2009年1月12日月曜日

『勝者の代償』


ロバート・B・ライシュというクリントン政権の労働長官にありながら、家族との時間が確保のために辞任した人の書いた本です。

訳者あとがきより>>
インターネットに代表される技術革新が、モノやサービスの生産・流通コストを大きく低下させ、消費者の選択肢を格段に増やした。
しかし同時にそれは、モノやサービスを生産し売っている生産者(企業)にとって、ますます容易に消費者から選択され、競争に勝ち残るための高い付加価値づくりと、コスト削減を迫られるようになっていることを意味している。
市場における競争が厳しくなれば、需要の多い才能を持った者はより多くの報酬を得、所得格差はますます拡大する。
またその中で勝者となってもそれは一時的なものであり、勝ち続けるためには個人生活をさらに犠牲にして働き続けねばならず、家庭やコミュニティはバラバラになっていく。。
こうしたニューエコノミーの矛盾に対しての選択肢をライシュは3つ示している。
一つは「ネオ・ラッダイト(新・機会打ち壊し)運動」。そうなると経済的な豊かさや便利さは失われる。
二つ目は現在進行している変化を行き着くところまで突っ走らせるということである。
経済的には更に豊かに便利になるが、私生活は更に犠牲となり社会的分断も拡大する。
三つ目がその両者のバランスをとるということで、ライシュはその方向をめざすべきだといっている。
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年末大晦日の夕方に、栗きんとんと伊達巻きを買うためにスーパーに行ったところすごい人でした。
まず、あの時間に人があんなに外に出て来ていることにびっくり。
我々が子どもの頃であれば、”大晦日”の夕方はもう年越しモードに入っていてレコード大賞→紅白歌合戦というゴールデンコースをこたつで見るというのが多くの日本人の慣習だったと思います。
その大勢の人の中に、マクドナルドで夕食を買っていいにおいをさせて持ち帰ろうとしていた親子もいました。
その時は「日本の良き習慣を伝承しない家庭だな」とちょっと残念に感じたのですが、翌日(元旦)からスーパーが当たり前のように空いていることを考えると、元旦に働く家ではもはや大晦日は”大晦日”ではなくなっているのだと気づいて愕然としました。
まさに、”勝者の代償”です。
我々は消費者であると同時に供給者でもあり、消費者として便利になればなるほど、供給者としては顧客へのサービス提供のために厳しい状況になるということです。

どうしたら解決できるのか。
ライシュのいう第3の道とは何なのか。
『教育』がキーになっているような気がしてなりません。

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