2009年8月5日水曜日

キャラクターバブル崩壊?

子供にせがまれて『劇場版 ポケットモンスター ダイヤモンド・パール アルセウス 超克の時空へ』を観に行った。
物語自体はそれなりに面白かったが、今回のメインキャラクターである”アルセウス”であるが、”神と呼ばれしポケモン”とのことで、既に”ポケットモンスター”という概念から外れてしまっているのが気になった。
”ポケットモンスター”というのは元々はピカチュウのような、可愛らしいモンスターが人間と一緒に成長して行くドラマという認識であったが、その同じカテゴリーに万物の創世主であるものがいるというのはすでに『キャラクターバブル』といわざるを得ない。

ポケモンのような連続モノの宿命かもしれないが、どんどん面白く、ドラマティックに仕立て上げる必要性のため、ストーリーやらキャラクターをどんどんスゴイもの(最強、最凶、過激)にしていく必要がある。
これではどこかでみた資本主義の末路のように破綻をきたして崩壊するしかない。

同じ連続モノでも、実写系の場合には、出演者が自動的に歳をとるので出口戦略を設定しなくてもいずれ終了する。(寅さんしかり、釣りバカしかり。水戸黄門のようにバージョン変更しながら引き継がれるものもあるが。)

『ドラえもん』や『さざえさん』のように、安定的に(「より××」を求めずに)連続していく連続モノであればいいが、どんどんストーリー的に面白くしていく必要性のある連続モノは、どこかで無理が生じていく気がする。
連続モノに関しても出口戦略を設けておかないと有終の美を飾れずに、せっかくのそれまで積み上げて来た実績が霞んだものとなってしまう。
(惜しむらくは名作『北斗の拳』。途中で止めておけばもっと名作だったと思う。)

『○周年記念』といって盛り上げた祭りの後をどう整理するのかについては、仮面ライダーシリーズも全く一緒の課題をもっている。
あれだけ今までを振り返ってその資産(過去の主人公ライダー達)を利用しまくった「ディケイド」の後をどうつなげるのか。
バブルと認識された時の資本主義と一緒でソフトランディングはそれほど容易ではないのではないか。

と言っても、資本主義と違うのはバブル崩壊しても(ハードランディングとなっても)あまり困る人はいないという点か。
大騒ぎして馬鹿を見ているのはこちらの方かも。

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