幸せ劇場』と言いたかった)と言ったら大受けしたことがあるのだが、実名のFacebookでは人は悩みや嫌な出来事を発信しない。それは見た人に対する「呪」になるからだ。


<<世界で最も世俗的な国民、日本人>>
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国際的な価値観調査によれば、日本人は世界で最も世俗的な国民だ。
日本人は世界の誰よりも、「他人に迎合するよりも、自分らしくありたい」「自分の人生の目標は自分で決めたい」と考えている。
御利益のない神を信じず、地縁も血縁も捨てて「一人一世帯」の無縁社会に生きている。
こうした特異な価値観を我々は当たり前のことと思っているが、実は日本人は歴史の最先端に立っているのかもしれない。

18世紀の産業革命によって経済(市場)は爆発的に拡大し、人々は身分制(階層社会)の桎梏から開放され、人類史上はじめて「自由」と「平等」を理想として掲げることが可能になった。近代は、王制(神権政治)に対する社会改革=革命運動として始まった。
ところが第二次世界大戦後、社会がより豊かになると、人々の関心は「社会」から「私」へと向かい始める。
これが「近代の折り返し点」で、1960年代のヒッピームーブメントやフラワーチルドレンが先駆けとなり、ニュージャーナリズムの旗手トム・ウルフが「ミーイズム」と名付けた70年代へとつながっていく。
この「折り返し点を過ぎた近代」を、ヨーロッパの社会学者達(アンソニー・ギデンズやウルリッヒ・ベック)は「後期近代」「再帰的近代」と呼ぶ。 前期近代においてはマルクス主義のような「社会を変える」思想が信じられたものの、後期近代になるとそうした”大きな物語(革命)”は流行らなくなり、「<私>を変える」という”小さな物語(自己啓発)”が広まっていく。
前期近代(大きな物語)から後期近代(小さな物語)への移行は、社会がゆたかになり多様化したことの必然的な帰結だった。 後期近代では、<私>はかけがえのない唯一絶対の価値(=オンリーワン)となるが、一人ひとりはみな平等で、特別な<私>(=ナンバーワン)はどこにもいない。
この<私>中心主義によって「革命」は内面へと向かい、「自分探し」が人生の目的となる。

「共同体から私へ」というこの変化によって、社会のかたちは大きく変わってしまった。 フランスの政治思想家アレクシス・ド・トクヴィルは、19世紀初頭のアメリカを訪れて、アメリカが平等社会であることに驚いた。
トクヴィルは、ヨーロッパのような身分制社会には不平等は存在しないという。貴族と平民は”別の”人間だと考えられており、貧民はそもそも自分が貴族と「人として平等だ」などとは思ってもみなかった。
不平等が問題になるのは、身分の違いのない平等な社会だけだ。自分と相手が平等な人間と認識してはじめて、互いの間にある不平等が痛みをもって意識されるようになる。
その意味で「近代」は隠されていた不平等を顕在化させ、それへの絶えざる異議申し立てによって既存の権威を解体していく運動のことだ。
かけがえなのない<私>を唯一絶対の価値とする後期近代では、この運動は宗教や階級、中間共同体を抜け殻にして、社会を「液状化」させていく。
アメリカ、ヨーロッパ、日本などの液状化した社会」では、地域や文化の違いに関係なく、社会的な問題を個人的な環境や異常心理に還元して解釈するようになる
「トラウマ」「アダルト・チルドレン」「多重人格」といった俗流心理学が流行するのはその恰好の例だ。

貧困に対する態度にも大きな違いが見られる。 前期近代では、失業は社会階層(階級)の問題とされ、プロレタリアートによる階級闘争へと結集していく。それに対して社会問題が個人化する後期近代では、貧困は家庭・教育・恋愛・職業体験など個人史の結果とされ、社会のメインストリームから脱落した人たちは階級や社会集団を構成せず、プレカリアート(ニート、フリーター)として孤立することになった。
伝統的な共同体(家族やムラ社会)が解体したのは、近代が福祉国家という理想を実現したからでもある。豊かな社会と充実した社会保障によって我々はムラ社会から開放されたが、それとともに共同体の安全保障をも放棄して、すべてのリスクを自分だけで背負うことになった。

「私らしく」を唯一の価値基準とする生き方は、「自分」を土台にして立っているようなものだ。自分を参照しながら自分の将来を決断するという無限ループ的な構造を「再帰的」という(「再帰」とはループのことだ)。
「再帰的近代」ではすべての人がこの無限ループ状態に陥っていくが、これは後期近代の主要な特徴(というか本質)でもある。
自分の中に「自分」を探す再帰的近代は、フィッシャーのだまし絵のように非常に不安定だ。
そこで、この不安定な自分をなんとかコントロールする必要が生まれる。これが自己啓発本でお馴染みの「自己コントロール(自己管理)」と呼ばれる心理技法だ。
現代社会では、正しく自己管理できない人間は落伍者とされる。これは最も早く再帰的近代に突入したアメリカ由来の思想だが、いまや日本でも大学生の就活で「自己分析」が必須とされているように、社会の隅々まで広まっている。
神経症や軽うつ症、ADHD(注意欠陥・多動性障害)が激増するのも再帰的近代の特徴だ。自己コントロール社会では、泣いたり喚いたりという感情を表に出す行為は全て「異常」と見做され、精神医学によって治療すべきものとされる。

後期近代は、豊かさによって人々を共同体の拘束から解き放ったが、それによって我々は自分で自分を基礎付ける”再帰性の罠”にはまってしまった。
そこでは、「自分らしく生きたい」という当たり前の願望が際限のない不安を生み出すのだ。

世界のほとんどの国では人々はごく自然に、なんらかの”超越者”の存在を前提に生活している。ところが日本社会には、何故かこの超越的なものが欠落している。
江戸時代までは、庶民や天皇のことなど何も知らず、幕府の将軍は世俗的な権力者で宗教的な権威をもたなかった。もちろん人々は神仏の加護を祈り、怨霊のたたりを恐れたが、これは超自然的なものを畏怖するアニミズムで、キリスト教やイスラム教の絶対神や、インド仏教の”真理としての法”という観念は日本では全く受け入れられなかった。
明治政府は天皇を現人神という超越者に仕立て上げたが、これは国民国家を形成する核がそれ以外になかったからだ。それが一種の”方便”だということは暗黙の了解事項で、戦前・戦中の国家社会主義的な雰囲気の中でも、天皇が実はただの人だということは誰もが知っていた(だから敗戦後に天皇が「人間宣言」をしても驚かなかった)。

超越者のいない日本は、「私の価値は最大限に実現されるべきだ」という社会でもある。 『ONE PIECE』や『NANA』など、日本のマンガやアニメは、「自由な主人公が、冒険や恋愛を通して自己実現していく」物語を核にしている。”クール・ジャパン”は、後期近代の普遍性を真っ先に到達したからこそ、世界中の若者達を虜にするのだ。
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著者は「世俗的」=現世利益中心主義という定義をしているようだが、これについては「国際的な価値観調査では」ということで多くを語らない。
でもこの前提で議論が進んでいくので、自分たちのことを言われている読者にとっては「本当か??」と疑念をもちながら読み続けなければならない。
でも、ちょっと強論の部分はあるものの「もしかしたらそうかも」と思わせるのが橘玲氏のうまいところである。
「福祉国家が実現したから伝統的な共同体は解決した」という下りも、日本人としては納得できないだろう。

戦後、天皇が現神人から普通の人(国家の象徴)になったのを受け入れたからといって”超越者”であった天皇を認めていなかったという論もスゴい話だが、確かに歴史の時間の中で考えると、天皇が神に近づいたのは明治以降の話だ。
だとすると日本人とは太古から面従腹背の民だったということか。
「本当?ウソでしょ?」と思いながらついつい「あるかも」と思わせるのが橘玲論の面白いところだ。


いよいよ大詰め。
著者の考えるユートピアとはいかなるものか。

<<ユートピア>>
退出不可能な閉鎖的なイエを「伽藍」、いつでも出て行くことの出来る開放的な空間を「バザール」と呼ぼう
イングルハートの価値マップでは、「自己表現度」の高い国は全て英語圏(アングロサクソン国)と北欧などヨーロッパのプロテスタント圏だ。これらの国は、自由と自己責任が一体となった”バザールの論理”で社会が営まれている。それに対して日本は責任がとれない社会(無責任社会)で、そのことが自由に生きることを阻んでいる。
日本が伽藍の世界になってしまうのは、日本人が一人で生きていく術を知らないからであり、日本の社会が一人で生きていける場所ではないからでもある。 圧倒的な<他者>がいなければ社会はグローバル空間にはならず、人々はローカルルールにしがみつこうとする。これが日本社会がなかなか変われない理由だ。
社会そのものは変われなくても、伽藍を抜け出してバザールへと向かうことは、個人としては十分可能だ。
日本社会には<他者>がいないから、なかなか変わることができない。だとしたら唯一の現実的な可能性は、一人でも多くの日本人がバザール世界の住人となり、彼らが<他者>となって、伽藍の世界を壊していくことだ。

アメリカの哲学者ロバート・ノージックは、『アナーキー・国家・ユートピア』で「夢」について語っている。それが「ユートピアのためのフレームワーク」だ。
近代というのは、地縁・血縁の伝統的な共同体を離れ、一人ひとりが「自立した個人」として生きることを余儀なくされた時代のことだ。しかしその一方で、人は社会的な動物であり、誰もがなんらかの共同体(コミュニティ)に属さなければ生きていくことができない(ひとは一人では生きていけない)。共同体は構成員を拘束し、自由を奪うが、その代わりに安全や帰属意識(アイデンティティ)といった大切なものを与えてもくれる。
だからノージックは、共同体を否定するのではなく、いかにしたら個人の自由と共同体の掟が共存出来るかを考えた。
ノージックが国家を否定したのは、それが共同体としては大き過ぎ、構成員(国民)を過剰に拘束するからだ。多様な価値観をもつ国民を国家というひとつの器に収めようとすれば、かなりの無理を強いなければならず、それに抵抗する人たちは排除されてしまう。
そこで、ノージックは、国家は共同体ではなく、単なるフレームワーク(枠組み)であるべきだと考えた。その枠組みは、基本的人権や私的所有権の保護などの基本ルール(憲法)と、外交や治安維持のような最低限の安全保障(暴力の独占)でつくられていて、それ以外の価値観に対しては中立だ。
人々はこの枠組みの中で、宗教的・政治的・文化的な共同体を自由につくることができるが、そこには一つ大事な原則がある。どのような共同体も、本人の意思で自由に退出できなければならないのだ。
この約束事さえ守られていれば、人々は最小国家(フレームワーク)の中で、様々なユートピアを試してみることが許されている。ノージックは、「ユートピアの自由市場」を構想したのだ。
共同体の価値を重視する保守的な人たちは、世俗性を追求すれば社会がバラバラになってしまうと警告する。だが価値観調査や社会調査で明らかなように、そもそも日本人は共同体(伽藍)に拘束されることを心の底から嫌っているのだ。(☞それは「伽藍」の世界で生きているからでは?「伽藍」の世界が本当に嫌なら「バザール」の世界に出ればよく、そういう生き方をしている人は既にバザールの世界で生きている。「バザール」の世界で生きていた場合には日本人の多くが同様に「世俗性」を追求するのかは疑問)
ひとが自由に個性を変えられないように、日本人は自らの”日本人性”を捨て去ることができない。だとすれば、我々にとっての可能性は、世界でも稀な極端な世俗性(現世利益中心主義)からなんらかの展望(あるいは夢)を描くこと以外にない。

それをイングルハートの価値マップ(縦軸:世俗・合理的価値⇔伝統的価値、横軸:生存価値⇔自己表現価値)で表すと「日本人」を論ずる人たちは、大きく二つの立場に分かれる。 一つは、世俗性を抑えてより伝統を重視すべきだという保守主義や伝統主義だ。政治哲学でコミュニタリアニズムと呼ばれるこうした主張は、より伝統的価値を増し、ヨーロッパのプロテスタント圏やカトリック圏の国々と同じような価値観を目指す(ただしオランダやデンマーク、スウェーデンといった北ヨーロッパのプロテスタント圏は、伝統的な社会というよりも、世界で最も自己表現価値の高い<私>中心主義社会だ)。
もう一つは、アメリカなどアングロサクソンの国々と同様にグローバルスタンダードで社会を運営していくべきだというもので、伝統的価値を増しつつ、自己表現価値も増す方向。この近代主義は政治哲学ではリベラリズムになるが、これらの英語圏の国民はヨーロッパ・プロテスタント圏の国民よりもずっと伝統的価値にこだわっている。
日本を「改革」するこのふたつの主張は、明治維新以来、日本人の理想が欧米すなわちヨーロッパとアメリカにあったことを踏襲している。日本人の「夢」は、明治から一世紀半たっても何一つ変わらないのだ。

ところでイングルハートは価値マップで「異なる文化圏は重なり合わない」という重要な発見をした。もちろんこれには様々な注釈が必要だろうが、それでも我々の価値観が経済的・歴史的・文化的な要因に強く規定されていることは疑問の余地がない。
そう考えれば、中国・韓国・台湾とともに儒教圏に属する日本人が、教育や啓蒙などの外的な力で短期間にヨーロッパ・プロテスタント圏や英語圏の価値観に変われるはずはない。こうした価値観は遺伝的なものではないにしても、親子関係や子供集団を通じて人格形成に強い影響を与え、無意識のうちに考え方や行動を決めているからだ。
だとすれば、我々日本人に残された希望は、今の世俗性を維持したまま自由な自己表現のできる社会をつくることにしかない。
そこは理念的には、いかなる超越者(絶対神)も信じない徹底的に世俗的な人々によって構成される、誰もが自由に自己表現・自己実現できる社会のはずだ。それこそが「後期近代」の完成形で、ロバート・ノージックの夢見た「ユートピアのためのフレームワーク」が実現可能な唯一の場所に違いない。
すべてのローカルな共同体(伽藍)を破壊することで国家をフレームワーク(枠組み)だけにして、そこに退出可能の自由な無数のグローバルな共同体を創造していく。後期近代(再帰的近代)の終着点となるその場所がユートピアへの入口だとするならば、そこに最初に到達することが、歴史が日本人に与えた使命なのだ。
これが、私の<夢>だ。
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別に日本に限らず、「社会」はそう簡単には変わらない。
だから個人で「伽藍」から「バザール」に飛び出していけ、というのは橘氏の前著『残酷な世界で生き残るたった一つの方法』で書かれていたことだが、今回は理想的なユートピアに日本を導いていくべきだという氏の思想が書かれている。
理屈では分かる気がしないでもないが、どうもピンと来ないというのが正直なところだ。

この本を読んで、色々なことに気がついたし非常に勉強になった。
著者の理想の世界についてはあまり共感できなかったが、何より自分の立ち位置(考え方)が確認できたのが大きかった。

このように思考を揺さぶる本は非常にありがたい。
これからも橘氏の本は読み続けていきたいと思う。

2014年11月25日火曜日

『(日本人)』その6

橘氏第6弾。
4つの政治哲学編から日本の政治。橋下市長のネオリベについて。

<<橋下氏のネオリベ>>
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橋下徹の「ハシズム」とは純化したネオリベである。
政治哲学は大きくリベラリズム(自由主義)、リバタニアニズム(自由原理主義)、コミュニタリアニズム(共同体主義)、功利主義の四つに分けられる。
実は”ネオ”という接頭辞には、これまでの歴史や思想を引き継いだ上で新しい価値を付加するのではなく、既存の政治哲学にNOをつきつける「アンチリベラル(反リベラル)」「アンチコンサバティブ(反保守)」の意味が込められている。
一体彼らは何を否定したのか。社会学者の橋本努は、それを端的に「福祉国家」だという。
第二次世界大戦以前は帝国主義(植民地主義)の時代で、国家の目的は他国を軍事的に制圧してできるだけ多くの領土(植民地)を手に入れることだった。
その後、大きな環境の変化の中で国家の姿も変容し、「福祉国家」が登場する。
その目的は「国民の幸福の最大化」だ。もっとも帝国主義時代も、領土の獲得によって国民の幸福は増大されていたのだから、福祉国家は近代国民国家の純化した姿ともいえる。 福祉国家は自衛(と国際貢献)以外に武力を行使せず、他国の主権を尊重し、領土内の国民を幸福にすることだけに専心する。「ゆりかごから墓場まで」と言われたイギリスの手厚い社会保障制度や、F・ルーズベルトのニューディール政策を端緒とするアメリカの大規模な公共投資などがその典型だ。

ケインズ経済学は当時の最先端理論で、景気の悪化で失業率が上昇すれば国家は公共事業などで余剰労働力を吸収するべきだと唱えた。アメリカやヨーロッパの自由主義諸国がこぞってケインズ理論を取り入れたのはそれ以外に有効な不況対策がなかったからだが、それとは別に強い政治的な理由もあった。
当時、ソ連をはじめとする社会主義諸国は「労働者の楽園」を謳っていた。この社会主義幻想は1956年のハンガリー動乱(ソ連軍によるハンガリー民主化運動の弾圧で数千人に市民が殺害された)で幻滅に変わるのだが、しかしそれでも共産主義や社会主義こそが理想社会を建設するという政治勢力は強力で、彼らに対抗するためにも、欧米諸国は資本主義と自由経済でも「福祉」が可能になることを示さなくてはならなかったのだ。

ところが1970年代になると、日本を除く先進諸国でインフレと不況が共存するスタグフレーションが発生するようになる。従来のケインズ経済学はこの新種の不況(政府支出を増やせばインフレが亢進する)に対処できず、その神通力を失っていった。
この時に登場したのが経済学者のミルトン・フリードマンで、中央集権型の福祉国家(大きな政府)を否定し、経済学はケインズ以前の古典的自由主義(アダム・スミスフリードリッヒ・ハイエク)に戻るべきだと主張した。このフリードマンがネオリベの元祖だ。
フリードマンの思想はベストセラーとなった『選択の自由』や、こちらも大ヒットした同名のTVシリーズで一般にも広く知られている。それを端的に言えば、「徹底した民営化によって肥大化した行政システムを効率化し、国家による規制を最小限にして市場の潜在能力(見えざる手)を最大化すること」だ。
フリードマンは、郵便事業の民営化や通信の自由化、関税の撤廃、平時の徴兵制廃止のほか、医師や弁護士などの免許制度の廃止、年金や健康保険など社会保障の廃止、ドラッグ合法化などの過激な政策を唱えたことでも知られている。(フリードマンはリバタリアン=自由原理主義者の理論的支柱でもある)
とはいえ、貧しいユダヤ移民の子として生まれたフリードマンが「弱者切り捨て」を主張したのではない。彼は「大きな政府」による福祉は非効率で持続不可能だと指摘しただけだ。国民から巨額の税金を徴収し、行政機関がそれを国民に分配するシステムは、いつしか国民から「搾取」するようになっていった。
このように見ていくと、フリードマンと「維新八策」には類似点が多い。 これはもちろんフリードマンの思想が普遍的であることを示しているのだが、それは同時に「福祉国家の行き詰まり」という現象が世界(とりわけ先進国)に共通の病理であるということだ。

フリードマンの活躍とほぼ時を同じくして、1970年代のアメリカにネオコン(新保守主義)と呼ばれる政治思想が登場する。 これは60年代の「堕落した左翼文化」(ドラッグ、セックス、ロックンロール)に幻滅したユダヤ人を中心とする旧左翼知識人の政治運動で、彼らは民主党から共和党に支持政党を鞍替えし、「アメリカの正義(リベラルデモクラシー)を世界に伝導するためには軍事力の行使も辞さない」という特異な思想を唱えるようになる。
ところで、橋本努も指摘するように、外交における好戦的で宗教的な情熱を別にすれば、ネオコンの主張は驚くほどネオリベに似ている。 ネオコンは伝統を守る保守主義の立場から、「大きな政府」による中央集権的な福祉を、家庭や地域共同体を破壊するものとして批判する。彼らは、福祉の担い手は家庭や地域共同体(教会)、地方政府であるべきだと主張した。
ネオコンは安全保障や外交においてネオリベとの間にかなりの温度差があるが、民営化による市場原理の活用や福祉制度の分権・分散化など、内政においては共通点の方がはるかに多い。ネオリベとネオコンは、「ポスト福祉国家(ネオ)」の政治哲学として、リベラルや保守本流など「福祉国家(オールド)」の政治哲学とは激しく対峙するのだ。

80年代になると、「福祉国家の試みは破綻した」というのが世界共通の認識になっていく。レーガン政権(アメリカ)、サッチャー政権(イギリス)、中曽根政権(日本)と、「民営化」や「行政改革」を掲げる政権が同時期に世界各地で誕生した。
日本では「福祉国家」というと十年一日のごとくスウェーデンなど北欧の国々が挙げられるが、それ以外の国はいつまでたっても福祉国家になれない。これがまさに問題の所在を示していて、福祉国家とは、人口の少ない(スウェーデンの人口は約1000万人)寒冷地で、住所が一カ所(首都)に固まって住んでおり、資源に恵まれているような国でしか成功しないモデルなのだ。
小泉政権以降、政治は空転するばかりで、誰一人として「日本を変える」有効な政策を打ち出すことができなかった。 ネオリベだけが、ポスト福祉国家の具体的なイメージを描きだすことができるのだ。

橋下市長が「競争」の信奉者であることはよく知られているが、そもそもネオリベとは政府の機能を民営化して市場競争に晒す経済思想なのだから、これはネオリベの定義みたいなものだ。
ハシズムに独特の色合いがあるとすれば、徹底した個人主義を挙げるべきだろう。このことは、橋下市長自らが「維新八策」の議論で強く主張したとされる「遺産没収(相続税100%)」を見るとよく分かる。 リバタリアンは徴税自体を国家による所有権の侵害ととらえるが、そこまで極端でなくても、「小さな政府」を目指すネオリベも税金はできるだけ低率の方がいいと考える。相続税は典型的な二重課税なので、先進国の中でもカナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどが既に廃止している。
「財産を放蕩で使い果たせば課税せず、子孫に残そうとすると高率の税を課すのは、国家が家族を愛することに懲罰を加えているのと同じ」なのだ。
税法の大原則は、「一度課税した所得に再び課税することはできない」という二重課税の禁止だ。我々は働いて得た収入から所得税を支払い、預金や株式投資、不動産賃貸などの利益にも税金がかかる。相続税の課税対象になるのはこれらの税を納めたあとに手元に残った純資産だから、これに課税するのは二重課税以外のなにものでもない。

社会を個人の単純な集合体とする橋下市長の考え方は、「私的所有権」を至上の価値とするリバタリアンだけでなく、家族の価値を重視するコミュニタリアン(保守派)にもとうてい受け入れられないだろう。もちろん一般的なネオリベの政策からもかけ離れており、その意味で逆に橋下市長の思想が色濃く反映されている。
ネオリベというのは、フリードマンがそうであったように、本来は功利主義の経済思想でイデオロギー的には中立だ。靖国に参拝する保守政治家がネオリベであってもいいし、逆に反戦平和の活動家がネオリベ的な改革を唱えてもおかしくない。 だがこのことは、ネオリベそのものに政治的な求心力がないことも意味している。人が生得的にもっている正義感情は自由、平等、共同体で、功利主義には心情的に同調できないのだ。
功利主義では有権者を動かして投票所に向かわせることが出来ないとすれば、価値中立的なネオリベ政治家は、功利的な判断によって、もっとも大衆にアピールできる政治イデオロギーに近づくだろう。こうしてネオリベは「愛国」や「伝統」などの保守的な価値と結びつき、ネオコンとの区別がつかなくなる。

ネオリベとしてのハシズムの本質は、市場原理主義(競争の促進)、小さな政府(民営化と行政・公務員制度改革)、統治の徹底(法の支配)にある。これはどれも「福祉国家の破綻」という現実を見据え、40年以上にわたって世界最高の知性(その多くがアメリカの経済学)が議論した末に生まれた実践的な経済政策だ。橋下市長のツイートの背後には、膨大な知の集積があるのだ。
ネオリベの本当の凄みは、あらゆる建設的な批判を包摂してしまう点にある。 これはネオリベが価値自由な功利主義だからで、行き詰まった福祉国家を改革する提案が複数あれば、それらを比較検討したうえでもっとも費用対効果の高いものを採用すればいい。
「維新八策」が非現実的だと嘲笑する声もあるが、これはネオリベの懐の深さを見誤っている。ハシズムの欠点を指摘する批判は全て包摂され、より完成度の高い政策へと”進化”するのを助けることになる。

ネオリベを根底から批判することは不可能なのだろうか。 ネオリベはリベラルデモクラシーに根拠を持つグローバル思想なので、これを全否定すると「自由」や「デモクラシー」も一緒に捨てることになってしまう。
功利主義は市場経済を前提とするが、「反市場経済」では北朝鮮のような国になるだけだ。そうかと言って「市場原理主義」を改良する試みは全て包摂されてしまうのだから、「武士道」の伝統に引きこもるくらいしかネオリベを批判する方法はなさそうだ。
要するに理屈ではかなわないのだ。
だが、私見によれば、ネオリベを撃破できる政治哲学が一つだけある。それがリバタリアニズム(自由原理主義)だ。リバタリアンから見れば、ネオリベは不徹底な自由主義だ。なぜならそれは、国家を前提としてはじめて成立する思想だからだ。リバタリアンはネオリベの政策を全て受け入れた上で、さらにその先を示すことができる。「小さな政府」ではなく最小国家や無政府資本主義(アナルコ・キャピタリズム)。行政改革ではなく国家自体の民営化。日銀法改正ではなく紙幣発行の自由化・・・いずれも荒唐無稽な話ばかりだが、国家に拘束されたネオリベには語ることのできない「夢」ばかりだ。
リバタリアニズムはそれ自身がユートピア思想だから、価値中立的なネオリベのように、大衆の耳目を集めるために他の価値観(愛国や伝統)に媚びる必要はない。究極の自由主義としてネオリベの政策を全て包摂できるから、ネオリベを利用することはあっても利用されることもない。その意味で、ネオリベを超える可能性を持つ唯一の政治哲学なのだ。

インターネットの登場と情報通信技術の急速な進歩によって、人類の歴史にこれまでと全く違う可能性が開けてきた。
”サイバーリバタリアニズム(サイバー空間における自由原理主義)”を奉じるシリコンバレーでは誰もがそう考えている(日本ではリバタリアンといえばティーパーティーを思い浮かべるが、西海岸こそが現代のリバタリアンの拠点だ)
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功利主義的ネオリベであるハシズムを超えることができるのはリバタリアニズムだけ、というのが著者の考え。
そもそも原理主義というのは、社会が原理通り機能せず、そのため副作用の方が大きくなって破綻する。例えば20世紀最大の社会実験であった”社会主義”がうまくいかなかったのは、大きな政府による富の再配分が機能せず、贈収賄等による権力の腐敗という副作用が起こり うまくいかなかった。
原理主義というのは全てあてはまると思うが、そもそも人間という”不完全なもの”が運用している限り原理主義はうまくいかない。
それこそ、AIが世界をコントロールするようになるまでは、原理主義と呼ばれるものがきちんと機能することはないのではないか。
でもそれゆえユートピア哲学として政治哲学の中で生き続けるということか。

2014年11月24日月曜日

『(日本人)』その7

橘玲氏、投稿第7弾。

<<責任論と日本>>

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人間の脳には因果論的な思考がプレインストールされているので、我々は自分にとって何か不愉快な出来事が起きると、そこには必ず「原因」があるはずだと考える。だとしたら、この原因をもたらしたものは「責任」をとらなければならない。
古代の呪術世界では、王は民衆の支配者であるというよりも、神と交換する霊媒と見做されていた。その役割は豊作をもたらす神の恩寵を得ることで、日照りが続く人々を王は殺し、神の生け贄にしてしまった。旱魃や洪水、地震などの天変地異は、神を怒らせた王の「責任」とされたのだ。
こうした”呪術的責任”は、範囲の定めのない”無限責任”でもある。丸山眞男は、この極めて過酷な”無限責任”が、日本を”無責任社会”にしたのだと論じた。
日本では、一旦責任を負わされ、スケープゴートにされた時の損害があまりにも大きいので、誰もが責任を逃れようとする。その結果、権限と責任が分離し、外部からはどこに権力の中心があるのか分からなくなる。このようにして、天皇を”空虚な中心”とする、どこにも「責任」をとる人間のいない奇妙な無責任社会が生まれたのだ。 我々は「自分のしたことは自分で責任をとる」のが当然だと思っている。しかし、こうした”自己責任”は、近代以前の社会には存在しなかった。

戦国時代の農村は旱魃や飢饉が頻発し、農業だけでは村の人口を養うことができず、蓄えの尽きる冬から春にかけては大量の餓死者が出た。このような極限状況の中で、戦国初期の村はむき出しの暴力の世界だった。
戦国時代の重要な合戦は、その多くが冬や春の農閑期に行われた。これは大名や領主が、放っておけば餓死してしまう農民を雑兵として連れていき、何とか生き延びられるようにしようとしたからだ。とはいえ、戦国大名は合戦に参加した百姓達に給金を払ったわけではない。彼らは武士や侍達のためにただ働きをするかわりに、戦場となった村での乱暴狼藉が許されていた。戦国時代の戦争は一種の公共事業で、大名達は天下を統一するためではなく、村人たちに”職”を与えるために隣国に攻め込んだのだ。
戦場での収奪は徹底的で、備蓄してある食料や衣服など換金可能なものを奪い尽くすだけでなく、女や子供をさらって売り飛ばすのが常だった。戦国時代に最も価値の高い「商品」は奴隷で、合戦が終わると町には人買いの市が立ち、国内で買い手がいなければ、長崎や平戸からポルトガル船に乗せられてマカオ経由で東南アジアへと売られていった。

このように中世初期の村は、過酷な暴力の掟で運営されていた。
だが中期になると、そこに自生的な秩序が生まれてくる。それが「連帯責任」だ。 その当時、村にとって一番の難題は、出奔や逃散と言って、借金を抱えた村人が耕作を放棄して村を出てしまうことだった。とりわけ豊臣秀吉が天下を統一し、伏見城や聚楽第などの巨大建造物が次々と造られるようになると、人足の需要が急増し、食い詰めた百姓達が京都に流入して、近郊の村は深刻な過疎化に悩まされることになる。
村の人数が減っても領主は年貢を減免するわけにはいかず、かといって村が貧しくなればますます逃散が増えるから、これは領主にとっても村人にとっても極めて深刻な問題だった。気に入らない村人を追い出して自分の土地を増やすのではなく、何とか村に残ってもらうことが死活的に重要になったのだ。
こうして、イエを単位とした土地の管理と、「五人組」などの連帯責任制度が始まった。 中世のムラ社会では、土地は原則として分割も売却もできず、イエとともに長子がそのまま相続することになっていた。逃散などで放棄された場合でも、残った村人たちで分け合うのではなく、共有地として全員で耕作し、跡継ぎが成人するか、当人(正統な所有権者)が戻ってきたら返却されるのが慣しだった。
このように土地の所有権を確定したうえで、隣家同士が助け合い、監視し合いながら村の秩序を維持していく制度が自然と生まれた。これが「五人組」で、後に豊臣秀吉が京都の管理に利用し、それが江戸幕府に引き継がれて、戦前の悪名高き”隣組”まで続いていく。
歴史の教科書では、五人組は権力者が農村管理のために押し付けた制度とされてきたが、近年の中世史研究では、もともろ村にあった制度を領主が追認したものだという見方に変わっている。

バングラデシュ出身の経済学者ムハマド・ユヌスは、”貧者の銀行”と呼ばれるグラミン銀行を創設し、マイクロクレジットによって貧困の改善に大きな成果を挙げたとしてノーベル平和賞を受賞した。
”市場原理”を活用したこの少額融資制度が登場したとき、もっとも戸惑ったのは、政府や既存の金融機関ではなく、発展途上国に経済援助を行っていた善意の人たちだった。グラミン銀行は貧しい人たちから高利(年利10〜20%)を取るばかりでなく、借り手に「連帯責任」を負わせていたからだ。
マイクロクレジットの手法はこれまでの金融業界の常識にことごとく反するが、グラミン銀行の返済率は98%と極めて高く、ビジネスとして利益をあげながら貧困を改善していった。福祉や援助に携わる人たちは、グラミン銀行のデフォルト率が低いのは、借金を返さないと地域社会での借り手の面目がつぶれるからだと暗に批判した。
しかし、ユヌスはこうした見方に反論し、マイクロクレジットがなぜ機能するかを明快に説明する。
貧しい人たちに施しを与えるのは、相手の尊厳を奪い、収入を得ようとする意欲を失わせる最悪の方法だ
グラミンの顧客達は、それまでは高利貸しから「週利」10%(あるいは「日利」10%)という途方もない利率でお金を借りるしかなかった。ところがグラミン銀行から”低利”の融資を受けられるようになったことで、働いて稼いだお金から返済できるようになった。極貧の中で人間性を奪われていった女性達にとって、「借りたお金を返す」ことが生まれて初めて得る自尊心だったのだ。
グラミン銀行が連帯責任を条件にする理由は、彼女達が”自己責任”をとれるほど強くないからだ。
返済の滞る最大の原因は、夫がお金を取り上げてしまうことだ。バングラデシュの文化では妻のお金は夫のものとされていて、家族の中に誰一人味方はいない。
しかしこれは連帯責任を負う「五人組」にとっては大問題だ。一人が返済できなくなれば、残りの四人で引き受けるしかないのだから当然彼女達は夫に対して猛然と抗議するだろう。”自己責任”ではできなかったことが、”連帯責任”では可能になるのだ
マイクロクレジットの実験は、連帯責任が相互監視だけでなく、助け合いの原理でもあることを教えてくれる。
バングラデシュの女性達が貧しかったのは、伝統的なムラ社会の中で、一人ひとりが孤立していたからだ。そこに「融資」をきっかけとして連帯責任のコミュニティが生まれ、自由経済と資本主義のインフラとなる社会の秩序が徐々に育ち始めたのだ。

中世の村社会やバングラデシュの連帯責任に対し、近代社会はそれとは異なる「責任」によって社会の秩序をつくろうとした。それが、「法の絶対性」と「自己責任」。 近代以前の社会にも法や掟は存在したが、それらは統治者の個人的な権力を源泉とするもので、法の解釈や運用は恣意的だった。それに対して近代社会では、いったん正統な手続きで定められた方には国王すら従わなくてはならない。
キリスト教では、聖書に記された神の法(神との契約)は絶対とされている。この考え方を世俗社会にも適用し、権力者の上に法を置いたことで、法治社会が成立した。
法によって支配された社会では、どこまでが適法で、どこからが違法なのかが、社会の全ての成員にあらかじめ公開されていて、違法行為に対する責任も、逐一その上限が決められている。これによって人々は安心して生活し、商売することができる。 人治の社会は予測可能性が低く、支配者が変わると所有権を奪われたり、追放されたり、最悪の場合は縛り首にされてしまう。このような社会では他人を信用することが出来ず、モノやお金のやり取りは身内の中だけで行われ、共同体の外へと広がっていかない。 ”法の支配”は、自由な市場に不可欠なインフラなのだ。

社会が豊かになるにつれて、「無限責任(=無責任)」から「連帯責任」、そして「自己責任」へと責任のとり方は”進歩”していく。
だが、日本では契約の絶対性は全く理解されず、法は融通無碍な便宜的なもの(努力目標)のままだった。 一見するとウマい融通無碍な法解釈には一つ大きな問題があった。法の絶対性がなければ、自己責任をとることができないのだ。
呪術的な無限責任の国では、自己責任は「ルールのないまま一方的に責任だけを押し付けられる」ことと同じだ。
自己責任をとれない社会には致命的な弱点がある。組織の中に統治(ガバナンス)構造をつくることができないのだ。
近代社会では、権限と責任は一対一で対応する。組織の末端には小さな権限と小さな責任しかなく、大きな権限を持つ組織の中枢は大きな責任を担うことになる。だが日本の組織では権限と責任は分離し、外部からはどこに権力の中心があるのか分からない。

ただし、これは日本社会に特有の病理というわけではなく、一歩間違えば無限責任を追求される閉鎖的なムラ社会では当然の自己防衛策でもある誰もが責任をとりたくない社会では、全員の総意で、誰も責任をとらなくてもいい組織ができあがるのだ
ところが、このような組織は、「責任」を免れることができない重大なトラブルが起こると機能を停止してしまう。
これは日本企業の構造的な問題で、取締役に意識改革を求めたり、社外取締役の人数を増やしたりしてもほとんど効果はない。根本の原因は、日本社会が「株主主権」を頑強に拒絶していることにあるからだ。
「株主主権」というのは、会社のガバナンスを機能させるための一種の作り話だ。何故このようなウソが必要になるかというと、組織における権限と責任を決めるには、「会社の所有者は誰なのか」という基本設計がどうしても必要だからだ。 権力構造を組み立てるには権力の源泉がなくてはならず、民主政国家ではそれは「国民主権」という”虚構”になり、会社の統治では「株主主権」になる。
コーポレートガバナンスとは、「主権者」である株主を権力の中心において権力構造を明示する工夫のことなのだ。
ところが、日本ではこのことはほとんど理解されず、「株主資本主義」は日本的な美風に反するとずっと批判されてきた。会社は、社員や取引先や消費者など「みんなのもの」で、株主による私物化は許されないというのだ。
もちろん会社は市場の中の一プレイヤーだから、市場を構成する様々な人たちと利害関係を持っているのは当然だ。しかし、社員(被雇用者)や取引先や顧客を権力の源泉として会社のガバナンスをつくることはできない。「みんなのためにある会社」は、「誰も責任をとらない会社」以外のなにものでもない。
法治のない社会では自己責任をとることが出来ず、連帯責任は”封建制の宿痾”として全否定された。そうなれば残るのは呪術的な無限責任(バッシング)しかない
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以前、会社で「”会社”は誰のモノか」という議論をした時に、「株主」だけでなく「経営・社員」「顧客」など色んな意見が出て、「どれも間違っていない」という整理がされていたが、欧米ではそんな議論は起きずに「株主に決まっている」となるということか。
日本特有の「空気を読んで対応するが美徳」とされる文化は、いざとなると無責任文化となるという話は、戦争責任論でもよく言われている話だ。


<日本の政治・社会制度>
明治日本は、伊藤博文や山県有朋など幕末の志士たちによってつくられたベンチャー国家で、統治は彼ら”創業者”によって行われていた。だが国家も会社も、創業者が退場すれば組織は形骸化していく。このようにしてガバナンスは名ばかりのものとなり、統治構造はいつのまにか形骸化していった。
戦後日本は占領軍から統治構造の組み直しを強制されたが、日本人は権限と責任が一対一で対応する近代的なガバナンスを理解することができず、形式だけを整えると、その内部に自分たちがよく知るムラ社会をつくっていった。

かつては、「日本はダメで欧米の民主主義は素晴らしい」というのが定説とされていたが、ユーロ危機における混乱や、ティーパーティや「ウォール街を占拠せよ」の政治運動をみれば、”デモクラシーのユートピア”がどこにもないことは明らかだ。
「公共選択の理論」で政治経済学を創始したアメリカの経済学者ジェームズ・ブキャナンが既に1960年代に指摘していた。
公共選択(=政治)において、主要なプレーヤーは三人いる。政治家、官僚、有権者だ。そしてブキャナンは、市場において誰もが得したい(損したくない)と考えるように、政治にプレイヤーも個人の利益を最大化しようとしてると仮定した。
ブキャナンの仮説によれば、政治家は何よりも次の選挙で当選することを目指す、官僚は自らの地位を高めることを第一に考え、有権者は投票によってどれだけ経済的な利益(補助金や公共事業)が得られるかで候補者を選択するはずとした。このような仮定からブキャナンは、「民主制国家は債務の膨張を止めることができない」という論理的な帰結を導きだした。
政治家は当選のために有権者にお金をばらまこうとし、官僚は権限を拡張するために予算を求め、有権者は投票と引き換えに実利を要求するからだ。
現実に、日本国の借金は膨張を続け、ついに1000兆円という人類史上未曾有の額になってしまった。ブキャナンの「公共選択の理論」はこの事実を見事に説明する。

政治学者の飯尾潤は、日本の権力関係の特徴を「官僚内閣制」「省庁代表制」「政府・与党二元体制」の三つのキーワードにまとめた。
これらの三つの要素は互いに相補的な関係にあり、安定的な(なかなか変わらない)日本の「政治」をかたちづくっている。
議院内閣制とは、民主的な選挙で選ばれた議員(国民代表)が議会を構成し、その議会に権力を集中する仕組みだ。大統領制では大統領と議会に権力が分散するのに対し、議院内閣制では議会主権による権力の集中が行われる。
議院内閣制では、議会内で多数を占めた政権党(政党連合)が内閣総理大臣を選出し、総理大臣は各省庁の国務大臣を指名して政府を組織する。このような権力フロー(統治構造)からすれば、政府と政権党は一体なのだから、議会内での対立は政府=政権党と野党の間で起こるはずだ。
ところが実際には、日本の政治には本来の議院内閣制ではあり得ない奇妙なことが頻発する。 ひとつは、各省庁の大臣に実質的な拒否権が与えられていたことだ。自民党時代の閣議は全員一致が原則で、大臣が反対するものは閣議決定に回さなかった。大臣は担当する省庁の代理人(エージェント)として、省庁の利害を代表することを求められていた
このため閣議決定には事前の根回しが不可欠で、前日に各省庁の事務次官が集まる事務次官会議が開かれ、そこで反対のなかった案件だけが翌日の閣議の議題とされることになった。

大臣が各省庁の代理人となり、その合議体として内閣が構成されるのが「官僚内閣制」だ。
官僚内閣制の特徴は、政府における最終的意思の主体が不明確化し、必要な決定ができなくなり、政権が浮遊してしまうことだ。これが日本中枢の崩壊だが、それは日本的な統治構造の必然的な帰結でもあった。
議院内閣制では国会議員は国民代表だが、官僚内閣制では社会集団の様々な利害を官僚が代弁することになる。これが「省庁代表制」で、日本は自立した省庁の連邦国家なのだから「省庁連邦国家日本(United Ministries of Japan)」と呼ぶことも出来る。
ところが、70年代末になると、日本社会が成熟し政策は飽和して、様々な問題が露呈することとなった。官僚にとっては新しい政策を立案し権限を拡張することが最優先だから、複数の省庁で似たような法律が乱立し、際限なく増殖していった。行政が複雑になり権限が分散化するにつれて「拒否権」を持つものが増えて合意形成に時間とコストがかかるようになった。
最大の問題は、既得権に干渉するような政策の立案が全く不可能になったことだ。こうして官僚内閣制と省庁代表制は、90年代以降の日本の危機に全く対処ができなくなった。

日本の政治のもう一つの特徴は、政権党が自らを「与党」と名乗り、政府から距離をおく「政府・与党二元体制」だ。 自民党時代は、党の政務調査会が実質的な立法活動を担い、族議員(派閥の有力議員)が政策決定を実質的に支配した。これが「派閥政治」だが、先に述べたように、官僚内閣制では政府に官僚を統制する力がないのだから、政治家がその権限を別の場所に求めるのは当然のことであった。
与党の合意のない法案は閣議決定を行わないという不文律が生まれると、官僚は自分たちの政策を実現するために政治家の支援を得なくてはならなくなった。日本では、国会運営は党の専権事項とされ、政府(内閣)は関与できないため、与党議員の協力や野党議員の暗黙の了解がなければ法案は議会を通過できないのだ。
その結果、「国対政治」で与野党が国会審議を紛糾させればさせるほど、官僚は対応に窮し、政治家の権限が拡張していくという奇妙な現象が起きることになる。
さらには、自民党の人事システムでは、大臣は能力や実績とは関係なく、一定以上の当選回数に達した議員に平等に割り振られる名誉職とされたため、実際の権力は官僚以上に政策に精通した族議員に集中することになった。これが「政高官低」と呼ばれる現象で、90年以降、若手官僚が省庁を見捨てて政治家に転身する例が急増した。
政府・与党二元体制は、官僚内閣制と省庁代表制のもとで、「国民代表」としての政治家が行政に介入する非公式な仕組みだったが、その行動は選挙区や支援団体の利害に左右され、日本全体の利益に関心を持つことはなかった。

日本の官僚制は、大きく三つの権力の源泉を持っている。
ひとつは、官僚だけが事実上の立法権を有していることだ。
日本では、内閣法制局の審査を通った法案しか国会に提出できない。これは、法体系を統一的で相互に矛盾のない規定によって構成するためだとされるが、複雑怪奇で膨大な法令データベースを参照できるのは現実には担当部局の官僚だけであり、立法府のはずの国会はほとんど立法機能を持っていない。
二つ目は、法律の解釈を独占し、事実上の司法権を有していることだ。
地方自治体では、法令について不明な部分があると省庁の担当部局に問い合わせ、官僚が正しい解釈を伝えることが当たり前のように行われている。これも法令についてのデータベースを独占しているから可能になることで、官僚は立法権だけでなく司法権も行使できるのだ。
三つ目は、予算の編成権を持っていることだ。
日本国の予算は各省庁の要望を財務省(主計局)が「総合調整」したものだから、官僚が自ら予算を編成しているのと同じだ。もちろん政治家は族議員などを通じて予算に関与することができるが、こうした非公式の影響力では官僚の権限は揺るがない。
日本の憲法の上では三権分立だが、実際は省庁が行政権ばかりか立法権と司法権を有し、予算の編成権まで持っている。さらには、各省庁は法によらない通達によって規制の網をかけ、許認可で規制に穴をあけることで業界に影響力を及ぼし、天下り先を確保している。

アメリカやイギリスでは、「後法は前法を破る」「特別法は一般法に優先する」といった概念のもとに法令の有効性を判断し、法令相互の矛盾を気にせず法律をつくり、最終的には裁判所による判例の蓄積で矛盾を解決している。これが議員立法が活発な理由で、小沢一郎は、内閣法制局を廃止することで官僚から立法権を奪取し、国会を名実共に立法府にしようとした。 また政治=行政改革では、司法の機能を強化するとともに、官僚の恣意的な法令解釈を排除し、利害関係者が司法の場で法令の解釈を争うことを目指した。さらには予算の総合調整機能を財務省から国家戦略局もしくは内閣予算局に移行するとともに、民主党の議員が個別に霞ヶ関に陳情することを禁止し、党の要求は幹事長に一元化することにした。
だが、この中で実現したのは霞ヶ関への個別陳情の禁止だけで、それ以外の官僚の権限に手を付けることはできなかった。
本来であれば、憲法によってその権威を保障された議員内閣に対し、単なる非公式な慣習でしかない官僚内閣が対抗できるはずもなかった。だが普天間基地移設問題や衆参のねじれ現象で求心力を失った上に、大震災と原発事故という未曾有の国難が襲うと、立法権・司法権・行政権を独占する官僚に、「権力の集中」を目指したはずの内閣は実務を丸投げするほかなくなった。
だが、これは、官僚内閣が民主党内閣との権力闘争に勝利したということではない。
「官僚支配」は各省庁が共同して日本を統治しているというイメージで語られることが多いが、これは事実ではない。官僚制の本質は、省庁同士、あるいは省庁内部の局や部、課の間の権限争いで、そこには共同の意思はなく、各自が自分たち(と関係者)の利益(なわばり)を最大化するための激しい競争を行っている。
合意形成の積み上げによって意思決定する組織は、経済が拡大する中での分配には長けているが、全体のパイが縮小するとたちまち足の引っ張り合いを起こしてしまう
そもそも公務員の人事制度は、日本社会と独立に存在するわけではない。終身雇用と年功序列を絶対の掟とする公務員人事は、日本的雇用制度の純化した姿だ
公務員制度改革の理念では、官僚を企画(総合職)と実施(一般職)、および技官(専門職)に分け、政策の立案に携わる企画官僚は内閣に新設される人事局でプールし、省庁を横断して最適な人材を派遣していくことになっていた。これがもし実現すれば、省庁の縦割りは意味を失い、日本の官僚制は革命的な変化を起こすだろう。
だが、この理想世界には決定的に重要な前提条件がある。 新しい公務員制度では、企画官僚は政権党のシンクタンクの役目を果たすことになるが、つねに最適なポストがあるとは限らない。幹部の人数は限られているのだから、人材プールで待機中は民間企業で働くことになる。アメリカで行われている、官と民の「リボルビングドア」だ。
ところが年功序列と終身雇用の日本的雇用制度では、たとえ現役官僚であったとしても、企業は中途採用をしたがらない。そこで省庁が、コネを使ってなんとか引き取ってもらうというのが「官民交流」の実態になっている。これはもちろん官と民の癒着の温床になるが、だからといって禁止してしまうと、官僚は再就職できなくなって省庁に滞留するほかなくなる。
民主党は、日本的な雇用慣行をそのままにして、官僚制だけをアメリカ型に改造しようとした。彼らに欠けているのは、アメリカの公務員人事制度は、あまりかの労働市場に最適化されているという視点だ。
アメリカでは労働市場の流動性が高く、異業種への転職も頻繁に行われ、中途入社は当たり前だ。だからこそ、能力と実績を買われた官僚が民間企業に転職したり、成功したビジネスマンが省庁幹部に政治任用されたりする。

経済学者 野口悠紀雄の「一九四〇年体制論」 で野口氏は、日本社会は第二次世界大戦の敗北によって生まれ変わったのではなく、戦時下の国家総動員体制が戦後も継続し、自由経済のふりをしていたに過ぎないと、その「出生の秘密」を暴く。
1940年体制は、戦争遂行のための経済を国家の統制のもとに置くもので、岸信介など”革新官僚”によって実行された。その特徴は、自由競争を否定し、私的所有権を制限するとともに、電力・通信・運輸などの基幹システムを国有化し、軍需産業の生産力を最大化しようとすることで、そのため以下のような極めて特殊な制度が考案されたと野口は指摘する。
①日本型企業
戦前の日本企業は株主を中心に運営され、労働市場の流動性も高かった。それが国家総動員体制のもとで株主の権利が制限されると、企業は利益追求の組織ではなく、従業員の共同利益のための組織となり、一部の重化学工業でしか採用されていなかった終身雇用制と年功序列賃金体系が広く定着し、労使関係の調整のための産業報国会が戦後は企業別の労働組合へと再編された。
②間接金融
戦前の日本には発達した資本市場があり、企業は直接金融(株式や社債の発行)によって資金調達するのが普通だった。だが戦争によって資金供給が逼迫すると、重化学工業など軍需産業への資金配分が優先され、金融市場が機能を失うとともに間接金融(融資)で長期資金を供給するメインバンク制へと移行した。 こうしてメインバンクを中心とする企業系列、いわゆる財閥が形成され、配当の制限と株式の持ち合いが常態化した。
③官僚体制
明治期の「殖産興業」時代でも、民間企業に対する官庁の権限や指導力はそれほど強いわけではなかった。それが1930年代になると昭和恐慌を背景に経済統制が強化され、業界ごとにカルテルを結成させ、それを行政指導によって官僚が指揮する体制が確立した。 革新官僚は、「企業は利潤を追求するのではなく、国家目的のために生産性を上げるべきだ」として、国家総動員体制を推進した。
④財政制度
戦前は国税収入の三分の二が地租や営業税などの間接税で、地方財政も分権的だった。それが1940年の税制改正で所得税・法人税など直接税を中心とする税制度に変わり、戦費調達のため給与所得の源泉徴収制度が導入された。 さらには、困窮する農村を救済するために中央が地方に補助金、交付金を分配する社会民主主義的な改革が行われ、国と地方の関係が抜本的に変わった。戦時において大量の労働力を動員するために、国民年金や国民健康保険などの社会保障制度が導入されたのもこの時期だ。
⑤土地制度
戦前の自由放任主義的な住宅政策から、戦時下では一転して「国家総動員法」の規定に基づき、家賃・地代を統制し借地・借家人の権利を強く保護する政策へと舵が切られた。また農村部でも、小作貧農を救済するために、小作料の引き上げが禁止されるとともに、食糧管理法によって小作農の負担が大幅に減った。 これらの戦時下の「改革」によって、占領軍の農地改革を待たずして日本では地主階級が壊滅し、それが戦後の産業化を容易にし、所得格差の小さい大衆社会を実現させた。
こうした1940年体制の本質を野口は、「生産者優先主義」と「競争否定(平等主義)」だと述べる。戦後日本の高度成長は、輸出産業の育成を国家目標に据え、消費者の利益を無視し、「競争」ではなく「共生」を尊ぶ奇妙な資本主義のもとで達成されたのだ

1980年代の日米構造協議では日本の資本主義の「異質性」が協調され、「日本は公正に競争していない(だから巨額の貿易黒字を計上するのだ)」とジャパンバッシングが正当化されたが、その時は既に韓国、台湾、香港、シンガポールの経済成長が「四匹の龍」として注目を集めていた。
これらの4カ国・地域は、イギリスの植民地だった香港を除けば全て権威的な政治体制下にあり、それは日本の戦時統制経済に極めて良く似ていた。
その一方で自由主義的な経済政策の成功例としては、経済学者ミルトン・フリードマンが主導した「チリの奇跡」位しかなく(それも失業率の増大や経済格差の拡大によって失敗とする評価もある)、市場原理主義的な改革を目指したアルゼンチンは財政破綻し、ロシアはオリガルヒと呼ばれる政商が権力と結託して経済を支配するようになった。
さらに決定的なのはアフガニスタンとイラクでの”実験”で、アメリカは大量のエコノミストやコンサルタントを送り込み、民主化と経済の自由化を同時に実現しようとしたが、惨憺たる結果を招いたのは周知の通りだ。
このようにして、現在では、新興国のキャッチアップ期には自由経済よりも統制経済の方が有効だという事実を誰も否定できなくなった
80年代後半からの中国の驚異的な経済成長は、共産党の一党独裁体制にも関わらず成功したのではなく、強大な権力による強い統制があったからこそ実現したのだ。

マイケル・ポーターは1980年代後半から日本の産業政策を調べ始めた。
そして日本の経済は競争力の強い少数の輸出産業と、競争力の弱い大多数の国内産業に二極化しているのを発見する。
これは日本の産業政策が強い産業を育成するのではなく、弱い産業を市場から退出させないようにしているからで、その結果、国際競争から保護されたゾンビのような産業が澱のようにたまっていく。
日本経済は1970年代のオイルショックを何とか乗り切ったものの、賃金の上昇によって、アルミニウム、石油化学、造船、繊維、鉄鋼など多くの産業で国際競争力を失ってしまった。
いつまでも終わらないデフレとは、輸入規制とカルテルによって生じた内外価格差が解消していく過程でもあった。電力やガスなどの公益事業や一部の農産物のようにいまだに国際価格を大幅に上回るものもあるが、「失われた20年」を経て内外格差はほぼなくなり、日本はようやく”ふつうの国”になったのだ。

現在では「1940年体制」の統制経済的な仕組みのほとんどは機能していない。
だが野口由起夫が指摘するように、日本の経済にはなお、戦時下の国家総動員態勢の巨大な残骸が残っている。
いっさいの「改革」を拒絶する最大の守旧派は、企業経営者と労働組合だ
高度成長期からつづく日本経済の大きな特徴は、外国資本の国内投資が極めて少ないことだ。 日本の企業は外国人という「他者」が入ってくることを極端に嫌い、株式の持ち合いによって”資本鎖国”し、経済団体はグローバル化を掲げながら合併や買収を容易にするあらゆる規制緩和に反対した。日本企業の取締役会は出世したサラリーマンで占められ、経営破綻でもしなければ外部から経営者を迎えいれることはない。
経営者が市場競争から守られているように、労働者もまた年功序列と終身雇用によって生涯の生活の安定が保障されている。だがこれは、もともと持続不可能な制度だった。
日本ではいったん正社員を雇うと解雇は実質的に禁じられており、企業規模が無限に拡大していかない限り人事のピラミッドはいずれ崩壊してしまう。そのため解雇の容易な非正規雇用が拡大し、サービス残業で過重労働を強いられる正社員と、いつクビになるかわからない不安定な非正規社員という二極化が大きな社会問題となった。
こうした社会問題を解決するには、いったん職を失っても短期間で同等の仕事を見つけられるような流動性の高い労働市場が必要だ。 そのための改革はものすごくシンプルで、なおかつグローバルな正義の基準にもかなっている。
①定年制を法で禁止する。
年齢による差別が禁じられたアメリカと同様に、日本も定年制を法で禁止し、意欲と能力があればいつまででも好きなだけ働けるようにすべきだ(イギリスでも2011年から定年制が廃止された)
②同一労働同一賃金を法制化する。
すでに多くの批判があるように、社員を「正規」と「非正規」に分けるのは現代の身分制以外のなにものでもない。
③解雇規制を緩和する。
定年制を法で禁止し、非正規社員を正社員と平等に扱えば、ほとんどの会社は人件費の負担増で経営が成り立たなくなってしまうだろう。
この問題を解決するにはまず、社内において年功序列制度を廃止し、降格や減給も含めた人材の再配置を容易にする必要がある。それでも使い切れない人材が社内に残る場合は法に定められた補償金を支払うことで解雇し、労働市場に戻すべきだ。
これによって日本でもようやく流動性の高い労働市場が成立し、いまの会社でやりがいのある仕事を見つけられず窓際でくすぶっている人にも”再チャレンジ”の機会が巡ってくるだろう。
だが、これは日本のイエ社会主義を根底から覆す改革で、短期的には大きな痛みを伴う。 膨大な「社内失業者」が一気に放出されれば、失業率は欧米並みの10%に迫るだろう。その一方で、企業の雇用慣行はそう簡単には変わらないので、彼らがすぐに職を見つけれらる保証はない。そうなると行き場を失った人たちは失業保険や生活保護で食いつなぐか、自殺するしかない。これは政治的にはとうてい許容できない悪夢だ。
今から考えれば、日本は経済が好調だった80年代か、傷がまだ浅かった90年代前半に労働市場の改革を終えておくべきだった。その機会を逸したために、袋小路に入って身動きがとれなくなってしまったのだ。
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このネット時代にデータベースを官僚が独占しているってのもビックリだが(本当?)、1940年体制から(さらに言うと実は戦前から)日本の根本は何も変わってない、ということか。
ある意味すごいな。
ここまで変わらなかったものを変えるほどの圧力がグローバルスタンダードにはある、ということか。
恐るべしグローバルスタンダード。
だとすると不可逆で蔓延するグローバルスタンダードの波に乗っちゃえっていうアメリカの基本戦略は正しいということになる。
では日本はどうすべきか、著者の論は続く。

『(日本人)』その5

橘玲氏、投稿第5弾。

マイケル・サンデル教授の『これからの「正義」の話をしよう』を読んでも今ひとつ整理の出来なかった4つの政治哲学が、「チンパンジーの正義」という生物学的な流れから整理される。正直今まで分からなかったことが分かるという知的興奮を感じざるを得なかった。
この部分だけでもこの本を読む価値あり、という位の素晴らしさだ。

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<チンパンジーの正義>
①社会的な動物であるチンパンジーは階級(ヒエラルキー)をつくり、群れはアルファオス(第一位のオス)によって統率されている。ところが群れの中の最も弱いサルに果物などのエサを与えると、上位のサルがよってきて掌を上に差し出す。これは相手からエサを分けてもらうための物乞いのポーズだ。
②真ん中をガラス窓で仕切った部屋に二頭のチンパンジーを入れ、両者にキュウリを与えると喜んで食べる。ところがそのうちの一頭のエサをバナナに替えると、これまで美味しそうにキュウリを食べていたもう一頭は、いきなり手にしていたキュウリを投げつけて怒りだす。
③初対面の二頭のチンパンジーを四角いテーブルに座らせ、どちらも手が届くところにリンゴを置くと互いに奪い合う。ところが同じことを何度も繰り返すうちに、どちらか一方がリンゴに手を出さなくなる。身体の大きさなど様々な特徴から二頭の間で自然に序列が生まれ、一度階層が決まると、下位のチンパンジーは上位者にエサを譲るようになる。

①はチンパンジーに「所有権(自由)」の観念があることを示している。階級の上下に関わらず、エサは最初に手にしたものの「所有物」で、例え最上位のチンパンジーであっても、最下位のチンパンジーからエサを分けてもらうためには相手の好意にすがるしかない。 チンパンジーがお互いの「所有権」を尊重するのは、それが「なわばり感覚」に基づいているからだ。チンパンジーに限らず全ての社会的な動物は、群れ(社会)から排除されてしまうと子孫を残すことができない(それ以前に生き延びることができない)。所有権(なわばり)の尊重は群れの調和を維持するための絶対的な約束事として、あらかじめ遺伝子のプログラムに書き込まれているのだ。
②はチンパンジーに「公平(平等)」の観念があることを示している。 このことも、人々が何故人種差別に対して生命を賭してまで抗議するのかを教えてくれる。「平等」もまた、遺伝子に組み込まれたプログラムなのだ。
③は、それにもかかわらずチンパンジーの間に自然に「階級」が生まれることを示している。オスの場合にとりわけ顕著だが、上下関係が明確に決まることで群れの秩序が形成される(メスの階級はオスほどはっきりしないが、それでも「アルファメス」と呼ばれる最上位のメスが群れを統率する)。
このようにして序列化された群れがチンパンジーの「共同体」だ。
フランス革命は近代の理想を「自由」「平等」「友愛(フラタニティ)」の三色旗に表した。友愛というのは、生命を賭けて戦うもの同士の絆のことだから、これは「共同体」のことだ。
動物行動学の知見は、近代を形づくる三つの原理(自由、平等、共同体)を人間と同様にチンパンジーも持っていることを発見したのだ。

「伝統的な正義」「近代的な正義」は異なる。
伝統的な正義とは、時代劇の勧善懲悪のことだ。この善悪二元論の物語が人類社会に普遍的なのは、それが進化論的に基礎づけられているからだ。そして困ったことに、この感情は極めて強力なのだ、論理以前の無意識(前意識)の段階で人々の行動を決定してしまう。
伝統的な正義のもうひとつの特徴は、状況依存的(相対的)だということだ。人類史の大半において正義は常に複数あり、その中で”俺たち”がもっとも有利になるものが状況に応じて”真の正義”とされてきた。
伝統的な正義は”俺たち”の正義だから、本質的にローカルなものだ。 他者が他者とであるグローバル社会で誰もが伝統的な正義を主張すれば、殺し合いになるしかない。近代というグローバル世界の成立には、新しい正義の概念が必要だった。
近代的な正義の特徴は「原理主義」にある。正義は状況に依存せず、いついかなる場合でも相手が誰であっても、不変でなければならない。こうした正義の普遍性は、利害の異なる多種多様な人々が自発的に従うルールを定める上で不可欠のものだった。
原理主義的な正義は、契約(法)の絶対性を要求する。一度相手と契約すれば、王様が替わったり政権が転覆したからと言って、内容が変更されたり約束が反故になったりすることはない。


政治哲学の四つの正義 マイケル・サンデルは『これからの「正義」の話をしよう』の中で、「正義」には四つの異なる立場があると述べている。それが、リベラリズム、リバタリアニズム、コミュニタリアニズム(共同体主義)、功利主義だ。

リベラリズムとリバタリアニズムは「自由Liberty」を原理とする思想で、人は生まれながらに等しく「人権」を持ち、自らの意思で「自由」な人生を生きるべきだとする。
だが両者は、「平等」の考え方で激しく対立する。
リバタリアニズムは「自由原理主義」で、人種や性別、民族や宗教によって人を差別してはならないが、競争の機会が平等ならば結果が不平等になっても「正義」には反しないと考える。リバタリアンが断固として拒否するのは、富の再分配を理由に、国家が権力を使って市民の私的所有権を侵すことだ。これは政治的には「小さな政府」を支持する立場になる。
それに対してリベラリズムは、私的所有権を重要な価値と認めるものの、それと同時に、富者と貧者の極端な格差を正当化することはできず、不平等を是正するための国家が税を徴収し、生活保護などの社会保障として貧者に分配することを正義と考える。
現代にリベラリズムを蘇らせた政治哲学者のジョン・ロールズは、社会は「もっとも不遇な立場にある人の利益を最大にする」ように設計されるべきだと主張した。これは「大きな政府」による市場への介入を容認する立場だ。

リバタリアンとリベラリストは不倶戴天の敵のように憎み合っているが、両者とも自立した自由な個人による市民社会を前提としている。
それに対してコミュニタリアニズムは、人は共同体の中でしか生きていけないのだから、正義の源泉は近代的な「個人(人権)」にあるのではなく、共同体の歴史と伝統の中にしかないと主張する。これは政治的には保守主義で、リベラリズムやリバタリアニズムの依拠する「近代」を否定しているようにも見える。
先に述べたように、リバタリアニズム、リベラリズム、コミュニタリアニズムの三つの「正義」は人間だけでなくチンパンジーも共有している。これらの正義は(チンパンジーと同様に)元々我々の遺伝子にプレインストールされていたもので、近代の啓蒙思想はこの漠然とした正義感覚を「自由」「平等」「共同体」の原理として抽出して、それに絶対的な価値を与えたのだ。
近代的な価値観が瞬く間に世界を席巻していったのは、科学的で合理的だったからではなく、人々の正義感覚にぴったりとフィットしたからだ。我々はイデオロギー以前に感情によって支配されており、正義感覚に合わないものを「正義」とは認めない。

サンデルが挙げる四つの「正義」のうち、功利主義だけはこの定義に当てはまらない。
功利主義は、18世紀の哲学者ジェレミー・ベンサムが唱えた「最大多数の最大幸福」のことで、理性によって社会全体の効用(幸福)を最大化することが道徳的に最も正しいとする。これは貨幣経済(資本主義)の発達によって初めて生まれた思想で、生物の進化とは何の関係もない。だから我々は、功利主義が正しいと理屈では納得しても、そこから正義感覚を得ることができない。これが洋の東西を問わず、功利主義が激しく嫌われる理由だ(最近ではこの立場は、「新自由主義(ネオリベ)」と呼ばれている)

日本では長らく、政治的には「保守」と「革新」が対立していると考えられてきた。保守派(右派)は「親米」「自由主義経済」「伝統」を旗印にし、革新(左派)は「反米」「社会主義経済」「進歩」を掲げた。だが冷戦の終焉によって、米ソ両超大国から派生する価値観の対立は無意味になった。

政治哲学を「自由」「平等」「共同体」「功利主義」で分類すると、ポスト冷戦の政治状況をクリアに説明することができる。
リベラリズムの中でも最も功利主義から遠い「リベラル左派」は、日本で言えば共産党や社民党のような立場で、大企業や富裕層への課税によって社会福祉を拡充し、平等な社会を目指す。
コミュニタリアニズムの中でも最も功利主義から遠い「コミュニタリアン右派」は伝統を重視し市場原理を嫌う超保守主義で、功利主義を「堕落」と断じ(@石原慎太郎)、武士道などの日本人の美徳を説く。
極右と極左は不倶戴天の敵のような関係だと思われているが、市場原理を否定することで両者の思想は通底している。
リバタリアニズムと功利主義は、市場に対する国家の過度な規制に反対し、自由な市場と効率的な資本主義が公正で豊かな社会をつくると主張する。原理的なリバタリアンに至っては、国家を廃絶するアナルコ・キャピタリズム(無政府資本主義)を理想として掲げる。
こうした「極論」に対して、政治的な主流派はリバタリアン右派(コミュニタリアン左派)と、リバタリアン左派(リベラル右派)の「中道」に位置している。
中道右派は、伝統を重視しつつも自由な経済活動を尊重する立場で、アメリカでは「小さな政府」を目指す共和党(穏健派)に該当する。中道左派は、社会保障の充実や経済格差の改善を求めつつも、個人の自由を最大限に認めようとするアメリカ民主党の立場で、政治的には「大きな政府」を容認する。
オールド保守、オールドリベラルに対し、1970年代から「新保守主義(ネオコンサバティブ/ネオコン)」や「新自由主義(ネオリベラル/ネオリベ)」と呼ばれる一大勢力が台頭した。これについては後述。
もちろんこれは便宜的な分類だから、現実の政治はもっと複雑だ。 リーマンショック後の金融機関の救済にあたっては、「金融市場を守るべきだ」という功利主義(ワシントンの官僚や経済学者)に対して、リバタリアンは「資本主義のルールに則って破綻させろ」と反発した。 リベラルとリバタリアンはほとんど意見が一致しないが、中絶問題では女性(母親)の権利を守るという立場から共闘し、キリスト教原理主義者(コミュニタリアン右派)と激しく対立する(ただしティーパーティ系のリバタリアンは中絶に反対している)
アメリカでは、政治家や政党は「正義」の原理に基づいて行動すべきだとされているから、各自の政治的主張が明快になる。
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いかがだろうか。
著者自身も「割り切り過ぎ」としているが、その位に割り切って整理をすることで分かりづらい各政治政党の立ち位置が非常に明確に見えてくる。
これをまとめるにあたり、サンデル教授の『これからの「正義」の話をしよう』を読み返してみたのだが、サンデル教授はアリストテレスの「正義は美徳や善良な生活と深い関係にあるとする理論(美徳の奨励)」を推している。これは4つの正義のうちコミュニタリアニズムに該当するということだ(と思われる)。
コミュニタリアニズムは「正義や美徳」を定義する必要があるのだが、それについてグローバルな考え方がどうなっているのか。
論は進んでいく。

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グローバル空間では、グローバルスタンダードは権力として機能する。
グローバル空間では、ローカルルールはグローバルスタンダードに対抗できない。

ほとんどの日本人は誤解しているが、アメリカ企業の能力主義は、利益を最大化するための仕組みではない。それは「能力以外で労働者を差別してはならない」というグローバル空間のルールのことだ。
アメリカでは、人種や宗教、性別や年齢で社員を差別することが許されない。だからアメリカには定年がないし、履歴書には生年月日を書く欄も、写真を貼る場所もない。(写真を見れば性別や人種が一目瞭然だからだ)。もちろんだからといって全ての差別が無くなった訳ではないが(イスラム系と分かる名前は採用率が有意に低い)、ひとたび司法の場で差別と認定されると企業は巨額の賠償金を支払わなければならない。
だが、あらゆる差別を禁じたとしても、採用や昇進の際に企業は何らかの仕方で労働者を選別しなければならない。そのために唯一残ったのが「能力」による評価だ。

友愛(フラタニティ)は、もとは中世のイングランドで流行した民間の宗教団体(結社)のことだ。都市の成立と人口の流動化によって、キリスト教の中に、教区とは別に自然発生的に信者達の互助会が生まれた。彼らは貧しいメンバーを経済的に援助するほか、商売仲間が結びついてギルド(職業別組合)と一体化することもあった。 フランス革命では、このフラタニティは宗教性を失い、同じ目的をもつ者同士の「連帯」の意味に変わる。「友愛」とは、自由と平等のためにたたかう「仲間」のことなのだ。(また、フリーメイソンは特定の宗教に与しない理神論=自由思想の結社で、フランス革命のリーダー達の多くがそのメンバーだった。)
ここでいう「仲間」は、血縁や地縁でがんじがらめにされたムラ社会的な共同体のことではない。近代的な友愛とは、一人ひとり自立した個人が共通の目的のために集まり、ちからを合わせて理想の実現を目指すことだ。

サンデルのようなコミュニタリアンのいう「共同体」は伝統的な共同体なのか、近代的共同体なのか。
サンデルは、家族への愛情、仲間との連帯、共同体への忠誠を「善」とし、それを個人を超越する義務と見做す。人は皆「物語る存在」で、我々は抽象的で空疎な「近代的自我」などではなく、歴史や共同体という「大きな物語」の一部として、人生という物語を演じているのだと美しく語る。
コミュニタリアンの立場をこうした「近代的自我の否定」と見るならば、彼らが依拠しているのは伝統的共同体ということになる。 だがそうするとグローバル空間においては、「どのような伝統にも平等に価値があるのか」というやっかいな問題が避けられなくなる。
これにイエスとこたえるのが、文化多元主義(マルチカルチャリズム)の立場だ。彼らは現代に残る狩猟採集社会の伝統と、西欧諸国の文化は等価であるべきと主張した。ところが、(それなりに説得力のある)この思想は(少なくともアメリカにおいて)2001年9月11日を最後に絶滅してしまった。「イスラム原理主義のテロリストも文化として尊重するのか」という問いにこたえることが出来なかったからだ。
アメリカ人であるサンデルは、コミュニタリアンとして”古き良きアメリカ”の文化や伝統を尊重せよと語る。だとしたら、日本のコミュニタリアンは天皇制を、中国のコミュニタリアンは儒教を、イスラムのコミュニタリアンはコーランの教えをもとに正義を語ることになるのだろうか。
だが、こうした文化相対主義をサンデルは否定し、共同体の伝統には、尊重されるべきものと、否定すべきものがあると述べる。 9・11以後は、誰もが「伝統社会」の負の側面から目をそらすことができなくなった。
しかし、白人中心主義や偏狭なナショナリズムを正義の原理として認めない。人種差別が正義に反することもまた明らかだ。

サンデルのいう”よき伝統”とは、アメリカ建国の理念のことだ。トマス・ジェファーソンらの建国の父達は、ルソーやロックの啓蒙思想を根拠に独立宣言や合衆国憲法を起草し、”神から与えられた地”で自由で民主的な「理想社会」を築こうとした。だとすれば、アメリカの政治哲学でいう”コミュニティ”とは、リベラルデモクラシーに基礎をおく近代的共同体でしかあり得ない。
リベラルデモクラシーというときのリベラルはLibertyのことで、政治的なリベラルとは異なる。リバタリアンはLibertyの原理主義者だから、やはりリベラルデモクラシーを熱烈に支援している。 フランス革命にまで歴史を遡れば、リベラルとは商業的な自由を求めるブルジョアの価値観で、デモクラシーは貧困からの脱出(経済的な平等)を要求する民衆(その大半は小作農)の主張だった。その意味では、市場原理の貫徹を求める「リベラル」はリバタリアンのことで、経済格差の解消を目指す現在のリベラル派は「デモクラット」ということになる。
アメリカは移民によってつくられた人口国家で、前近代の歴史を持たず、建国の理念がそのまま伝統となっている。アメリカの保守派(伝統主義者)というのは近代主義者(モダニスト)のことで、彼らがヘレニズム(ギリシア思想)とヘブライズム(キリスト教)を自らの”伝統”とするのは、それが近代の源流だからだ。

サンデルは、アメリカ以外の国々の”伝統”も平等に尊重するが、それはあくまでもリベラルデモクラシーに抵触しない範囲でのことだ
日本の天皇制がイギリスやオランダの王室と同じ立憲君主制であれば、天皇を敬う日本の伝統は共同体の大切な価値だ。しかし、それが戦前のような天皇を現人神とするものならば、その”伝統”はカルトとして全否定される。同様に儒教やヒンドゥー教、イスラム教の伝統も、リベラルデモクラシーの中でのみ存続が許される。中国の共産党独裁体制(毛沢東王朝)やイランの神権(イスラム原理主義)政治、ヒンドゥー社会のカースト制度など、前近代の”遺物”はすべからく廃棄されるべきなのだ。
この意味で、政治哲学としてのコミュニタリアニズムは「共同体の伝統を尊重する思想」ではない。それはリベラリズムやリバタリアニズムと同じ「近代思想」で、ただ社会を「個人」の集合としてみるか、「共同体」を中心に置くかの視点が異なるだけなのだ
アメリカの政治哲学は、お互いに激しく対立しながらも、リベラルデモクラシーを共通の基盤としている。なぜならこれが、グローバル社会における唯一の正義の基準だからだ

アメリカ人が傲慢に感じられる理由は、彼らが自分たちのスタンダードに宗教的な確信を持っているからだ。そのスタンダードとは、アメリカ建国の理念であるリベラルデモクラシーのことだ。
リベラルデモクラシーというのは、次の三つの前提からつくられる社会制度のことだ。
①全ての人は生まれながらにして平等に人権をもっている
②全ての人は法律に従う限り、自己責任を条件として、自由に生きる権利(自己決定権)を保障されている。
③国家権力が国民を管理するのではなく、市民(主権者)が憲法によって国家権力を統制する。

経済力や軍事力が衰える中で、アメリカ最大の”武器”はグローバル化だ。 そのことで多くの人がアメリカの「陰謀」や「戦略」を批判するが、アメリカがグローバル化を生み出しているわけではない。
「少しでも豊かになりたい」という一人ひとりの経済行為の集積が、グローバルな貨幣空間を自己増殖させていく。それと同時に「正義」や「公正」を求める人々の抵抗によって、リベラルデモクラシーが拡張していく。アメリカに「世界戦略」があるとすれば、それはグローバル化という不可逆的な運動を最大限利用することだ。
グローバル化というのは、人々の欲望や正義感情によって、グローバル資本主義とリベラルデモクラシーが世界を覆っていく永久運動のことだ。
個人にとっても国家にとっても、そこがグローバル空間であるならば、ローカルな正義をいくら主張しても勝ち目はない。自らの利益を守ろうとするのなら、リベラルデモクラシーの土俵で相手と対等に議論しなければならない。それが、グローバル空間化した世界の絶対のルールなのだ。
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文化多元主義(マルチカルチャリズム)はベースとしてOKなんだけれど、例外もあって、リベラルデモクラシーに反するものはダメなんだよ、という整理(言い方)もできそうだ。
となるとサンデル教授のいう「共同体」は必ずしも近代的共同体ではなく、伝統的共同体という整理もできたりするのではないか。
こういう形で政治哲学を整理してもらえると、自分がどの考え方に近いか、というのも整理できてくる。(ようやくかい!、という感もあるが)
リベラルデモクラシーという拡散不可逆の社会制度が世界を覆うのがグローバルスタンダードの正体か。
エントロピー増大の法則になぞらえて、「リベラルデモクラシー増大の法則」と呼んじゃうぞ。

さてさて続く。

『(日本人)』その4

橘玲氏、第4弾投稿。

<<分業・比較優位と国家・グローバリズム>>

<分業・比較優位と自由貿易>
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貿易というのは、国と国との交易のことだ。交易とはモノとモノ(ないしは貨幣)を交換することで、交換とはすなわち分業のことだ。
アダム・スミスの大発見は、「ゆたかさの秘密は分業にある」ということを発見したことだ。
分業には負の側面もある。分業が進んで経済が高度化すればするほど人々は不安になり、社会が不安定化するのは避けられない。自分が一人では何も出来なくなることが豊かさの条件であればこれは当然で、安定と成長は両立しないのだ。
分業の高度化の度合いを「生産性」という。伝統的な社会は分業が進まず、高度に分業化された社会は生産性が高く、人的資本に大きなレバレッジをかけることで豊かさを実現した。このことから分かるように、世界から貧困をなくすには、社会の生産性を高める(もっと分業する)以外に有効な方法はない。

分業の本質を解明したのは経済学者のデヴィッド・リカードで、彼はそれを「比較優位の交換」と定義した。
一番(絶対優位)にならなくても、比較優位を交換することで、市場経済の中で誰もが立派に生きていけることを証明したのだ。
このようにして、経済学は人類にひとつの理想を提示する。それは商品やサービスだけでなく、全ての人がどこにでも自由に移住し、生活できるような社会だ。

”グローバル”な市場が完成してはじめて、分業の威力は最高度に発揮され、我々の人的資本は極限まで拡張されて、人類社会はゆたかさの頂点を極めるだろう。
グローバリズムとは、ユートピア思想だ
自由貿易がユートピアの道ならば、それを否定する鎖国論は全て間違っている。論理的にはそうなるはずだが、いまの「自由貿易」は、ユートピア思想としての自由貿易とは似て非なるもの。そうなった理由は、近代世界が主権国家の集まりとしてできあがったことにある。
チンギス・ハーンが世界を征服した後に資本主義と自由経済が勃興すれば、人類は世界政府から近代史を始めることができたかもしれない。だが現実には、”主権”という神の権利を持つ国家が排他的に国土と国民を管理するという約束事で近代は成立した。そして私たちは、いまだにこの枠組み(パラダイム)から自由になることができない。
本来の自由貿易は、単一の世界政府が樹立され、国家が地方自治体となってお金やモノだけでなく、国境を越えて人も自由に移動できる世界ではじめて可能となる。この「効率的な市場」では、アジアや中南米、東欧やアフリカの貧しい人たちは仕事を求めて豊かな国々へ移動するから、絶対的な貧困や飢餓が特定の地域に集中することはない。
何故このようなグローバル市場が成立しないかというと、(日本を含む)豊かな国が門戸を閉じて移民を厳しく制限しているからだ。先進国が貧しい国の人たちを受け入れない理由は、治安維持とか国内労働市場の安定とか色々な名目が挙げられているが、最も恐れているのは福祉社会が破壊されてしまうことだ
一定所得水準以下の国民に手厚い生活保護を支給している国があるとすれば、無制限の移民や市民権取得を認められるはずがない。そんなことをすれば、たちまち世界中の貧困層が殺到して財政は破綻してしまうだろう。当然、既得権を持つ国民はネオナチのような極右政党を結成して移民排斥を政府に要求するようになる。これが、福祉に冷淡なアメリカに極右政党がなく、「福祉国家」の見本となったヨーロッパ各国が極右の台頭に悩まされる理由だ。福祉国家とは、差別国家の別の名前なのだ
貧しい国に独裁国家が多いのは、豊かな国々の政府や国民が、貧しい人たちが国境を越えて流入して来ないよう、人の流れを強引に堰き止める強圧的な権力を必要としているからだ。こうした国々への経済援助の大半は賄賂として権力者の懐に納まるが、これを刑務所の看守への報酬と考えれば、先進国の資金はもともと「囚人」に分配されるはずなどなかった。
人の移動を厳しく制限した中での国際貿易は、第三世界(かつては「後進国」と呼ばれた)の収奪として現れた。「自由貿易は先進国に一方的に有利な差別的システム」との批判はその意味では正しかった。
自由貿易がうまく機能しないのは、それが国家という枠組みをはめられた、”歪んだグローバリズム”だからだ。しかしこのことは、似非自由貿易をやめて保護主義に戻ればいいという話しにはつながらない。
人類の歴史はこれまで、国家のない「完全な自由市場」を実現したことはない。産業革命以来、資本主義と市場経済がとほうもない豊かさをもたらしたのは、片翼だけの自由貿易でも十分に機能したからだ。(そもそもリカードの比較優位の理論は国家を前提としていた)
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「比較優位の交換」は国単位だけではなく、人単位でも当然当てはまる。
これが社会的生物である人間が、一見劣ったかのように見える多様な人材を包括しながら進化していく論理的根拠なのかもしれない。
また「安定と成長は両立しない」という喝破もスゴい。
人々が一人で何もできなくなるということは、怖くて冒険をしなくなるということ。そして冒険をしなくなるということは、イノベーションが生まれにくくなっているということだ。
「一人で何も出来なくなる」ということは「誰かこの人となら出来そうだ」という予感がとても重要になるということだ。
上田信行教授の言っていた「憧れの最近接領域」(「この人となら一緒にやっていけそうだ」という予感が重要)の考え方はやはり世界を進化させるイノベーションにとって非常に重要だったということだ。

<グローバルスタンダードの台頭→近代国家の成立>
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グローバル空間には、言語や宗教や肌の色が異なる(もちろん利害も異なる)人間達が従わなければならない最低限のルールが生まれた。これが”グローバルスタンダード”だ。
グローバル空間になぜスタンダード(基準)が必要かと言うと、それなしにはお互いが殺し合うしかないからだ。

地中海東岸(メソポタミア)というグローバル空間で、人類の歴史を変える二つの”イノベーション”が起った。
一つは古代ギリシアの論理(ロゴス)、もう一つが紀元前後にパレスチナで誕生したキリスト教
アテナイ(アテネ)の民主制では、政治家が公衆の面前で議論をたたかわせ、投票による多数決で政治的な決断が下された。この弁論(論理)と多数決による決定は、古代ギリシア以外ではいかなる古代文明も生み出さなかった極めて特殊な「政治」のやり方だ。
先にも述べたように、農耕社会を支配する原理は「全員一致」で、土地に縛り付けられた退出不可能な社会では、これ以外の政治的決定の方法はあり得ない
古代ギリシアの民主制とは、加入も退出も自由なオープンな社会が、共同体の構成員に自らの意思で国家と神への忠誠を誓わせ、「富国強兵」を目指す政治=軍事制度だった。これは地中海という特殊な地域のみに生まれた社会の仕組みで、退出可能性のない農耕社会でデモクラシーや弁論術が育たなかったのは当然なのだ。

「バビロン捕囚」などユダヤ民族の歴史は確かに苦難に満ちているが、それは古代オリエント世界ではありふれたものだったはずだ。ユダヤ人以外にも数多くの少数民族がこの地に暮らしていて、彼らの運命も同じように悲劇的なものだった。それが伝わっていないのは、ほとんどの民族が大国に制服されて皆殺しにされるか、多数派の民族に同化して消滅してしまったからだ。
そうした中で唯一ユダヤ民族だけが、自らの神を守り、その歴史を文字に刻んだ。それは彼らが”絶対神”を発明したからだ。
古代の神は祖先の霊魂がアミニズムと一体化したもので、それぞれの民族ごとに固有の神と神話をもっていた(神と神話を共有する集団が民族だった)。異なる神を奉じる民族は相争い、神々は決して交わることはなかった。
だがこのような”神々の闘争”では、ユダヤ人のようなマイノリティー(少数民族)の神は、エジプトやバビロニア、ペルシアなど大国の神に対抗することができない。そこでユダヤ人が考えたのが(ユダヤ民族の前に現れたのが)、全てのローカルな神を超越する絶対神だ。
絶対神がユダヤ民族を選んだ以上、”選民”である彼らが他の民族や宗教に「同化」するはずがない。これが流浪の少数民族であるユダヤ人が自らの神と文化を守った理由だ。
ところで、ユダヤ教の神は、絶対神でありながらユダヤ民族だけの神でもある。それはユダヤ民族のみが神と契約を交わしたからなのだが、これでは実態としてはローカルな神のままだ。
この矛盾を解決し、神の権威に合わせて教義を書き換えたのがイエス・キリストだった。このイノベーションによって、「(民族を超えた)万人のための神」というグローバル宗教が初めて誕生した。
キリスト教は、数々の弾圧に耐えてやがてローマ帝国の国教となる。これは、ローマが多民族国家であったことを考えれば、歴史の必然であった。
今日に至るまで、真の意味でのグローバル宗教は、キリスト教と、ムハンマドが新たに預言を得て聖書を再解釈したイスラム教の二つしかない仏教は「法治」によって、儒教は「人治」によって身分や民族の壁を越えようとしたが、そこでは「神」が世界を支配しているわけではない(いずれもローカルな神と一体化して各地で”宗教化”した)

地中海という特別な場所(グローバル空間)が、紀元前後の数世紀の間に二つのイノベーションを生み出して、人類の歴史に初めて「論理」「絶対神」という”グローバルスタンダード”をもたらした。
それから凡そ1600年後、絶対王政末期のヨーロッパで、ギリシア文明(ヘレニズム)とキリスト教(ヘブライズム)を母体に、さらに巨大なイノベーションが起った。これが近代の成立だ。
近代を思想的な側面から見れば、それは絶対神の場所に理性(論理)を置いたものだと言える(理神論)。だが理神論は、神の否定(無神論)というわけではない。
近代物理学の祖アイザック・ニュートンが敬虔なキリスト教徒で、錬金術を熱心に研究していたことはよく知られている。彼にとって古典力学の諸法則は、キリストの教えに矛盾するものではなく、神の偉大さを示すものであった。
”神の法則”は、当然、人間社会にも貫徹しているはずだと考えられた。こうして”発見”されたのが、フランスの思想家ジャン=ジャック・ルソーの「平等」と、イギリスの哲学者ジョン・ロックの「私的所有権」すなわち「自由」だ。
私的所有権がなぜ「自由」につながるのか。近代以前は、所有権は曖昧な概念で、立場の弱い人間は家畜などの資産を取り上げられたり、土地からの立ち退きを強要されても文句は言えなかった。しかしロックのいう近代的な私的所有権は”神の掟”なので、国王ですら人民の一片の土地をも私物化することは許されない。これによって初めて、自分の所有物を好きに使ったり、他人に貸したり、処分したりできる「自由」が確立したのだ。
神からの絶対の権力(主権)を付与された絶対君主に対抗するために、貴族やブルジョアが古代ギリシアの古い政治制度から持ち出したのが議会によるデモクラシーだ。
イギリスではまず、国王と貴族院(上院)が課税を巡って対立した。植民地との交易でジェントリーと呼ばれるブルジョア階級が台頭すると、政治権力は貴族達の上院からブルジョア達の下院に移り、ついには王権は単なる儀礼とされて立憲君主制へと移行した。
フランス革命はさらに過激で、国王をギロチンにかけたうえで、自由と平等を体現する市民が主権者となり、社会契約によって(自らの総意で)政治的な共同体をつくる「国民国家」を生み出した。
「自由」と「平等」を神の掟とする国民国家はそれ自体が一つの宗教であり、その熱烈なエヴァンジェリスト(福音を伝えるもの)が将軍ナポレオンだった。彼は血気盛んなフランスの壮年男子を徴兵し、国民軍(常備軍)を編成すると、「自由・平等・友愛」の三色旗を掲げ、”神”の福音を広めるために絶対王政の国々を攻め滅ぼしていった。
傭兵を主体とする中世のままの国王軍は、ナポレオンの近代的な軍隊の前になす術もなく敗れ去り、ヨーロッパの国々は雪崩をうって国民国家へと変わっていく。国民国家こそが最強の軍事国家であり、それ以外に自分たちの”くに”を守る方途がなかったからだ。
このようにして、アメリカ独立戦争とフランス革命からわずか数十年で、ヨーロッパの主要国は国民国家に再編成された。それと同時に”合理性”の追求が近代的な官僚機構を生み出し、資本の集積と分業が進んで生産性が大幅に上昇し、科学技術の進歩と産業革命へとつながっていく。技術が富を生み、その富が新たな技術を求める循環が起きたことで、ヨーロッパ人はついに動燃機関という”巨大テクノロジー”を手にすることになった。これによって「西洋」の優位は圧倒的となり、彼らは地球の残りの地域を分割占領するために植民地化を進めていく。
大航海時代のグローバリゼーションが資本主義を生み、ヨーロッパの一角に富が集積して近代というイノベーションの引き金を引いた。西欧列強の帝国主義は更なるグローバリゼーションを起こし、近代の思想や文化、政治制度が大波のように世界の隅々にまで広がっていく。 ”グローバルスタンダード”は近代の枠組み(パラダイム)のことで、それは西欧のローカルなルールではない。イギリスやフランスのような植民地国家は自由と平等の名の下に世界を植民地化し、植民地の人々は自由と平等の名の下に独立を求めた。世界の人々が自らの意思で近代の理念を受け入れたのは、それが民族や宗教、文化を超越する普遍的な価値を実体化したものだったからだ。
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グローバルスタンダードとは「近代のパラダイム」であり、西欧思想やアメリカの押しつけなどではない、ということだ。
近代前期に興った国民国家(=政治空間)が、グローバルスタンダードに(=貨幣空間)によって浸食されるというのは、物理法則でいうところのエントロピー増大の法則に似ている。
さしずめ「グローバルスタンダード増大の法則」とでも言ったところか。
では増大するグローバルスタンダードの正体とは何か。

さてさて、まだ続く。



『(日本人)』その3

橘玲氏、第3弾投稿。

<<農耕民族 日本人>>

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農耕というイノベーションの技術的な制約とは、植物の栽培は気候の影響を受けるというものだ。
温帯の植物を別の場所に持っていっても、同じ様な環境でなければ育てることができない。歴史上の主要な文明はすべて北緯30度から45度の間の「温帯ベルト」で誕生していることが分かる。それに対して同じユーラシア大陸でも熱帯や亜熱帯、亜寒帯の地域は文明から取り残されるか、大きく遅れていた。
文明の発達に違いがあることは誰もが知っていたが、これまでその理由を説明できた人はいなかった。もっとも説得力があったのは人種的(怡婷的)な優劣だが、現代社会ではタブーとされている。
そこへジャレド・ダイアモンドは「農耕文明は気候の違いを超えることができない」という単純明快な「コロンブスの卵」を示した。このことから、縦(南北)に長いアフリカやアメリカ大陸で文明が十分に発達できなかった理由も説明できる。農耕文明では、すべての技術(テクノロジー)が農作物の栽培や家畜の育成から派生している。たとえば会計は、農作物を蔵に納める際に各自の持ち分を記録するために発明された技術だから、農耕とは別に会計の技法だけが伝わることはまずあり得ないのだ。
このことで、なぜオーストラリアやニュージーランドへのヨーロッパ人の植民が成功したのか、あるいは、なぜ南アフリカでアパルトヘイト(ヨーロッパ人支配)が最後まで続いたのかも説明できる。これらの地域は、(チリやアルゼンチンも含めて)すべて新世界ワインの一大産地だ。南半球においても、地中海性気候の地域だけが発展したのだ。

農耕社会の行動原理は狩猟採集社会と根本的に異なるものではない。どのような社会でも、我々は「人間の本性」に制約された文化やルールに従うことしか出来ない。
それでも、この二つの社会にはいくつかの明確な違いがある。
最もはっきりしているのは、農耕とともに「土地への執着」が生じたことだ。農耕が始まることで土地は「なわばり」として意識されることになった。なわばりを守ることは生物にとっても原初的な生き残り戦略だから、この感情はとてつもなく強力だ。
日本ではバブルの頃に「土地神話」という言葉がよく使われたが、これは日本に特殊な現象ではなく、すべて農耕社会は一万年前から土地神話に呪縛されていた。
同様に、日本人の心性が「島国根性」だと批判されるが、囲いをつくって敵から土地を守ることは農村社会の基本原理で、「開放的な農村」などというものは原理的にあり得ない。
旧石器人は埋葬の習慣を持ち、死者に花を手向けるなど、現代人と同じ感情を持っていたが、墓をつくることはなかった。墓というのは、その土地が先祖伝来のものであるという”縄張り標識”だから、農耕社会になってはじめて生まれた慣習なのだ。

農耕社会のもうひとつの特徴が「退出不可能性」だ。
あなたは生まれたときから私の隣人で、私が死ぬまでずっと隣人であり続け、私の子孫とあなたの子孫は未来永劫、隣人同士だ〜農村というのは、要するにこういう社会だ。
それに対して狩猟採集社会や遊牧社会では、共同体のルールが気に入らなければ家族(と家畜)をつれて出て行くという選択肢が残されている。この退出可能性の有無が、人々の行動に決定的な影響を与えた。
政治的な決断というのは、共同体の中で利害の対立が生じたときに、一方の要求を認め、もう一方の要求を拒絶することだ。しかし構成員の退出可能性のない農耕社会では、この政治的な決断が原理的に不可能になってしまう。要求を拒まれた側も、共同体の一員としてずっとその土地に住み続けるからだ。農耕社会の政治的決断は、妥協による全員一致以外にはあり得ないのだ。
聖徳太子の言葉とされる「和をもって貴しとなす」は、日本人の精神の象徴とされる。しかしこれも日本に特有のものではなく、すべての農耕社会は「和」と「妥協」によって営まれているのだ。

農耕社会に文明が形成されたのは、生産力の飛躍的な増大によって、食料の獲得に直接従事しない専門職が可能になり分業が成立したからだ。
狩猟採集社会や遊牧社会では、集団のリーダーもそれ以外の構成員と同じ生活をしていた。 それに対して農耕社会では、神との媒介となる神官が専門職として独立し、次いで商工業などを専業とする者が現れた。
生産の拡大とともに富の偏在がおこると広い土地を所有してどれに耕作させる権力者が登場した。こうした権力者が貴族階級を形成し、彼らのうちの最有力社が王となって国を統治した。このようにして階層化した複雑な社会、即ち農耕文明が誕生した

農耕社会の行動文法(エートス)の上に成り立つ農耕文明には、いくつかの共通の特徴がある。
一つは「身分」の固定だ。
退出可能性のない閉鎖社会で多数の人々が共生しようとするならば、各自の社会的な役割をあらかじめ固定しておくのがもっとも合理的だ。
このようにして身分制が成立し、「分」を守って生きるという道徳が生まれた。その最も極端な例がインドのカースト制で、人は生まれた瞬間に身分と職業すなわち人生が決まってしまう。
ひとたび身分が固定されると、個人の社会的な位置(座標)は、上位・下位の「タテの関係」と、同じ身分同士の「ヨコの関係」で定まることになる。
日本の特徴として「タテ社会」が挙げられるが、近代以前は”ひと”と”ひと”とが平等などとか考えもつかないことで、すべての社会は「タテ構造」でできていた。
身分社会は、その制度を維持するために様々な(ムラの)掟やタブーを持っている。こうしたタブーを破ると、共同体から追放されるか、村八分として(葬式と火事を除く)社会的な関係から切り離された。こうした「ムラ社会」は日本の前近代性の象徴としてしばしば批判されるが、日本に限らず、あらゆる農耕社会は「ムラ社会」以外のなにものでもない。

さらに、農耕社会には「進歩」という概念がない。 農耕というのは、春に種を播いて秋に収穫をするという同じ営みの繰り返しだ。今年と同じことが来年も起り、それが再来年も、その翌年も未来永劫続いていく。この世界観が前提となって社会がつくられている。 中国や日本の紀年法では、西暦やイスラム暦のような紀元(元年)は存在せず、皇帝や天皇が変わるたびに元号が新しくなる。天命によって「歴史」はリセットされ、世界は永遠に循環するのだ。
さらに極端なのはインドで、あれだけ高度な文明を築いたにもかかわらず、近代に至るまで「歴史書」というものが存在しなかった。万物は永遠に輪廻しつづけると考えるインド人にとっては、過去を記述すること自体が不可能で、「歴史」とはヒンドゥーの神々と人間が交感する神話のことだった。

旧石器時代の狩猟採集社会から始まったすべての人間社会は、「人間の本性(ヒューマン・ユニヴァーサルズ)」に基づいてつくられている。農耕文明は、そこに「農耕社会の本性」を接ぎ木したものだ。これまでに「日本人の特徴」と考えられてきたものは、その大半がこのふたつの「本性」(「人間の本性」と「農耕社会の本性」)で説明できる。
当然のことながら、タイの社会と日本の社会が似ているのも偶然ではない。洋の東西を問わず、すべての農耕社会は似ているのだ。


<<日本人の世俗性>>
世俗性とは現世利益中心主義ということらしい。
そう言った観点から見た新しい日本人論。

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日本人とアメリカ人ではデフォルト戦略が異なる。
日本人は、曖昧な状況におかれると、無意識のうちにリスク回避的な選択を行う。だが状況が明確(自由に何でもやっていいのだと分かれば)であれば、アメリカ人と同様に自己主張をする。
アメリカ人は逆に、曖昧な状況では自己主張することが最も有利な選択だと考える。だが、過度な自己主張が顰蹙を買うような場面では、ちゃんとその場の空気を読んで自分を抑えることもできる(遠慮する)。
アメリカ社会では、自己主張しない人間は存在しないのと同じだと見做される。このような環境では、迷ったら自己主張をする、というのが生存のための最適戦略になる。
それに対して日本では、下手に目立つとロクなことがない、と考えられている。このような社会では、迷ったら他人と同じことをしておく、というのが最適戦略になるだろう。

アメリカの社会心理学者リチャード・E・ニスベットは、「東洋」と「西洋」の違いについての膨大な研究を渉猟した後、西洋人は世界を名詞の集合と考え、東洋人は世界を動詞で把握するという仮説を提示した。
ニスベットは、その他の実験においても、西洋人が「分類学的規則」を素早く見つける傾向があることを明らかにした。それに対して東洋人は、規則を適用してものごとをカテゴリーに分類することが苦手で、そのかわり部分と全体の関係や意味の共通性に関心をもった。
実験が明らかにしたように、西洋人の認知構造が世界をもの(個)へと分類していくのに対し、東洋人は世界を様々な出来事の関係として把握する。この世界認識の違いが、西洋人が「個」や「論理」を重視し、東洋人が「集団」や「人間関係」を気にする理由になっている。
こうした違いは生得的(遺伝的)なのかということに対するニスベットの見解は明確だ。西洋人と東洋人は明らかに違うが、その違いは文化的なものだ。

これまでの常識に反して、日本人の特徴は「ムラ社会=空気の支配」ではなく、世界でも突出した「世俗性=水」にある。 日本には、「空気=世間」の他に、「水=世俗」という原理がある。
「水を差す」とは、「空気の支配」に対して世俗の原理をぶつけることだ。
日本の社会は、「空気」と「水」という二つの相反する原理で動いている。もちろんこれはどんな社会にも言えることだが、あえて「日本人の特徴」を挙げるとすれば、様々な価値観調査から明らかなように、その世俗性が極めて強いことだ。 このことは、日本における「空気の支配」と矛盾しない。
「世間」の拘束が強いのは、そうしなければ人々を一つの共同体にまとめておけないほど日本人が「個人主義」だからなのだ。
日本人は昔から、「世間」が大嫌いだった。だからこそ「お上」に面従腹背しつつ、個人の欲望を抑圧する「権威」を激しく嫌悪したのだ。
日本人は、ご利益のある神と自分の得になる権威しか認めない。人々の価値観は、支配者の交代や、いわんや教育などでは何も変わらない。
日本人は有史以来、世間のしがらみに搦めとられながらも、現世を楽しく生きることがすべてだと考えてきたのだ。
日本人の特殊性は、アジア的農耕社会にありながら、血縁や地縁のしばりが弱いことにある。血族の絆が強い社会では、誰か一人が出世をすると一族郎党が利権を求めて集まってくる。だが、日本社会では血縁よりもイエ(会社や役所)を優先するのが当然とされていたから、露骨な縁故主義はどこでも嫌われた。
日本の公務員が賄賂を要求しないのは日本人が潔癖だからといわれるが、これも世俗性から説明可能だ。血族や結社などの社会保障がない日本社会では、イエとしての会社・役所から排除されると生きていけなくなる。さらに日本の人事制度では、公務員は満額の退職金をもらってはじめて労働の正当な対価を受け取れるようになっているから、途中で解雇されるような行為はきわめてリスクが高い。賄賂を受け取ることは、それが招く災いを考えれば全く割に合わないのだ。
日本人がその本性として賄賂を嫌っている訳ではないことは、医師への心付けや政治家の度重なる収賄事件を見れば明かで、文化的な縛りのないところではアジアやアフリカやラテンアメリカの国々と同じことがおきるのだ。
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う〜む、この日本人論は一般的に考えられているものと相当異なる。
著者は色んな調査結果からも日本人は世俗性(=現世利益中心主義)が世界の他の民族と比べても高い、という結果が出ているとしている。
他の人が言ってるなら本当か?と思わせる内容も橘玲氏だとちょっと信用しちゃう。

まだまだ続きます。

『(日本人)』その2

橘玲氏著作、第2弾の投稿。

<<進化論的 男女論>>
富とは、貨幣だけではない。オスとメスに分化して以来、両性生殖の生物にとってもっとも重要な富は異性だった。。という前回の話の後段。
男尊女卑の発言と思うなかれ。あくまで学術的にいうと、という話だがウーマンリブの方はここで読むのをやめることをお勧めする。

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男と女では、生殖機能の違いによって愛情のかたちが異なっている。
男の場合には、精子の放出にほとんどコストがかからないから、より多くの子孫を残そうと思えばできるだけ多くの女性とセックスすればいい。すなわち乱交が進化の最適戦略だ。
それに対して女性は、受精から出産までに10ヶ月以上もかかり、無事に子供が生まれたとしてもさらに1年程度の授乳が必要になる。これは極めて大きなコストなので、セックスの相手を慎重に選び、子育て期間も含めて長期的な関係をつくるのが進化の最適戦略になる。
男性は、セックスをすればするほど子孫を残す可能性が大きくなるのだから、その欲望に限界はない。一方、女性は生涯に限られた数の子供しか産めないのだから、セックスを「貴重品」としてできるだけ有効に使おうとする。ロマンティックラブ(純愛)とは、女性の「長期志向」が男性の乱交の欲望を抑制することなのだ。
これまで人類は、文学や音楽、映画などで男と女の「愛の不毛」を繰り返し描いてきた。しかし進化心理学は、あなたが恋人と分かり合えない理由をたった一行で説明してしまう。 すなわち「異なる生殖戦略をもつ男女は、”利害”が一致しない」のだ。

男と女の「愛」の違いは、大規模な社会実験によって繰り返し証明されている。それは、世の中に同性愛者がいるからだ。
同性愛者は愛情(欲望)の対象が異性愛者とは異なっていて、同性同士でパートナーをつくる。そこでは恋人同士の間に生殖戦略の違いが存在しないから、お互いの利害が一致した”純愛”が可能になるはずだ。
よく知られているように、男性同性愛者(ゲイ)と女性同性愛者(レズビアン)での愛情やセックスのあり方は大きく異なっている。
ゲイはバーなどのハッテン場でパートナーを探し、サウナでの乱交を好む。
エイズが流行する前にサンフランシスコで行われた調査では、100人以上のセックスパートナーと関係したとこたえたゲイは全体の75%で、そのうちの4割近くが1000人以上と経験していた。彼らは特定の相手と長期の関係を維持せず、子供を育てることにもほとんど関心を持たない。
それに対してレズビアンのカップルはパートナーとの関係を大切にし、養子や人工授精で子供を得て家庭を営むことも多い。レズビアンの家庭は、両親が共に女性だということを除けば(異性愛者)の一般家庭と変わらず、子供達は普通に育っていく(母子家庭の子供よりも社会的に成功する可能性が高い)
ゲイの乱交とレズビアンの一婦(夫ではない)一婦制は、男性と女性の進化論的な戦略の違いが純化した結果なのだ。

ヒトのからだは、必ずしも健康に生きるように設計されているわけではない。老いや死は、生物が進化の戦略として両性生殖を採用したときから避け難い運命になった。
両性生殖の生き物は、健康で長生きすることではなく、できるだけ多くの子孫を残すように進化していく。そのために選択されたのが、成長のある時期に生殖能力を最大化する、という戦略だ。
ヘモクロマトーシスという病気は鉄分の過剰な吸収を引き起こし、中年期に死をもたらすが、その代償として、若い時には月経時の鉄分の欠乏を防ぐことができる。
ペプシノゲンⅠと呼ばれる遺伝子を持つ人は胃のホルモンが過剰に生産され、消化性胃潰瘍で死ぬことがおおい。だが、この人たちは、胃酸の濃度が高いことで若いときは感染症への抵抗力が高かったかもしれない。
また免疫系は、感染症から我々を守るためにさまざまな化学物質を放出するが、最近ではこの化学物質が我々自身を傷つけ、ガンを引き起こすのではないかと考えられている。すなわち、老化という現象は、思春期により多くの子供をつくるためにそれ以降の時期を犠牲にする進化の仕組みだったのだ。

進化論的には、我々の行動文法(エートス)はできるだけ多くの子孫を残すように最適化されている。これを男性中心主義的に言うならば、旧石器時代の男達にとって人生で最も重要なことは、(生きるために必要な食糧の確保を除けば)女の獲得だった

旧石器時代の人類は、30〜50人規模の親族でグループ(家族集団)をつくり、移動を繰り返していたと考えられている。だとすれば、この時代の男達は、「集団の中の女を妻としてはならない」という制約を課されていたに違いない。これはもちろん近親相姦の禁忌があるからだ。 旧石器時代人が近親相姦を避けたのは、フロイトのいうエディプスコンプレックス(すべての男性は母親との性交を望んでいるが、その欲望は文化的に抑圧されている)からではない。
動物行動学が明らかにしたところによれば、チンパンジーやボノボ、ゴリラやオランウータンなどの類人猿にも近親相姦の習性はなく、さらには両性生殖の生物はほとんどが近親相姦を避ける仕組みを持っている。これは、近親相姦が遺伝性の病気につながるため、かなり早い段階で自然淘汰の対象になったからだ。
フロイトの同時代人の人類学者エドワード・ウェスターマークは、幼いときに一緒に過ごした男女は、血縁かどうかに関わらず、思春期になっても性的魅力を感じないと考えた。 ウェスターマークのこの仮説は、イスラエルのキブツで行われた「社会実験」で証明された。キブツでは血縁関係のない男女が、親元を離れて託児所で一緒に育てられる。だがその後彼らの人生を追跡すると、幼い頃から親しかった男女が結婚に至るケースは極めて稀なのだ。
ヒトには、両親であれ兄弟姉妹(あるいはおじ・おばやいとこ)であれ、幼少時に親しく接した異性との性交を生理的に嫌悪するメカニズムが組み込まれている。近親相姦のタブーというのは、」この生理的嫌悪感をルール化したものだ。

このように近親相姦が禁じられてしまうと、男が子孫を残すためには別の部族から女を手に入れる他はない。その方法は原理的にふたつしかなく、ひとつは力ずくで奪い取ること、もう一つは自分の部族の女(姉妹や娘)と交換することだ。
このうち手っ取り早いのは前者だが、そこには大きな欠陥があって、このやり方では自分の部族の女が配偶者を獲得できなくなってしまう。このことから、人類の誕生とほぼ同時に女の「交換」が始まったと考えられている。(このことは女性の側からしても、自分が「交換品」となって他部族に行くことが進化論的に合理的だということだ)

フランスの人類学者クロード・レヴィ=ストロースは、アメリカ先住民をはじめとする世界各地の親族構造を渉猟し、「近親相姦の禁忌」と「女性の交換」の規則を持たない社会が存在しないことを発見した。
これが普遍的な親族構造になるのは、人間の本性からして、それ以外の社会をつくることができないからだ。 旧石器時代は貨幣が存在しないから、他部族との交易は物々交換の互酬によって行われた。こうした「交易品」の中で最も貴重なものは女だが、それ以外でも彼らは、食糧や貴金属など様々なものを贈与し合っていたはずだ。


ひととひとが殺し合うのは文明に汚染された人間だけで、原初の人類は平和に暮らしていたというのがルソーの「高貴な野蛮人」だが、これはいまではただの夢想だということが分かっている。
考古学者がデータを入手できる社会について調べたところ、南アフリカやニューギニアの先住民の男性は四割近くが戦争で死亡していた(「首狩り」で知られるエクアドルのビバロ族の男性は実に六割弱が戦争で死んでいた)。
それに対して二度の世界大戦を経験した20世紀のアメリカおよびヨーロッパでは、戦争で死んだ男性は全体の1%にも満たない。 ある人類学者は、狩猟採集社会の90%は戦争を経験し、64%は少なくとも2年に一度は戦争をしていると算出した。別の人類学者が37カ国の狩猟採集者の集団99を対象に行った調査では、その時点で戦争中だった集団が68、5年〜25年前に戦争を経験した集団が20で、残りも全てそれ以前に戦争をしていた。
なぜヒトのオスの集団は殺し合うのか。このことは(おそらく)集団の内部に交換可能な女が不足している場合は、他の集団から奪ってくる他はないという単純な事実から説明できる。それができなければ血統が途絶えてしまうのだから、狡猾な進化のプログラムがこの絶好の機会を見逃すはずはないのだ。

イギリスの動物行動学者ジェーン・グドールは、動物の世界に魅せられて二十代でアフリカに渡り、タンザニアで野生のチンパンジーの観察・研究を始めた。彼女はチンパンジーにも道具を使う能力がある(草の茎を使ってアリ塚から好物のアリを捕る)ことを発見するなど様々な成果を上げたが、世界に大きな衝撃をあたえたのはチンパンジーのカニバリズム(共食い)を報告したことだ。
チンパンジーの群れが他の群れを襲うと、彼らは若いメスを残し、オスばかりか幼い子供をも殺して食べてしまう。サルの肉は彼らにとって最高のごちそうで、メスや子供までが集まって「戦利品」である肉をむさぼり食う姿は人々を震撼させた。
チンパンジーがメスから赤ん坊を奪い取り、殺して食べてしまうのは、授乳中のメスには生理がないからだ。赤ん坊を殺すことで強制的に授乳を止めさせると、メスは再び妊娠可能になる。進化が子孫を残す行動文法を最適化させるとするならば、このカニバリズムは極めて合理的だ。
こうした生理はヒトも同じで、母乳を与えているあいだ、母親の生理は止まり、離乳食に切り替えると再会する。だとすれば、ホモ・サピエンスのオスにもチンパンジーと同じ「進化論的に合理的」なメカニズムが組み込まれていたとしても何の不思議もない。

フィジー人の食人行動は、チンパンジーの共食いとも極めて整合的だ。ヒトはカニバリズムを生得的に避けるようにはつくられておらず、一万年前ほど時代をさかのぼるならば、我々はみな食人種だった。
このグロテスクな仮説は、フィリピンやニューギニアなど太平洋戦争の激戦地で現実的なものとなった。極限状況に追い込まれると共食いを始めるのは「人間の本性」なのだ。
我々が遠い祖先から受け継いだプログラムは、世界を内側(俺たち)と外側(奴ら)に分け、仲間同士の結束を強め、奴らを殺して貴重な資源(女)を奪うためのものなのだ。


近親相姦の禁忌によって部族間で女を交換することと、「俺たち」と「奴ら」を分別して敵を殺して女を奪うことの他に、全ての人類社会に共通する本性として神(祖先)を祀ることがある。
進化心理学では、「神は何故いるのか」という深遠な問いを脳の配線で説明する。 「こころ」とはなんだろう。進化心理学では、こころを「シュミレーション装置」だと考える。社会的な動物にとって死活的に重要なのは、集団の中で自分の場所を確保することだ。 そのためには集団内の権力構造(誰がボスで誰が自分より格下なのか)や、相手の気分(怒っているのか、喜んでいるのか)や、行為に対する反応(エサを横取りしたらどうなるのか)を正確に知っている必要がある。
相手の行動を予想する最も有効な方法は、相手の立場になってみることだ。これは集団のなかで生き残るのに極めて有力な能力だから、「こころ」というシュミレーション装置を持つ個体はより多くの子孫を残し、世代が進むにつれてその性能は高速化・精緻化していったはずだ。
ところで、いったんこのシュミレーション装置が働き始めると、「相手の立場になってみる」対象は人間だけに限らなくなる。ヒトが好んで家畜を飼い始めたのは、ごく自然に家畜(犬や馬)を擬人化し、「友情」や「愛情」を感じたからだ。
こうした擬人化の対象は、原理的には制限がないから、たちまちのうちに、太陽や月、海や山などの「こころ」もシュミレーションするようになる。こうした自然の擬人化がアニミズム(精霊信仰)で、どんな社会にも見られるものだ。

こころというシュミレーション装置は、相手の中に何らかの”本質”を想定し、その本質を真似ることで駆動する。その結果、ひとはごく自然に「心身二元論」でものごとを考えるようになる。”私”というのは、物理的な身体とは別の本質、即ち魂のことなのだ。
我々はごく自然に、本質(魂)にはこの世界に物理的な影響を及ぼす力があると考える。 人類の祖先(ホモ・サピエンス)は死者を弔い、精霊に自然の望みを祈り、悪霊を恐れて生け贄を捧げたが、それは脳の基本プログラム(OS)から生じる必然的な行動だった。 アニミズムと祖先の霊が結びついたものが「祖先神」で、やがてはすべての血縁集団(部族)が「俺たち」と「奴ら」を分別するシンボルとして独自の神と神話を持つようになった。戦争とは「神の名」のもとに互いに殺し合うことなのだ。
近代の啓蒙主義を経た我々は、もはや古代や中世の「神霊世界」を実感することが出来ない。近代以前は人々は神や悪魔、魔物や怨霊を「信じていた」のではなく、超自然的な存在は人間や動物などとともに世界に実在していた。
共同幻想というのは、集団の全員が信じているものが実体化してしまう現象だ。 我々の社会でのその典型が貨幣で、それはただの紙切れにすぎないが、世界の全ての人がこの紙切れに価値があると信じているので、その価値が現実化している。
これと同様に、古代や中世では、神や悪魔は間違いなく現実のものだった。
進化論的にみれば、このような超越的存在がヒトの生存や繁殖可能性を高めた証拠はない。だとすれば「神」は脳の配線(こころのプログラム)から偶然生まれた”おまけ”にすぎず、それがやがて共同幻想となり、集団の絆を強めて人間を支配するようになったのだ。

狩猟採集の原始的な社会がヒトの生得的なプログラムに基づいて営まれていたとすると彼らのエートス(行動文法)がおおよそ見えてくる。
旧石器時代人は30〜50人規模の家族集団(氏族)で行動し、この氏族が連合して共通の祖先神をもつ100〜200人規模の部族が生まれた。この部族が、彼らにとっての「世界」の全てだ。
ちなみに、この50人や200人というのは、現在でも集団の基本単位になっている。学校の1クラスの人数、会社における部や課、AKB48などの上限が50人なのは、これが顔と名前が一致する(一人ひとりを「個人」として識別できる)限界だからだ。大企業が100人〜200人規模の事業部制を採用するのは、「俺たち」の一体感が保てる(集団にアイデンティファイできる)人数に上限があるからだろう。
部族の外は「敵」の世界で、”奴ら”は殺して女を奪う対象であると同時に、女を交換して同盟を結ぶ相手でもあった。食糧の確保を別にすれば、集団内での権力争いと、集団外での戦争と同盟の政治ゲームが男達の関心事の全てだった。
狩猟採集社会では、男性の権力は狩猟能力(共同体に分配した獲物の量)と戦闘能力(殺した敵の数)で決まった。これはいわば究極の能力主義で、より大きな獲物を狩り、より多くの敵を殺した者が「英雄」として共同体のリーダーとなった。
ただし、リーダーはあくまでも狩猟者の一人で、王侯貴族のような特権は認められていなかった。これは狩猟採集民が「文化的に遅れていた」からではなく、彼らの社会にそうした余剰人員を養うだけの生産能力がなかったからだ。
家族制度は一夫一婦制が基本だが、複数の女と子供達を養うだけの食糧を確保できるのなら一夫多妻制も認められた。ハーレムや大奥に見られるように、物理的な制約がなくなれば、ヒトの家族制度は容易に一夫多妻に移行する。一夫一婦制が広く観察されるのは、ほとんどの場合、生産性が低く複数の家族を維持するだけの余裕がなかったからだ。

男達が集団で狩りをし、女達は子供を育てながら果実や穀類を採集する生活は、男達の中に浮気の欲望(隙があれば他の男の妻を奪いたい)と、その反動としての妻への強い猜疑心(他の男とできているかもしれない)を生み出した。
”利己的な遺伝子”にとっては、自分が家を離れているあいだに妻が別の男と性交し、その子供を育てる羽目になることほど甚大な損害はないからだ。
女性にとっては、(父親が誰であれ)自分の腹から生まれたのが自分の子供であることは100%確実だ。一方男性にとっては、相手が処女である場合を除けば子供の父親が自分であることの確証はない。いまでも世界の各地に残る処女崇拝と女性に対する強い文化的な拘束(アラブ世界のヘジャブなど)は、こうした男女の非対称性から生じたと考えられている。

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女性は昔は交換の対象だった・・・女性パワー活用が必須と言われている現代日本では何言ってんだという話ですが、我々も覚えていない太古にはそういうことだったようです(あくまで学術的)。
いまだに男尊女卑の人がいるのは脳に組み込まれた太古の記憶と思えば腹もたたないのでしょうか。(そんなことはないか)

別テーマで続きます。

『(日本人)』その1

橘玲氏の著作。これに取りかかって読み解くのにここ数ヶ月かかったと言ってもいいだろう。内容が濃過ぎて一つ一つ理解するのが楽しくもあり、取りまとめるのに非常に時間がかかってしまった。
というわけで通常とは違ってテーマ別にいくつかに分けてアップしたい。

<政治空間・貨幣空間>
ちょっと最初の定義となる部分で、面倒くさかったりもするのだが、後々色んな言い方で出てくる部分なので詳述する。
(本当は三つの空間に分かれていて愛情空間、友情空間、貨幣空間とされているのだが、愛情空間と友情空間を合わせて政治空間となっていてその対比の方が分かりやすいので、その流れで。)

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政治空間貨幣空間では全く異なる論理が働いている。
このことに最初に気づいたのはアメリカの社会学者ジェイン・ジェイコブズで、彼女はそれを「統治の倫理」「市場の倫理」と名付けた。
富を獲得するには二つの方法がある。ひとつは相手から奪うこと(権力ゲーム)。もう一つは、交易すること(お金儲けゲーム)。
(ここでいう富とは、貨幣だけではない。オスとメスに分化して以来、両性生殖の生物にとってもっとも重要な富は異性だった。この話は後に別スレッドで詳述予定)

権力ゲームでは、次のような「統治の倫理」が支配するとジェイコブズは言う。
目的のためには欺け、復讐せよ、排他的であれ。
さらに、政治空間の厳しい階層構造は次のような掟を要求するだろう。
規律を守れ、伝統を堅持せよ、位階を尊重せよ、忠実たれ。
こうした政治空間で権力ゲームに勝ち残る者には、独特の個性が要求される。
勇敢であれ、名誉を尊べ、運命を甘受せよ。
そう考えると新渡戸稲造の「武士道」は日本の特殊な価値観ではなく、「統治の倫理」の一典型なのだ。

貨幣空間では「市場の倫理」が支配している。
正直たれ、契約を尊重せよ、他人や外国人とも気安く協力せよ。
さらに、お金儲けに必須の倫理もある。
勤勉たれ、節倹たれ、効率を高めよ、新規・発明を取り入れよ。
そしてもっとも大事なのは次の倫理だ。
競争せよ。だが、殺すなかれ(暴力を締め出せ)

統治の倫理は、40億年前の生命誕生から続く進化の歴史の中で育まれてきた。
それに対して、メソポタミアや黄河流域に都市文明が興って交易が始まったのは紀元前3〜2千年頃だから、市場の倫理にはまだ5千年程度の歴史しかない。統治の倫理はヒトの遺伝子にあらかじめプログラム(プレインストール)された本能であるのに対し、市場の倫理は学習によって身につける文化だ。
だから「交易によって全ての市場参加者の富が増えていく」という古典派経済学の基本原理は、人間の本能と対立するために、洋の東西を問わずほとんど理解されることがない。
権力ゲームがゼロサムなのに対し、市場のゲームはプラスサムなのだ。

しかし、たとえ世界全体が幸福になったとしても、ひとは自分が(相対的に)貧しくなることに耐えられない。その意味でのグローバル化は、私たちの生活を破壊する侵略者なのだ。
政治空間はベタな人間関係の世界で、貨幣空間は人と人とがお金でつながるフラットな世界だった。だから貨幣空間が政治空間を浸食すると、家族が学校などの共同体が崩壊して、愛情や友情が失われてしまう。これが、私たちが「お金は汚い」と直感的に嫌う理由だ。
彼女とのデートで指輪を贈る代わりに現金を渡せば買春になってしまう。家事(シャドウワーク)に応じて時給でお金を払えば、妻ではなくお手伝いさんだ。このように、愛情空間にお金を持ち込むと人間関係は簡単に破綻する。

貨幣空間が拡張するのは、我々がそれを望むからだ。ほとんどのサービスが貨幣で購入できる社会では、親戚付き合いは不要になり、友達との関係もドライになっていく。要するにベタな人間関係は面倒くさいのだ。だがそれと同時に、我々はこのような”無縁社会”に根源的な不安を感じてもいる。ヒトは長い進化の歴史を通じて、ずっと集団(共同体)の中で生きてきた。群れからの追放は直ちに死を意味した。ヒトは一人で生きていけるようにはできていないのだ。 貨幣空間が世界を浸食していくと、最後には家族や恋人との最小(ミニマル)の愛情空間しか残らなくなる。その共同体さえ失ってしまえば、一人ひとりが茫漠たる貨幣空間に裸のまま晒されるだけだ。こうして人々は孤独になり、社会は不安定化する。

この巨大な潮流に対処するには、原理的にふたつの方法しかない。
一つは、貨幣空間の拡張という現実を受け入れ、それに適したルール(市場の倫理)で生きていく方法を学ぶことだ。
もう一つは、貨幣空間の侵略を食い止めて愛情や友情の共同体を取り戻すことだ。
もちろん、政治空間(共同体)貨幣空間(市場)はどちらも社会を成り立たせるための大切な仕組みだ。どちらかを選んでどちらかを捨てることが出来るわけではない。
市場と共同体は互いに依存し合って社会をつくっている。だが、この二つはあらかじめ協調するよう設計されているわけではなく、異なる論理を両立させるのはいつだって難しい。
両者が激しく対立する場面では、貨幣空間(市場の倫理)の浸食に対して政治空間の論理(統治の倫理)で対抗するしかない。 家族や仲間、故郷といった大切な価値を蝕んでいく不気味な使徒(エヴァンゲリオンからの比喩)に対して、我々は武士道という”最終兵器”でたたかうしかない。
このシンプルな構図を提示したことで、藤原正彦の『国家の品格』は日本人のこころを捉えたのだ。

アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクト著『菊と刀』でベネディクトは日本人の心性を「菊」すなわち審美性と、「刀」すなわち好戦性(武士道)に見いだし、欧米の「罪の文化」に対する「恥の文化」こそが本質だと考えた。
こうした分析は、彼女に与えられた時間と研究素材が極めて限定されたものであることを考えれば、現在の水準から見ても十分にレベルの高いものだった。
だがベネディクトの仕事には決定的な制約があった。それは、彼女が日本人とアメリカ人の違うところを探さなければならなかったことだ。
このことに最初に気づいたのは日系アメリカ人の人類学者ハルミ・ベフ(別府春海)で、日本文化論は”大衆消費財”で、日本人とアメリカ人は実はそれほど違っていないと主張した。
我々に馴染み深い「世界の中で誰とも似ていない日本人」は、こうした”オリエンタリズムの相互参照”によって生まれたのだ。

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著者の言う「政治空間」と「貨幣空間」は、後では「国民国家」と「グローバルスタンダード」という対比に変わってくるが、我々が前期近代で慣れ親しんだ「国民国家」を「グローバルスタンダード」が浸食してきているという意味では、「政治空間」=「国民国家」、「貨幣空間」=「グローバルスタンダード」と考えていいだろう。

そして、著者は自著『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』で比喩としてあげた「伽藍」と「バザール」も同じ対比で使っている。

だからちょっと強引にまとめちゃうと
「政治空間」=「統治の倫理」=(日本の)「国民国家」=「伽藍』
「貨幣空間」=「市場の倫理」=(世界の)「グローバルスタンダード」=「バザール」


さて、テーマを別にして続く。