橘玲氏、第3弾投稿。
<<農耕民族 日本人>>
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農耕というイノベーションの技術的な制約とは、植物の栽培は気候の影響を受けるというものだ。
温帯の植物を別の場所に持っていっても、同じ様な環境でなければ育てることができない。歴史上の主要な文明はすべて北緯30度から45度の間の「温帯ベルト」で誕生していることが分かる。それに対して同じユーラシア大陸でも熱帯や亜熱帯、亜寒帯の地域は文明から取り残されるか、大きく遅れていた。
文明の発達に違いがあることは誰もが知っていたが、これまでその理由を説明できた人はいなかった。もっとも説得力があったのは人種的(怡婷的)な優劣だが、現代社会ではタブーとされている。
そこへジャレド・ダイアモンドは「農耕文明は気候の違いを超えることができない」という単純明快な「コロンブスの卵」を示した。このことから、縦(南北)に長いアフリカやアメリカ大陸で文明が十分に発達できなかった理由も説明できる。農耕文明では、すべての技術(テクノロジー)が農作物の栽培や家畜の育成から派生している。たとえば会計は、農作物を蔵に納める際に各自の持ち分を記録するために発明された技術だから、農耕とは別に会計の技法だけが伝わることはまずあり得ないのだ。
このことで、なぜオーストラリアやニュージーランドへのヨーロッパ人の植民が成功したのか、あるいは、なぜ南アフリカでアパルトヘイト(ヨーロッパ人支配)が最後まで続いたのかも説明できる。これらの地域は、(チリやアルゼンチンも含めて)すべて新世界ワインの一大産地だ。南半球においても、地中海性気候の地域だけが発展したのだ。
農耕社会の行動原理は狩猟採集社会と根本的に異なるものではない。どのような社会でも、我々は「人間の本性」に制約された文化やルールに従うことしか出来ない。
それでも、この二つの社会にはいくつかの明確な違いがある。
最もはっきりしているのは、農耕とともに「土地への執着」が生じたことだ。農耕が始まることで土地は「なわばり」として意識されることになった。なわばりを守ることは生物にとっても原初的な生き残り戦略だから、この感情はとてつもなく強力だ。
日本ではバブルの頃に「土地神話」という言葉がよく使われたが、これは日本に特殊な現象ではなく、すべて農耕社会は一万年前から土地神話に呪縛されていた。
同様に、日本人の心性が「島国根性」だと批判されるが、囲いをつくって敵から土地を守ることは農村社会の基本原理で、「開放的な農村」などというものは原理的にあり得ない。
旧石器人は埋葬の習慣を持ち、死者に花を手向けるなど、現代人と同じ感情を持っていたが、墓をつくることはなかった。墓というのは、その土地が先祖伝来のものであるという”縄張り標識”だから、農耕社会になってはじめて生まれた慣習なのだ。
農耕社会のもうひとつの特徴が「退出不可能性」だ。
あなたは生まれたときから私の隣人で、私が死ぬまでずっと隣人であり続け、私の子孫とあなたの子孫は未来永劫、隣人同士だ〜農村というのは、要するにこういう社会だ。
それに対して狩猟採集社会や遊牧社会では、共同体のルールが気に入らなければ家族(と家畜)をつれて出て行くという選択肢が残されている。この退出可能性の有無が、人々の行動に決定的な影響を与えた。
政治的な決断というのは、共同体の中で利害の対立が生じたときに、一方の要求を認め、もう一方の要求を拒絶することだ。しかし構成員の退出可能性のない農耕社会では、この政治的な決断が原理的に不可能になってしまう。要求を拒まれた側も、共同体の一員としてずっとその土地に住み続けるからだ。農耕社会の政治的決断は、妥協による全員一致以外にはあり得ないのだ。
聖徳太子の言葉とされる「和をもって貴しとなす」は、日本人の精神の象徴とされる。しかしこれも日本に特有のものではなく、すべての農耕社会は「和」と「妥協」によって営まれているのだ。
農耕社会に文明が形成されたのは、生産力の飛躍的な増大によって、食料の獲得に直接従事しない専門職が可能になり分業が成立したからだ。
狩猟採集社会や遊牧社会では、集団のリーダーもそれ以外の構成員と同じ生活をしていた。 それに対して農耕社会では、神との媒介となる神官が専門職として独立し、次いで商工業などを専業とする者が現れた。
生産の拡大とともに富の偏在がおこると広い土地を所有してどれに耕作させる権力者が登場した。こうした権力者が貴族階級を形成し、彼らのうちの最有力社が王となって国を統治した。このようにして階層化した複雑な社会、即ち農耕文明が誕生した。
農耕社会の行動文法(エートス)の上に成り立つ農耕文明には、いくつかの共通の特徴がある。
一つは「身分」の固定だ。
退出可能性のない閉鎖社会で多数の人々が共生しようとするならば、各自の社会的な役割をあらかじめ固定しておくのがもっとも合理的だ。
このようにして身分制が成立し、「分」を守って生きるという道徳が生まれた。その最も極端な例がインドのカースト制で、人は生まれた瞬間に身分と職業すなわち人生が決まってしまう。
ひとたび身分が固定されると、個人の社会的な位置(座標)は、上位・下位の「タテの関係」と、同じ身分同士の「ヨコの関係」で定まることになる。
日本の特徴として「タテ社会」が挙げられるが、近代以前は”ひと”と”ひと”とが平等などとか考えもつかないことで、すべての社会は「タテ構造」でできていた。
身分社会は、その制度を維持するために様々な(ムラの)掟やタブーを持っている。こうしたタブーを破ると、共同体から追放されるか、村八分として(葬式と火事を除く)社会的な関係から切り離された。こうした「ムラ社会」は日本の前近代性の象徴としてしばしば批判されるが、日本に限らず、あらゆる農耕社会は「ムラ社会」以外のなにものでもない。
さらに、農耕社会には「進歩」という概念がない。 農耕というのは、春に種を播いて秋に収穫をするという同じ営みの繰り返しだ。今年と同じことが来年も起り、それが再来年も、その翌年も未来永劫続いていく。この世界観が前提となって社会がつくられている。 中国や日本の紀年法では、西暦やイスラム暦のような紀元(元年)は存在せず、皇帝や天皇が変わるたびに元号が新しくなる。天命によって「歴史」はリセットされ、世界は永遠に循環するのだ。
さらに極端なのはインドで、あれだけ高度な文明を築いたにもかかわらず、近代に至るまで「歴史書」というものが存在しなかった。万物は永遠に輪廻しつづけると考えるインド人にとっては、過去を記述すること自体が不可能で、「歴史」とはヒンドゥーの神々と人間が交感する神話のことだった。
旧石器時代の狩猟採集社会から始まったすべての人間社会は、「人間の本性(ヒューマン・ユニヴァーサルズ)」に基づいてつくられている。農耕文明は、そこに「農耕社会の本性」を接ぎ木したものだ。これまでに「日本人の特徴」と考えられてきたものは、その大半がこのふたつの「本性」(「人間の本性」と「農耕社会の本性」)で説明できる。
当然のことながら、タイの社会と日本の社会が似ているのも偶然ではない。洋の東西を問わず、すべての農耕社会は似ているのだ。
<<日本人の世俗性>>
世俗性とは現世利益中心主義ということらしい。
そう言った観点から見た新しい日本人論。
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日本人とアメリカ人ではデフォルト戦略が異なる。
日本人は、曖昧な状況におかれると、無意識のうちにリスク回避的な選択を行う。だが状況が明確(自由に何でもやっていいのだと分かれば)であれば、アメリカ人と同様に自己主張をする。
アメリカ人は逆に、曖昧な状況では自己主張することが最も有利な選択だと考える。だが、過度な自己主張が顰蹙を買うような場面では、ちゃんとその場の空気を読んで自分を抑えることもできる(遠慮する)。
アメリカ社会では、自己主張しない人間は存在しないのと同じだと見做される。このような環境では、迷ったら自己主張をする、というのが生存のための最適戦略になる。
それに対して日本では、下手に目立つとロクなことがない、と考えられている。このような社会では、迷ったら他人と同じことをしておく、というのが最適戦略になるだろう。
アメリカの社会心理学者リチャード・E・ニスベットは、「東洋」と「西洋」の違いについての膨大な研究を渉猟した後、西洋人は世界を名詞の集合と考え、東洋人は世界を動詞で把握するという仮説を提示した。
ニスベットは、その他の実験においても、西洋人が「分類学的規則」を素早く見つける傾向があることを明らかにした。それに対して東洋人は、規則を適用してものごとをカテゴリーに分類することが苦手で、そのかわり部分と全体の関係や意味の共通性に関心をもった。
実験が明らかにしたように、西洋人の認知構造が世界をもの(個)へと分類していくのに対し、東洋人は世界を様々な出来事の関係として把握する。この世界認識の違いが、西洋人が「個」や「論理」を重視し、東洋人が「集団」や「人間関係」を気にする理由になっている。
こうした違いは生得的(遺伝的)なのかということに対するニスベットの見解は明確だ。西洋人と東洋人は明らかに違うが、その違いは文化的なものだ。
これまでの常識に反して、日本人の特徴は「ムラ社会=空気の支配」ではなく、世界でも突出した「世俗性=水」にある。 日本には、「空気=世間」の他に、「水=世俗」という原理がある。
「水を差す」とは、「空気の支配」に対して世俗の原理をぶつけることだ。
日本の社会は、「空気」と「水」という二つの相反する原理で動いている。もちろんこれはどんな社会にも言えることだが、あえて「日本人の特徴」を挙げるとすれば、様々な価値観調査から明らかなように、その世俗性が極めて強いことだ。 このことは、日本における「空気の支配」と矛盾しない。
「世間」の拘束が強いのは、そうしなければ人々を一つの共同体にまとめておけないほど日本人が「個人主義」だからなのだ。
日本人は昔から、「世間」が大嫌いだった。だからこそ「お上」に面従腹背しつつ、個人の欲望を抑圧する「権威」を激しく嫌悪したのだ。
日本人は、ご利益のある神と自分の得になる権威しか認めない。人々の価値観は、支配者の交代や、いわんや教育などでは何も変わらない。
日本人は有史以来、世間のしがらみに搦めとられながらも、現世を楽しく生きることがすべてだと考えてきたのだ。
日本人の特殊性は、アジア的農耕社会にありながら、血縁や地縁のしばりが弱いことにある。血族の絆が強い社会では、誰か一人が出世をすると一族郎党が利権を求めて集まってくる。だが、日本社会では血縁よりもイエ(会社や役所)を優先するのが当然とされていたから、露骨な縁故主義はどこでも嫌われた。
日本の公務員が賄賂を要求しないのは日本人が潔癖だからといわれるが、これも世俗性から説明可能だ。血族や結社などの社会保障がない日本社会では、イエとしての会社・役所から排除されると生きていけなくなる。さらに日本の人事制度では、公務員は満額の退職金をもらってはじめて労働の正当な対価を受け取れるようになっているから、途中で解雇されるような行為はきわめてリスクが高い。賄賂を受け取ることは、それが招く災いを考えれば全く割に合わないのだ。
日本人がその本性として賄賂を嫌っている訳ではないことは、医師への心付けや政治家の度重なる収賄事件を見れば明かで、文化的な縛りのないところではアジアやアフリカやラテンアメリカの国々と同じことがおきるのだ。
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う〜む、この日本人論は一般的に考えられているものと相当異なる。
著者は色んな調査結果からも日本人は世俗性(=現世利益中心主義)が世界の他の民族と比べても高い、という結果が出ているとしている。
他の人が言ってるなら本当か?と思わせる内容も橘玲氏だとちょっと信用しちゃう。
まだまだ続きます。
<<農耕民族 日本人>>
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農耕というイノベーションの技術的な制約とは、植物の栽培は気候の影響を受けるというものだ。
温帯の植物を別の場所に持っていっても、同じ様な環境でなければ育てることができない。歴史上の主要な文明はすべて北緯30度から45度の間の「温帯ベルト」で誕生していることが分かる。それに対して同じユーラシア大陸でも熱帯や亜熱帯、亜寒帯の地域は文明から取り残されるか、大きく遅れていた。
文明の発達に違いがあることは誰もが知っていたが、これまでその理由を説明できた人はいなかった。もっとも説得力があったのは人種的(怡婷的)な優劣だが、現代社会ではタブーとされている。
そこへジャレド・ダイアモンドは「農耕文明は気候の違いを超えることができない」という単純明快な「コロンブスの卵」を示した。このことから、縦(南北)に長いアフリカやアメリカ大陸で文明が十分に発達できなかった理由も説明できる。農耕文明では、すべての技術(テクノロジー)が農作物の栽培や家畜の育成から派生している。たとえば会計は、農作物を蔵に納める際に各自の持ち分を記録するために発明された技術だから、農耕とは別に会計の技法だけが伝わることはまずあり得ないのだ。
このことで、なぜオーストラリアやニュージーランドへのヨーロッパ人の植民が成功したのか、あるいは、なぜ南アフリカでアパルトヘイト(ヨーロッパ人支配)が最後まで続いたのかも説明できる。これらの地域は、(チリやアルゼンチンも含めて)すべて新世界ワインの一大産地だ。南半球においても、地中海性気候の地域だけが発展したのだ。
農耕社会の行動原理は狩猟採集社会と根本的に異なるものではない。どのような社会でも、我々は「人間の本性」に制約された文化やルールに従うことしか出来ない。
それでも、この二つの社会にはいくつかの明確な違いがある。
最もはっきりしているのは、農耕とともに「土地への執着」が生じたことだ。農耕が始まることで土地は「なわばり」として意識されることになった。なわばりを守ることは生物にとっても原初的な生き残り戦略だから、この感情はとてつもなく強力だ。
日本ではバブルの頃に「土地神話」という言葉がよく使われたが、これは日本に特殊な現象ではなく、すべて農耕社会は一万年前から土地神話に呪縛されていた。
同様に、日本人の心性が「島国根性」だと批判されるが、囲いをつくって敵から土地を守ることは農村社会の基本原理で、「開放的な農村」などというものは原理的にあり得ない。
旧石器人は埋葬の習慣を持ち、死者に花を手向けるなど、現代人と同じ感情を持っていたが、墓をつくることはなかった。墓というのは、その土地が先祖伝来のものであるという”縄張り標識”だから、農耕社会になってはじめて生まれた慣習なのだ。
農耕社会のもうひとつの特徴が「退出不可能性」だ。
あなたは生まれたときから私の隣人で、私が死ぬまでずっと隣人であり続け、私の子孫とあなたの子孫は未来永劫、隣人同士だ〜農村というのは、要するにこういう社会だ。
それに対して狩猟採集社会や遊牧社会では、共同体のルールが気に入らなければ家族(と家畜)をつれて出て行くという選択肢が残されている。この退出可能性の有無が、人々の行動に決定的な影響を与えた。
政治的な決断というのは、共同体の中で利害の対立が生じたときに、一方の要求を認め、もう一方の要求を拒絶することだ。しかし構成員の退出可能性のない農耕社会では、この政治的な決断が原理的に不可能になってしまう。要求を拒まれた側も、共同体の一員としてずっとその土地に住み続けるからだ。農耕社会の政治的決断は、妥協による全員一致以外にはあり得ないのだ。
聖徳太子の言葉とされる「和をもって貴しとなす」は、日本人の精神の象徴とされる。しかしこれも日本に特有のものではなく、すべての農耕社会は「和」と「妥協」によって営まれているのだ。
農耕社会に文明が形成されたのは、生産力の飛躍的な増大によって、食料の獲得に直接従事しない専門職が可能になり分業が成立したからだ。
狩猟採集社会や遊牧社会では、集団のリーダーもそれ以外の構成員と同じ生活をしていた。 それに対して農耕社会では、神との媒介となる神官が専門職として独立し、次いで商工業などを専業とする者が現れた。
生産の拡大とともに富の偏在がおこると広い土地を所有してどれに耕作させる権力者が登場した。こうした権力者が貴族階級を形成し、彼らのうちの最有力社が王となって国を統治した。このようにして階層化した複雑な社会、即ち農耕文明が誕生した。
農耕社会の行動文法(エートス)の上に成り立つ農耕文明には、いくつかの共通の特徴がある。
一つは「身分」の固定だ。
退出可能性のない閉鎖社会で多数の人々が共生しようとするならば、各自の社会的な役割をあらかじめ固定しておくのがもっとも合理的だ。
このようにして身分制が成立し、「分」を守って生きるという道徳が生まれた。その最も極端な例がインドのカースト制で、人は生まれた瞬間に身分と職業すなわち人生が決まってしまう。
ひとたび身分が固定されると、個人の社会的な位置(座標)は、上位・下位の「タテの関係」と、同じ身分同士の「ヨコの関係」で定まることになる。
日本の特徴として「タテ社会」が挙げられるが、近代以前は”ひと”と”ひと”とが平等などとか考えもつかないことで、すべての社会は「タテ構造」でできていた。
身分社会は、その制度を維持するために様々な(ムラの)掟やタブーを持っている。こうしたタブーを破ると、共同体から追放されるか、村八分として(葬式と火事を除く)社会的な関係から切り離された。こうした「ムラ社会」は日本の前近代性の象徴としてしばしば批判されるが、日本に限らず、あらゆる農耕社会は「ムラ社会」以外のなにものでもない。
さらに、農耕社会には「進歩」という概念がない。 農耕というのは、春に種を播いて秋に収穫をするという同じ営みの繰り返しだ。今年と同じことが来年も起り、それが再来年も、その翌年も未来永劫続いていく。この世界観が前提となって社会がつくられている。 中国や日本の紀年法では、西暦やイスラム暦のような紀元(元年)は存在せず、皇帝や天皇が変わるたびに元号が新しくなる。天命によって「歴史」はリセットされ、世界は永遠に循環するのだ。
さらに極端なのはインドで、あれだけ高度な文明を築いたにもかかわらず、近代に至るまで「歴史書」というものが存在しなかった。万物は永遠に輪廻しつづけると考えるインド人にとっては、過去を記述すること自体が不可能で、「歴史」とはヒンドゥーの神々と人間が交感する神話のことだった。
旧石器時代の狩猟採集社会から始まったすべての人間社会は、「人間の本性(ヒューマン・ユニヴァーサルズ)」に基づいてつくられている。農耕文明は、そこに「農耕社会の本性」を接ぎ木したものだ。これまでに「日本人の特徴」と考えられてきたものは、その大半がこのふたつの「本性」(「人間の本性」と「農耕社会の本性」)で説明できる。
当然のことながら、タイの社会と日本の社会が似ているのも偶然ではない。洋の東西を問わず、すべての農耕社会は似ているのだ。
<<日本人の世俗性>>
世俗性とは現世利益中心主義ということらしい。
そう言った観点から見た新しい日本人論。
>>>>>
日本人とアメリカ人ではデフォルト戦略が異なる。
日本人は、曖昧な状況におかれると、無意識のうちにリスク回避的な選択を行う。だが状況が明確(自由に何でもやっていいのだと分かれば)であれば、アメリカ人と同様に自己主張をする。
アメリカ人は逆に、曖昧な状況では自己主張することが最も有利な選択だと考える。だが、過度な自己主張が顰蹙を買うような場面では、ちゃんとその場の空気を読んで自分を抑えることもできる(遠慮する)。
アメリカ社会では、自己主張しない人間は存在しないのと同じだと見做される。このような環境では、迷ったら自己主張をする、というのが生存のための最適戦略になる。
それに対して日本では、下手に目立つとロクなことがない、と考えられている。このような社会では、迷ったら他人と同じことをしておく、というのが最適戦略になるだろう。
アメリカの社会心理学者リチャード・E・ニスベットは、「東洋」と「西洋」の違いについての膨大な研究を渉猟した後、西洋人は世界を名詞の集合と考え、東洋人は世界を動詞で把握するという仮説を提示した。
ニスベットは、その他の実験においても、西洋人が「分類学的規則」を素早く見つける傾向があることを明らかにした。それに対して東洋人は、規則を適用してものごとをカテゴリーに分類することが苦手で、そのかわり部分と全体の関係や意味の共通性に関心をもった。
実験が明らかにしたように、西洋人の認知構造が世界をもの(個)へと分類していくのに対し、東洋人は世界を様々な出来事の関係として把握する。この世界認識の違いが、西洋人が「個」や「論理」を重視し、東洋人が「集団」や「人間関係」を気にする理由になっている。
こうした違いは生得的(遺伝的)なのかということに対するニスベットの見解は明確だ。西洋人と東洋人は明らかに違うが、その違いは文化的なものだ。
これまでの常識に反して、日本人の特徴は「ムラ社会=空気の支配」ではなく、世界でも突出した「世俗性=水」にある。 日本には、「空気=世間」の他に、「水=世俗」という原理がある。
「水を差す」とは、「空気の支配」に対して世俗の原理をぶつけることだ。
日本の社会は、「空気」と「水」という二つの相反する原理で動いている。もちろんこれはどんな社会にも言えることだが、あえて「日本人の特徴」を挙げるとすれば、様々な価値観調査から明らかなように、その世俗性が極めて強いことだ。 このことは、日本における「空気の支配」と矛盾しない。
「世間」の拘束が強いのは、そうしなければ人々を一つの共同体にまとめておけないほど日本人が「個人主義」だからなのだ。
日本人は昔から、「世間」が大嫌いだった。だからこそ「お上」に面従腹背しつつ、個人の欲望を抑圧する「権威」を激しく嫌悪したのだ。
日本人は、ご利益のある神と自分の得になる権威しか認めない。人々の価値観は、支配者の交代や、いわんや教育などでは何も変わらない。
日本人は有史以来、世間のしがらみに搦めとられながらも、現世を楽しく生きることがすべてだと考えてきたのだ。
日本人の特殊性は、アジア的農耕社会にありながら、血縁や地縁のしばりが弱いことにある。血族の絆が強い社会では、誰か一人が出世をすると一族郎党が利権を求めて集まってくる。だが、日本社会では血縁よりもイエ(会社や役所)を優先するのが当然とされていたから、露骨な縁故主義はどこでも嫌われた。
日本の公務員が賄賂を要求しないのは日本人が潔癖だからといわれるが、これも世俗性から説明可能だ。血族や結社などの社会保障がない日本社会では、イエとしての会社・役所から排除されると生きていけなくなる。さらに日本の人事制度では、公務員は満額の退職金をもらってはじめて労働の正当な対価を受け取れるようになっているから、途中で解雇されるような行為はきわめてリスクが高い。賄賂を受け取ることは、それが招く災いを考えれば全く割に合わないのだ。
日本人がその本性として賄賂を嫌っている訳ではないことは、医師への心付けや政治家の度重なる収賄事件を見れば明かで、文化的な縛りのないところではアジアやアフリカやラテンアメリカの国々と同じことがおきるのだ。
>>>>>
う〜む、この日本人論は一般的に考えられているものと相当異なる。
著者は色んな調査結果からも日本人は世俗性(=現世利益中心主義)が世界の他の民族と比べても高い、という結果が出ているとしている。
他の人が言ってるなら本当か?と思わせる内容も橘玲氏だとちょっと信用しちゃう。
まだまだ続きます。
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