2018年10月14日日曜日

『教養としてのテクノロジー』

MITメディアラボ所長の伊藤穰一さんの著作。
未来のテクノロジーについての著者の考え方が記載されている。
単に自分の意見を述べるだけでなく、諸々の問いを読者に投げかける。
論理が明確で非常にわかりやすい。

<シンギュラリティについて>

Singularity(技術的特異点)とは、未来学者レイ・カールワイツが提唱した概念。シリコンバレーの独特な考え方。
○「シンギュラリティ教」の信者にとっては、テクノロジー イズ エブリシング。「科学信奉」に近いものがある。
「科学的に証明されている」というのは、一見すると真っ当に見えるのだが、アカデミック分野においてあまりに強い「仮説」が認められてしまうと、それを信じ込んでしまい、社会で単純に応用してしまうことが往々にしてある。
事例とすると、心理学者のB・F・スキナーの「強化理論」という有名な学説がある。
この強化理論は、いわゆる「アメと鞭」による条件付けで、学習効果が上がることを証明するものだった。
ところが最近では、学習効果を行うためにはクリエイティブシンキングやパッションが重要だという意見が優勢になっている。「アメと鞭」のようにシンプル化したメソッドはダメだとわかってきたのだ。
テクノロジーへの安易な期待は、「アメと鞭」に似た、社会の過剰なシンプル化につながる。
「きっとテクノロジーが全てを解決するはずだ」という発想になりやすく、シリコンバレーの人たちは、自分の目の前にある政治や教育など社会の課題に対して、真剣に向き合う機会が少ないように思える。
○社会の問題に対して、あまり深く考えず「アルゴリズムさえ良くなれば、コンピューターが全部やってくれるだろう」というのは、とても危険な考えではないかと感じる。
なぜなら、こうしたシンギュラリティ信仰に基づく「テクノロイジー・イズ・エブリシング」の考え方が、資本主義的な「スケール・イズ・エブリシング」の考え方につながり、本来は社会を良くするためにある「情報技術の発展」は「規模の拡大」が自己目的化して、様々な場所で軋轢や弊害を生み出しているように思えるからだ。決してアルゴリズムが社会をよくするわけではない。


<”働く”ことの意味について>

○AIが人間の仕事を奪ったとしても、人間が<働く>ことがなくなるわけではない。
よく人に「AIに人間の仕事が奪われたら、どうすれば良いでしょうか?」と聞かれるが、それは大きな誤り。人間はお金のためだけに<働く>わけではないから。
こうした勘違いが生まれやすい背景には、人間が<働く>ことを全てお金の価値に還元して、例えばGDPのように、経済の指標として国家の運営に役立てようという発想があるように思う。
○産業革命以降の経済発展には役立ってきたと思うが、情報技術などあらゆるテクノロジーが社会を根本的に変えつつある現在、どこまでそうした指標が重要かについては議論が必要だろう。さもなければ、お金に換算できないボランティアや遊び、家事や子育てといった活動が軽視されやすい社会になってしまう。
○UBI(ユニバーサル・ベーシック・インカム)は一つの考え方だが、<働く>ことの意味を大きく変えるような動きはこれからも加速していくだろう。
そうすれば、お金のような経済的な価値のためだけに<働く>ことに疑問を持つ人はこれからも増えることになる。
つまり、お金のためだけに<働く>のではない、「ミーニング・オブ・ライフ(人生の意味)」が重要になって来るのだ。
○「経済的価値を重視して生きることが幸せである」という従来型の資本主義に対して、「自分の生き方の価値を高めるにはどう働けばいいのか」という新しい<センシビリティ>(Sensibility)を考えるにはとても面白い時期である。


<仮想通貨について>

○2000年代の仮想通貨は「新しいサイバーな国には、新しい通貨が必要だ」という「理念」ありきだったのが、 今回の仮想通貨ブームは「利益」ありきの投機的な動きとなっている。
○2013年のキプロス金融危機で、キプロスをタックスヘイブン(租税回避地)として利用したロシアマネーが、大量にビットコインに変換された。さらに同年、人民元に不安を感じた中国人富裕層がビットコインへ一斉に換金を始め、中国政府が金融機関によるビットコインの取り扱いを一切禁止した。
ビットコインは、国家から資産を逃避させる手段として買われたところからスタートしている。その意味において、仮想通貨が「国家」と切っても切り離せない関係であることがよくわかる。
○ ICO 真面目にやろうとしている人達がいる一方、インチキ連中が投資家からお金をだまし取ろうと暗躍しているのも事実。ところが、ICOをめぐる問題について、これまで正面から批判する人はなかなか出てこなかった。
むしろ、シリコンバレーのベンチャーキャピタルだけではなく、ウォール街の金融機関もここぞとばかりにICOの輪に加わっているように見える。「シェイク・ザ・ツリー(お金が落ちるまで木を揺らせ)」がウォール街の美学であり、彼らもICOを焚きつける側に回っている。
シンガポールのあるカンファレンスで、ある金融業界の人が「マーケットには安定性は必要ない。ボラティリティが大切だ」と発言していた。彼らにとってみれば、仮想通貨やICOで発行されるトークンのボラティリティは格好の標的なのかもしれない。
結局、今の所のICOは最後に被害者が出る仕組みの上に成り立っている。


<ブロックチェーンについて>

○ブロックチェーンは仮想通貨の取引データを暗号化して、1つのブロックとして記録、管理する技術。取引データがネットワークに参加するコンピューター上で分散的に管理されるため、インターネットの性質に似ている。日本語では「分散化」と表現されているが、英語では”decentoralization”であり、語義からすると「非中央集権化」「脱中心」といった意味になる。
○情報を持つコンピュータが一箇所に集中せず、複数のコンピュータにより共有されるの「P2P」(ピア・トゥー・ピア)であるため、セキュリティを確保することができ、かつ低コストでの運用が可能。また記録のトレーサビリティが確保されており透明性が高く、暗号化による匿名性が担保されるため、所有権を明確にする必要がある「証券」や「通貨」など金融分野での活用が見込まれる新たなテクノロジーである。
ブロックチェーンを使って「デジタル・アセット(電子的な資産)」の管理ができるようになると、貸付や債券に留まっていた資金の流動性が上がり、お金がもっと投資に向かうだろう。ただし、今のところは仮想通貨やICOが最も早くブロックチェーンを活用しており、そこに資金が流れている。
○ブロックチェーンという新たなテクノロジーを考える上で、一番大切なのは、効率化によりコストが安くなるということではなく、インターネットのように「ディストラリゼーション」に向かうこと。
○プロの投資家が投資をして、銀行が企業にお金を貸し付けるといったように、今までの金融の中心は幅を利かせる「仲介業者」のためにあった。しかし、ブロックチェーンの活用により、企業は投資家から直にお金を集められるようになるため、金融や経済がもっとP2Pになっていく可能性がある。
○トークン(コイン)は誰から「発行したい」と考え、購入者がいれば増え続ける。
世の中にたくさんの通貨やトークンがある方が、国の通貨だけが流通するよりも、世界が変わる可能性があると思う。1つに集中させるのではなく、たくさんに分散させた方が「レジリエンス(回復力、しなやかさ)」が高いということと共通。人間の社会は「スケール・イズ・エブリシング」ではない。
自然界を見渡してみてほしい。酸素や糖分を使う生き物もいれば、酸素や糖分を廃棄物として出す植物もある。もし地球上に酸素がなくなれば、酸素を使わない生き物が出てくるだろうし、メタンがなくなれば、それに代わるものが出てくる。自然界では何らかの違う形で補うバックアップ機能が働き、地球は「レジリエンス」を持って対応するのだ。


<meaning of life>

○すでにお金を持っている人たちについては、お金では買うことができない「ミーニング・オブ・ライフ(人生の意味)」を今以上に考える必要が出てきた。
一方で、お金は持っていないけど、ある特定の価値観やコミュニティを持っている人については、どんな価値をお金に交換して生活していくかを真剣に検討しなければならない。
○ノーベル経済学賞を受賞した行動経済学者のダニエル・カーネマンは、 「お金によって得られる幸せは年収7万5000ドル(日本円で約850万円)程度までである」と述べている。
○第2次世界大戦後の日本やヨーロッパは、とにかく戦争により資源が枯渇しており、食べ物も着るものも不足していた。故に「とにかく経済を立て直して生産性を上げるために突き進む」という、誰にとってもわかりやすい「ミーニング・オブ・ライフ」が国家や社会全体として与えられていた。それに比べれば、今の世界はとても複雑になっている。北朝鮮やイスラム過激派組織ISなど、今世界に横たわる多くの問題が、お金で解決できるものではない。これからの社会で必要とされるのは、お金を稼ぐのが上手な人ではなく、国際関係や環境を安定させることが上手い人たちなのだ。
○人間関係はお金に変えない方が良い。 本来、人と人との間に、見返りを求めない行動が生まれるのが良い人間関係。
「見返りを求めない関係」から1段レベルを落とすと、「いつか返してくれるから投資しよう」というギブ・アンド・テイクの関係になる。もう1段落とすと「してあげたのだから、すぐに返して欲しい」になる。一番低いのが「持っていくだけ持っていく」ただのテイク。
あらゆることが「価値」を持つ世界で、これからは正当にその「価値」を測ることが必要になるのではないか。


<「そもそも人間とは何か?」>

○最近になり我々は「そもそも人間とは何か?」という疑問を突きつけられている。新たなテクノロジーの登場により、今まではSFでしかなかったことがだんだんと現実味を帯びてきて、今までになかった概念が生まれた。 テクノロジーによる「人間拡張(Human Augmentation)」であり、また「人間と機械の拡張」だ。
○パラリンピックが「障害者」の競技から、「拡張者」の競技に変わった時、必ず起こるだろうことは「拡張することの倫理的な是非」。新しい倫理や美学を探っていくことが必要であり、議論が求められる。バイオテクノロジー、人工知能、ゲノム編集・・人間が拡張する延長線には新しいテクノロジーが全て繋がっていくだろう。
オリンピックにおいてドーピングは何故いけないのか。病気を治す薬と何が違うのか。新しいテクノロジーが次々と登場してくる中で、何をしてよくて、何をしてはいけないのか、ということを決めていくことは非常に難しいはずだ。
○実験ではすでに、最近や古細菌がウィルス感染を防御するために発達させた免疫防御システム「クリスパー(CRISPER)」を使って、ゲノム編集や遺伝子治療をすることが進んでいる。脳をいかに拡張させるかの研究や、さらには脳とコンピュータを直接つなげる研究も始まっている。
新たなテクノロジーの登場により、これからはそうした「何故?」が世の中に溢れることになるだろう。
例えば、遺伝子工学を用いて人間のクローンを100人作っていいのか?クローンとして生まれた人の権利はどうなるのか? 相続税はかかるのか。クローンに対して自分が遺した遺言は有効なのか。
本当に遺伝子編集を用いていいのか?それは誰の責任により行われるのか?自分の身体ならば勝手に拡張して良いものなのか?身体を拡張して良いのならば、自然界や環境も拡張していいのではないか?
このように答えのない「問い」が社会に遍在するようになる。何ができて、誰が行い、どう行ったら良いのか。全てはこれからの課題。考え出せばキリのないほど議論すべき点があるのだ。
○アメリカでは宗教的な背景もあり、「堕胎してはいけない」という意見を持つ人が多くいる。それが妊娠中絶薬での堕胎ならいいのかなどは、国や文化や宗教の違いによっていろんな意見を持つ人がいる。最近の話で言えばLGBT同士の結婚。お互いが持つバックグラウンドやコンテクストを理解しない限りは、議論が先に進むことはない。
○このように考えていくと、新たなテクノロジーが生む数え切れないほどの「問い」に対して、お互いが「そもそも論」を語るべきタイミングが今だと言える。
僕は新たに生まれた「問い」に対して、皆で議論を深めていくような<ムーブメント>の機運を高めたいと常々考えている。

○テクノロジーがあらゆる人間の拡張を可能にする中で、注目を集めるようになったのが「トランスヒューマニズム(Transhumanism)」。これは科学技術を使って人間の身体や認知能力を進化させ、人間を前例のない状態まで向上させようという思想。
トランスヒューマニズムを信じる人たち(トランスヒューマニスト)は、「人間は人間以上の存在になるために科学技術を使用すべきだ」と考える。こうした考え方は「シンギュラリティ」の思想に近いと自分は感じる。
○トランスヒューマニズムの考え方を先に進めていくと、必ず「人間と人間でないものを分ける一線は何か?」という問いが生まれてくることになる。人間とトランスヒューマンがどのように共生するのか、宗教や文化の違いを認め合うことができるのかといったことも課題となりそうである。
僕はトランスヒューマニストではないので、わからないが、自然界や環境との共生はどう考えているのか、人間の身体拡張と自然との調和はありうるのかなど、疑問を抱く部分がある。
人工知能やバイオテクノロジーなどの科学技術により、人間が触媒になってなんでも生み出せるようになるのかもしれない。しかし、そもそも「進化」という視点で見れば、これまでの進化は良いものと悪いものが分かれていない。どのような進化がふさわしいのかは、自然や環境によって決定してきたものだ。トランスヒューマンネスにはこうした進化の文脈が欠けており、シンギュラリティと同様に、やはり極端な部分があるのではないか、というのが率直な感想。


<都市のサスティナビリティ>

○都市のサスティナビリティはとても難しい問題。本来ならば、水資源はその土地の近くに住む人たちのものだから、彼らが有効活用するのが大切なはず。
ところが、都市はそうした自然資源から遠い場所に位置している。都市は遠くにある湖の水を引っ張ってくるような乱暴なことをする。
大都市であればあるほど、食料やエネルギーをどのように周辺の地域から持ってくるか、それについてどうやって責任を取るのかを深く考えなければならない。物理的に見て、地球にとってどれくらいマイナスなのかの計算がなくてはならないのだ。
○都市のサスティナビリティを考える上で、僕は「グローバリズム」と「ローカリティ(地域性)」という視点が大切だと考えている。
僕が注目しているのは、「インディジネス・ピープル(先住民)」から自然とどう暮らして行くかを学ぶムーブメントだ。これは「ローカル・リテラシー」と呼ばれることもあるが、彼らの知恵をどのように都市へ還元していくかを考えていく動きだ。
MITメディアラボが参加している自然保護のイベントには、住民だけでなく、その地域とつながっている人たちをきちんとサポートするやり方が妥当だという考え方を基に進めている。インディジネス・ピープルもそうだが、その地元に何らかのつながりがあり、しっかり土地と結びついた人の視点やコンテクストで、都市や環境を考えることが大切だ。
○今までの「国際貢献」は、先進国などお金を出す側が「文化的に遅れている地域」という認識で、「その地域に住む人たちを助ける」という意味合いが強かったように思う。今は、彼らからローカル・リテラシーを学び、彼らが持っている知恵をいただくために活動しているのだ。
彼らインディジネス・ピープルの<センシビリティ>を、つまり「考え方」や「美学」を先進国に移転しながら、これからも積極的にシェアしたいと考えている。


<アンスクーリング>

○学校教育に頼らず、学校そのものが一切存在しないかのように子供を育てるのが「アンスクーラー(Unschooler)」と呼ばれるコミュニティだ。
アンスクーラーになる家族には色々な理由があるが、共通するのは大人が子供の教育をしないという点。
子供達自身が興味を持ったことを探求するため、大人が手助けをするのがアンスクーリング。子供達はそのアンスクーラーのコミュニティで暮らすのだ。
○アンスクーリングには「セルフディレクテッド・ラーニング(自発的な学習)」という哲学がある。その哲学のもと、子供何を学びたいかを全て自分で決めて、どのように学ぶかも決める。全て自分で決めるというアイデアだ。
アンスクーラーは決して「答え」を教えない。子供達には高い自主性が求められている。
アンスクーリングでは、何を大人に手伝って欲しいのか、子供達から自分で言わせることが大切と考えている。評価のない自由の中で、子供が自分の行動を通して成長するスタイルだ。
「教育」そのものの枠組みから完全に飛び出して、「生きる」と「学ぶ」の2つが同じものであるという解釈の上で、子供自身に「自分の生きがい」を定義させるのがアンスクーリングなのだ。
○アンスクーリングでは、自分一人で全てを学ぶことが重要なのではない。テストで良い点を取って「コンペティション(競争)」に勝つことは必要ないのだ。
人とテクノロジーのネットワークを使って、どうやって「コラボレーション(共同作業)」しながら知識が得られるかがポイントだ。
アンスクーリングの場では、子供自身が持つ疑問やアイデアについて、「それを解決するには、知識が必要だ」と感じることからスタートする。どうやって解決すればいいのか、チャレンジを求められるのだ。
したがって、アンスクーリングにおいて、最も重視されるのが社会とのつながりだ。家族や同じ学年同士のつながりだけでなく、社会全体にふれあい、学ぶというのがとても大切だ。
実際には、アメリカでもアンスクーリングは賛否両論だ。保守的な価値観を持つ人の中には、あまりにも子供が自由な様子を見て、強い拒否反応を示す人もいる。
○ほとんどの親が「子供達の今していることは、将来に向けての準備じゃないと意味がない」と考えているようだ。親は子供のどんな「遊び」でも「勉強」に結びつけてしまうのだ。「将来お金がたくさんもらえるように」「将来好きなことができるように」と、「いま」ではなく「未来」を生きることが求められるのだ。
しかし、アンスクーリングは全く逆だ。アンスクーリングは、子供が経済を支える人間になるよりも、自分の中に幸せを見つける、ということが基本的なアイデアだ。自分の人生における「生きがい」を考えることが、本来のアンスクーリングの哲学に近いと思う。
「フューチャリスト(未来志向者)ではなくナウイスト(現在志向者)になろう」
イノベーションは、今身の回りで起きていることに心を開き注意を払うことから始まるのだから、フューチャリストであってはいけない。今の出来事に集中するナウイストになるべきなのだ。


<日本人について>

○京都の旅館の女将や星付きレストランの料理人のように、日本にはどこか非経済的な「こだわり」を持っている国民性があり、そうした文化を伝統的に持ってきた国だと思う。
ところが、一度普通のサラリーマンに目を移すと、途端に「こだわり」が薄れる。日本は経済的にも豊かな国であるはずなのに、普通の会社員になると、「こだわり」を感じることができなくなる。 社会のある一部のカテゴリーお人はこだわりを持って生活をしているが、普通の人が生活の中で「イノベーションをしよう」「変えていこう」と意欲を持たないのは残念である。
○教育システムを変えるのではなく、価値観からかえるべき。生活の中で皆が強い「こだわり」を持つことが一番大切だと考えている。
教育も社会も硬直化したシステムで運営されているため、そう簡単には壊れない。今必要なのは生活への強い「こだわり」だ。
<センシビリティ>が必要だと訴えたが、これは日本語では「肌感覚」とい言葉に近いものだ。AIやロボットが登場するポスト資本主義の時代には、日常の生活から得る「肌感覚」がとても大事になってくる。
○日本人と会食をしていると、雑談の9割が組織内の話だ。日本は全体的なシステムとして見ても、内部のプロセスに時間がかかりすぎ。ある日本の大企業の知り合いは、スケジュールは全て定例会で埋まっており、他のスケジュールは全く入れられないそうだ。色々なプロセスにエネルギーを吸い取られてしまう虚しさは筆舌に尽きない。日本の中でしか意味のないことにエネルギーの大半を使っている。
日本人は、イノベーションよりもプロセスを大事にしている。日本人が心のレジリエンスを持っていることはよくわかるが、社会のシステムにはレジリエンスやフレキシビリティがあまりないような気がしている。
○どうやって社会のシステムを変えれば良いのか。僕らは「文化」や「ムーブメント」だと考えているが、日本人が何かの行動を起こすきっかけとして大事なのは「空気」だとい人がいた。
だとしたら、コミュニティはどういう「空気」で動いているのか、どうやったら「空気」を変えることができるのか、とても面白いテーマだ。
○ムーブメントは「波」が大切。「波」は人と人が意見をぶつけたり、つながったり、メッセージを出していくことで変わっていくものだ。色々な「波」が集まって、初めて「ムーブメント」が生まれる。
○ムーブメントを起こすための候補を考えるのに、僕は「時間軸」を問うようにしている。 例えば、ネイティブ・アメリカンは7世代単位で物事を考えるそうだ。江戸っ子になるには3代必要らしい。文化やムーブメントを考えるということはそれくらいの時間軸で考えるものだ。

○東京大学の暦本純一先生は、人間拡張の話をする際に『サイボーグ009』の例を出していた。そもそも日本人は身体を拡張するのが好きなのではないかと思う。そもそもテクノロジーを楽しんでしまうところがあるのが日本人なのだ。
一方で、アメリカは身体を拡張するというよりも、不滅の肉体を持ちたい、という方向に向いているのではないかと感じる。
日本がファンタジー寄りならば、アメリカやシリコンバレーはシリアス寄りだ。
単に自分が神様になりたがっているのかもしれない。真面目に身体拡張を追求しているように見える。
○身体拡張から、さらにロボットにおける日米比較のとても面白いものがある。
ある日本人に言わせると、日本に八百万の神が存在するように、日本人はもともとロボットというテクノロジーに対する違和感がない。あちこちに神がいる世界に生きていることが前提である。
一方で、キリスト教は唯一神であり、神が万物の創造主という教えだから、人間が作った「生き物」であるロボットは、本来相入れないもの。いわば人間が神様になってはいけないという思想だ。
○日本人はロボットと友達になることはあっても、ロボットの奴隷になるストーリーをあまりイメージしない。
西洋の歴史は、奴隷の存在なしでは語れない部分がある。人種差別はそもそも奴隷から派生している問題とも言える。
ある意味で、白人は奴隷となったロボットたちが「革命」を起こすのではないかという恐怖をどこかで持っているのかもしれない。
○「シンギュラリティ」の話ともつながってくるが、コンピュータが人間をはるかに超えて無限に賢くなったとき、人間がロボットやAIの奴隷にされる可能性もある。
万能のAIを搭載したロボットができたとき、人間が果たして必要なのか。
キリスト教のアメリカ人からすれば、それはつまり新たな神様が誕生することに近い。
ポスト西洋的な流れではあるが、万能のAIロボットを「最後の審判」だとして不幸になると思っている人と、それを歓迎して「世界が天国になる」と思っている人と、両方の意見がある。
日本には「人対神」という視点もないし、「誰がAIやロボットを支配するのか?」という倫理が欠けている。
日本がこうしたテクノロジーの流れに対して、どのように関わっていくことができるのかが、今問われている。


さすが、世界の知能という観点も多い。
「21世紀は”人間の再定義の時代”である」と言ったアルビン・トフラー氏の予言がいよいよ喫緊の課題になり始めている。
世界の賢者には「すでに資本主義は次に向かうべき考え方である」という考え方を持つ人が多いが、その「次」を中々明確に示せていない。
「多様化」「脱中央集権化」というイメージしづらいものをいかにイメージさせて確立するのか、それが”ムーブメント”だとすると、そのムーブメントをどのように作り上げていくのか。
世界の智者にとっても難題だということだ。

著者の
「シンギュラリティが起こって人工知能が万能になっても、我々が現在抱える問題を解決するのは難しい。」
というのは重たい言葉だ。

2018年9月24日月曜日

『人の名前が出てこなくなったときに読む本』

認めたくはないが、この本を読もうと思ったのはタイトルにある通りである(笑)

度忘れ程度の軽いボケを、著者は「軽度認知症」と呼んでいるが、決して軽視してはいけないと警鐘を鳴らしている。
名前を忘れれば、人間関係が崩れ、社会性が崩れる。名前忘れは群れの放棄であり、孤独の始まり。群れを作る動物を孤独にすると、凶暴になり、ついには狂死するという報告もあるらしい。

<TOT現象>

いわゆる「人の名前が出てこない」症状を心理学用語では「Tip of the tongue」(舌先現象:「喉まで出かかっているのに思い出せない」現象)というらしい。

<顔は浮かぶのに名前が出てこなくなる訳>

これは人の顔を覚える機能と名前を覚える機能が脳の中で別々であることから発生する。
名前のような簡単に思える記憶は、ひとまず脳の海馬の短期記憶の倉庫に入れられる。その後、重要と認められれば、脳の側頭野で長期記憶化される。
一方、顔の記憶は非言語記憶で、顔貌という情報が目から入る。おまけに脳内には「顔細胞群」と呼ばれる、顔を覚える特別な細胞の集合体があり、「顔という形態」として認知される。そしてもちろん側頭前葉にある長期記憶の倉庫には、ほぼスムーズに収まることになる。
顔記憶はエピソード記憶に属するので覚えやすい。エピソード記憶が残りやすい理由は、脳には「生きる・死ぬのような生存に関わる事柄を優先的に記憶するというシステム」が存在し、エピソード記憶が生命や生存に関わる記憶だから。
一方、意味記憶である”名前”の誕生は、進化的にはかなり時がたってから。言葉も生まれ、文字らしきものが現れてからの話。名前が誕生した頃には、脳の構造も完成に近くなり、「名前を覚える専門の細胞群」の誕生とはならなかった。
脳の中では人の顔と人の名前が別々に処理されているため、顔は出てくるのに名前が出てこないということが起こる。

<名前が出てこなくなることに潜む危機>

名前が出てこなくなることには、二つの危機が潜んでいる。
第一の危機はアルツハイマー型認知症の発生。
第二の危機は社会性の欠落。
「孤独」とい言葉は孟子の「鰥寡孤独(かんかこどく)」からきている。
「鰥(かん)」とは61歳以上のやもめ(鰥)、「寡」とは50歳以上の未亡人、「孤」とは16歳以下の父親のいない子供、「独」は61歳以上の子供がいない者を指す。
孤独の何が恐ろしいのか。それは社会性を失う点だ。社会性を失い孤独になれば、異常行動や異常思考が始まる。そして認知症につながっていく。


<認知症対策は血液循環が鍵>

脳には酸素の備蓄機能がない。酸素補給が途絶えると脳神経細胞は20秒前後で酸欠になる。生命だって5分と保たない。しかも代用機能もない。
認知症の基礎疾患の御三家は、「高血圧」「脳血管障害」「心臓疾患」。最近では「糖尿病」も加わるため4つで四天王に昇格。
この四天王、全てが血管系の疾患、もしくは血管に悪影響をもたらす疾患。
認知症との戦いの鍵は血液循環にある
問題は血管の確保も課題。
「1−2−600〜800」この意味は血管の断面積の和。
大動脈の断面積の和を1とすると、大静脈は2であり、毛細血管は600〜800。
大動脈は確かに太い。心臓近くの大動脈は直径が3cmもある。だが数は少ない。毛細血管は超細いけれど、数は無数に近い。毛細血管まで血液を流すためにどうしたらいいのかが課題。

毛細血管を増やすには、5分くらいの軽い筋トレと15分ウォーキングが有効。歩くときには足の親指を意識して歩くと良い。
認知症や糖尿病を含めて、簡単運動法の極意は、「可能な運動を、可能な時間帯に、可能な限り多く」やること。
「簡単スクワット+つま先立ちの組み合わせ」を可能な時間帯に可能な限り多くやることが肝要。


<血糖値スパイク>

糖尿病は、糖をエネルギーに変えるインスリンと深い関係がある。
そのインスリンが認知症に原因であるアミロイドβと深くつながっている。
穀類、パン類、麺類など、糖化しやすい食べ物をたくさん取り入れると、血液中の糖分が増える(血糖値が高くなる)。
血液中の糖分はエネルギー。体力向上のためには一刻も早く糖質をエネルギーに変えなくてはならない。膵臓は大急ぎでインスリンを分泌する。かくして糖質はエネルギーとなり一件落着。
ところが、ここに血糖値スパイク(食後高血糖)という現象が現れる。
日に3度の毎食後の高血糖値となると、膵臓もインスリンの過剰分泌を起こす。
この過剰分泌による「残りのインスリン」が認知症の原因であるアミロイドβを増やすことになる。
血糖値スパイクを抑えるには、食事の食べる順番を変えるだけで良い。
野菜→肉・魚→ごはん、パン、麺
コメ飯の前に野菜を食べると、野菜に含まれる食物繊維が、小腸からの糖や脂質の吸収を抑制し、食後の血糖上昇を抑える。
インクレチンとは、食事をして糖などが吸収されると小腸から出てくるホルモン。
血糖を上げるホルモンに、グルカゴンという物質がある。インクレチンは、グルカゴンの分泌を抑えたり、胃の動きを緩やかにしてくれる。そして食後の血糖上昇を抑制する。
また、食事の直後に運動をすると、血液が運動器の方に集まり、消化器に集まるはずの血液が減る。すると消化吸収力が落ちて血糖値が上がりにくいということになる。
これまでの健康法は「親が死んでも食休み」だったが、糖尿病は血糖値スパイクを抑制するために、食事直後の運動が有効。
方法はともかく、血液を消化器から遠ざけて、運動器に集めるのだ。血液というエネルギーが不足ならば、消火器も十分に働けない。その結果血糖値が急激に上がることがなくなる。



<その他小ネタ>

◯日本人は、現在ガンは2人に1人、認知症は5人に1人。決して遠くない日に2人に1人になるであろう。
◯認知症予防には緑茶も効果あり。
◯単一食材の主食より、バラエティに富む副食重視の食事の方が認知症予防にも記憶力回復にも効果あり。
◯1日に何回食事をするのが良いか議論について。
胃腸派は胃腸を休めるためにも1日2回を唱え、脳エネルギー派は1日3回説を重視する。
1日2回だと脳エネルギー的には明らかに糖質不足。
◯親が認知症になると、子が認知症になるリスクは1.6倍も高くなる。
親が80歳未満で認知症になった場合は遺伝率が非常に強くなり、子供が認知症になるリスクが1.6倍に高まる。逆に親の認知症発症年齢が80歳以上であった場合には子供が認知症になるリスクは1%しか高まらず、ほぼ無関係と言える。
親が認知症になった場合の子供の発症に、男女差はなかった。
◯人間は血管とともに老いる。



認知症対策で面白かったのは「小さな親孝行」というもの。
「小さな親孝行」
10分間くらい、両手で親の背中を優しく撫でるだけ。指圧、マッサージ、あんまのテクニックは必要なし。ただただ優しく撫でるだけ。
この方法はオキシトシン療法といって、認知症の予防に有効と認められ、注目されているらしい。
もともとオキシトシンは、子宮収縮薬や陣痛促進剤として使われていて、闘争欲を減少させ、イライラを解消する。
このご時世「オレオレ詐欺」が流行っているが、息子にも娘にも相手にされない老人は、電話でやさしく話しかけられると、オキシトシンが大量分泌されて、相手をすぐに信用してしまうからだと言う。


最初の段階では危機感を煽るためか、「たかが人の名前が出てこなかった」とは考えないよう、それは軽度の認知症、認知症の始まりである、という流れで書かれているのだが、一方で認知症には不安やストレスが良くないとも言っており、危機感を煽れば煽るほど、認知症予防と反するのではないか?読者はこれ読んだら不安だぞ、という疑念を持ちながら読み続ける感じだった。
ちょいと気軽に読み始めたのに、いきなり軽度の認知症の恐れあり、と言う風に論じられると反発心が起き上がるのも否めないが、食事の順番には気をつけたいし、「小さな親孝行」というのは今度実行してみようと思った。

2018年9月23日日曜日

『1分で話せ』

「エレベーターブリーフィング」という言葉がある。忙しい役員などにそもそも説明の時間をもらうために短時間で話の概要を説明することだ。
忙しい人々に時間をもらうため、短時間で概要を説明する、そのためのノウハウを学ぶべく読んでみた。

そもそも人間は、相手の話の80%は聞いていない。
これは偉くて時間のない人に限らない。
そのため日々の活動においてチームで動く場合にも、チームの力を最大限活かすためには、自分の主張を相手にしっかりと伝え、理解してもらい、動いてもらう力、すなわち「プレゼン力」が必要となる。
これは人前で発表するスキルでも、話すスキルでもない。人に「動いてもらう」力である。
プレゼンというのは、自分が伝えたいことを「伝えていく」行為ではなく、「相手の頭の中に、自分が伝えたいことの骨組みや中身を『移植』していく作業」なのだ。

そのために必要なのが、「1分で話せるように話を組み立て、伝える」ということ。
「1分で伝える」極意、それは左脳と右脳の両方に訴えかけること。
そして「相手を動かす」、これを明確に意識すること。


右脳と左脳の両方に訴えかけるためには、ピラミッドは3段で作る。
 「結論」→「根拠」→「たとえば」の3段ピラミッド。
左脳には理論で根拠を示し、右脳には例えを引くことで想像させる。

ピラミッドを作るにあたっては
・前提を聞き手と共有する(そのためには「◯◯の場合には」という枕詞をつける)
・主張(結論)を明確にする
・主張を説明する根拠を複数用意する(できれば3つ)
・意味が繋がっているか、「〜だから、〜だ」と読んでみてチェックする。
ことを経る。

いくらいい話をして聞き手に喜んでもらったとしても、聞き手がそれをずっと覚えているかどうかは別の話。
人は相手の話を80%聞いていないことを忘れてはいけない。
しかし、印象に残るストーリーをしっかりと話し、相手に覚えてもらうための仕掛けを作ることによって、相手にずっと話を覚えてもらうことは可能だ。
そのためには、「自分の伝えたいことを、一言のキーワードで表す」。そうすることで、自分の伝えたい内容をその一言に「包み込む」。それを「めちゃくちゃ大事な一言」という意味を込めて「超一言」と言っている。
「覚えやすく、その一言で、プレゼン全体を表現するようなキーワード」を用意することだ。


必要なら、事前の根回し、会議後のアフターフォローなんでもやる。
相手が動くためにできることを全てやりきる。そしてそのために時間を惜しんではいけない。
自分がプレゼン下手だと思い込んでいる人の7割は単に「声が小さい」ことが原因。
声に出して、立って、何度も練習する。時間の許す限り。

たとえ上司であっても「配慮はしても遠慮はしない」
大事なのは動かしてなんぼ。


1分間で言い切れるように、シンプルに言いたいことをまとめ上げる。
これはプレゼンだけではなく、チーム内のコミュニケーションにも重要なこと。
シンプルな中にも独創性のある「超一言」を入れ込むことでビジョンを共有することができる。

その他にもプレゼン資料のフォントの大きさやら、人前で話すとき意識することのポイントなど、具体的な内容がシンプルに記載されている良書。
確かに、「1分間で話せ」の内容がダラダラと長かったら説得力ないからね。

2018年7月29日日曜日

『ザ・ファースト・ペンギンス』

「新たな価値創造を行うには」
各企業で新規事業が検討されるが、中々うまくいっていることが少ない。
そのための方法論について、物語形式で楽しく理解できる秀逸な本。

新たな価値の創造に挑むべく行動を起こすと、2つの壁にぶち当たる。
1つ目は「新たな価値をどうすれば発想できるか?」という壁。
2つ目は「誰もが初めて聞くような画期的な新価値を、組織でどうやって意思決定するのか?」
現在仕事で、1つ目の壁をクリアしたと思ったら、2つ目の壁を目の前にしており、「なるほど、これは新価値創造アルアルなのだ」と納得しつつ、ではどうしていったら良いのか、ヒントがあるのではないかと思い手にとった。


<アブダクション>

世の中で一般的に知られている「推論」には2種類ある。
一つは演繹。もう一つは帰納
演繹と帰納の他に、第三の推論方法がある。これはシャーロック・ホームズが推理するときに駆使している推論方法で「アブダクション(仮説的推論)」と呼ばれる。
驚くべき「事実」(観察により違和感のある事実)が観察される。しかし、もし「仮説」が真であれば、「事実」は当然のことである。よって、「仮説」が真である、と考えるべき理由がある。と考えるというもの。
海王星が見つかったのも、「今までの理論では合わない星の動き(驚くべき事実)」から「まだ発見されていない星(海王星)の存在(仮説)」が推定され、現実に見つかったというアブダクションによるものである。
https://omachido.blogspot.com/2015/04/blog-post.html


<リフレームされたインサイト(新たな洞察を得る)>

答えから考えずに、気づきから始めて洞察を得るというのは非常に良いアプローチ。
実は、①アブダクションと②統合(ヘーゲルの弁証法におけるアウフベーヘン)と③リフレームビジネスにおいてそれまで常識とされていた解釈やソリューションの枠組み(フレーム)を、新しい視点・発想で前向きに作り直すこと)の3つは同時に起こる。
そして「リフレームされたインサイト」すなわち、「意外な真相」「隠れた事実」が見つかる。
インサイトとは「複数の事実を俯瞰し、統合することで生まれる新たな仮説の中で、本質的だと確信できるもの。」
新たな事業、新施策に向けての発想のタネのようなものか。

リフレームされたインサイトの質は3つの側面で評価される
新規性:これまでの常識と異なるか?
妥当性:確からしさは高そうか?
汎用性:そのインサイトが適用できる範囲は広いか?

<フォーサイト(新たな展望を生む)>

フォーサイトを考えるとき、最初は「プロジェクトのゴール(会社の未来を支える新しい価値を創造すること)」と「インサイト」を統合して、オポチュニティ(市場機会)を発想することから始める。
オポチュニティとは、「市場の状況」のことではなく、「市場において受け入れられるチャンスがある、抽象的な価値」のことを意味する。

フォーサイト・クリエーションのプロセスは、気づきに始まり、インサイトを出し、そこからフォーサイトを生む、という流れ。
気づきを得るためには「気づき力」が必要だし、インサイトを生み出すには「仮説構築能力」が必要。そしてフォーサイトを生み出すには「クリエイティビティ」が必要。
これら3つの能力は今後も人間にしかできない仕事として残っていく可能性が高い。

「気づき力」→「好奇心」、「仮説構築力」→「なぜなぜ思考」「根源(根本的)思考」、「クリエイティビティ」→「遊び心」と考えると、このAI時代に子供に身につけさせなければならないのは、「好奇心」「思考力」「遊び心」と言った所か。


<新価値創造>

問題には3種類ある。
Simple Problem(単純な問題):課題もソリューションも明快
Complex Problem(複雑な問題):課題もソリューションも明快ではなく、解くことが困難な問題(ただし、解はある)
Wicked Problem(厄介な問題):課題もソリューションも明確ではない上に、そもそも何が問題なのかを定義することが困難な問題

子育てにたとえると
①Simple Problem(単純な問題):子供が泣いているからミルクをあげよう
②Complex Problem(複雑な問題):子供を安全に育てるにはどうすればいいだろう?
③Wicked Problem(厄介な問題):子供をどういう人間に育てればいいだろう?

Wicked Problemには誰もが納得するような正解はない。自分(自社)の意志がなければ決めることができない。
多くの企業や組織は、新価値創造がWicked Problem ではなくて、Complex Problem だと勘違いしている。


「新価値創造」と「プレゼントを贈ること」は似ている。 喜んでもらえるプレゼントを贈るためには、贈る相手のことを深く理解する必要がある。
新しい価値には正解はない。正解のないところに新たな軸を生み出すのが新価値創造。
そして、良いプレゼントを贈るためには、どういう価値を相手に届けたいのかという贈り手の意志が重要。
つまり、良いプレゼントというのは、「贈る相手の深い理解」と「送り手である自分たちの意志」が統合されたもの

新価値創造においては、自社の「ブランディング」「強み」へのメタ認知が必要。
それに「オポチュニティ(市場の洞察に基づく市場機会)」を加えて3つ(「オポチュニティ」「ブランディング」「ストレングス」)を統合する必要がある。
(👉マーケットには3つ、自社、競合、顧客の3者しかいない、という話と似ている。オポチュニティ(顧客への提供価値)、ブランディング(自社のありたい姿)、ストレングス(競合との比較)と整理して考えると分かり易い)

<マインドセット>

新たな価値創造を実現する際にはいくつもの壁がある。
主な3つの壁としては
①意思決定の壁 ②リソースの壁 ③横連携の壁
である。

新価値創造を成し遂げるためには打たれ強くないといけない。 新しい価値が実現する時には、以下のようなプロセスを経るものだからである。
①無視される(話を聞いてもらえない)
②怒られる(言うことが軽い、上手くいくはずがない、と叱られる)
③「それがうまくいくことは、最初から分かっていた」と言われる(成果が出ると、評価が変わる)
結局は、自己効力感、他己実現、チャレンジ精神のマインドセットを持てるかどうか。

ここでも、同志社女子大学 上田信行先生から教わったgrowth mindsetが重要であるとされている。
https://omachido.blogspot.com/2009/07/blog-post_1672.html

このマインドセットを維持するには2つの重要な要素がある。
その一つ目は環境。心理的安心が確保されている環境でないと、クリエイティブな発想はできない。その心理的安心のある環境というのは「個々人を信じてもらえること」「ボケても大丈夫」の2つが保証された「場」。
もう一つの要素は、仲間。一人ぼっちではマインドセットは維持できない。
「場」だけでなく、「仲間」も重要だということだ。


「アブダクション」という普通の人が聞いたことがないような内容(自分は中西先生のワークショップで初めて知った)が8つの重要なファクターの一つとなっていたり、シャーロック・ホームズの話が頻繁に出てきたりで非常に親近感を持ちながら読み進めることができた。
前段の「新たな価値をどう発想するか」については一定の方法論が提示されていると思われるが、
後段の「新価値をどう組織で意思決定するのか」については、トップでないとできない方法論が多く、まだまだ課題も多いと感じた。
日々の業務に目を戻すと、説得の壁の他にもまだまだ壁があることが示唆されていて、それはギョッとする内容であったが、一つ一つgrowth mindsetでもってクリアしていこう。

2018年5月26日土曜日

『京大式 DEEP THINKING』

AI研究者で、今は『不便益』研究者である川上浩司氏の著作。
昨今、人間の職場はAIに取って代わられるのではないか、という議論がよく行われている中、AI研究者でもあった氏がたどり着いた意見としては、
「深く考える営みこそ、人間の個性であり一番の強み」
ということらしい。
そして、その「深く考える営み」として相棒は「鉛筆」でなければならない、というのが氏の主張だ。

<「考える」と「深く考える」>

◯「考える」という営みは「recognition=認識」だと解釈している。つまり、「目の前のものは、すでに自分の中にある概念と同じだ」と認識・確認する作業が、一般的に我々がいつもしている「考える」作業のほとんどだ。
「深く考える」とは、例えば未知のものを目にした時、それは何かを、考えて考えて考え抜いた末に、全く新しい概念が自分の中に形作られることだ。 既知のものであっても、新たな面を見ようと思案する道筋そのものが「深い思考」となり、それによって発想の転換も促される。そのプロセスの果てに行われる、「認知(cognition)」が深い思考だと解釈している。 「試行錯誤」とは「思考錯誤」に他ならないのだ。
◯深い思考とは、「道中(思考そのもの)」に意識を巡らせて「砂利」や「石ころ」をかき集め、そこからまだ誰も見つけていなかったような「ダイヤモンド」を見つける作業と言える。
◯「深く考える」とは「プロセス」であり、必ずしも「最適解」を出すことではない。


以前将棋の羽生善治さんが、
「最近は将棋の世界もIT化が進んで昔の棋譜を一瞬で検索できるようになってきた。それを活用して、若い棋士はある程度のところまでは過去の定石を吸収してすごいスピードで伸びるのだが、ある程度のところまで来ると伸びがピタリと止まるケースが多い。過去のものを効率よく吸収する能力と、新たなものを作り上げていく能力はまた別のものである」
というような趣旨のことを述べられていたことがある。
それと非常に通じるものがあると感じた。

世の中では、「素早い反応=頭の良さ」と言う定義がされているケースが多いが、これは今まで自分の中にある引き出し(既存の概念)を活用して認識・回答をしているに過ぎない。
深く考えるためには、自分の中に新たな概念を形成する必要があり、そのためには時間もかかる(はず)ということだ。

個人的には、「深く考える」ことを”プロセス”と言い切ってしまうのには若干抵抗がある。「(出るか出ないかは別として)最適解を出すことを目標に考え(あがき)続ける」ということではないか。


<深く考える相棒 鉛筆>

◯鉛筆は「物との約束」によって文字を書く。一方PCは「人との約束」によって文字を書く。
私たちの世界を支配している絶対的なルール「物理現象」。物理現象とは、自然界で我々を絶対に裏切らないルール。しかも、全員が体で了解している「物との約束」だ。
そんな「物との約束」の他に、この世には人為的な力や思惑が挟まった「人との約束」がある。
◯鉛筆ではなく、PCでメモを取られると違和感を感じる理由は、この「人との約束」に対する確実性の欠如ともいうべき感覚にある、と私は感じている。
◯最近では「物との約束」に驚くほどそっくりな「人との約束」も登場している。「物との約束もどき」が大増殖中なのだ。「物との約束」に限りなく近い「人との約束」。すなわち「物との約束もどき」は、「自然だから使いやすい」という評価を人々の潜在意識から引っ張り出している。だがやはり、100%物理現象に立脚しきれてはいないので、「物との約束」に比べて「実感」はどうしても薄く、ふとした時に違和感を強烈に覚える。

著者は、「物との約束もどき」の例として、『クレジットカードを使うときのデジタルペン』を挙げている。確かに、銀行や店舗で使うとき、ディスプレイにタッチした時の違和感は否めない。でもこれは技術の進歩でカバーしてしまえるのではないだろうか。「物との約束」に限りなく近くなった際にも、「人との約束」と「物との約束」とは別物であり続けるのだろうか?

◯「コンピュータ」、ひいては「便利」や「スピード(速さ)」とは、話す人とメモを取る人の間に、あるいは個人の思考と最初のアウトプットの間に、システムという「人との約束」を割り込ませるものだ。
「人との約束」が入ることで、反対に「思考」が入る余地がなくなり、深く考えることに集中できなくなる。思考によって生まれる「砂利や石ころ」がこぼれ落ちる。
「人との約束」というワンクッションが入るので、考えてからアウトプットまで時間がかかる。
これほどのデメリットがあるのに、できる人がメモや考え事の際にPCを使うはずがない。「3Dプリンターよりもレゴ」「PCよりも鉛筆」となるのは自然なのだ。


<リスクホメオスタシス>

「リスクホメオスタシス」とは、カナダの交通心理学者 ジェラルド・J・S・ワイルドが提唱した人間の心理で、
「人は安全だと思うと危険なことをする」
というもの。
人間は危険がありそうだと慎重になるが、危険を感じないとリスクを冒す。オープンカーは概ね安全運転されていて、事故を起こしているのは普通の車というのが一つの事例だ。
◯「書きやすいボールペン」だと、「伝わらないかもしれない」というリスクを冒して雑に書いてしまいやすくなる。(だからやっぱりボールペンではなく鉛筆なのだ。)

<「わざ言語」>

「わざ言語」においては、完璧な再現性を求めるようなものではない。言った人と聞いた人がお互いに了解すれば、それで成立するという情報伝達手段だ。
「師匠の動きと完全に一致した動きを再現しなければいけない」というルールなら不合格だが、わざ言語は「教えを受け取って自分なりに解釈し、経験に基づいて自分なりに再現する」というのが前提で指導が行われる。
肝心なのがこの「経験に基づいて」という点で、共通する経験がなければ「わざ言語」による情報伝達は成立しにくい。
この「経験」こそが説明に実感を宿す、言葉の上での「物のコトワリ」的な役割を果たすと言える。
◯わざ言語には、共通の経験は必要だが、受け取り手が独自に解釈する。つまり、考える余地がある。
こう考えると、わざ言語を用いて思考することは、深く考えながら「自分ならではのユニークさ」を生み出す訓練と言える。
◯マニュアル通りの再現なら「これで合格」というのがあるが、わざ言語の上達には頂点がない。

<「深く考えること」と「経験すること」>
◯「深く考える」ことで自ずと得られる益の1つが、プロセスを味わうこと、すなわち経験することである。
つまり、深く考えて物事の色々な側面を探ったり、たくさんの多様な経験をしたりすることで自分に合う方法を見つけ、その方法をまた深く経験する。これが、人間としての魅力「人間力」やスキルを飛躍・習熟させてくれるのではないだろうか。
◯「経験」と「実感」は時間がかかるし、時間がかかってこそナンボ。「考える」というのも時間がかかる動作だし、時間をかけるべき行いだ。
行きつ戻りつしたり、一食戦に結論にたどり着かずにグルグル同じ場所を回ったり、時には道を間違えたり、遠回りをすること。それが「深く考える」ということ。
そんな行為そのものに、「自分だけのユニーク」を見つけるヒントが隠されている。
◯人間が文脈依存的であるとは、「経験(=プロセス)」で「人となり」や「思考の耐久度」が形成されていくということの何よりの証拠である。
「思考という経験(プロセス)」を目に見える形にする際、鉛筆こそ最適のツールだと思う。 鉛筆で何かを書きながら考え事をすると、「思考の連続性」がそのまま残る。

そもそも生物の脳は、思考するためではなく、体を動かすために発達した。その延長で脳を思考のためにもフルに活用し、生物として地球上の生態系に君臨しているのが人間である。そう考えると、深く考えることは経験することの延長上にある(そして、経験は言葉上の「物のコトワリ」として機能する)、というのが腑に落ちる。

<マイクロスリップ>

◯実は「エラー」は思考をさらに深めてくれる。
エラーには次の2つがある。
①ミステイク(意識的に実行された行動に関わるエラー)
②スリップ(意識されないで行なった行動に関わるエラー)
発達心理の研究分野では「しまった」というほどでもない小さな「スリップ」を「マイクロスリップ」と言い、人間の成長に非常に大切なものだという。マイクロスリップをきっかけに新たな発見があり、成長を果たす。
鉛筆での手書きは、マイクロスリップを引き起こす回り道そのものだ。


<不便益について>

不便とは、つまり「思考できる余地がある」ことを示すサイン。自分から工夫して変化を起こすことは、その時点で「不便の益」そのものなのである。
あえて「手段」を引いて一瞬不便にすることは、「何か自分で工夫しよう」と能動的かつ深く考えるチャンスになり、「手段を引く」ことで新しいアイデアが生まれる余地ができるのである。
◯説得力には「本質」と「経験」が欠かせない。 それに「本質」は、スティーブ・ジョブズがそうであったように、シンプルであればあるほど際立つ。
不便益の研究で引き算発想をする際は、「便利な手段」は引いても「経験そのもの」は引かないというルールを設けている。
◯便利にできてしまうものは、価値が薄まってしまう。 これは、数が増えることで、「価値の割り算」が起きている現象である。
◯鉛筆はギリギリまで引き算された本質的なツールだから「物とのコトワリ」がダイレクトに感じられ、考え事にも適しているということだ。


「なぜ鉛筆を使う必要があるのか?」という著者の”鉛筆愛”について、様々な理屈をつけて述べている本とも言えるが(笑)、その一つの切り口として「物との約束」と「人との約束」という新概念まで持ち出している。
これが案外深い切り口で、最初は”?”ということだったが、だんだんモヤモヤして腑に落ちたような落ちないような感覚は、良いワークショップに参加した後のような読後感である。
この本をテーマとした読書感想会をゼミかなんかでやったら面白そう。

2018年5月13日日曜日

『世界で一番やさしい 会議の教科書 実践編』

生涯で会議に費やす時間は3万時間に及ぶらしい。
一日10時間働くとしても、約8年分。。
この会議の生産性を上げるためのノウハウ本。
ファシリテーターとして参加する場合にも、隠れファシリテーターとして参加する場合にも、実戦の仕方についてまで記載されており、非常に実用性の高い本。
本を読んでいて、自分のメンバーに読ませたいと思う本が時々あるが、この本は是非読ませたいと思った。

<ファシリテーションの本質>

ファシリテーションとは「ゴールを達成するために、人々の能力を最大限に引き出す技術」のこと。
ゴールがない活動をファシリテーションする(容易にする、促進する)ことはできない。逆に言えば、ゴールがある活動なら、何でもファシリテーションできる。

<ファシリテーションのスタイルと8つの基本動作>

1.「確認する」ファシリテーション
 基本動作① 終了時に、決まったこととやるべきことを確認する
 基本動作② 開始時に、会議の終了条件を確認する
 基本動作③ 開始時に、時間配分を確認する
2.「書く」ファシリテーション
 基本動作④ 会議中に、議論を可視化する
3.「準備する」ファシリテーション
 基本動作⑤ 会議前に、準備する
4.「矢面に立つ」ファシリテーション
 基本動作⑥ 会議中に、全員から主張を引き出す
 基本動作⑦ 会議中に、対話を促し合意形成する
 基本動作⑧ 会議後に、振り返りをする


<終了条件の確認>

目から鱗だったのが、「開始時に、会議の終了条件を確認する」ということ。
当たり前のようだが、会議の目的が「〜すること」で表現されていてはだめ。
特に代表的なNGワードは「〜を共有すること」「〜を議論すること」。
することは手段であり、目的にはなり得ない。
会議の目的は「終了条件」で考える。「どんな状態になったら、この会議は終われるのか」ということ。
会議は何らかの「状態の変化を起こす」ためにやっているはず。

〔終了条件を考えるコツ〕
・「すること」ではなく、終了条件で考える
・「すること」が頭に浮かんだら、「その結果、どういう状態を作りたいのか」と自問する
・終了条件は、終了したかどうかを判定しやすい形で表現する

終了条件は、会議によって「何を変化させたいか」を考えてみることから始めてみると設定しやすい。
変化させたい対象は、人の状態、物理的なモノ、そして意思・合意、の3つ。


<議論の可視化>

発言を書かない会議は「目隠し将棋と同じ」というのも言い得て妙。
「各自が手元でメモを取ればいい」というのも実はナンセンス。同じ内容を、自分だけがわかるようにメモしているのは無駄が多い。


<3つの基本的な質問>

〔ファシリテーターの基本的な3つの質問〕
①発言を正確に理解する質問:「具体的には?」 抽象的な表現だと参加者の理解がバラバラになる。
②発言の真意を理解する質問:「なぜそう思うのですか?」 発言の後ろにある背景を尋ね、確認する
③漏れがないか確認する質問:「ほかにありませんか?」 発言に漏れがないか確認できるとともに、そのまま芋づる式に他の発言を引き出す。

<対話を促し合意形成する>

質問や意見が出たら、話を横に振るだけ。これで全員の議論が活性化された状態を作れる。
会議はファシリテーターだけで作るものではない。参加者全員で作るものだ。だから、必ずしもファシリテーターが答える必要はない。
むしろ答えるのを我慢して、別の参加者に振った方が良い。
個人に立脚した発言、つまり質問、意思表明、提案の3つの発言が出たら、横に振ることを考える。
「こういう意見が出ましたが、●●さんはどう思いますか?」と話を横に振る。
これで1つの意見を触媒にして、全員で議論する構図となる。

ファシリテーターをやっていると、ついつい質問には自分で答えなきゃと思ってしまうが、むしろ参加者に答えてもらった方が議論の活性化に繋がって良い、と言うのも新鮮な考え方。


<合意形成の氷山モデル>

「合意形成の氷山モデル」を意識しながら議論を進める。
氷山の上に見えているのは、「意見やアイデア」。分かりづらい時には「具体的には?」という質問で霧を晴らしていく。
氷山の下は発言者の「経験や価値観。氷山の上に見えている意見やアイデアは、その人の過去の経験や価値観が土台となって出てきている。「なぜそう思うのか?』という質問で紐解いていく。
明らかになった各自の氷山を、「話を横に振る」ことで他者にぶつける。
意見を引き出す場合は、まず氷山全体が明らかになるように質問をし、対話を促す場合は、氷山の『下』同士をぶつけ合うように議論を促す。
シンプルに、常に氷山モデルをイメージしながら参加者を観察し、発言や主張を引き出す。引き出したら横に振る。ファシリテーターが行うことはこれだけで良い。
更に言うと、ファシリテーターがあまり介入しなくても、参加者同士が理解し合い、自然に合意形成できる状況を作るのが最も重要。

<場面に応じた質問の仕方>

◯オープンクエスチョンが有効なのは、場が温まって、参加者をちょっとつつけばパッと意見が出てくるような雰囲気の時だけ。
冷え切った雰囲気の時は、名指しで答えやすい質問(クローズドクエスチョン)をするのが良い。
◯何を考えれば良いのかイメージしやすい質問をする。
コツは、相手が頭を使う余地を狭めていくこと。思考の変数を減らすと言っても良い。
◯今日話をしているのは、全体のどの部分なのか、わかるようにしてから質問する。


<問題解決の5階層>

第1階層「事象」:単なる事実であり、人の主観は入らない。
第2階層「課題」:現状の困りごと。解決したいと考えること。
第3階層「原因」:課題が発生している理由、背景。
第4階層「施策」:課題を解決し、現状を目指す姿に近づけるための打ち手。
第5階層「効果」:施策を実行するには投資が必要になる。リスクも伴う。得られる効果の大きさも施策ごとに異なる。

議論には上記5つの階層がある。5つの階層のうち、下の階層の議論の認識があっていないと、それより上の階層の認識は合わない。
話が噛み合わないのなら、下の階層の議論を先にやるべき。
得てして「施策」と「効果」がごっちゃになる。
そして、問題解決の5階層の先には、実現したい世界や目指すべき姿がある。この意義や目的が一致していないと噛み合わせは悪くなる議論が空転する。


<定例報告会>

会社でも毎週行うグループ会ではプロジェクトの進捗状況確認があるのだが、この進め方については色々と悩んでいたら、やはり「プロジェクトの進捗報告会」「定例報告会」は難易度が高いのだそうだ。
「定例会は進捗を報告すること」だと思い込んでいるが、「すること」は目的たり得ない。
目的として、どんな状態を作りたいのか、を定義する必要がある。
例えば、「解決すべきことを見つけ、外部のテコ入れが必要かどうかを見極めた状態を作ること」を定例会の目的とするとか。
そうすると進捗を確認するのも、課題を確認するのも、全ては「解決すべきことは何か?」「問題解決を各チームに任せておいて大丈夫か?」「チームメンバー以外の人が介入する必要はないのか?」を見極めるため。

終了条件を上記のように設定したなら、それ以外のことは極力やらないようにする。
「チームの状況はどうか」
「予定通りに進んでいないことは何か」
「解決すべき課題は何か」
にフォーカスして確認すべき。
「手伝わなくて大丈夫か?」「解決の勝算はあるのか?」「根深い問題なきがするけど、あの人を巻き込まなくてもいいのか?」 といった質問やアドバイスが活発に飛び交うのが正しい定例会の姿。

本を読んでから、少しずつ実際の会議でも導入し始めているが、著者も「分かること」と「できること」には大きな隔たりがある、と言っている。
隔たりを少なくすべく日々精進しよう。

2018年4月22日日曜日

第9回子供学カフェ

同志社女子大 教育学の上田信行先生が、建築家の小堀哲夫さんと一緒に講演会をやるというので行ってきた。


講演会といっても、トーク、アクト、リフレクトの三部の構成。
一方的な講演会ではないあたりが上田先生っぽい。

<トーク>

まずは上田先生のトークということで始まる。
実は用意していたスライドのファイルが消えてしまったという大ハプニングがあったのだが、焦りながらも(とおっしゃりながらも余裕に見えたが)必要なスライドを出しながら、まさにトークでカバー。
上田先生が50年近くも前から携わっているセサミストリートのformative researchについてお話を聞く。

その頃はまだ「TVで教育?」てな感じで、映像による教育は「視聴覚教育」が認知され始めたくらいだったとのこと。
その時代の教育番組の評価・分析は「番組を見た後にどれだけ成果(子どもの学力の伸び)があったか」をいうことを確認する調査だったのだが、セサミストリートでやっていたのは、プログラムそのものを評価したという点が新しかった。
プロダクションはもちろん、コンテンツ、そしてリサーチの専門家が集まり、三位一体となって番組を作り上げていった。
具体的には7.5秒ずつ区切って、子供の"attention"を評価基準にして、プログラム(コンテンツ)を評価した。
(この7.5秒というのは、昔あったカルーセルという機械の映写のタイミングが7.5秒おきだったことによるらしい)
そしてそのコンテンツを『マガジンフォーマット』(要は雑誌を作るのと同じように、色々なテーマを組み合わせていく手法)で、様々なコンテンツを編集することで番組を作っていった。

その頃のアメリカは貧困が学力低下を呼び、その低学力がまた貧困を呼ぶという負のスパイラルに入っていて、テレビ(しかも白黒)というものを使って、小学校に上がる前にいかに子供達の学力の底上げを図るかということが社会の大きな課題であった。
そのためには、(視聴覚教育コンテンツのように見てもらえる前提で番組を作るのではなく)まず子供達に興味を持って見てもらうためにはどうしたら良いのか、というところから入っていく必要があったのだという。

<アクト>

その次にアクトということで、チームに分かれてレゴを使ったタワーチャレンジ。
その前に、二人組で ”I'm on you!!” と叫び合ったり、手を叩いた後、「クリス、クロス、ハッ!!」と謎の掛け声で気合を入れたりするパフォーマンスを全員でやってアイスブレイク。
いい歳とった人たちが上田先生の”指導”のもと、ノリノリでパフォームしているのは端で見たらきっと狂信的な新興宗教のようであったろう。

続いてタワーチャレンジ本番。
まずはチームで何の事前相談もなく、積み上げる。
どのチームもせいぜい人の背の高さくらいまで。それでもチームごとにはちょっとずつ工夫が見られる。
上田先生はそれらを見ながら、「もっと天井まで目指してくださいね〜」なんて言っている。
次は、チームで戦略を練って、役割分担をする時間を取って行う。
上田先生はまた「土台をしっかりするのと、上に積み上げるのと、相反するものをどうバランスさせるか、その辺もポイントです。よく話しあってくださいね〜」
などといって再チャレンジ。
すると今回はなんと天井まで届くチームが出た!

このチャレンジ、ミハイ・チクセントミハイの”フロー”の状態を実感するのには非常にいいプログラムだと思っていたが、戦略の共有(チームで協働する)とビジョンの共有(天井まで届かせる)ということの重要性にも気がつくプログラムである。

その後の理論編の話によると、このタワーチャレンジはレゴでやることに意義があって、このタワー、必ずどこかで何回も倒れる。
その際にも、落ち込んでいる時間はなく、すぐに倒れたタワーを修復し始め上を目指す。
この行為は"resilience"を学ぶことにもつながるのだそうだ。

天井まで届いたレゴタワー!
戦略の共有と、天井まで届かせようというビジョンの力。


その後小堀哲夫先生の学びの環境に関する講義があった。
「空間、道具、人、活動」のデザインが重要という話を聞きつつ、柏の葉のプロジェクトを懐かしく思い出した。
小堀先生は梅光学院大学のユニークな建物を設計、建築中とのこと。
・廊下のない校舎
・個室のない校舎
・シラバスと空間の関係について、関係者を集めてワークショップを行いながら設計
など、ユニークな手法での設計を行ったとのこと。
空間とその中で行われる活動について、行ったり来たりして設計していく手法を”Tinkering"と述べておられた。

上田先生とのやりとりでは、上田先生は上記のうち「空間」が非常に重要だとおっしゃるのに対し、小堀先生は「人」(上田先生のような”変態”が重要、という言い方でもあったが(笑い))が重要だという意見。
お互いにないものを重要だと思っているという点が面白い。

学びには「ワクワクとドキドキが両方(両立)が必要」とのこと。
本来、ドキドキ(risky:不安と恐怖)とワクワク(playful:期待と喜び)は相反するものだが、どちらかだけでは”学び”につながらない、ということをおっしゃっていた。
その際、自分は設計者で、ちゃんとした建物を色々な事業の制約の中で建てなければならないので不安やプレッシャーがある。その不安の中でワクワクすることで学びにつながっていく、という内容を話をしていて、事業をする身としては非常に共感を覚えた。
上田先生がよく
「playfulは真剣でなければならない」「engagementが必要」
とおっしゃるのは、その不安、恐怖、制約の中で真剣に関わり、楽しむことを両立させる、ということなのだと理解している。

また小堀先生がおっしゃっていて面白かったのは、
「今は”時短”が叫ばれているが、本来はcreativityを上げるため、speed up のための時短時間の制約が生まれることで、よりcriativeになる。そこが勘違いされていて、ただ時間が短ければ良い、という風に間違って解釈されている」
という話をされていたのが印象的だった。

これにかぶせて上田先生が「criation していなければ creative ではない」
とおっしゃっていて、これがMITの「demonstrate or die」の発想につながるのだと思った。


梅光学院大学の校舎の模型を見ながら説明する小堀先生
来年3月には竣工予定らしい。


最後の振り返りの部分も上田先生の話が多かったが、もっと話を聞きたかった位だったので非常に勉強になった。

キャロル・ドゥエックの”The Spirit of Yet"の話が面白かった。
今、mindsetの話が話題となることが多いが、これはコンピューターでいうとOSの部分、人が行動するにあたり基本となる姿勢(attitude)のこと。
”The Spirit of Yet"では、できない(can not)のではなく、まだできていない(not yet)ということで、「できない」という思考停止となるような発想に立たない、ということ。
まだできていない、だったらどうしていけばいいのか、という発想につながる。
"playful"というのはこの"attitude"なんです、という上田先生。

自らのポートレイトをジョン・レノンと重ねて"yet"という姿は、刺激に満ちている。
相変わらず、登場して話をするだけで場の雰囲気を一変させるパワーをお持ちだった。


2018年4月15日日曜日

『やる気があふれて、止まらない。』

外資生保営業で、カリスマ支店長として実績を残した早川勝氏の著書。
自らの経験とともに著名人の名言を盛り込みながら、モチベーション高く仕事をしていく考え方について書かれている。

面白いと思った視点や、仕掛けについていくつかピックアップ。




<「頑張ります」>

「がんばる」というのは一見前向きに見えるが、実は得てして「自己陶酔型の頑張り屋」になりがち。
怠け者ほど心地よいと感じる「頑張る」という偽ポジティブワードは、「言い逃れ」「自己満足」「正当化」などの温床となりかねない。
「いついつまでに◯◯します」という具体的な行動目標に変え、実行することが必要。

<感謝と貢献の瞑想>

寝る前の、バラ色マインドコントロール。
寝る前に瞑想のように、自分の大切なひと、好きな人、尊敬する人の顔を一人一人想像する。 無条件で、心地よくなる人の笑顔を思い浮かべる。

<ミラー・アファメーション>

「やる気のアファメーション」として、「私はとことん運がいい」「私はやっぱり超ついている」「私は世界一の幸せ者だ」というメッセージを 鏡の中の自分自身へ語りかける。
そもそも運や幸福感などというものは、自分の能力とは直接関係がない。だから潜在意識からの拒絶が起きにくい。
この「ミラー・アファメーション」を習慣化する。
これには二人称版もあり、少々照れるが「やる気」アップの効果は絶大。

<「メンバーの好きなところ100」>

一人につき100個ずつ、長所や強み、好ましく感じている点、嬉しかったことなどを一つ一つ思い浮かべながら、ベスト100を作る。
ベスト100なので、メンバーとの信頼関係に亀裂が入ってしまったりした時にも、インパクトとサプライズ効果があり、お互いの固い絆を一瞬で回復してくれる。
好きなところベスト100を見つけ出すために、四六時中メンバーの一挙手一投足を集中して観察しなければならないというトレーニングにもつながる。
人間の長所と短所は紙一重なので、100個も褒める最大の効果は、人の欠点も愛せるようになるということ。

<「感謝の100秒スピーチ」>

毎朝、最近起こった嬉しいエピソードや朗報を50秒、今日起きて欲しい願望を50秒で、朝礼で語らせる。
当たり前の日常の中にある幸福や、不幸な出来事の中にある教訓を、ポジティブな解釈ですくい上げ、感謝のスピーチに変えるためのトレーニング。
当てるのは部門長の自分なので、誰が当たるかわからない。全員が毎朝「いいこと」を考え、スピーチを行う心の準備をしておかなければならないという効果がある。

<成功できないタイプ、成功できるタイプ>

成功できないタイプは、「ネガティブな頑固者」。
成功できるタイプは、「素直(=ポジティブ)な情熱家」


いろんな名言が紹介されているのだが、その中でも素敵で、今まで知らなかった名言をいくつか。
『ひとりで見る夢は夢でしかない。しかし、誰かと見る夢は現実だ』
  オノ・ヨーコ

『永遠の命と思って夢を持ち、今日限りの命と思って生きるんだ』
  ジェームズ・ディーン

『虹を見たければ、ちょっとやそっとの雨は我慢しなくちゃ』
  ドリー・パートン

『最高の贈り物が、綺麗な包装紙に包まれているとは限らない』
  H・ジャクソン・ブラウンJr.

『いつも太陽の光に顔を向けていれば、影を見ることはありません』
  ヘレン・ケラー

名言と一緒に提言されている各種の仕掛けは、「本当にやれるの?」という内容も多いが、有言実行で結果を出してきた著者はそれを実行したということだろう。
その事実だけでもすごいことで、それを考えると、本を読んでいるとそれだけでモチベーションが湧いてくる感じがする。

そう言えば、名言の中でも全てを包括するような名言を忘れていた。
そう全ては『これでいいのだ』(バカボンのパパ)



2018年4月9日月曜日

『結果を出すリーダーほど動かない』

行動分析学から導き出した「壁マネジメント」のノウハウ本。
ダイバーシティ化が進む中で、参考になるかと思い読んでみた。

「行動ルール」を設定し、指示するだけではダメで、その行動に介入することが必要。

「壁マネジメント」を運用する際に必要となる決め事
①「行動ルール」の設定
②行動ルールに対してもれなく介入する「介入ルール」の設定
③介入する際の「フィードバック方法」

<「行動ルール」の設定>

①「行動ルール」の設定については、能動的に行える行動をルールとして設定する。
ルールは「やろうと思えばできること」を設定する。目標とルール設定は異なる。

ルールを設定する際には、そのルールを
◯やろうと思えばできる行動群
◯やろうと思ってもできない行動群
の2つに分ける。

さらに「やろうと思えばできる行動群」を2つに分ける。
1つ目は、「知っていればできる行動」→「知るための行動のルール化」
2つ目は、「普段やっていない、慣れていない、いつものパターンと違うからやりたくない行動」。現状維持バイアスがかかるため、この内容をルールにしても習慣化するまではとても労力がかかる。→「習慣化が必要なルール化」

「やろうと思ってもできない行動群」も2つに分ける。
1つ目は、「スキルや技術がなければできない行動」→「スキル、技術を向上させる行動のルール化」
2つ目は、「時間がなければできない行動」→「時間を確保する行動のルール化」
まず行動ルールをやりきるために必要となる「時間」が確保できているかどうかを確認する。 時間の問題が発生している場合には、時間を確保するためのルールを検討する。


<「介入ルール」の設定>

成果を手に入れるために必要であれば、新しい行動のルールを設定し、現状維持バイアスによる反発があったとしても、行動をさせ続けることに身を置き続けさせない限り、部下の現状維持バイアスは外れない。

部下に設定した行動ルールを漏れなく介入するためには、3つの介入方法を合わせて複合的に介入を行う必要がある。
①リマインド型介入ルール
②アフター型介入ルール
③累積型介入ルール
累積型の介入は、行動できたのか、できなかったのか、データをつけておき、累積したデータを振り返って、設定した行動ルールについて漏れなく介入する。


<よく発生する3つのタイプ別フィードバック>

①あなたを上司として認めていないタイプ
同期や先輩が部下になるといったケース。その場合の改善として、あなた以外の人から「好子」「嫌子」を発生させるフィードバックをしてもらうことを視野に入れる。

②アラーム状態のタイプ 言われて初めて動くタイプの部下 「こちらからの確認でようやく動く」ことの繰り返しに慣れてしまっているため、叱っても「嫌子」が機能しない。
スケジュール帳や共有スケジュールを準備して、毎回「いつやるか、スケジュールに落とし込みながら打ち合わせしようか」と言って、期限までに行うスケジュールを事前に設定してしまうことがオススメ。また、介入リマインドの回数を増やすことも効果的。

③謝ることのプロフェッショナルタイプ いつも謙虚に「本当にすみませんでした」という言葉を繰り返して、その場を回避しているタイプ。 このようなタイプには「こんなことになるなら、初めからやっておけばよかった」と思える課題を与える。


<「行動ルール」を改善する時の3つの方法>

設定した行動をやり切らせても、経営上必要な成果につながっていない場合、設定した行動ルールを、より成果の出る行動へと変化させていく必要がある。これは苦戦する部分。
①行動ルールの量的改善。
②行動ルールのブラッシュアップ。
③行動ルールの追加

正直、どこまで高度な業務に通用するのか分からない部分もあるが、タイプ別のフィードバックで、場合によっては自分以外の人間からのフィードバックが有効であることもあるというのが面白く参考になった。



2018年4月8日日曜日

『シミュレーション思考』

グローバルマクロ戦略マネジャーの塚口直史氏の著作。

ストーリーに自分の時間とお金を投資すること。こうした行動につながる思考を「シミュレーション思考」と位置付ける。
「世界に対する好奇心」、地理と政治を結びつける「地政学」、私たちの経済生活の基盤をよく知るための「お金の歴史」の3つの柱こそ、シミュレーション思考に欠かせない。

ということで、著者の職業柄もあり、ちょっと金融的な発想が多い。

<「ドライバー」を見つける>

ファンドマネジャー同士のミーティングでよく出てくる言葉「ドライバー」。
「今のドライバーは?」というような形で使う。
「最も影響を与えているものを見つけ出す」そのポイントになるのがドライバー。
ドライバーを掴むためには、物事を全体でとらえる能力が必要。
生き馬の目を抜く世界のヘッジファンドマネジャーが最も大切にしている視点は、国内の企業の動向ではなく、通貨デリバティブ市場でドル需要がどう変化しているか、ということ。
というのも、国際投資を行うにあたっては、常にドル金利の推移を意識して運用を行っていく必要があるから。
情報収集においては、その目的を絞ること。そして情報収集には時間と労力をかけず、情報を集めた後の分析とドライバーを発見することが重要。
さらに情報分析に基づいて、少しでもいいのですぐに何らかの行動を起こすこと。
行動することで、気づきのチャンスにたくさん出会うことができる。また、人に意見を聞くことで、客観性を身につけることができる。

<最低5つのストーリーを描く>

まずは最低5つのストーリーを描くことを習慣にする。
できればその5つのストーリーは各々が影響し合わない、非相関なものが最良。
違ったなと思ったらすぐに別のストーリーに切り替えることができるようにしておく。投資の世界で言う「損切り」と言う行為。間違えてもすぐに立ち直ることができれば大きなダメージにはならない。常に正しい答えが出せるわけではない。正しさを求めるよりも常に立ち直るタフさの方が大切。
ストーリーに当たりも外れもある中で、説明責任を真剣に尽くし、次の一手を打ち続けること。その結果、一定のスパンではプラスのリターンを挙げることができる。

常に20%以上のリターンを出し続ける人の考え方の肝なのかもしれない。
常にプランBを持って、間違えてもすぐに立ち直るタフさにより、次の一手を打っていくということ。
5つも持つ必要があったり、それが非相関なものがいいというのは金融系ならではの発想。

<バブル経済の見極め>

バブル経済がいつ破裂するのかを探るために、注意深く見守っている市場は「海外絵画市場」。
バブル期にはいわゆる「名画買い」がほぼ必ずと言ってもいいほど起きている。


国家破綻ということが現実となったギリシャ危機、関東大震災後の金融がどうなったか、など歴史から学べ、ということと、「地政学」という歴史と地理と政治を掛け合わせたような学問から、自らストーリーを考えよう、という非常に知的な内容であった。
2016年に書かれているので、現在の北朝鮮問題など、ちょっと違う方向性を持ってきてたりもするが、そのズレがまた読んでいて面白い。

金融系の職業ではないが、楽しみながら世界的なストーリーを考えて、投資も行なっていければ。

2018年3月21日水曜日

『日本再興戦略』

今をときめく日本人科学者、落合陽一の著作。
若き天才から見ると、今後の世界はどうなっていくのか、歴史認識も含め、見えているものがちょっと違う点があって非常に面白かった。

<高度成長の正体>
結局、高度経済成長の正体とは、「均一な教育」「住宅ローン」「マスメディアによる消費者購買行動」の3点セットだった。
つまり、国民に均一な教育を与えた上で、住宅ローンによる家計のお金の自由を奪い、マスメディアによる世論操作を行い、新しい需要を喚起していくという戦略。


<平等と公平の概念>
平等とは、対象があってその下で、権利が一様ということ。何かの権利を一ヶ所に集めて、それを再分配することによって、全員に同じ権利がある状態を示す。
それに対して、公平はフェアだということ。システムの中にエラーがないことや、ズルや不正や優遇をしないということ。
日本人は公平については意識が高いけれど、権利が平等であることについてはあまり意識しない。
江戸時代から、お上の裁きは公平であってほしいと思う一方、士農工商については違和感なく取り入れている。日本人は同じ仕事をしたら、公平にお金を払うということには敏感だが、飲み会で男性が女性より多く払う。これは平等意識が低いから。

<人口減少、少子高齢化>
人口減少と少子高齢化は日本にとってチャンス。
理由その1。自由化、省人化に対する「打ち壊し運動(ラッダイト運動)」が起きないこと。
理由その2。人口減少・高齢化が早く進む分、高齢化社会に向けた新しい実験をやりやすい立場にある。もし日本が、人口減少と少子高齢化へのソリューションを生み出すことができれば、それは最強の輸出戦略になる。これは、インバウンドの人材誘致戦略としても力を発揮するであろう。
理由その3。教育投資が行われ易くなる。相対的に大人の数が多くなり、子供の数が少なくなる。すると「子供は少なくて貴重なのだから大切にしよう」ということになる。社会全体として子供への投資に対して不平が出にくくなる。

<ロボット/AI社会>
日本人はテクノロジー好き。日本人にとってテクノロジーはカラクリのようなもの。それは人の技能の最大到達点であって、それを崇めたいという思いがすごくある。だから日本はロボットフレンドリーな社会に変えやすい。
一方、(自分の印象として)、西洋人は人型ロボットに限らず、ロボットがあまり好きではない。西洋人にとって労働は神聖なものなので、それをロボットに任せることに抵抗がある。
AIについても似たことが言える。一神教支配の国にとっては、AIは人類の根幹、彼らの精神支柱に関わるようなものになる。西欧の国は統治者に人格性を強く求めるので、AIに対する反発は強いだろう。
(日本人は意思決定の上流がAIになっても、違和感なく受け入れるはず)

<ブロックチェーンと仮想通貨>
日本再興のカギを握るテクノロジーは、ブロックチェーン。
分散型の台帳技術と言われるが、あらゆるデータの移動歴を、信頼性のある形で保存し続けるためのテクノロジー。しかも、誰かが一元的に管理するのではなく、全員のデータに全員の信頼をつけて保っていくことができる、日中央集権的なテクノロジー。
これからの日本は全てをブロックチェーンにして、あらゆるものはトークンエコノミーであるという考え方にしていかなければならない。
トークンとは、仮想通貨とほぼ同義と考えてもらって構わない。

日本では「仮想通貨」という言葉で広がっているが、元々は「クリプトカレンシー」。本当は暗号通貨と訳す方が正確(ビットコインのハッシュはそもそも暗号ではない)
バーチャルカレンシーこと「仮想通貨」と訳したので、パスモなどの馴染みのある仮想通貨をイメージして日本人がブロックチェーンを受け入れやすい土壌を作れた。
トークンエコノミーということでいうと、TSUTAYAのTポイントもANAのマイレージも立派なトークン。日本人ほど、ポイントカードがたくさん財布に入っている国民は見たことがない。日本はすでにトークンエコノミー先進国なのだ。
トークンエコノミーとは、このポイントカード経済圏がさらに広がって、企業だけでなく、個人もポイント発行できるようになるイメージ。

欧州のエストニアは国自体を ICO(イニシャル・コイン・オファリング:証券会社の介在なく上場できる)した。
ICOすることで、地方自治体は攻めの投資を行うことができる。今の財政の仕組みは、まず産業振興等により税収を増やしてから次の投資を行う、後手でしか動けないモデル。
このやり方は国が成長している時には良かったが、今のような人口減少経済になると、財政を絞るばかりで攻めの一手を打つことができない。
この流れを逆流させるためにも、先行投資型にモデルを変えなくてはならない。その切り札になるのがトークンエコノミー。
トークンエコノミーが広がると、面白い開発が行われる自治体ほど、良いビジョンがある自治体ほどお金が集まる。独自性のある優れたビジョンと戦略と実行力がある自治体ほどお金が集まる。今のふるさと納税のアップデート版とも言える。

ブロックチェーンの本質は、非中央集権化であり、コードによるガバナンスであり、受益者負担。元締めとなるプラットフォームがなくても、ユーザー同士で情報を管理したり、取引ができたりする仕組み。これは日本の伝統的な価値観にも合っている。
トークンエコノミーの受益者負担、自給自足という考え方に自分は強く賛同している。
何故ならば、それがあれば、グローバルなプラットフォームによる搾取を防げるから。言い換えると、シリコンバレーと戦う最高の戦略になるから。

<デジタルネイチャー>
デジタルネイチャー とは、ユビキタスの後、ミックスドリアリティ(現実空間と仮想空間が融合する「複合現実」)を超えて、人、Bot、物質、バーチャルの区別がつかなくなる世界のこと。そして、計算機が偏在する世界において再解釈される「自然」に適合した世界観を含むもの。
「デジタルネイチャー」は、英語では「Super nature defined by computational resources」と説明することが多い。コンピューターによって定義されうる自然物と人工物の垣根を超えた超自然のことを意味している。
デジタルとアナログの空間をごちゃまぜにした時に現れうる本質であり、従来の自然状態のように放っておくとその状態になるようなコンピューター以後の人間から見た新しい自然。それは、質量のない世界にコードによって記述される新しい自然みたいなものとも言える。
それが質量や物質や人間と混ざり合って新しい自然を作る。
あらゆるものは情報の表現形態として今までになかったようなスピードで相転移する、というのが自分の考えているビジョン。
この相転移が前世紀にイノベーションと呼ばれていたものの本質だと思っている。

デジタルネイチャーの世界では、あらゆるものがパーソナライズされる。
2次元が3次元化されたり、運転が自動化されたり、必要な部品のほとんどがハードウェア側ではなくソフトウェア側に寄っていく。
日本はソフトウェアが全然得意ではないので、そこはあまり勝てないだろう。日本にとっての勝負所は、各ローカルの問題を解決するような若いベンチャー企業を日本中にバラまけるかどうか。

<ワークライフバランスからワークアズライフへ>
日本人には、「ワークライフバランス」よりも「ワークアズライフ」の方が向いている。
日本は歴史的にも、労働者の労働時間が長い国家。大和朝廷の時代にも下級役人は長時間労働をしている。1年のうち350日は働いて、そのうち120日が夜勤というような生活。一方、農民や上級役人などは、生活の中に労働を含む文化を持っている。それが過労でなかったのは、ストレスが少なく、生活の一部として働いていたから。
これは、時間やノルマの労働スタイルで過労すると心身が持たないことを示している一方で、生産性を上げきれない理由でもある。

ワークライフバランスからワークアズライフへ。
一番重要なのは、ストレスフルな仕事とストレスフルでない仕事をどうバランスするか。
この考え方に則ると、ストレスのかかる私生活(ライフ)をすることの方が、会社でストレスレスの長時間労働をするよりも問題になったりする。
近年、うつ病などが増えているのは、ワークライフバランスが声高に叫ばれる中、未だに会社がタイムマネジメントを中心に回っていて、ストレスマネジメントが全然できていないから。
ストレスマネジメントでオススメは筋トレ。筋トレはわかりやすいバイタルチェックになる。 筋トレを楽しくできるくらいのメンタルがあれば、それは病的なメンタル状態ではないと推測できる。また、体を動かし、適度な負荷をかけることは予防医学の観点からしても重要だし、心身にかかるストレス状態を把握するには、体の方が指標としてわかりやすい面がある。



◯高度経済成長期の概括について、「均一な教育」「マスメディアによる(均一な)消費者購買行動」というのに合わせて「住宅ローン」というのが意外でもあり、ちょっとピントがずれている気もするが面白い、自分にはなかった観点。

◯少子高齢化がチャンスであるという理由として「ラッダイト運動が起きづらい」「子供一人当たりの教育投資が増える」というのは面白い観点。アメリカでトランプ大統領が選出された事実を考えると「ラッダイト運動が起きづらい」というのは実はありがたいメリットなのかもしれないと気付かされた。

◯地方分権的な観点からも、VSカリフォルニアの観点からも、「ブロックチェーン」が肝となるテクノロジーであるという考え方は全くなかった。単に、今お騒がせのビットコイン系の基本技術であるという位の認識であったので、それについては認識を改めたい。

◯デジタルネイチャーの概念は抽象的すぎて良く分からなかったが、おそらく未来を見据える天才の中には感じられる未来があるのであろう。

◯ワークライフバランスについては(ネーミングはともかく)、タイムマネジメントではなくストレスマネジメントを行うべきだ、という主張については全くその通りだと思う。とはいえ、今までそのように認識したことはなく、目から鱗の発想であった。

2018年1月8日月曜日

『ペップトーク』

忙しくて、中々本のまとめができていない状況なんだけど、本は読んでいない訳ではなく、結構まとめなきゃいけない(まとめたい)本が山積みになっている中、年明けに購入して読んで思わず先にまとめを書きたいと思った本。
前向きな気持ちになれる、人を応援するための技術が身につく本。
著者の浦上大輔氏が元々理学療法士というのも、読んでみようと思ったきっかけかもしれない。


<モチベーションのメカニズム>

人のやる気に火がつくのにはメカニズムがある。
それは「自分には価値がある」と感じた時。
自分に価値を感じる時は大きく分けると2つある。
・承認欲求(人に認められたいという欲求)が満たされた時
・貢献欲求(人の役に立ちたいという欲求)が満たされた時

この2つを見て行く時に重要な観点がある。次の3つのステージがあるということ。
1.存在ステージ
2.行動ステージ
3.結果ステージ

各々のステージで承認、貢献を認める表現としては以下の通り。
<存在を承認する>
「あなたはあなたのままで素晴らしい」
「君の持っている力はすごい」
「あなたの夢は必ず叶う」
「君は可能性にあふれている」
「あなたと一緒に仕事をしたい」

<存在で貢献する>
「いてくれてありがとう」
「君の思いを聞いて感激した」

<行動を承認する>
「早起きだね」
「勉強、頑張っているね」
「いつも笑顔で挨拶してくれるよね」
「誰よりも早く会社に来て、仕事をしているよね」

<行動で貢献する>
「手伝ってくれて、助かるよ」
「席を譲ってくれて、ありがとう」
「笑顔で挨拶してくれるからとても気持ちいいよ」
「君が勉強を頑張っているから、みんなやる気になっているよ」
「社長がいつも率先してやっていただくのを見て、もっとチャレンジしようと思いました」

<結果を承認する>
「○○達成したね」
「頑張ったね」
「試験の結果すごいね」
「試合に勝ったね。おめでとう」

<結果で貢献する>
「君たちの勝利は多くの人たちに勇気を与えてくれた」
「あなたの大活躍を見て、みんなやる気になっているよ」
「君がそこまでできたんだから、僕もやってみようと思う」


<ペップトーク>

【ペップトークの5つのルール】

1.ポジティブな言葉を使う
2.短い言葉を使う
3.わかりやすい言葉を使う
4.相手が一番いってほしい言葉を使う
5.相手の心に火をつける本気の関わり

【ペップトークの4つのステップ】

1.受容(事実の受け入れ)
2.承認(とらえかた変換)
3.行動(してほしい変換)
4.激励(背中の一押し)

ステップ1.受容

受容の目的は、相手の感情や、置かれている状況をそのまま受け入れ、共感することで、相手の心のドアを開くこと。
この受容には2種類ある。相手のその時の感情や状況を相手の立場に立って(ポジションチェンジして)汲み取っていく。
1.相手の感情を受け入れる(感情受容)
2.相手の状況を受け入れる(状況受容)

「緊張しているんだね。わかるよ(共感)」
「不安になっているんだね。私もそうなったことがあるんだ(体験)」
「心配なんだよね。誰でもそうなるのは当たり前(当然)」

受容の二つ目のポイントは、「できていない部分を受け入れる」ということ。
この受容のステップでは、あえてネガティブな言葉を使うこともある。これは相手がネガティブな感情や状況にあり、特に安心感が必要な相手にとって必要な場合は、ネガティブにマッチングしてからポジティブにリーディングしていく必要があるから。

ステップ2.承認

第1ステップの受容で受け入れてマッチングした感情や状況を、ポジティブに捉え直していく。ポジティブに変換することで、相手の感情は一気にリソースフルになり、状況をポジティブにリーディングしていく。
承認とは、ステップ1の受容で「できていないこと」「ダメなところ」「不利な状況」「マイナスの部分があること」を受け入れてもらった上で、
「とはいえ、ここはできているよね」「ここはいいところ」「プラスの部分もある」とフォーカスを変えていくこと。

この重要な第2ステップ「承認」の仕方にも2種類ある。
1.逆転の発想承認(コインの裏表)
2.あるもの承認(パズルのピース)

コインを裏返す逆転の発想キーワードは「だからこそ」。
発想の逆転にも2つの方法がある。
①感情がネガティブな場合(アンリソースフル)は「〜の証拠」で裏返す
②状況がうまく言っていない場合(ピンチ)は「〜のチャンス」で裏返す

すでにあるピースに目を向けるためのキーワードは「とはいえ」。
アンリソースフルな心の状態になったり、うまくいかない状況になったりすると、我々はついつい、無いもの、できていないことに注目しがち。
こういう時は、ないものは無いで受け入れつつ、そこにフォーカスするのをやめて、あるもの、を探していく。

ステップ3.行動

行動とは、ポジティブにしてほしいことを明確に伝えること。
言葉は、相手の脳の中にイメージを呼び起こし、呼び起こされたイメージを相手は無意識に実現しようとする。

アクションを伝える方法は2つある。
1.ネガポジ変換(ポジティブなワードを使うこと。イメージの世界では脳は肯定系と否定形を区別できない。)
2.アクション変換(イメージしてほしいのは「結果より行動」。コントロールできる行動(アクション)の指示をするということ)
でも、行動の指示と結果の指示を一緒に使うと効果抜群。

ステップ4.激励

最後にもう一度、奮い立たせ、心に火をつける言葉、最後に背中をポンと押して送り出す言葉を投げかける。
激励にも2つのパターンがある
1.激励系の言葉で気合を与える
2.見守り系の言葉で安心感を与える


受容の言葉を磨いていくと、あなたは相手に「寄り添う人」になる。
承認の言葉を磨いていくと、あなたは相手に「気づかせる人」になる。
行動の言葉を磨いていくと、あなたは相手を「未来に導く人」になる。
激励の言葉を磨いていくと、あなたは相手を「勇気づける人」になる。

<ペップトークと心の状態>

受容で、現在の感情や状況の事実を受け入れる(心の状態は下がる)

承認で、受け入れた事実をポジティブにとらえ直す(心の状態が上がる)

行動で、実際の行動をイメージする(心の壁を越える)

激励で、背中を押されリソースフルになる(実力が発揮できる)

ペップトークは何を言うかだけでなく、誰が言うかも大事。
ペップトークをするには、相手との信頼関係が必要。
相手の心の状態に合わせて声をかける必要がある。

<相手の心の状態とスイッチ>

相手の心の状態によって必要なスイッチは大まか3つ。
1.できる感スイッチ
 「あなたならできる」という力を認め、自信をつけてくれる言葉
2.ワクワク感スイッチ
 「ねばならない」という閉塞感、「成功させねばならない」というプレッシャーで自由を奪われている時、その枠を取っ払い、自由で楽しく力を発揮できる心の状態を作る
3.安心感スイッチ
 やる気を出して頑張ろうにもエネルギーが枯渇している時、まずは一旦下向きのエネルギーを受け入れ、一緒に下がっていく必要がある。一緒に下がることでクッションで受け止められ、上向きのエネルギーに変えていくきっかけとなる。


受け取る力が相手のやる気を引き起こす 「素敵ですね」 と言われた時に、ついつい
「いえいえ、そんなことは・・」と謙遜してしまうが、
実は代わりに、「ありがとう。そう言ってもらえて嬉しいです」というのが良いという。
その言葉によってい「相手の貢献欲求」も満たされるというのだ。
「あなたの受け取る力」は、相手のやる気にも火をつけるというのは刺さった。

いけてない表現を「プッペトーク」と名付けることで職場の雰囲気が変わる話は参考になったし、歴史に残るペップトークも色々載っていて非常に参考になった。
337調子のセルフペップトークというのも積極的にやってみよう。

2018年1月2日火曜日

今年の抱負

昨年の抱負は「貫」としていたが、果たして貫き続けることができたか。
昨年卜をしてもらったところ、「水雷屯(すいらいちゅ ん)」という卦が続けて出て、これは「生みの苦しみに耐え忍ぶ時」という、現状としては正直あまりよくない卦のようだ。
「早春に厚く積もった雪(水)の下から若芽(雷)が必死に出ようとしているが、雪の重圧にさえぎられて立ち往生している姿」
ということで、まさに昨年の状況を表していた感じだ。
貫くことを目指すも、厚い岩盤に抑え込まれてもがき続けた1年であったように思う。

今年も貫くことを諦めた訳ではないので、「生みの苦しみに耐え忍ぶ時」であればそれを甘んじて受け入れ耐え忍ぼうということで、今年の抱負は

「忍」

としたい。

これにあやかって忍者の研究でも始めようかな。