2008年11月30日日曜日

松田昌士さん


日本経済新聞の「私の履歴書」、今月はJR東日本相談役の松田昌士さんでした。
「私の履歴書」は面白い人と、そうでない人がいて、松田さんのは面白い方の部類に入ると思います。
その中のエピソードで「道路関係四公団民営化推進委員会」の委員になった時に議論でもめて、委員の人間から「鉄道屋」呼ばわりされたり、新日鉄の今井敬会長を「鉄屋」呼ばわりする人がでたりというものがありました。
そんな偉い人達でも、子供みたいな言い争いをするものなのだ、ということにビックリしたと同時に、自分が呼ばれるとすると何屋といわれるのかな、などと考えてしまいました。
松田さんの書き方を見ると、JRの中では「鉄道屋」はダメでも「鉄道員(ぽっぽや)」というのは「鉄道員(ぽっぽや)魂」といった使い方で、ある意味開き直ったいい意味合いでとらえられているようです。

また、国鉄民営化時代に国鉄労働組合と真っ向から対峙し、自宅のプロパンガス周辺にマッチ棒をばらまかれたり、自宅近隣に街宣車をよこされたりで、奥様が心労から原因不明の病気になってしまったエピソードもあり、妻が病気となった自分の現状況と照らし合わせて共感を感じました。
国鉄民営化は、奥様の葬儀の時に「(妻を)追い込んだ連中を私は一生、許さないっ」と叫んでしまうような根の深い怨恨をつくらねば達成できなかった偉業だったということでしょうか。
時代が違うとはいえ、自らの”使命”を感じなければ、なかなか真似のできることではないと思いました。

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