2010年12月31日金曜日

『100年予測』

「影のCIA」と呼ばれる情報機関ストラトフォーの創立者兼CEO ジョージ・フリードマンが地政学に基づき今世紀これから世界でおこることを予測した本。
実は今年の3月には既に読み終わっていたのだが、読み込んでいたら年末になってしまったという本。
個人的には間違いなく今年のベスト5に入る本である。

これから21世紀に起こる事として
☞アメリカ・イスラム戦争は近く終局をむかえる。
☞勢力を回復したロシアは、アメリカと第二の冷戦をひきおこす。
☞アメリカへの次の挑戦者は中国ではない。中国は本質的に不安定だ。
☞今後、力を蓄えていき傑出する国は、日本、トルコ、ポーランドである。
☞今世紀半ばには、新たな日本・トルコvsアメリカという世界大戦が引き起こされるだろう。その勝敗を左右するのはエネルギー技術であり、宇宙開発である。
☞そして、今世紀の終わりには、メキシコが台頭し、アメリカと覇権を争う。


信憑性を高めるため、この本では最初に以下の記載がある。

1900年の夏、この頃はヨーロッパが東半球を支配していた。ヨーロッパは平和で、かつてない繁栄を享受していた。実際、ヨーロッパは貿易と投資を通じてこれほど深く依存し合うようになったため、戦を交えることはできなくなった、あるいはたとえ戦争を行ったとしても、世界の金融市場がその重圧に耐えられなくなり、数週間のうちに戦争は終結する、といった説が大真面目に唱えられていた。

1920 年の夏、ヨーロッパは大きな苦しみを伴う戦争によって引き裂かれていた。何年も続いた戦争で数百万人の命が失われた。共産主義がロシアを席巻したが、この先永らえるかどうか定かでなかった。アメリカや日本など、ヨーロッパ勢力圏の周辺部に位置する諸国がいきなり大国として浮上した。不利な講和条約を押し付けられたドイツが近いうちに再び浮上することがないのは確実だった。

1940年の夏、ドイツは再浮上したどころか、フランスを征服し、ヨーロッパを支配していた。共産主義は永らえ、ソビエト連邦は今やナチス・ドイツと同盟を結んでいた。ドイツに立ち向かう国はイギリスただ一国のみで、まともな人の目には、戦争はもう終わっているように思われた。ドイツの千年帝国があり得ないにしても少なくとも今後100年間のヨーロッパの命運はドイツ帝国の支配と決まったようなものだった。

1960年の夏、ドイツは5年とたたずに敗れ、戦争で荒廃していた。ヨーロッパはアメリカとソ連によって占領され、二分された。ヨーロッパの帝国は崩壊の途にあり、その継承者の座をめぐってアメリカとソ連が争っていた。アメリカはソ連を包囲し、その圧倒的な核軍備をもってすれば、数時間のうちにソ連を全滅させることもできた。アメリカは世界の超大国として躍り出た。全ての海洋を支配するアメリカは、核戦力をバックに、いかなる国にも条件を指示し、それに従わせることが出来た。ソ連に望めるのは、せいぜい膠着状態に持ち込むことだった。また、内心では誰もが狂信的な毛沢東の中国を、今ひとつの危険とみなしていた。

1980年の夏、アメリカは7年間続いた戦争に敗れた。相手はソ連ではなく、共産主義国の北ベトナムだった。アメリカは自らの凋落を自他ともに認めていた。
アメリカはベトナムから追われ、続いてイランからも追われた。イランでは、アメリカが支配を明け渡した油田が、ソ連の手中に落ちようとしているかに見えた。
また、アメリカはソ連を封じ込めるために、毛沢東の中国と手を組んでいた。アメリカ大統領と中国国家主席が北京で友好会談を行ったのだ。急速に勢力を増していた強大なソ連を阻止できるのは、中国との同盟しかないように思われた。

2000 年の夏、ソ連は完全に崩壊した。中国は共産主義とは名ばかりで、実質は資本主義化していた。北大西洋条約機構(NATO)は東欧諸国だけでなく、旧ソ連諸国にまで拡大していた。世界は豊かで平和だった。地政学的配慮は経済的配慮の二の次にされ、残る問題といえば、ハイチやコソボといった手の施しようのない国の地域問題だけだと思われていた。

そしてやってきたのが、2001年9月11日である。

20年も経てば世界は一般的には予測もしない方向に変わっていくという歴史が語られる。
それ故、著者の述べる一見荒唐無稽な予測にも読者は耳を傾けるようになる。

結論とすると21世紀はアメリカ覇権の時代が続くということなのだが、いくつか疑念が湧く予測もある。

①現在急成長中の中国は、アメリカのライバル足り得ないのか?
②日本は再び軍国国家となり戦争を引き起こすのであろうか?

これについて、著者は地政学的な観点から理由を述べている。
①中国は実は「島国」であり、国土を拡げていける要素がない。また、人脈本位の癒着体質による投資が横行し、既に不良債権が6000億ドルから9000億ドルと推定される。これは中国のGDPの四分の一から三分の一に相当する。
沿岸部の抵抗や内陸部の不穏を招かずに、豊かな沿岸地域から内陸部へ、富を徐々に再分配を目指す中国の方針が失敗に終わる。海外資本が注ぎ込む莫大な資金が、党そのものの分裂を引き起こし、沿岸都市に対する中央政府の統制力を弱める。
中国は表向きは統一を維持するが、権力は地方に分散していく。

②については、自国のことであり、にわかには日本が軍国主義を復活させるというのは信じられないが、太平洋シーレーンを巡ってやむにやまれず開戦するというストーリーは、第二次世界大戦と同じシチュエーションであり得ない話ではない。
20世紀とは”戦争”の概念も変わってくるとなる(精度がアップし、大量の市民を巻き込むようなことは起こらない)と時代の流れによっては十分あり得る気がしてくるから不思議だ。

いずれにせよ、我々は予測の後半については当たるかどうかを確認する事はできない。
今世紀末のひ孫の世代が幸せに過ごせるように祈るのみである。

柵ありボーリング

家族で近くのボーリング場へ行った。
フロントで「柵付きレーンにされますか?」と聞かれたのだが何の事やら分からず、「柵なしで」と答えた。
やり始めてみると、産まれて初めてボーリングなんぞをやる下の子供はほとんどガーター。非力なので慣れる事で上達しそうな感じでもない。
段々不機嫌になってきて面白くなさそうだったので、第2ゲームから柵ありにしてもらった。

「柵付きレーン」が固定されていて、レーンを移動するのかと思いきや、店員さんがレーンの手前側のある部分をでっかいL字のバーで引っ掛けると脇から柵が出現!
最近はどのレーンも「柵付き」に変える事ができるようだった。

この柵、子供用に作ってもらったのだが、跳ね返ってくるので大人でも面白い。
もちろん大人も点数アップ。家族みんなで結構楽しめた。
久しぶりのボーリングだったが、点数はゴルフと逆だったら悪くないのにと思うのは相変わらずであった。

『のぼうの城』

文庫化されたのに伴い購入して、読んでみた。
(自分のように購入しやすくなる事で、読んでみたかった層が新たに顧客になるという現象はあるであろう)

ストーリーについては敢えてここでは書かないが思ったことをいくつか。
①石田三成という人物は、堅物で将器もないのに関ヶ原の大将となって西軍を負けに導いたかのような人物評が多いが、実は徳川時代に勝者側からの歴史のねじ曲げによって強調されている部分も多々あるのではないかと思った事。(以前、大河ドラマで「天地人」を見た時にも同様に思った)
②主人公の成田長親がものすごい将器をもったヒーローだとすると、どうやったら成田長親のような人材が出てくるのか。育てる事ができるのか。

出てくる人物それぞれに個性があり、さわやかな読後感である。
史実にも比較的忠実らしく、それがまた小説の深みを増している。

映画化されるようだが、小説とのイメージギャップを楽しみながら鑑賞してみたい。

2010年12月30日木曜日

大掃除で思ったこと その2

大掃除で窓ふきをした。
窓の汚れは内側が汚れているのか、外側が汚れているのか、一目見ただけではわからない。
一度拭いてすぐ汚れが落ちれば、どちら側の汚れなのかすぐにわかるのだが、一度拭いたくらいではとれない汚れの場合には、本当はどちらの汚れなのかが判別つかず、何度も両方を拭き続けることになる。
とはいえ、大抵の場合、汚れはどちら側かの汚れである。
ただ、どちらの汚れなのかは同じ窓でも部位によって異なるのである。


これが組織において、問題が分かって(=汚れが見えて)いて、その問題に関わる担当部門が(窓の内側と外側のように)分かれていた場合、
「これはあっちの部門のせい(=汚れ)ですよ!うちには関係ない!」
「いやいや、何を言っているやら、こちらは既に課題と思われることは対応してます(=一度拭いて掃除してます)。それでも変わらなかったのだから(=汚れが落ちなかったのだから)、これはあちら側の問題(=汚れ)です!」
といったやり取りが繰り広げられるのであろう。

窓の汚れと違って、組織の問題は明確にどこに問題があるという判別がしにくい。
組織の場合、対応として、大掃除の窓ふきと同じく、窓の外側担当、窓の内側担当を分けない(同じ人間が掃除をする)、ということが考えられる。
これなら、窓の内側だろうと外側だろうと「汚れを取る」という目的を遂行することができる。
ただし、ちょっと組織が大きくなってくると、窓の内側担当、外側担当を作らざるを得なくなる。
その場合には、
①課題を解決する(=窓をきれいにする)ために発揮される強力なリーダーシップ
②窓の内側担当と外側担当による信頼関係の構築と、忌憚の無い情報交換
のどちらかが必要である。

①は優れたリーダーがいれば対応できるので、比較的現れやすいケースだが、リーダーからのトップダウン命令がないと機能不全に陥るリスクがある。
一方②であるが、これには、窓拭きチームというチームビルディングが必要であり、タックマンモデルにおける混乱期(葛藤期)を経た信頼関係が必須となる。このチームビルディングは時間も労力も要するが、一度チームができてしまえば自律的なチーム組織として機能していくことになる。

部門が出来ると当然業際というものができてくるわけだが、これが強固になればなるほど、課題は相手側の責任に(ガラスの汚れが、相手側の汚れというように)見えるようになる。
業際がある程度曖昧で、相互干渉する部分が合った方が、「あっちの責任だから」という発想はでにくくなり、組織上のポテンヒットが少なくなるのかも知れない。
などと余計なことを考えつつ、窓拭きに励んだのであった。

2010年12月29日水曜日

大掃除で思ったこと その1

「タックマン・モデル」というブルース・タックマンという心理学者が提唱したチームビルディングにおけるモデルがある。
チームが機能するために通らねばならないフローのモデルと言ってもよい。

1 形成期(Forming):チームメンバーが集まっただけの様子見のコミュニケーション段階
2 混乱期(Storming):本音のコミュニケーションから、メンバー間や上下間で衝突が起こり、混乱が生じる段階
3 統一期(Norming):混乱を経てルールや行動規範などが確立し、役割分担や共通のコミュニケーションツールができてくる段階
4 機能期(Performing):明確な目標に向かって、リーダーシップが発揮され、メンバー間の協力関係も強まり、チームの動きが成果に変容していく段階
5 解散期(Adjourning):解散の段階。当初は機能期までの4段階だったが最近はチームの解散期を最後に加えた5段階のモデルが多く使われるようになった。

大切なポイントは、チームが形成されてからきちんと機能するまでには、メンバーの心理的な対立(混乱期)が不可避であるということ。
目覚ましい成果を上げたチームには、この混乱期に激しい葛藤や対立が起きて、チームが分解寸前までいくことが多々ある。
逆に、混乱期を避けた(が無かった)チームは、一見順調なように見えていても、最後でどんでん返しを食らったり、低調な結末を迎えがち。
適度な葛藤(建設的葛藤)はチームをまとめるのに不可欠である。
「お互いに無理がきく関係」こそが、本当の意味でのメンバーシップであり、チームとして大きな成果を出すために必須ということだ。

大掃除でハタキがけをしていて、このタックマンモデルを考えていた。
当然ハタキがけをすると、部屋の中は一時大混乱で、最初よりもホコリだらけで大変なことになる。
が、このプロセスを経ないと、普通の日常の掃除と変わらないこととなり、大きな成果を生み出すことはできないのだ。
そう、普段の成果とは異なる一年に一度の大成果を求められる大掃除においては、混乱期であるハタキがけは必須なのである。

ということなので、チームビルディングの場合、混乱期を避けるのではなく、早く通り抜けつつチームの統合を目指すことがコツらしい。

「大掃除に置き換えると、早くこのホコリが舞散っている状態から早く脱却することがコツという事か。でもホコリが舞落ちるのを早くするなんてどうすりゃいいのだ」などと大掃除中にぼんやり考えてしまった。
案外ハタキがけと同じで、チームビルディングにおける混乱期には一定の時間が必要なのかも知れない。
混乱期の必要性が分かっていれば、混乱期に慌てる事無くチームビルディングを行うことができるし、これを避けていては大きな成果は得られないと思えばその不安定な時期を乗り越えることができる。
大掃除の場合には、別の部屋に行っていればいいだけなんだけどね。

2010年12月27日月曜日

餃子小舎

柏にオリジナル色豊かな餃子屋があると聞いて、家族で行ってきた。
やはりその豊富なメニューには圧倒!
http://gyoza-goya.jp/menu.php

もちろんメニューの好みにもよるのだが、味も美味。
メニュー毎に、醤油タレなのか、マヨネーズダレなのか、はたまたそのままが良いのかの評価表があるのがとても親切(というか、いちいち説明してられないからなんでしょうな)。

「炎の激辛餃子」というハバネロ・ワサビ・マスタード・カレー・キムチ・豆板醤の入った6種類の激辛餃子が一皿で楽しめるメニューがあるのだが、これは一人で完食するとお店に名前が張り出される。
最初にウォッカのフランベルがあったりする(辛そうに感じるという趣旨以外あまり意味はないらしい)。
たまたま隣の人(実は神保町では30倍カレーを平気で注文するような人だったらしい)が額に汗しながら完食して名前を刻んでいた。
子供が食べたがっていたのだが、さすがにやめさせた。ただしい判断であった。(そんなに辛いとするとフォローしきれん)

「餃子パフェなる、名前だけ聞くとちょっと引いてしまうようなメニューもあり、チャレンジャーとしてはこちらを挑戦。
食べてみて、「・・・普通の餃子の皮と違う皮ですね?」と通ぶって聞くと「皮は全部一緒です」とのこと。
中身とソースで味が全く変わるという餃子の特性を活かしたメニューでした。

オリジナル餃子セットだと530円でそれなりにお腹がふくれるはず。
しかしながら、色々なオリジナル餃子を食べてみたくて、ひたすらオリジナル餃子やらデザートだけを注文し続けるという戦略ミスにより、ランチだというのに結構な金額になってしまった。トホホ・・
でも後悔はなし。

有名なホワイト餃子ともすぐなので、吉鳳園の点心餃子と合わせて、柏餃子のハシゴルートができそうな気がした。

2010年12月18日土曜日

四谷大塚入塾説明会

下の息子が、そろそろ塾かという話になり、四谷大塚の入塾説明会なるものに行って来た。
塾の中学入試実績がどれだけすごいのか、最近はどれだけ勉強しないと中学入試に対応できないとか、などあおられるのかと思っていた。
ところが、パワーポイントで語られる内容の最初は世界的な人口動向とか、少子高齢化の話から始まって、我々の大切にするのは”志”である、といった理念。
世界的な人口動向(爆発)であるとか、日本の少子高齢化の話は、リーダーの育成が大切であるという流れにつながって、四谷大塚の標榜する「社会に貢献する人財を育成する」という教育理念につながっていくのだが、入塾説明においても”ヴィジョン”が求められる時代なのかなと、変な部分で感心した。
理念に引き続いて、もちろん入試実績やら授業カリキュラムの説明やらが続いたが、途中でも、「家では”夢”をテーマに対話をするようにして下さい」というような話がでたりで、自分の時代(極端に言うと城山三郎「素直な戦士たち」の世界)とは塾と言っても大分違うようであった。

それにしても教育って、やはりお金がかかる。
自分もやらせてもらっていた事を考えると、この歳になって、いまさらながら老父母に感謝する次第である。

2010年12月12日日曜日

テルマエ・テガエ?

手賀沼のほとりにある、とあるスーパー銭湯に久々に行って来ました。
この不況下にも関わらず、すごい人出で、建物のイルミネーションはすごいし、サウナなんかはもう満員状態だったりして諸々ビックリしました。
そのサウナです。
サウナにしてもその後の水風呂にしても、基本的なルール(サウナに入る時は体を拭いて水分をとってから入る。水風呂に入る前は体を流して入る。水風呂の中に潜らない等等)を守らない人が多くてちょっとイラッとしました。

そんな時ふと思い出したマンガがあります。
『テルマエ・ロマエ』というマンガをご存知でしょうか。
古代ローマ時代のルシウスという設計技師(風呂限定)が現代日本にタイムトリップして日本の銭湯・温泉文化を学んでいくという冒険物語(風呂限定)なのですが、この中に、今回のように入浴時のルールを守らない野蛮人の話がでてきます。
今年の色んなマンガ賞(マンガ大賞2010、手塚治虫文化賞など)を受賞しているマンガで、まだ2巻しかでてませんが、面白くてお勧めです。
どうやって入浴時のルールを守らせたのかは是非マンガをお読み下さい。

イラッとしつつも、銭湯でサウナに入るような人には”通っぽい”人が多いので、困っちゃうな〜なんてことを考えていたら
「は〜い、タオルの交換で〜す。申し訳ございませんが全員外におねがいしま〜す♡」
と銭湯おばさんが乱入して来て、ほぼ満員状態でサウナの中にいた通っぽい人達は全員一旦外に出されてしまったのでした。
銭湯おばさんおそるべし。

『ザ・ベロシティ』

本のハチマキ部のコピーに「21世紀版『ザ・ゴール』誕生! あえて「ムダ」は残せ!」とあり、TOC(制約理論)信奉者としては即購入、購読した。

概略でいうとTOC理論に、リーン生産方式、シックスシグマの概念を合わせることで、非常に効率性の高く組織の戦略的目標達成に向け、「スピードと方向性」(=velocity)を確立することを目指しすものである。
(本のタイトルの「velocity」とは、単なる速さ(Speed)ではなく、方向性を伴った速さ(Speed with deirection)の意味。)

リーン・シックスシグマ(リーンとシックスシグマを合わせたもの)とTOCは共通する部分もあるが、根本の所で考え方が異なる。
リーン・シックスシグマでは、生産ラインをバランスさせることが重要とされるが、TOCでは、逆ににバランスさせるべきではないと考える。
スループットを最大化するためには、余剰キャパシティも非常に大切で、100%フル稼働しているリソースがいくつもあるのは、逆に非常に非効率と考える。
ラインのキャパシティを短期間で100%フル稼働させるように改善するのは現実的には困難である。
ラインをバランスさせるということは、全てが完璧に100%で動かないといけないということである。ラインをバランスさせた場合は、全てのリソースのキャパシティをそぎ落としてしまって予備のキャパシティがほとんどないので、どのリソースでもボトルネックとなりうる。

簡単にいうと、ラインをバランスさせるというのは理想型であるが、実際には各プロセスにおいてバラツキが生じる。このバラツキを無くしていこうというのがリーン・シックスシグマの考え方であり、バラつく前提でライン全体のスループットを高めるためにはどうしたらいいかというのがTOCの考え方である。

これを、分かりやすく説明するゲームとしてサイコロゲームが紹介されている。
システムのプロセス間に依存関係があって、バラツキが生じる場合、どういうことが起こるのかの傾向が理解しやすい。また、設定によりスループットおよび在庫がどう変化するかが非常にわかりやすい。
DBR(ドラム・バッファー・ロープ)についても理解が深まるゲームである。一度本当にやってみたいと思った。

「制約」というと良くない響きがあるが、『ボトルネック』はボトルにとってフローを調節するという大事な機能を果たしている。
ビールやワインのビンなどに設けているボトルネック(細くなっている所)は、注ぐ際の流れを制御するためにわざわざ設けているくらいである。

「全体(を改善するために行われる一つひとつ)の改善活動は変革を必要とするが、すべての変革が改善に寄与するわけではない」
「全体を改善することと、全てを改善することは同義ではない」
というTOCの考え方をベースに物語がすすんでいくが、その他新しい考え方についても紹介されている。

シングルタスキング <リレーランナー方式>
仕事を受け取ったら、次の三つのうちのどれかが起こるまで走る。
①仕事を終わらせて次の人にバトンタッチする。
②その仕事を終わらせるには他の人の協力が必要な場合、その人からの仕事が来るのを待つために作業を途中で中断する。
③もっと優先度の高い仕事が途中で与えられた場合、今やっている作業を中断して優先度の高い仕事をもってまた走り出す。

TOC理論をリーン・シックスシグマと融合させて新しく「velocity」という概念にしたということであるが、TOC理論の小説としても秀逸である。

余談だが、TOC理論は船川淳志先生の研修を受けた時に、「何かビジネス理論で学んだものはありますか?」という質問があった。(船川先生は研修の時に「教える側も何か持って帰ろう」というスタンスが見えて、さすがと思った記憶がある)
「7つの習慣」なんかの話が出る中で、「エリヤフ・ゴールドラットという人の"TOC"制約理論というのに非常に共感を覚えています。」と回答した記憶がある。
(船川先生は、ちゃんとメモっていた)

今、会社で人材育成について議論しているのだが、「部下にどこまで任せるのか」というテーマのひとつにもこのTOCの考え方が利用できるのではないかと考えている。
それはまた別の機会ということで。

2010年12月11日土曜日

『結果を出し続けるために』

19歳でタイトル獲得してから常に将棋界のトップに君臨し、既に40歳になった羽生善治名人が、勝ち続けるために「ツキや運」「プレッシャー」「ミス」とどう付き合うのかを綴った本。

将棋の手には著作権がないので、自分で一生懸命考えて、新しい手を編み出したとしても、良い手はすぐに真似されてしまう。
将棋の世界は、良ければ真似され,研究されたりし、ダメならすぐに廃れると言う、ある意味究極の市場原理の世界。
そんな中で既に20年以上も勝ち続けている羽生善治氏がどのような考え方でいるのかに非常に興味があって読んでみた。


<勝負で大切なこと>
①恐れないこと
 「必要以上の恐れ」を持たないようにすること。そのためには、自分にとって不必要なものを手放すこと。
 自分にとって必要でないものを見極めたうえで、決断しながら不要なものを捨てていくことが、恐れないことにつながる。
②客観的な視点を持つこと
 局面を自分の側、相手の側からではなく、審判のように中立的に見ること。
 言葉を変えると「他人事のように見る」ということ。
③相手の立場を考えること
 将棋の基本的な考え方に「三手の読み」という言葉がある。
 状況をよくしたい、好転させたい時に、自分に取って一番都合の悪い手を考えるのは辛いが、そこをシビアに見ていく。
『恐れず、客観的に、相手の立場になること。』
一般の会社でマーケティングの3Cになぞらえると、自社(Company)においては決断しながら不要なものを捨てていくこと、顧客(Customer)においては市場がどうであるかを中立的・客観的に捉えること、競合他社(Competitor)においては相手が自らが最も困る戦略をとると考えて行動する、といったところか。

<次の一手の決断プロセス>
①直感
 カメラのピントを合わせるように急所を瞬間的に選択し、2〜3の手に絞り込む。
②読み
 シミュレーションを行う。
③大局観
 「終わりの局面」をイメージする。
とのことだが、面白いのは結局「最後は主観」、つまり「好き嫌い」とのこと。
迷った末には自分の好きな手を選ぶというのは、非常に大切なことなのかも知れない。

羽生氏の提唱する成長モデルで高速道路理論がある。
今はどこにいても瞬時に最新の情報が手に入る環境が整っており、一定の所までは短期間でたどり着けるようになった。いわば、遠回りや迂回をしないで、最短距離を行ける高速道路が整備されたようなもの。しかし、高速道路が整備されていないエリアまで来ると大渋滞となり、後ろからもドンドン新しい車がやってくる。
こういった状況を抜け出すには、違ったアプローチをして差別化を図らなければならない。高速道路から降りて、自分で新しい道を切り拓いていく必要がある。
現代は統計学や確率計算の理論がすごく進んでいて、セオリーや定跡、常識が、確立・確定しやすい時代。しかし、セオリーや定跡に頼りすぎると、いったんそこから外れたり、自分で道を切り拓くことが必要な局面になったときに、自力で対応する力が弱くなってしまう。
ではどうしたら自分の状況や環境、時代の流れを読んで、未来を切り拓いていく力を身につけれるのか。
羽生氏は、羅針盤が効かないような状況に極力身を置くことではないか、と述べている。



○将棋は「結果が全てだ」という気持ちでは長く続けられない。
ずっと続いていく日々の中で、いかに今までになかったことをやっていくか、という対局のプロセスを大切にしている。結果よりも大事なのは、「自分にとっての価値」。
○一局の対局の本質は、勝つためではなく、価値を創るため。
価値を見出すことに非常に意味があり、さらにそれを見てくれた人が、感動した、面白かった、喜んでくれた、というところにまた意義がある。
○充実感は環境に左右される。

勝負の結果が明白な将棋の世界で20年以上も君臨する羽生氏が述べるにはちょっと意外な意見であり、またそれ故、非常に重みを感じる。

「才能とは、続けること」
プロとアマチュアの違いを定義するならば、「自分の指したい手を指すのがアマチュア」、「相手の指したい手を察知して、それを封じることができるのがプロ」
そして、一人前のプロと、一流のプロとの違いは、「継続してできるかどうか」。この一点のみ。
昔から「やりゃあ出来る」というのは嘘だと思っていて、「コツコツとやることができる」のは一つの才能であると思っていた。羽生氏はその「続けること」こそが才能であると言っている。これまた重みのある言葉である。

「幸せ」とは何か、「成功」とは何か、についても羽生氏はこの本の中で自分の意見を述べている。

羽生氏の意見はどれも非常に長期志向(ロングスパンでのものの考え方)であり、どの世界でも長期にわたってトップであり続けるような人の考え方は非常に似通っているのかもしれないと思った。

学研Next講習会

子供の頃、有名だった「学習と科学」を出版していた学研の家庭教育事業本部がホールディングス化に伴い法人化したのが学研Nextという会社で、そこの家庭教育プロデューサー、酒井勇介氏の講演を聞いてきた。

新学習指導要領が40年ぶりに大改革され、
平成23年:小学校 授業時間278時間、5%アップ、新しい教科書のページ数平均25%アップ。
平成24年:中学校 授業時間360時間アップ。
ということで、授業の進め方は速くなり、家庭での勉強が増えるのだそうだ。

全国学力・学習状況調査(小中学校では2007年に43年ぶりに復活した)という小学6年生と中学3年生の調査がある。
これは学力調査の他、同時に学習環境についてのアンケートもあるので、学力とどのような習慣に相関があるのかが推定できる仕組みとなっている。
都道府県別学力ランキングでいうと、秋田、福井、青森が不動の上位3位。

秋田県の子供たちの学習環境から秋田県の子供たちの学力が高い理由を推定すると
①決まった時間に机に向かう
②机の上は学習用具だけ
③ながら勉強禁止(テレビ、ゲーム、食べる、メール)
④文字を丁寧に書く
⑤復習を大事に(この項目は秋田県がずば抜けて高いらしい)
⑥読書習慣
ということに相関があるのだそうだ。
学習時間でみると、平日の差はそれほど大きくないが、土日で秋田県の子供は他の都道府県の子供に比べて長く学習している。(週末に緩んじゃイカンということ)

OECDのPISA(学習到達度調査)で常に上位のフィンランドでは
①自分だけの本棚がある。たくさんの本を読む。
②家庭で、授業で、「なぜ?どうして?」という質問形式が多い。
③学校での出来事を家族で話し合う習慣がある。
という習慣が学力と相関があると考えられている。

国レベルで学力を上げるためには、次のどちらからしい。
①国の税金の使い方を効率的に教育関係に使うことで教育環境を整える(例:フィンランド)
②個人の家庭内での学習を充実する(個人でお金をかける)(例:韓国、中国)
韓国では子供が大学に行かない場合には恥ずかしくて山奥に引っ越さなければならないくらいらしい。
OECD学習到達度調査2009で「上海」がいきなり1位を独占したのもこの事例。ちなみに中国は都市ごとの参加ということで国全体では調査に参加していない。(格差があり過ぎて上位にいけないからだろうか)

学習の習慣は早く始めると親にも子にも負担にならない。子供は順応するのが速い。
子供の学習環境を考えて実践するのに、出産と住宅購入時は契機。

新学習指導要領変更につき、家庭での学習が大切になってくるとのことだが、その中でも
①国語の読書習慣(幼少のうちは図鑑を眺めるということでもOK)
②英語のリスニング(高校受験では配点約30%。時間がかかるので試験前だけでやろうとすると理社をやっている時間が無くなるらしい)
については家庭で早期に開始するとよいとのことであった。
小さなうちから、寝る前に 歯磨き3分、英語リスニング2分、読書(図鑑など見る本でもOK)10分の習慣が大切とのこと。
リスニングの2分なんて効果あるのかという気もするが、毎日2分の効果は毎日コピー用紙を1枚ずつ積み重ねるのといっしょ。
最初は全くわからないが、100日、200日と重ねると差は歴然となるのだそうだ。

何につけ、あの「学研」の家庭教育事業のプロが語る内容なので信憑性が高い。
これらを住宅の間取りにどう活かせるのかということについては、サワリの部分で講習は終了してしまった。
残念!

とはいえ、昨今の教育環境についてのプロの視点を聞くことができて非常に有益であった。

2010年12月5日日曜日

『宇宙は何でできているのか』

東京大学 柏の葉キャンパスに本拠地がある、東京大学数物連携宇宙研究機構(IPMU)の機構長 村山斉先生の宇宙の秘密に迫る本。
「すべての星と原子を足しても宇宙全体の重さのほんの4%。では残りの96%は何か?」
という幻冬社らしいキャッチコピーにひっかかって購入してしまった。

以前、東大主催で、ノーベル賞を受賞した南部先生の理論を分かりやすく説明する「サイエンスカフェ」が柏の葉のららぽーとで行われた。
東大の準教授の人が説明する南部理論の内容はやっぱり難しくて正直良く分からなかったのだが、質疑の時間が面白かった。
参加していた小学生から「宇宙の果てはどうなっているのですか?」という質問がでたのに対し「実は、宇宙の果てがどうなっているのかは良くわからないんだよ。それがこれからの課題なんだ。」と回答していた。
小学生の質問なので、ある意味適当に回答するとか、ケムに巻くとかできたと思うのだが、真摯に回答している姿に好感を持った記憶がある。
小学生にとっては理科なんて必ず答えが用意されていると思っていたと思うのだが、「まだ世界で誰も分かっていない問題がある」というのはちょっとワクワクしたのではなかろうか。

さて、キャッチコピーの答えなのだが、残りの物質のうち約23%は暗黒物質(ダークマター)と呼ばれる物質で、これが存在していないとすると我らが太陽系がすっぽ抜けて宇宙の果てに行ってしまうからなのだそうだ。
(そうでなくても地球は太陽の周りを秒速30km(時速10万8千km)で回転し、その太陽系自体も秒速220km(時速約80万km)で宇宙の中を進んでいるらしい。)
その他大半約73%を占めるのが、暗黒エネルギー(ダークエネルギー)と呼ばれるもので、これは宇宙という”箱”が膨張しても、その密度が薄まらないものらしい。
これは宇宙の膨張が加速してるという事実から,宇宙という”箱”がいくら大きくなっても薄まらずに、その膨張をぐいぐい後押しする謎のエネルギーがなくてはならないことから、「ある」とされている謎のエネルギーである。

宇宙は10の27乗m、素粒子は10の−35乗m。宇宙の成り立ちを研究するには実は素粒子の成り立ちを調べるのが早道という「ウロボロスの蛇」(古代ギリシャでは「世界の完全性」を表すシンボル)というのは何となく理解できたのだが、すごくシンプルで分かりやすく書かれているにも関わらず、正直後半の素粒子編の解説は難し過ぎて理解できなかった。
内容が普段の生活の常識とかけ離れた世界であるから理解には時間がかかるのか、それとも理解力の問題か。
何でも「宇宙という書物は数学の言葉で書かれている」(by ガリレオ・ガリレイ)らしいから、しょうがないとしよう。