2011年12月31日土曜日

家族でカラオケ

大晦日、一年の締めくくりの日に妻の希望もあり、家族でカラオケボックスに行った。
長男は受験なのだが、気晴らしにはよかろうということで4人で出かけた。
お酒も入らずに軽食を食べながら歌ったのだが、大盛り上がり。
下の息子は初めてのカラオケボックスだったらしく、興奮気味に喜んでいた。
次回は長男の受験が終わってから、お酒を飲める時間帯に行きたいものだ。

『坂の上の雲』

以前も大連出張の前に司馬遼太郎の本を読み返してこのブログに記載したことがあるが、今回はNHKのテレビドラマを観てである。

<感想その1>
以前も思ったことであるが、今享受している日本人としての歴史は先人が血をもってしても現在に引き継いでくれたものである。
先人の偉業に感謝しなければならない。
逆に言うと、我々は次の世代にこの日本の文化を伝えていかなければならないということだ。
そのために我々にできることは何か。
もちろん、昔とは時代も違えば、ライフスタイルも違う。昔のままではいられない。
何を変えて、何を変えてはいけないのか。日本人とは何かという本質を捉えることが要求される。

<感想その2>
当時の人達は「日本」という国家の存亡ということを本当に考えながら生きていた。江戸時代から明治になり初めて「国民」という概念ができたが、国民が総じて国家の存亡について考えていたように思う。
だからこそ、女達も男が戦争に行った家を窮乏の中、守っていたのである。
203高地における乃木希典の陸軍第3軍においては色々言われることも多いが、それでも国の存亡を考えながら現地で対応していたということだ。(そのやり方については色々言われてしまうが、結果は結果。敗軍の将は兵を語るべきではない)
振り返って現在の日本であるが、国家GNPの倍近くの負債を抱え、更には原発事故を終息させなければならない枷を背負いながら、誰も国が滅びるとは真剣に考えていないのではないか。
戦争と言うショック療法的なことが起こらない現在、徐々に負債が増え、気がついたら国家財政破産という「ゆでがえる」状態になっているのに、危機感を持っている日本人(特に政政治家、財界人、官僚)は何人いるのだろうか。
自分たちの時代を切り抜ければいいのであればそれでもいいのかもしれないが、次世代、次次世代へ引き継いでいくことを考えたら、プライマリーバランスが成り立っていないような状況は一刻も早く脱け出さなければならないのは自明の理である。
不要に国民をおびえさせる必要はないが、まずいことはまずいと誰かがはっきりと示し実行しないと、刹那的なショック療法(すなわち戦争)を望む輩が増えることとなる。
(太平洋戦争では「輩」どころか、一級の知性ですらそれをやむなしとしたのが日本の歴史である)

日清戦争、日露戦争とも、勝ち目のないと言われた相手に対して、正直敵失により勝利した(勝利してしまった)経験が太平洋戦争の過ちにつながったと言う言われ方をするが、それは太平洋戦争時点での判断をしっかりしていれば良かった話しであると思う(というより、太平洋戦争に突入する判断が本当に間違っていたのかは、別の議論が必要。結果を見れば失敗かも知れないが、その失敗を活かしたからこそ現在の日本があるという見方もできる)。
現在も後からみて「何故あの時点で判断できなかったのか。それ故○○が起きてしまった」と言われないようにしたいものである。
我々の時代は我々しか判断できないのであるから。一隅を照らしていきたい。

2011年12月18日日曜日

エコプロダクツ2011

東京ビッグサイトで開催されたエコプロダクツ2011に行ってきた。
初めて行った訳ではないのだが、金融機関ですらECOを標榜しなくてはならない時代になったのだと思った。
(金融機関の”エコプロダクト”、正直面白い展示になろうはずもなく、人が来るわけでもないのに、何故か出展しているのは、ほとんど強迫的なCSRの観点と一緒なのであろう)
それにしてもエコの種類は様々。だからどの企業でも「エコ」って言えるし、無理してでも「エコ」を標榜しなくてはいけないという企業の強迫観念に通じているのであろう。

ざっくり分類すると
①省エネ
REDUCE
REUSE
RECYCLE
REPAIR(もしくはREFUSE)
②創エネ
③蓄エネ
といったところか、切り口は各企業様々であった。

ヒューマンウォッチング的にみていくと、
①問題正解すると景品というのはやはり王道。景品がいかに魅力かが勝負。
②クイズの答えが覗き窓というのは有効。ついつい見ちゃう。
③やはり動きがあるものが無いと人から見てもらえない。
④開催頻度にもよるのだが、ワークショップは多数の企業がやっていて盛況(やってないときの寂しい感が課題か)
⑤東京モーターショーほどではないが、やはりコンパニオンのお姉さんは綺麗な方が良い。
⑥地味ブースだったら案外トイレの近くはありかも。(目立たなくっても用を足す時に通る。QBハウス戦略)

でも人が多くて、ノドが痛くなってしまった。
体調には気をつけよう。


『甘い物は脳に悪い』

食事についてのアドバイスだが、ターゲットがバリバリ働くサラリーマンというところが面白い。
サラリーマンの食事の留意点だが、一言でいうと、
①昔の和食(「地味飯」)はやはり身体にいい。
②朝食は大切。
ということが書かれている。

②については、朝食抜きの方が身体によい、という説もあるが、これは残りの二食で栄養バランスをきちんと摂れる場合のみ。多くのビジネスマンはカロリーは足りているのに、栄養失調という状態にあるので、貴重な栄養補給源である朝食を抜くデメリットは大きい。
血糖値が急に上がったり下がったりすると、脳の働きは悪くなるが、朝食を抜くと、昼食後の変動を大きくすると言う研究結果も出ているとのこと。

ちょっとビックリ、トリビア系のネタでいくと、
夜、会社で仕事をしていて小腹がすいて何か食べたいときには
・ゆで卵、温泉卵
・冷や奴セット
・サラダ+たんぱく質(鶏肉、卵、シーチキンなど)
・干した魚介類のおつまみ
・枝豆
がお勧めというもの。
この本のタイトルにもなっているトリビアで、一般的には小腹が空いたらガッツリ甘いもの、というのが通説である。
ところがどっこい、甘いものを食べると、体内では急激に血糖値が上がり一時的に疲れが取れた気分にはなるが、その後急に(血糖値が上がると身体にとって負担になるので)血糖値を抑えるために膵臓が大量のインスリンを分泌する。
その結果、甘いものを食べる前よりも血糖値が下がってしまい、集中力が続かなくなるばかりか、よけいに疲れを感じ、けだるくなるらしい。

また、徹夜作業時のコーヒーも意外なポイント。
体内の水分はその2〜3%でも出ると眠気がでると言われている。
コーヒーのカフェインには覚醒効果があるが、同時に利尿作用もあり、コーヒーで覚醒したものの、水分が排出されてだるくなったり眠くなったりすることもある。
徹夜するときにはコーヒーではなく、水もしくはノンカフェイン飲料を飲む方がよい。

3点目は、寝る前の食事での留意点。
朝食をきちんと摂るためには、寝る3時間前には食べ物を口に入れない。
それでも食べる場合には、脂質が少なく、消化しやすいものを選ぶこと。
脂質の量が分からない場合には、「カタカナ食」よりも「ひらがな食」を選ぶ。日本の料理は調理に使う油が比較的少ないので、胃の負担を軽減できる。
麺類ならパスタよりうどん。スクランブルエッグよりはゆで卵。ほうれん草のソテーよりはほうれん草の煮浸し。

参考になったのは、サラリーマンが食事の時に意識すべきこと。
食事の基本は4つのお皿によって構成されている。
第一のお皿には主食、第二のお皿には主菜、第三のお皿には副菜、第四のお皿には汁物が載っている。
4つのお皿を意識して三食食事をとるようにするとよいとのこと。
きっちり4つの皿を食べれないにしても、汁物を追加したり、野菜を意識的にトッピングするなどで大分栄養不足は解消されるそうだ。


男性の平均寿命を70歳とすると、食事をとる回数は全部で7万6650回しかない。
その計算でいうと、自分は既にあと3万回くらいしか『食べるチャンス』がないということだ。
"We are what we eat."ではないが、食事にもっと配慮して栄養のある美味しい物を食べねばと思った。

2011年12月12日月曜日

『「経験学習」入門』

会社で部門の研修担当者を集めた会合が人事部主催であり、OJTの重要性を改めて認識した。
そんな時に本屋で目にして購入したのだが、実に素晴らしい本。

多数の優れたマネージャーに対するインタビュー調査から見出した三つの要素とその原動力のオリジナル理論と、コルブによる経験学習サイクルを二つの柱として、非常にわかりやすい説明がなされている。

最後には実践的なOJTを効率的に行うよう使えるフォーマットについても記載されており、理論から実践までカバーしつつ、かつ分かりやすいという名著である。


自分の思い通りにコントロールしにくいという意味で、「経験から学ぶこと」は「波乗り」に似ている。
多数のマネージャーに対するインタービューから導き出された理論の骨子は、
適切な「思い」と「つながり」を大切にし、「挑戦し、振り返り、楽しみながら」仕事をするとき、経験から多くのことを学ぶことができる
というものである。
これを、ストレッチ(挑戦する力)、リフレクション(振り返る力)、エンジョイメント(楽しむ力)と言い換えている。
そして、三つの要素を高める原動力となるのが「思い」と「つながり」。

プロフェッショナリズム研究によると、普通の人には真似のできない高度な知識やスキルを持つと同時に、他者に奉仕することに意義を感じることが、プロフェッショナルの条件。
「自分への思い」と「他者への思い」を両方持っている人が真のプロフェッショナルなのだそうだ。

「方略」と称して、インタービューから得られた知見を演繹したものが紹介されている。
<ストレッチの方略>
方略1 挑戦するための土台を作る
方略2 周囲の信頼を得てストレッチ経験を呼び込む
方略3 できることをテコにして挑戦を拡げる

<リフレクションの方略>
方略1 行為の中で内省する
方略2 他者からフィードバックを求める
方略3 批判にオープンになり未来につなげる(未来志向のリフレクション)

<エンジョイメントの方略>
方略1 集中し、面白さの兆候を見逃さない
方略2 仕事の背景を考え、意味を見出す
方略3 達観して、後から来る喜びを待つ

感心したのが、deliberate practice(「よく考えられた実践」)という、個人を成長させる練習や仕事のやりかたの概念。
個人を成長させるpracticeには3つの条件がある。
①課題が適度に難しく、明確であること
②実行した結果についてフィードバックがあること
③誤りを修正する機会があること

次の柱がコルブによる経験学習サイクル。
①「具体的経験」をした後、
②その内容を「内省し(振り返り)」
③そこから「教訓」を引き出して
④その教訓を「新しい状況に適応する」こと
で学んでいる。
というものだが、これをPDCAサイクルにあてはめ、さらには指導者側の方略を述べている。

[育て上手な指導者の指導方法]
P(計画)新しい状況に適用する⇦目標のストレッチ
D(実行)具体的経験をする⇦進捗確認と相談
C(評価)内省する⇦内省の促進
A(改善)教訓を引き出す⇦ポジティブ・フィードバック
とこんな具合だ。

<目標のストレッチの方略>
・懸命に手を伸ばせば届く目標を立てさせる
・成長のイメージを持たせる
・成長を期待していることを伝える

<進捗確認と相談の方略>
・こちらから声をかける
・定期的に個別ミーティングを行いしっかりと聞く
・こまめに時間をとり、取り組みが見えるようにする

<内省を促す方略>
・成功失敗の原因を本人に語らせる
☞何故成功したのかを考えるのは非常に重要。不調時のリカバリー力が違ってくる。
・成功失敗のパターンを認識させる
・より良い方法を考えてもらう

<ポジティブ・フィードバックの方略>
・成功失敗にかかわらずまずは労をねぎらう
・まず良い点を伝えてから問題点を指摘する
・普段の仕事の中で成長したと感じた部分を伝える。

人材をつぶす傾向が高い指導者についても分析されている。
一年目の新人を指導するときに、「目標のストレッチ」と「ポジティブ・フィードバック」のいずれもが不足。放ったらかしの指導方法をとっている。
二年目以降の若手を指導するときには、「目標のストレッチ」が過剰になる傾向がある。
要するに「一年目の放置と二年目以降のスパルタ」の取り合わせが人材をつぶしてしまう指導者の特徴。

職人の育成について、
日本では、「背中を見て覚えろ」という教え方が主流。
ドイツでは、職業学校に通いながら、職場で働いて学ぶデュアルシステムによって職人が養成される。このシステムでは、標準化されたカリキュラムが整備され、教える側は「言葉で説明する」ことが求められるのが特徴。
ドイツのデュアルシステムは、一定水準の職人を大量に育成するのに適した制度であり、日本的な徒弟制は少数の超一流を育てるのに向いている、というのも会社の人材育成方針のヒントになる気がする。

2011年12月11日日曜日

『ファイナル・クラッシュ』

ヒューゴというペンネームのプライベートバンクのファンドマネージャーの著作を石角完爾氏が追記しながら著したもの。リーマンショック前に書かれたものなのに、途中まであたっているというので購入して読んでみた。

世界には負債の山が築かれている。
消費者は住宅ローン、クレジット・カード・ローンという二つの負債の山を築いている。
国家は国債と言う負債の山を築き、投資銀行とヘッジファンド、プライベート・エクイティ・ファンドらはレバレッジをかけて運用成績を上げると言う誘惑に駆られて、これまた膨大な負債の山を築いている。
膨れ上がった負債は、いずれどこかで精算されることになる。それがファイナル・クラッシュに結びつく。

ファイナル・クラッシュとは、「借金による消費によって演出された不自然な成長」の仮面がはがれ、それが本来の姿に巻き戻される過程である。

原因は刷られ過ぎたドル。
アメリカに石油と工業製品を満載したタンカーが着く。その帰りにはアメリカの国債を満載していく。アメリカ人が買う商品を中国が輸出し、中国にドルがたまる。中国がそのドルでアメリカ国債を買う。この循環を「チャイニーズ・ランドリー(中国製洗濯機)」と呼ぶ。
この循環のため、ドルは暴落せずに済んでいるが、日本の外貨準備(アメリカ国債)取り崩し、中国のインフレによる変動相場制への変更など、きっかけさえあればいつでもファイナル・クラッシュは起こりうるというのが著者の考えだ。

「北京ペッグ」。人民元がドルにペッグする、すなわち固定相場制の見返りとして、中国政府は大量のアメリカ国債を購入することを義務づけられている。
マネーサプライが過大になっているにもかかわらず、その局面で金利がそれほど上がらなかったとしたら、その唯一の理由は、アメリカ政府が発行する国債大量発行によるドルの出血を、日本と中国が吸収してきたから。
中国は輸出により稼いだドルでアメリカ国債を買い支えた。このドル還流のおかげでアメリカ国民は、自らの稼ぎ以上に借金を重ねて消費しており、そのアメリカの消費が今の世界経済の生命線となっている。
これが「チャイニーズ・ランドリー」のメカニズムである。

流動性停止による不均衡の喩えが面白い。
流動性停止とは、パニック時には少しでもリスクのある資産は全員が売り、買おうとするものがいなくなる。結果、誰も売ることができなくなる。
全員が壺の中に手を入れて金貨をしっかり握り、つかんでいると思っていたその手が壺から出せなくなった途端に、つかんでいたはずの金貨はレバレッジの逆魔法のために単なる石ころになる。

ファイナル・クラッシュが起きたときには、全世界が大打撃を受けることになり、その中では誰の打撃が最も少ないかというサバイバルゲームになる。
最も軽いダメージで危機をやり過ごせるのは、一つは資源と食糧をどちらも自給できる国であり、もう一つは貴金属、とくにゴールドを最もたくさん持っている国であり、個人であり、機関である。

世界の人口増は経済学的には何を意味するのか。答えは「ローマテリアルへのデマンドが急速にあがっていく」。
人口は等比級数的に増えるが、食糧は等差級数的にしか増えない。
紙幣や国債、各種証券のようなペーパーマネー、クレジットカードのようなプラスチックマネーが全てクラッシュするとき、残るのは現物資産だけ。そこに全ての富が収斂する。

ファイナル・クラッシュ後の世界についても記載されている。
ファイナル・クラッシュ後の20年間は、エネルギーと食糧の自給が最大のテーマとなる。
食糧や石油、エンルギーなど必要なものは、いつでも好きなだけ他国から持ってくればいいというのがグローバリゼーションの姿だったが、ファイナル・クラッシュ後の世界では、保護主義が蔓延し全てが自国優先の世界になるから、それが非常に難しくなってくる。

我々の周りの世界がファイナル・クラッシュ後にどう変わるかについても述べられている。
燃料コストの増大は、移動や輸送を伴うビジネス活動をやりにくくする。遠距離通勤はもはや過去のものとなるだろう。
職業的にいえば、弁護士、公認会計士、調査会社、株式仲買人、企業金融関係者、不動産開発業者、建築、PR関係等々はファイナル・クラッシュ後は不人気な業種に変わるであろう。
大規模な全国展開をするコンビニエンスストアやディスカウントストアは姿を消し、地元の小売店が存続する。全国展開すると、ガソリン代の高騰により商品の配送コストがかさみ、消費者に安く商品を提供できなくなるからである。
外国との貿易における輸送コストも跳ね上がるため、中国から高い輸送費をかけて輸入するものは高額商品に限定されてくる。
必要な時に何度も高いガソリン代、人件費をかけて部品を運ばせるやり方は、エネルギー価格が高騰したら維持できなくなるので、トヨタのジャスト・イン・タイム方式は過去のものとなり、伝統的な生産方式が主流に復帰するだろう。
人々は大きな家から狭い家へ、都市から農村地帯へと居住を移していく。それに伴い、今までに買い集めた家財道具を一時的に保管しておく貸しスペース業もブームになるだろう。
消費者金融については、昔ながらの質屋が中心となっていくだろう。。
自分の職業が不人気業種として挙げられてるからという訳ではないが、本当か?という気が多々するのは自分だけか。

資産家がどのようにファイナル・クラッシュに備えるべきかは本書を読まれたいが、ありがたいことに資産のない人のファイナル・クラッシュ対策についても最後に書かれている。
資産のない人の場合のクラッシュ対策は伝統的なもの。一言でいうなら「手に職を」ということ。

頑張って「手に職」をつけるとしよう。

2011年11月24日木曜日

『僕は君たちに武器を配りたい』

ちょっと過激なタイトルだが、学生向けに生き抜いていくための武器(知識)を伝えようという、京大で「企業論」を教える瀧本哲史氏の本。

一言で言うと「投資家的な生き方」のすすめ、ということなのだが、投資家になれ、ということではない。
あくまで発想を投資家的に変えよ、ということが書かれている。

まずは資本主義というものを理解する。
かつて資本主義には3つのモデルチェンジがあった。
富を得る方法で、いちばん古くからあるのは「略奪モデル」
次いで富を生み出す仕組みとして「交易モデル」が生まれた。
「交易モデル」の後に出てきて、大きく社会を変えたのが「生産性革命」
ここまで来て、あらゆる商品、サービス、そして人材までもが「コモディティ化」してしまったことを著者は指摘する。
そして、全産業の「コモディティ化」が進む世の中で、唯一の富を生み出す次の時代のキーワードは「差異」。この「差異」はデザインやブランドや会社や商品が持つ「ストーリー」と言い換えてもいい。

次に<資本主義社会の中で主体的に稼ぐ人間6タイプ>
1.トレーダー
2.エキスパート
3.マーケター
4.イノベーター
5.リーダー
6.インベスター(投資家)
ただし、トレーダーとエキスパートについては今後段々稼ぐことができなくなるであろうと著者は予測している。

その中でも著者のお勧めは投資家。
ただし、色々注意点がある。
ひとつは「投機」と「投資」の違い。
「投機」とは、利殖のみを目的に、一攫千金を狙って行う賭け事。得する人間が一人いれば、損する人間がその何倍もいるゼロサムゲーム。
「投資」は、畑に種をまいて芽が出て、やがては収穫をもたらしてくれるようにゼロからプラスを生み出す行為。投資がうまくいった場合、誰かが損をするということもなく、関係した皆にとってプラスとなる点が投機とは本質的に異なる。
また、投機が非常に短期的なリターンを求めるのに対して、投資は本質的に長期的なリターンを求める。

シリコンバレーの投資家達はリスクを回避することよりも、リスクを見込んでも投資機会を増やすことを重視する。投資と言う行為は何よりも「分母」が大切だからだ。重要なのは、できるだけたくさん「張る」ことなのである。
トータルで成績をよくしたいと思うならば、リスクを恐れず積極的に投資機会を持たねばならない。
失敗を恐れて確実に儲かる案件だけに投資することは、結果的に自分が得られたかも知れない大きな利益を逸失することにつながる。
投資家として生きるのならば、人生のあらゆる局面において、「ハイリスク・ハイリターン」の投資機会をなるべくたくさん持つことが重要となる。

ただし、ここでも注意すべき点がある。
それは、「自分で管理できる範囲でリスクをとる」ということ。
投資の世界に「計算管理可能なリスク」(calculated manageable risk)という言葉があるが、リスクを人任せにしてしまうのは投資としてやってはいけないこと。

そう考えると、サラリーマンは実はハイリスク・ローリターン
大学を出て新卒で会社に入り、定年の60歳まで働いたとすると、38年間を会社で過ごすことになる。しかし、近年会社の「寿命」はどんどん短くなっている。平均すると30年ぐらいで「会社の一生」は終わるようになっている。
管理できない、ひとつの会社に自分の人生をすべて委託するのは非常に高リスクなのである。

前段で、現在の勉強ブーム、資格ブームの裏には、「不安解消マーケティング」があって、勉強しただけじゃダメなのよ、という論調から始まる。
「それこそ不安をあおるだけでは?」と思ったが、「英語・IT・会計知識」の勉強というのは、あくまで人に使われるための知識であり、きつい言葉でいえば、「奴隷の学問」、勉強するならリベラル・アーツ(教養)を学べ、というのが著者の言いたいことらしい。
人材もコモディティ化するこの時代故、「Boys Be Special!」ということなのだが、どうスペシャルになるのかは各人各様自ら編み出さねばならない。

その他にも
○専業主婦というリスク
○入ってはいけない会社の見分け方
○4大監査法人の話
○名伯楽の教え方
など面白いネタも多々あった。

入ってはいけない会社の見分け方でいうと、従業員を大切にする会社は、顧客を大切にする。逆を言えば顧客を大切にしない会社は、従業員も大切にしない。
会社のビジネスモデル自体がお客様を小馬鹿にしている、もしくは馬鹿な顧客をターゲットにしている会社には、長期的には未来がないといえるとのこと。
そういった点でも顧客志向というのは大切ということだ。

それにしても、今更サラリーマンはハイリスク・ローリターンといわれてもね・・・
こまっちゃうな。

2011年11月20日日曜日

この世の沙汰も金次第?

下の子供がクリスマスに、カードゲームのカードが欲しいと言う。
理由を聞いたら、「年明けには○○君にカードゲームで勝ちたいから」とのこと。
強いカードが無いと勝負に不利で、強いカードはたくさんカードを買ってレアカードを集めないといけないのだと言う。

我々の子供の頃は、メンコにしても野球にしても、「○○君に負けない」ためには努力や工夫あるのみだった。お金のかかるギアによってそれが勝敗を左右する要素になるようなことは少なかった。
それよりも「弘法筆を選ばず」で、ぼろいギアを使ってる奴の方がうまかったりしたものだ。

「○○君に勝ちたい」というのは非常に純粋かつ自然な感情であるが、そのために「努力をしよう」という方向に子供達の思考回路が向かわないのだとすると由々しき問題である。
カードの話しを見る限り、「勝つために」「お金を払って手に入れよう」という思考になっているのである。
正直、大人の世界においては金がないと叶わない世界もある。
しかし、子供の頃から「勝つためにはお金」という思考回路になるようだと、資本主義の悪い面が出て、そういう子供が大人になった世界はどこかでクラッシュするのではないか。

最近は、無料のゲームなのに、ゲーム世界で有利に事を運ぶためのギアが有料というシステムが横行しているという。とあるゲーム会社は表示をいちいち「一部有料」を明記するようになった。
たかだかゲームかもしれないが、子供達のマインドを間違った方向にねじ曲げる可能性のある、恐ろしいものであることを認識した。
にも関わらず、ゲーム禁止については、子供同士のコミュニケーションがとれなくなるという理由から踏み切れない。。
社会全体で「使えない人間」をつくるべくシステムを作ってしまい、レベルダウンしているような気がしてならない。
人育ては待ったなしの課題である。

妖怪人間ベム

妖怪人間ベムの実写版がテレビで放映されていて、ついつい毎週見てしまう。
鈴木福くんのベラもさることながら、杏のベラが秀逸。メトロの杏のポスター見てもベラがいると思ってしまう位のはまり役だ。
内容は、ご存知の通り、正義の心をもった妖怪人間が「早く人間になりた〜い」と、その姿ゆえ人に嫌われようと憎まれようと人を助け善行を積むというストーリーだ。

人から疎まれても嫌われても、3人は同じ境遇にあるので結束は固い。
実際に他人から嫌われ続けても他人を助ける気持ちになり続けるかは疑問だが、これが一人だったらその孤独感から精神がおかしくなってしまうだろう(もちろん「人間」だったらだが)
いわゆる「多重人格」を指す解離性同一性障害では、自分が酷い目にあっているという現実から逃避するためにもう一人の人格(「交替人格」というらしい)を作り上げ、酷い現実を客観視するということがあるそうだ。
ただ、多くの場合元々の自分は切り離された自分(自分が切り離した別の自分)のことを知らない。そして、普段は心の奥に切り離されている別の自分(交代人格)が表に出てきて、一時的にその体を支配して行動すると、本来の自分はその間の記憶が途切れ、何をどうしたのかが解らないらしい。
これは、酷い目にあっていることを認識しないために生まれた人格なのだから当然かも知れない。
しかし、逆に交替人格は本来の人格のことを認識することが多いという。
酷い環境におかれた仲間というのは連帯感が強まるが、主人格と交替人格のなかではその連帯性は生まれないということだ。
妖怪人間ベムも一人だったら、正義の心を持ち続けることはなく、解離性同一性障害になっていたかもしれない(これも「人間」だったら)

妖怪人間は姿は醜いが、その肉体的能力は人間を凌駕している。(だからベムの「人間になりた〜い」は、普通の人間からするとちょっともったいないとも思える、キャンディーズの「普通の女の子に戻りたい」というのと通じるものがある。)
バイオ技術の発達により「妖怪人間」が生まれるかどうかは分からないが、テクノロジーの発達によりロボットが生まれることは間違いがない。

人間は極度の恐怖を感じると、脳から放出されたノルアドレナリンが、消化機能、免疫機能、生殖機能といった機能を管理している自律神経に働きかけ、一切の機能を停止させる。
結果、恐怖が心に充満し、「逃げる」というたった1つの目的に集中することができる。
災害用ロボットが「逃げる」というタスクだけにすべての電気回路を集中するようプログラムするのは実は難しいらしい。人間は恐怖という感情を持つことでこれを達成した。
1978年にノーベル経済学賞を受賞しているハーバード・サイモンはAIのパイオニアでもあり、既に60年代に「機械が知能を持つためには感情が必要だ」と発言している。

ロボットが感情が感情を持つとすると、妖怪人間の叫び「早く人間になりた〜い」をロボットが発することがあるのかもしれない。
その後、ロボットが感情をもち、自分たちより能力の劣る人間達に仕えるのをやめ、排除しようとし始めるのかも知れない。(これは昔の鉄腕アトムのひとつのテーマ)
そうでなくても、ロボットはある意味、間違いなく人間の労働機会を奪うことになる。
創造的でない業務は全てロボットにとってかわられるであろう。

鉄腕アトムや猿の惑星のテーマが、「人の生み出した人を超越した人外のモノ」による人間支配と考えると、それをいかにヘッジするのか。
科学が進歩するとそういったことを真剣に議論する必要がでてくるのかもしれない。


2011年11月13日日曜日

『9割のお客がリピーターになるサービス』

会社で勧められた本。
国友隆一氏はセブンイレブンを研究していた頃によく読んだ著者だ。

まずは、企業が「お客様」と呼んでいる人達にとって、企業やお店は「赤の他人」である、という厳しい指摘があげられる。
それ故、客観的に自らを見ないとすぐにそっぽを向かれるということだ。
新規客を一人獲得するための経費よりも、現存のお客様にリピーターになってもらうためのコストの方がずっと安い(約五分の一)ということで、これからの日本におけるリピーターの重要性につながっていく。

常に「価格」以上の「価値」を提供する。これが極意。
顧客を感動させるには、「水で薄めない強烈なサービス」が必要であり、その具体的な企業の事例として、餃子の王将、サイゼリア、マクドナルド、ディズニーなどが出てくる。

顧客視点の客観視(恐らく自分の好きな言い方で言うと「メタ認知」)が大切ということの事例としてプロとベテランの違いを述べている。
一般的に言われるベテランはプロではない。プロといえるベテランがいるに過ぎない。
ベテランは往々にして自分をプロと思い込む。プロはその傾向が薄いが、ベテランはとかく、素朴な思いやりを失い勝ちだ。
一つは狎れが生じるからである。
二つ目は業界や社内、店内の常識に染まるからである。
三つ目は、自分のこれまでの体験に汚染されるからである。体験は客観化することによって色んなことを学ぶことができる。しかし、対象化するだけだと、過去の体験という目で現在を見てしまう。
ベテランが最も陥り勝ちなのは、初歩的なことと基本的なことを混同することである。自分が初歩的なことをマスターしていると思う結果、基本的なことをおろそかにしてしまう。
なるほど、ついつい基本をおろそかにし勝ちだが、基本はできてなければならないことだから「基本」なのであろう。
「いつまで経っても『初々しいベテラン』たれ」
というのが伊勢丹の女性社員が先輩から言われた言葉として紹介されているが、正にそうありたいものだ。

人に青春があるように、組織にも青春がある、という著者の考えも面白い。
「青春」にある人(企業)は
・思考や心の動き、行動がパターン化されておらず、柔軟である。
・外部(マーケット)に対し好奇心が強く、その変化を敏感にキャッチする
・社会における自分の居場所を、傷ついたり試行錯誤しながら探している。
・成長しそれを喜ぶDNAを持っており、その成長が最も著しい時期である。
・細胞など生命の新陳代謝が旺盛で、その分、最もエネルギーに満ちている。生きているだけで輝いている。
のだそうだ。
サミュエル・ウルマンの「青春の詩」にあるように、「青春」であるかどうかが「心の持ちよう」であるならば、自分の会社も再度「青春」期を迎えるべく努力しなければならない。

王将フードサービスの大東隆行社長は、強烈すぎて個人的にはちょっとついていけそうもないが
「人を稼いで、人を残す」
という素晴らしい言葉を言っているらしい。

リピート率の高い、水で薄めない強烈なサービスを提供しているところは人の大切さをよく分かっている。だから、どこも人を育てることに熱心だ、という著者の指摘を待つまでもなく、後進の育成ができない組織はいずれ消えてなくなるしかないことは自明の理である。
サービス関連の本なのに、人材育成についての想いも新たにさせられた。

『ダイレクト・マーケティングの実際』

某マーケティング会社の社長さんからのお勧め本第2弾。
実は絶版になっている10年以上前の古い本なのだが、今も基本の考えは変わっていないということで紹介をいただき、アマゾンの中古で購入した。(余談だが、アマゾンでの絶版した古本の注文の簡便さは感動的ですらある)

まずはざっくりダイレクト・マーケティングの歴史。
18世紀後半 種苗カタログが東海岸で発行

19世紀後半、アメリカで通信販売が定着(モンゴメリー・ワード、リチャード・シアーズら)

ダイレクト・マーケティング(パーソナル・マーケティング、リレイションシップ・マーケティング、ワン・トゥ・ワン・マーケティングとも)
・顧客との長期的関係を維持するパーソナルコミュニケーション
・通信販売から生まれたプロモーション手法

インタラクティブ・マーケティング
・新規客獲得に効果を発揮
・売り手側のレスポンス体制の強化が必要
・コミュニケーションのスピード・アップ
・セグメント単位から個人単位へ
・マーケティング費用の節約

ダイレクト・マーケティングでは、
①顧客や見込み客は同質ではないのだから、セグメンテーションできないかをまず考える。
②内容的にも費用的にも各セグメントに合ったメッセージを送る。このとき可能であれば個人に合わせてメッセージをパーソナライズする。
③レスポンスを獲得する
この3つの目的を達成するために必要な要素を、媒体(メディア)、オファー、クリエイティブの三要素に分けて検討していく。

参考になったのが、インターネット利用時の留意点。
仮想店舗の考え方はそぐわないというもの。
なぜならば、インターネットの利用者は能動的で自発的なので、インターネットが登場した初期に見られたようなサイバーモール(電子商店街)のような、ここに来ればなんでもあるよ的な考え方は受け入れられない。
何でもあるからアクセスするのではなく、特定の何かを求めてアクセスしてくる。
商店街を成功させたいのなら、統一したコンセプトの共通した個性をもった店を揃えた商店街とすべき、というもの。
WEB上においても、「何でも屋」にしてはいけない(安いものを用意するなら、安いというコンセプトで商店を構成しなければならない)ということ。

RFM分析は、もともと、アメリカのカタログ通販会社が、増大するプロモーション費用に頭を痛め、セグメントによってカタログ配布回数を増減したり、中止したりする戦術の基準として考案されたセグメンテーション方法。
RFMに購買商品タイプ(Type)の要素も付け加えたのがFRAT分析。
F:Frequency 購買頻度
R:Recency 最新購買日
A:Amount 購買金額
T:Type 購買商品タイプ

20年前に書かれたものを10年前に加筆修正したものなのだが、基本は既にその頃から変わっていないらしい。
とはいえ、社会もIT技術も変化しているので、この本にある基本を抑えた上で発展形をつくるべく業務にいそしみたい。

2011年11月12日土曜日

『データ分析できない社員はいらない』

過激なタイトルだが、顧客データからPDCAサイクルを回す仕掛けを作る業務を担当している関係上、復習の意味も含めて購入、読んでみた。

データ分析で気をつける2点として
①データを見る際は表面的な見方や偏った方法で数字を見るのではなく、バランスとつながりを考えて様々な角度からデータをみることによって、多くの指標を用意すること。指標が多ければ、それだけ色々な選択肢が生まれる可能性がある。
②データ分析によって得られた指標から次のアクションを決める際は、”得られた数値を見て即決断”ではなく、数値を目安とし、数値が示す背景と現実を熟考した上で決定する、というステップを踏むこと。
というものが冒頭挙げられている。
物事の一面しかみないということの無いように、ということと、数字だけで実行に移すと酷い目にあうよ、ということであろうか。

その昔、ホテルの予実績管理等をやっていた経験があるので、知っているつもりであったが、「Zチャート」「在庫流動数分析」等については初めて知った。

巻末にエクセルのピボットテーブルとソルバーの使い方が載っていて、これも今まで使ってみたくてできていなかったスキルなので、今回マスターしたく思っている。
後は習うより慣れろということか。


妻の退院

昨日、妻が退院してきた。
午前中仕事を休んで、手続き等をしてきたが、1〜2週間程度様子を見れば完治予定だ。
あっという間の1週間であったが、退院してきた妻にとっては諸々が新鮮に見えるらしく、ただ買い物に出ただけでも、いちいち感動していた。
何につけ、一安心。よかったよかった。感謝,感謝。

『売り方は類人猿が知っている』

某マーケティング会社の社長さんからお勧めの本として聞いた本。
進化心理学が非常に分かりやすくまとまっている素晴らしい本。

現在の「巣ごもり消費」は不安感によるもの、という整理で、その不安は恐怖の感情が形を変えたもの、というところから論は始まる。

”恐れ”の感情は、遠い祖先にあたる初期の哺乳類、多分1億5000万年前頃の地球に生息していたネズミのような小動物も持っていたはず。
我々が恐怖を感じると、脳の一部から化学物質のノルアドレナリンが放出され、それが神経系統を伝わり脳下垂体を促して、内臓を刺激するホルモンを血液中に放出させる。その刺激ホルモンに影響されて副腎からアドレナリンというホルモンが分泌される。そのアドレナリンの働きで血管が収縮される結果として血圧が上昇し、心拍数が増加する。
アドレナリンは、敵の動きがよく見えるように瞳孔を拡大し、大量の酸素が吸収できるように気管支も拡張する。逃げる時には、消化機能、免疫機能、生殖機能も働いている必要はないので、脳から放出されたノルアドレナリンが、こういった機能を管理している自律神経に働きかけ一切の機能を停止させる。
結果、恐怖が心に充満し、「逃げる」というたった1つの目的に集中することができる。
災害用ロボットが「逃げる」というタスクだけにすべての電気回路を集中するようプログラムするのは実は難しいらしい。
”恐れ”と同時に、”怒り”の感情も生まれた。
「fight」or「flight」。自分よりも強いかも知れない敵と遭った時に動物がとる行動はいずれか。
怒りは、恐れを感じても逃げることができなかったときに必要な感情。

脳の発達遍歴順にいくと、5億年前に登場した魚類に現れた脳で「爬虫類の脳」と呼ばれる脳幹が最初。
この脳は呼吸、脈拍、血圧など生きていくために必要な基本機能を遂行する。
次に発達したのが「哺乳類の脳」と呼ばれる大脳辺縁系。大脳辺縁系は、脳幹の上にある。
恐怖の感情を生成するのに関係する扁桃体(扁桃:アーモンドの和名。アーモンドの形をしているため命名された)や、腐った食べ物などを不快に感じる(嫌悪の感情を生む)島皮質も大脳辺縁系にある。
大脳辺縁系で恐怖や怒りの感情が生まれても、それ自体を我々は意識できない。無意識の感情を「情動(emotion)」という。大脳新皮質に情報が伝達されて初めて、我々は恐怖を意識的に感じることができるのだ。
大脳新皮質は200〜300万年前ころの霊長類において格段と発達した。
現在、脳の体積のうち大脳新皮質は、哺乳類で30〜40%、原始的なサルで50%、人間では80%を占めるまでになっている。この結果、人間の脳は、身体が同じサイズの哺乳類の9倍の大きさにまで成長している。

「恐怖」や「怒り」といったネガティブな情動をつくることで、危険を察知し、戦うことを可能にした脳は、次いで生殖して繁殖するために、セックスを快感と感じるように報酬系をつくりだした。
そして、脳は自分が属している個体が遺伝子を残すことができるよう、親が子供に感じる愛情を誕生させた。
ちなみに爬虫類は、ワニを除いて子供は誕生したその瞬間から親離れして独りで生きていくことができるので”愛情”という情動はもっていない。(正確には爬虫類に聞いてみないとわからないのだが。。)
子育てをする必要がないので、爬虫類の脳(脳幹)は子供を愛する情動をつくる必要がなかったということ。

「妬み」という感情は、先行人類が群れをつくり社会生活を営むようになってから、新しい環境に適応するために生まれたと考えられている。
妬みは、恐れとか嫌悪とかとは異なり、古い大脳辺縁系ではなく大脳新皮質による処理をはるかに多く必要とする。

行動経済学の基本概念のひとつに損失回避性がある。
人間は損失を同額の利得よりも2〜2.5倍も大きく感じるというものだ。
今食べなければ餓死してしまうかも知れない生活をしてきた生き物の脳は、「損失」を「利得」の倍以上に評価するということだ。
損失回避性は霊長類に共通する。
一方、恥や罪悪感といったような道徳的感情を、霊長類は持ち合わせていない。
今食べなければ餓死してしまうかも知れない生活をする生き物の脳は、生存率を高める行為に罪を感じるようにはプログラムされていないはず。
人間だけ、恥や罪悪感といった「自分の利益を損なうような」感情をもつようになったのは、集団(社会)を単位にして考える場合、協力関係の堅固な集団の方が、協力関係の低い集団に比べて、全体としての生存率や繁殖率が高くなるから。
さらに、脳は他人に感情移入できる(共感できる)ミラーニューロンという神経細胞までつくりだした。
人類が言語を持つようになったこと、他者の心を理解したり他者の観点を採用する能力を持てるようになったことは、もしかしたらミラーニューロンのお蔭かも知れないと言われている。

というわけで、脳は人間が集団生活(社会生活)に適応できるように3重の仕組みを作った。
罪悪感や恥といった道徳的感情に、他人と協力すると快感を感じる報酬系、そしてミラーニューロン。
個人が集団(社会)の暮らしに適応することは非常に難しかったため、脳は、人間が社会に適応する仕組みを念入りにつくっていたのではないか。

ちなみに、ネガティブ感情ばかりがクローズアップされているが、最近はポジティブ感情についても研究が進んでいる。
ギリシアの哲学者アリストテレスは「動物の中で笑うのは人間だけだ」といっているが、これは間違い。チンパンジーやボノボ、ゴリラといった霊長類も笑う。
霊長類の共通する祖先は、既に笑っていた。つまり、「笑い」は1000万年前から1600万年前には既に存在していたことになる。
そして、ネズミも笑う。
現生のネズミと人間との共通する祖先は7500万年前には地球上に生きていた。恐怖や怒りほどではないにせよ、喜びと言う感情も、動物にとっては根源的な情動の1つだということになる。
ポジティブ感情には、ネガティブ感情がもたらした生理的ダメージを減少させる効果がある。
また、ポジティブな感情を喚起されると、幅広い観点(マクロの観点)からものを見る傾向が高くなるということが分かってきている。

ポジティブつながりでいくと、「感動のサービス」といったものが昨今もてはやされているが、顧客に感動を与えることができるのは従業員(人間)だけらしい。
長く記憶に残るポジティブな感情体験を提供する成功物語は、ホテルや小売店のようなサービス業に限られるということだ。
人間を介さない非サービス企業は、顧客に長期にわたって記憶してもらえるような感動を与えることはできない。だから、商品というモノを販売するような会社であっても顧客とのコンタクトポイントは非常に重要だということだ。


fMRI技術の発達により、脳科学的に色々なことが分かるようになってきた。
買いたいという欲求を刺激する商品が登場すると、報酬系の一部で外部からの刺激を受ける側坐核が活性化し、値段が高すぎると考えると嫌悪や痛みといった不快感に関係する島皮質が活性化する。
購買決定は、何かを買うことからくる快感と、それに対してお金を支払う不快感とのバランスの上に成り立っている。
価格が高すぎると、痛みや不快を感じる島皮質が活性化するが、安い価格の場合に脳のどこかが快感を感じるという実験結果は出ていない。
また、快を感じる報酬系の刺激を受ける側坐核が含まれている線条体は、新しい刺激になれてくると活性度が落ちることが分かっている。
大脳辺縁系にある報酬系は、すぐにお金が手に入ると期待できるときだけ活性化する。
論理的思考をする前頭前野の神経細胞はお金を受け取るのが現在であろうと将来であろうと、関心度に違いはない。
両システムが同程度活性化しているときには、一般的に大脳辺縁系が大脳新皮質に勝つ。
つまり、今の誘惑が分別に勝利するということだ。

その他にも、
○個人が集団の意見に反対することが、本人が意識していなくても(扁桃体のある大脳辺縁系は無意識の領域)かなりのストレスになっていること。
○報酬系はお金以外にも、食べ物やセックスにも反応するが、お金ほど、人間の脳の報酬系に大きな刺激を与えるものはないということ。
○人間にとってはほめ言葉や社会的評判を得ることも報酬と感じられること。(だから、他人に善行を施す。)
○自己犠牲を払ってでも、互いに協力しているような場合には、報酬系の一部である側坐核のある腹側線状体が活性化した他、前頭葉眼窩皮質が活性化した。ここは、報酬系の一部であると同時に、衝動を抑制する機能もある。相手に協力するのは止めて、より多くお金を得よう、という自分の衝動を抑制していると考えられる。
といった様々なことが分かりかけてきているようだ。

進化心理学が面白いのは、以下のような一見関係のないような話しも全て関わってくる点だ。
○以前は道具を使うために手が必要になったので直立するようになったという説が一般的だったが、道具を使い始める少なくとも200万年前(300万年〜350万年前)には2足歩行をしていたことが明らかになっており、現在では、アフリカのサバンナの太陽光線から身を守るために立って歩き始めたという説が有力である。
○霊長類の睾丸の大きさや精子の放出量から、チンパンジーから分岐して600万年ほどの歴史において、かなりの間、人類にはチンパンジーのような乱婚社会があったはずだと推測できる。
現在の人間の女には発情期というものがない。
これは男が外で女を作らないように、自分の排卵期を隠すように進化したという説がある。
○女性がセックスから得る快感度はパートナーの男性の所得とともに増大するという説がある。
自分の遺伝子を後世に伝えるために最善の選択をする自然選択の結果であり、こういった選択をするように女性の脳はプログラムされている。


最後に著者の言葉。
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進化の歴史の過程で変わったことに注目するのではなく、変わらなかったことに焦点をおくと、新しい現象も納得いく形で説明がつく。そして、右往左往することなく、自信を持って決断を下すことができる。それは、企業経営者にとっても、マーケティングの意思決定者にとっても、不確実な時代においては特に必要とされる態度である。
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変化の激しい現代においては、変わるものを見るよりも(変わっていてもおかしくないのに)変わらないものに注目することが肝要であるというのは非常に共感を覚える。
久しぶりに長文となってしまったが、人にも自信をもってお勧めできる本だ。

2011年11月5日土曜日

妻の入院その2

検査も含め、無事手術終了。
3年前にがんセンターで待っていた時に比べるとあっという間であった。
本人も手術前の準備やら検査やらでちょっとやつれ気味とはいいながら元気そうに戻ってきた。
通常こうなるのがそうなっただけなのだが、3年前のことを考えると無事終わって何よりである。
感謝!

妻の入院

昨日、妻が入院した。
同じタイトルの日記が3年前の2008年10月29日にある。
>>>>>
本日、妻が入院した。
明日手術なので今日から会社の方はお休みをいただいている。
命に関わるような手術ではなく1週間程度で退院する予定なのだが、入院手続きをして病室に入り手術に関するビデオなんかを見させられる(事前レクチャー)と、なんとも不安な気持ちになってくる。
「成功率○割の手術」となった場合の家族の心境や如何に、というのが恐ろしい程想像できてしまった。
本当に家族は大切にせねば、とも思った瞬間であった。
どうか無事に終わりますように。
>>>>>

その時の検査で大腸がんが判明し、摘出手術を受け、抗がん剤治療を行い本日にいたる。
正に3年前の「命に関わるような手術」ではない手術なのだが、この3年間を考えると3年前以上に「どうか無事に終わって欲しい」と思う。
本日これから手術。無事に終わりますように。

『スマート革命』

会社で「スマートシティ」を勉強するように仰せつかった。
柏の葉でも色々勉強したつもりではあったが、詳しい人達に話しを聞いてみると色々見えてくることがあった。
そんな中で、分かりやすく「スマート○○」がわかるということで紹介されたので読んでみた。

経済産業省はスマートシティの実証実験を5年計画で、横浜、北九州、豊田、けいはんなの4都市で実施している。各都市の特徴については勉強していたつもりであったが、この本では
「各都市からの提案は、総じて単一の配電用変電所の範囲内でのエネルギーマネジメントの実証にとどまっている。
複数の配電用変電所の潮流を見える化し、それらの間でエネルギーを面的に融通するマネジメントにまで、さらに踏み込んだ形での実証に取り組むことが要望される。」
というのが次なるステップであることが明記されていた。

将来に向けては
「電柱にICT(情報通信技術)や蓄電のシステムが装着され太陽電池からの逆潮流を双方向で管理・制御するスマートグリッドをはじめ、各地にクラスター状に存在する知能を備えた各種分散型エネルギーシステム群とメガインフラとが、相互にエネルギーを融通しながら全体最適を図るスマートエネルギーネットワークを目指していくことになる。
最終的には基幹系統との調和を図りつつ、既存のインフラを高度に活用し、電力のみならず熱や水素などの物質までも併給する統合型インフラ構造を適切に整備するのである。
これにより、省エネルギーと再生可能エネルギーの活用は最大化され、低炭素社会の公共インフラを構築する早道となる。加えて、従来システムのように、需要のピークに合わせて基幹のメガインフラを設計する必要がないことから、結果として公共インフラへの投資を最小限に抑えることができる。」
とある。
電気というエネルギー媒体のみならず、将来的には熱や水素も融通の対象となってくるということだ。

再生エネルギー普及のための手法についても記載されていた。
主にRPS制度と呼ばれるものと、FIT制度と呼ばれるもの2種類があるようだ。

RPS制度:
電気事業者に対し、販売する総電力量の一定割合について、太陽光を含む、バイオマス、風力など再生可能な新エネルギーからの電力を利用することを義務づけた量による規制制度。
コストの低い再生可能エネルギーから順に導入でき、数値目標すなわち総導入量を設定できるのが特徴。

FIT(フィード・イン・タリフ)制度
一定価格での再生可能エネルギーの買い取りを義務づけ、価格によって規制する制度。
将来の数値目標を設定することは難しいが、高い買い取り価格によって、再生可能エネルギーの導入量を一気に加速させることが可能。

ドイツでは、太陽光で発電した電力を、電力会社が一般電力価格の3倍で20年間買い取る、全量買い取り(FIT)制度を採用している。このFIT制度には功罪あるようだ。
ドイツにおいては、旧東ドイツ側の農家に風力発電システムの設置を勧めると同時に、FIT制度を導入。旧東ドイツにおいて風力発電システム導入が進み、その全量を電力会社が売電価格の3倍で買い上げ、この割高な価格負担は電力消費の多い旧西ドイツが主に負担することになり、マクロ的にみると資金が西から東へのうまく流れ込み、旧東ドイツ側の富を生み出した。
さらに、旧東ドイツ側に太陽電池メーカーQセルズを設立して新産業を育成。
FIT制度を起爆剤にして、環境と経済活性化の両立を国内で実現させた好例。
しかしながら、気がつけば、2009年度は導入量の国内シェアの約5割を安価な中国製品が占めていた。Qセルズも赤字転落へ。

FIT制度において、個人で利益を享受できるのは、屋根の広い一軒家に住み、初期の導入コストを負担できる資金力の有る富裕層。一方、電力会社が買い取り費用を補うために家庭用などの電力料金を値上げすれば、それを負担するのは一般家庭。太陽光発電システムを持つ富裕層を、持たざる一般家庭が支えるという、歪んだ市場構造を生んでしまう恐れがある。
よって、日本における買い取り制度においては、太陽光発電の買い取り対象は余剰電力のみに限定すべきであるというのが著者の考え。
IEA(国際エネルギー機関)の見解によると
「陸上風力発電やバイオマス焼却といった既存電源との価格差が少ない技術については、RPS制度などが適しており、太陽光発電などの既存電源との価格差が大きい技術は補助金、固定買い取り制度が適する」とされている。

これから普及が見込まれる、太陽電池、燃料電池、蓄電池の三電池。単に普及させればよいというものでもないというのが著者の考え方だ。
三電池の開発メーカーなどは、設計段階からリサイクルもしくはリユースを容易にする構造や部品の選定を考慮して商品化を進めていくことが肝要。同時に「逆工場(インバース・マニュファクチャリング)」を機能させるシステムも構築しなければならない。
知的財産権は尊重しながらも、再生品の提供、および部品等の再生利用を円滑に行うための法的整備や、ビジネスモデルの開発が不可欠である。

インフラの普及速度の関する考察も面白い。
インフラの置換えについては、大規模集中型と分散型では時間軸に差がある。
原子力発電を見ても分かるように、大規模集中型は安全性や安定性を確保するための高い条件をクリアしていくことが求められるため、なかなか大きく前進することができない。
これまでの経験則では、大規模集中型のメガインフラの転換については、思ったより速く進むことはない。
一方、分散型システムについては、パソコンや携帯電話の進化がそうであったように、生活者は利便性や経済性の高いものの動きやすい。家庭あるいは地域コミュニティに配備される太陽光発電システムや燃料電池なども、自家発電による家計へのメリットから、その普及は思ったよりも遅く進むことはないと思われる。
定量的な考察ではないものの、定性的な考察としては目から鱗である。
インターネットの普及に照らし合わせて考えると、エネルギーインフラの普及速度(時期)も想定できるのはなかろうか。

日本は国土面積は小さいものの、領海と200海里の排他的経済水域とを合わせれば、世界第6位の”国土”面積を有するとも言える。
この海洋資源を最大限に活用しながら安全保障を確立することが、日本の経済発展には不可欠。
海洋バイオマスの原料には藻類を用い、その生産には海洋を利用する。
海洋バイオマスを発展させた「海洋都市構想」は、境一郎博士のコンブ海中林造成計画の発展形ではなかろうか。

著者の柏木孝夫東京工業大学大学院教授の、スマート○○にとどまらない日本の将来ビジョンも書かれていて面白かった。




2011年10月31日月曜日

『石原慎太郎はなぜパチンコ業界を嫌うのか』

正直、自分はアンチぱちんこである。
とはいえ、よくパチンコ業界について知らないので、勉強しようと思って購入した。

平沢勝栄氏のCR機導入の経緯、封入式というものがいかなるものであるか、今後釘のない封入式が出てくる可能について、など、勉強になったような気はするものの、やはり記述がぱちんこを知っている人向けのマニアな内容で正直、ついていけない部分が多かった。

パチンコが「実体として存在している」のは「違法に対して警察などが黙認している」からではなく、「司法が違法と判断したことがない」からというのは初めて知った。
当然の既知の内容のように、パチンコ業界の資金は北朝鮮に流れているというような記載もあって、どこまで書くのがタブーなのかと、これまた良くわからなくなった。

全日遊連の統計では2011年5月末時点で、全国のぱちんこ店の数は1万1,000店強。セブンイレブンの店舗数と方を並べるということだ。
ぱちんこチェーン最大手の株式会社マルハンの2011年5月末発表の平成23年3月期決算短信によると、売上高約2兆390億円(前年度比3.9%減)、純利益約220億円(前年度比19.4%減)。決算を公表してから初の減収減益らしいが、数字だけ見ると立派な大企業だ。

石原都知事の話しで大きかったのは
「東京電力管内のぱちんこ店の消費電力量450万キロワットで福島原発の第1と第2を合わせた定格電気出力合計は900万キロワットを少し越える程度」
と言ったのを、間違いを指摘されて
「パチンコは84万キロワット。自動販売機が26万キロワット。福島(第1原発の1号機)が46万キロワット。」
と意図的に言い直しをしたということか。
ちなみに福島第1原発の2号機から5号機までの約78万キロワット、6号機の約110万キロワット、福島第2原発の各号機の約110万キロワットと比べて、福島第1原発の1号機は極端に出力が小さいのにそれを引き合いに出して比較したところに悪意があるとのこと。
それにしても、こういう形でタイトルに「石原慎太郎」と名前を使うのは本人の許諾を得ないで可能なのだろうか。それともちゃんと許諾を得ているのだろうか。

読んでは見たけど、結局ぱちんこ嫌いは変わらない感じだ。

2011年10月30日日曜日

『ムカつく相手を一発で黙らせるオトナの対話術』 

『アタマにくる一言へのとっさの対応術』で有名な、バルバラ・ベルクハン女史の著作。
タイトル読むとどんな過激な対話術なのかと思うが、実は合気道の精神による「柔よく剛を制す」返し技が述べられている。

☆「やまびこトーク」
相手の発言の中から、あなたが気分を悪くした言葉を抜き出して、それがどう言う意味かを尋ねる。
「それはどう言う意味でしょうか?」
やまびこトークは対立ではなく、対話が前提。

☆「沈黙する」
沈黙は実は立派な返し技。
「力強い、堂々とした沈黙」を。
・にぎやかな沈黙。表情や身振りで沈黙に色をつける。

☆ひとことコメント
「あ、そうなんだ!」
これは単なる返し技よりずっと意味のあるもの。人生に対するひとつのゆるぎない態度であり、形而上学の基本であり、同時にまた落ち着きと楽しみの永遠の源でもある。

☆「同調し、補強する」
同調するとは、反対せずに相手の動きに合わせる。それから、その動きを補強する、いや誇張する。
抱きしめられれば敵は動けなくなる。

非常に頑固な知ったかぶりの人達への対処方法
・最初に一言二言ほめる
・それから客の希望を書き出す。(相手は熱心にメモするのを自分の意見が尊重されていると感じる)
・希望リストにいくつか書き加える(が、客はすべて自分の考えのように思う)

☆「迂回トーク」
感情的になったら話題を変える。
「それはそうと、」で最終的には本来の話題に戻る。
政治家のよくつかうのもこれ。単なる逃げの一手であるが、楽しいことに目を向けるように迂回できれば悪循環から抜けることができる。

☆「場違いなことわざ」で相手を混乱させる


返し技の手法の他、心得についても述べられている。
面白かったのは「インスタント・カルマ」という考え方。
<インスタント・カルマ>
あなたが人に報復すれば、それは、あなたが報復の効果を信じていると認めることになる。
あなたの世界では、いまや「効果のある報復」が存在することになる。
つまり、自分が誰かに仕返しすると、他人も同じことをするのではないかと不安を抱くようになる。
その時から、あたなには気味の悪い同伴者がくっついてくる。それは、人にこっそりと傷つけられるのではないかという恐れ。そう、我々はいつも自分を基準にして他人を推し量るのだ。
一種の妄想。これこそがインスタント・カルマである。
だから、報復しないのは自らのため、情けは人のためならず、というわけ。

<自分を怒らせるのは自分>
我々の最大の敵は外にいるのではない。それは、頭の中の石、つまり凝り固まった考え。
怒り、不安、嫉妬、羨望、失望。これらは人から与えられたものではない。誰もあなたを怒らせることはできない。あなたがあなたを怒らせるのだ。

<相手をトレーニングパートナーと考える>
敵ではなく、トレーニングパートナーと考える。すると感謝の念すら湧いてくる。

<男女間には深くて暗い河がある>
男性の場合、言い争いはしばしば仲間意識の表れだが、女性では、こういうことは非常に稀。
女性が言い争う時はたいていの場合、本気。
男性というのは、力比べをして、どちらが強いか知りたい生き物。ボスが誰かを確かめることは、男性にとって、女性よりはるかに重要な関心事。多くの男性は、たとえ遊び半分の場でも、調和よりも権力の方にはるかに関心をもっている。
ほとんどの女性は人となごやかに会話をするのを好む。女性にとってなごやかとは、お互いにできるだけ相手の感情を害さないことを意味している。言葉のやり取りで勝負するなどというのは馬鹿馬鹿しいし、ボスでいることよりも、お互い親密で分かり合うことの方が大事。

さらに、男女間の違いに加えて以下の内容を読むと夫婦喧嘩(少なくとも我が家の)は良くわかる。
<長期間にわたる諍いに関する対処法>
長期間にわたる諍いは、どれも非常に頑丈な建材でできている。これを頭の中の石と呼んでいる。
・常に「私は・・・」で話し始める。
非難するとき、会話はたいてい「あなたは・・」「君は・・」で始まる。
・お互いに最後まで話しをできるようにする
・今問題となっていることについてだけ話し、昔の諍いを蒸し返さない。

「だから、昔の話しは蒸し返しちゃいけないんだよ」って言ったらもっとこじれるんだろうな。
気をつけよう。

2011年10月15日土曜日

東葛駅伝

息子が中学3年の最後の現役出場ということで東葛駅伝に出場するというので、応援にいった。
出発の時間の頃に、風だけでなく雨も激しくなって来ていたので中止も考えられたが、決行。結局雨は最後上がっていた。
小さな学校名を書いた幟を持って出発。
駅伝の応援は銚子駅伝依頼となるが、今回も結構人が多く来ているのにびっくり。
走り終えた後の学校の先生、後輩とのやり取りを見て、息子も自分の世界を持ち始めていることを認識し、ちょっと頼もしく思った。

『日本一のクレーマー地帯で働く日本一の支配人』

「歌舞伎町のジャンヌ・ダルク」の異名をとる、三輪康子さんの著作。
ヤクザとのやりとりの実話も面白いが、関心したのはクレームを行うにあたって大切な心構え。

>>>>>
クレーム対応において、最も大切だと思うのは「自己肯定感」。
一歩進んで「自画自賛力」といってもいい。
たいてい「すごいね」なんてほめてくれる人はなかなか見つからないもの。それは、自分がダメなのではなく、誰だって自分自身のことで精一杯だから。
それなら自分で褒めればいい。
大切なのは、自分で自分を責めないこと。
>>>>>

「自分の成長を褒めよう」というのは、かつて会社のクレドとして自分が考えたものであったが、社会人になり、管理職になるとなかなか褒めてくれる人はいなくなる。
成長するのが若手の専売特許でないとすると、管理職だって褒められることでモチベーションアップにつながるはずである。だったらそれを活用しない手はない。
成長の糧になることは、逆境においても同様の効果を生むはずである。
クレーム発生時に「人気者だから呼ばれちゃった」という考え方ができるのはその効果の現れだと思う。
ギリギリのクレーム対応にあたっている三輪さんが重要視しているのが「自己肯定感」だというのは非常に面白く感じた。

その他三輪さんの採用基準(人の言葉を素直に聞ける心の柔らかさと、臨機応変に対応できる心をもっているかどうか)など、含蓄深い内容が多い。
単純な歌舞伎町日々日記的読み物としても面白かった。

2011年10月10日月曜日

『ピクト図解』

ビジネスモデルをピクト化することで、既存ビジネスモデルの本質を見抜き、それを発展させるアイデア発想法まで展開した意欲的な本。
現在、様々なビジネスモデルをもつ会社と協議する機会が多いので、整理するのに非常に役立ちそうであり購入した。



既存のビジネスモデルを大別すると8つに分類できるそうだ。
<代表的な8つのビジネスモデル>
①シンプル物販モデル
②小売モデル
③広告モデル
④合計モデル
⑤二次利用モデル
⑥消耗品モデル
⑦継続モデル
⑧マッチングモデル

この他にも派生型として
「横取りモデル」
「ライセンスモデル」
というものが挙げられている。

大切なのは、「ありそうでなかった」モデルを考案すること。
現実できなければ意味がない。

著者はピクトにより「見える化」できたビジネスモデルを発展させるアイデア手法として、ブレーンストーミングを考案したアレックス・F・オズボーンによる「オズボーンのチェックリスト」に似た『ピクト図解チェックリスト』を考案している。
<ピクト図解チェックリスト>
1 足したらどうか 複数のビジネスモデルを足したらどうなる?
2 分けたらどうか 1つのビジネスモデルを分割したらどうなる?
3 逆転させたらどうか ピクト図の中の矢印の向きを逆転させたらどうなる?
4 流用したらどうか 別のプレーヤーに流用したらどうなる?
5 長さ(時間)を変えたらどうか 課金時間の長さを変えたらどうなる?

また、重要なこととして、「拡げたアイデアの風呂敷のたたみ方」というのも提示している。
①「やってはいけない”OBゾーン”を決めておく」
②具体的目標数字を設定する。それに照らして考える。
③実現可能性を考える。(いつまでに達成する必要があるのかも大事な要素)
具体的にビジネスモデルを実現するためには、「プロフィット×リアリティ(スピード)のマトリクス」に基づき、遅くてもプロフィット重視か、収益は低くてもスピード重視かの優先順位づけを行う必要がある。

最後に、「気持ち」というエレメントが加わると、マーケティングなどの高度で複雑なビジネス概念をピクト図で表現できるとの記述があり、これは次の著作にて述べられるらしい。
次回作が待たれる。

『アースダイバー』

会社の同僚のK君から教えてもらった本。

地質学の研究によって、今東京のある場所が、縄文海進期と呼ばれる時代にどんな地形をしていたのかは、洪積層と沖積層の地層の分布を丁寧にみていくとわかる。
どんなに都市開発が進んでも、ちゃんとした神社やお寺のある場所には、めったなことでは手を加えることがない。そのために、都市空間の中に散在している神社や寺院は、開発や進歩という時間の浸食をうけにくい「無の場所」のままとどまっている。時間の進行の異様に遅い「無の場所」のあるところは、きまって縄文地図における、海に突き出た岬ないしは半島の突端部なのである。

・・・というわけで、東京の色々な場所について、洪積層と沖積層の研究により縄文時代にどのような場所であったか、という視点から考察した本。
新宿の鈴木九郎伝説、歌舞伎町の成り立ち、四谷怪談が生まれた背景、「富士講」から始まった渋谷、上野と芝と候補があがった東京タワー、埋め立てでできた銀座、浅草などの下町。。東京の街の生い立ちを縄文時代の地形と絡めて考察するエッセーといってもよい。

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古いお寺や神社は当然として、盛り場の出来上がり方や、放送塔や有名なホテルの建っている場所など東京の重要なスポットのほとんどすべてが、「死」のテーマに関係を持っている。
かつては死霊の集う空間は、神々しくも畏れるべき場所として特別扱いされていた。神聖な空間だからこそ重要なスポットだと考えられていた。
今日の東京のランドマークの多くは、古代に「サッ」と呼ばれた場所につくられている。「サッ」という言葉は、生きているものたちの世界が死の世界に触れる、境界の場所である。
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大きな敷地を使う大学や、電波塔などが人が立ち入らないエリアの土地を利用されているというのはプロセスを考えると納得できる話しではあるが、それはそういう「死」と関わる神聖な場所であることを人間が本能的に知っているからである、という考察はやや突っ込み過ぎながらも面白い。

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都市の出来上がり方を調べてみると、市(バザール)から発達してきたものが多いことに気づく。大きな寺院や神社を中心として発達してきた都市というものをよく見てみると、寺社の門前町みたいにして出来た市が大きくなってきたというケースも多い。面白いことに、こういう市のことを「市庭(いちば)」ということがあり、これは日本語だけの特殊な話しかと言うとそうではなく、都市というものは人類的に見ても、どうも「庭」と本質的な関係をもっているらしい。
庭を意味する言葉は、古くなれば古くなるほど、神や仏の集まってくる場所という意味に近づいてくる。神や仏は、現実の世界をつくりあげている規則やしがらみに縛られていない、自由な状態にあるもののことを指している。そこは諸々の重力から自由になったものたちが、軽やかにお互いのあいだを自由に行き来している空間なのである。

完全なる庭としてつくりあげられることこそが、都市の理想、都市の夢なのである。そこにはしがらみから自由になった人や物が集まってくる。ものごとを抽象化して、具体的な事物にまとわりついたしがらみを無化していく所に都市の空間はつくられる。人間の「心」は、地上にいるどんな生き物よりも自由ということを本性としているが、この自由を求める「心」が都市を創り出したとも言える。

本郷界隈の路地につくられたささやかな庭園。ブリコラージュ(日曜大工仕事)というフランス語がぴったりの光景。
植えられている植物も様々ならば、それを支えている鉢も少しも統一感がない。その統一感のなさが、逆に自由な、のびのびした感性の働きを我々に伝えている。

「庭」という言葉は、古い日本語の語感では、神様や仏様がそこにいらっしゃってもはずかしくないような、善と自由の支配している空間という意味を持っていた。そこで「市庭(いちば)=市場」というのは、人や物がそこの中にやってくると、いままでの社会的なしがらみを捨てて自由になって、お互いを「貨幣の正義」にもとづいて交換し合うことの出来る空間と言う意味をもつことになった
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街の成り立ちから様々に展開する考察は哲学的でもあり非常に面白い。
都内の街を歩きながら哲学できるようになる種本としてお勧めである。

2011年10月9日日曜日

クラウド

利用してた「femo」というサービスが一方的に終了となってしまった。(正確にいうと、久しぶりに利用しようと思っていたら「終了」となっていた)

簡単に日記的に利用できる機能が気に入っていて利用していたのだが、ある日突然一方的にサービス終了の告知があって以上終了である。
特にお金を支払っていたわけではないので文句を言う筋合いもないのだが、記録していた内容について移管するすべもなく終了されてしまうリスクを痛感した。
他にバックアップをとっていたわけではないので、記録してきたことは全て無に帰してしまった。
(復旧方法を調べてみたけど、全くヒットせず。素人にはこれ以上無理。。)

現在でも、無料でg-mailやevernoteを利用している。そもそもこのブログがgoogleの好意(?)による無料利用である。
現状ではgoogleが落ち目になってサービスを終了するなんて言ったら「心配し過ぎ」と笑われると思っていたが、やはりそのリスクを考えて方策を考えている人達がいることを知ってさすがと思った。
想定外と思いきや、充分想定内のことで、単純にリスクヘッジしていなかったのが悪いということになる。

とはいえ、現状でバックアップをとる気もないし、今回の失敗は、マイナーなサービスを活用してしまった点にある、という整理で流されているようだと、また後日同様の後悔をすることになるのであろうか。
いや、googleくらいメジャーなところなら、サービス終了前に何らかのアラートがでるはずだ。きっとそうに違いない。。
って転ばぬ先の杖だろうか。時間のあるときにバックアップ考えようっと。

2011年9月25日日曜日

メタボリズムの未来都市展


六本木ヒルズの森美術館で行われてる『メタボリズムの未来都市展』を見て来た。
「メタボリズム」とは、1960年代に黒川紀章や菊竹清訓ら日本の若手建築家・都市計画家グループが開始した建築運動で、新陳代謝(メタボリズム)からグループの名をとり、社会の変化や人口の成長に合わせて有機的に成長する都市や建築を提案したものだ。
今回の『メタボリズムの未来都市展』は今から50年も前に、今の大御所(亡くなった方も多数)達が描いた未来都市の姿を、現代のCG技術も駆使して再現したものである。

模型や写真、図面で展示されている内容は、既に建築されたものもあれば、構想だけで終わってしまっているもの、建築されたものの既にこの世にないものなど、色々なパターンがある。
大きな都市の大風呂敷を拡げた絵図を書きながらも、そのヴィジョンを一つの建築に落としこむという大御所建築家達のスコープの多様性が面白い。都市とは建築の集合体なのだ。都市のヴィジョンを描きながらその構成要素である建築を創り込んでいくのは実は並大抵ではない。「大御所」とは、木を見ながら森をも見れる達人なのだ。(だから大御所になれたということか)

これだけだと、50年間の進歩がないように思えるが、色々な試行錯誤の上50年前には分からなかったことが見えて来た部分が確かにある。
黒川紀章の農村都市計画構想や菊竹清訓の層構造モジュール構想においては、「普通の分譲地や団地のように容れ物をつくってから人を呼ぶのではなく、始めからある既存コミュニティを持ってくる」想定らしい。
生物学者福岡伸一氏の「動的平衡」ではないが、都市もある種の生命体であるので、生命に必要な元素を用意しただけでは生命が生まれないのと同様に都市の要素を単に並べたとしても都市にはならない。
生命が生命足りうるには適切な「時間」という概念が必要なのだ。
恐らく現代を生きる”将来の大御所”達には、既存コミュニティを別の”容れ物”に入れた場合、様々な拒絶反応によりうまく行かないことが理解されているので、「箱」を用意すればそのままコミュニティを移設できるという発想は生まれないであろう。
その点においては、インターネット普及におけるネット社会により、この50年間様々な社会実験とも言える現象が観察されてきたことは、未来都市を考えるにあたっても進歩があるはずだ。

とはいえ、50年前に考案された未来都市像は今を持って「未来」を感じさせるものが多くてビックリである。
50年前の大御所達の想像力がたくましいのか、はたまたそこまで現実が追いついていないのか。
(1952年に始まった鉄腕アトムの誕生日の設定が2003年4月7日だったのに現実はそのスピードで進んでいかなかったのに似ているか)
個人的には、『メタボリズムの未来都市展』にあるような都市は宇宙空間において普及するのではないかと踏んでいるのだか、それを確認するまで生きているやらどうやら。
非常に楽しみである。

2011年9月11日日曜日

イタリアン・バール「エダマメ」

 柏の葉キャンパス駅前のイタリアン・バール「エダマメ」。山形県庄内にある「アル・ケッチャーノ」の奥田政行シェフが監修。
秋口までで一旦お店を閉めるとのことだが、この季節のアウトデッキでの食事は最高!
エダマメやナス、トマトなどの野菜はすぐ隣の畑で収穫されたものがベース。



 奥田シェフのここの料理のベースの味付けは”塩”。上品な味わい。
真ん丸十五夜と隣の畑がまた絶妙にマッチして良い。

2011年9月4日日曜日

『改築上手』

リフォーム関連についても仕事で関係があったので勉強のため読んでみた。
平野俊郎氏と大和ハウス工業総合技術研究所著ということで、正直戸建てよりの感は否めないが、マンションも含めたリフォームに関する知見が書かれていた。

住宅リフォームの市場規模は5兆2591億円(2009年推計)、5兆4000億円(2010年予測)と伸びてはいるもののリフォーム産業は成熟に向かっている。
実は、建設業法の全28業種からなる建設区分のなかに、「リフォーム業」はない。つまり、「リフォーム」という業種は法律上存在しない。
リフォームは歴史の浅い産業であり、何十年も前から専業でやって来た業者はいない。リフォーム業者の出自は大きく分けて3つ。
・住宅設備メーカーが参入したケース。
・塗装業者、内装業者などの専門設備業者が行うケース。
・大手ハウスメーカーがオールラウンドで行うケース。

その他、リフォームとは直接関係ないが、住宅関連に関係する豆知識がいくつか得られた。
○1980年代初頭の北海道で起きた「なみだ茸事件」
オイルショックによる灯油の値上がりに対応するため、北海道の住宅業者は断熱材(グラスウール)を50ミリから100ミリと厚くすることで断熱性能を高めようとした。
壁に防湿層がなかったため、グラスウール内に結露が生じ、壁から床、床から土台木部へと伝い落ちた水や湿気が、木材腐朽菌「なみだ茸」の繁殖に適した環境をつくっていった。

○LEDは目に易しいというメリットもある。
同じ照度の蛍光灯とLEDのもとで、長時間、計算問題を解く。その後、唾液に含まれるアミラーゼの濃度でストレス(疲労度)を比べた所、LEDを使った人の方が少なかったという実験結果がある。
その反面、一般的な白色LEDの光には覚醒効果があることも認められている。

○音が響く部屋にいるとストレスがたまり、疲れやすくなる。同じ大きさの部屋で比較した所、音の残響時間は和室の平均0.3秒に対し、洋室は1秒だった。

○北京の故宮博物院として有名な紫禁城(15世紀初頭に造営)の中枢部地下5〜6mには、粘り気のある物質層がある。これは「煮た餅米と石灰」で、免震的作用を期待したと考えられる。

○日本の鎌倉の大仏も1961年の改修工事の際、将来の大地震に備えて、坐像の下に取り付けたステンレス鋼板がその下の御影石の台の上を自由に滑ることのできる免震構造が採用された。

などなど。
正直、網羅的とは言えないが、楽しくリフォームについて知ることができる。

2011年9月3日土曜日

『都市住民のための防災読本』

主な地震の今後30年以内の発生確率
宮城県沖 99%(M7.5)
三陸沖南部海溝寄り 80〜90%(M7.7)
東海地震 87%(M8程度)
東南海地震 70%程度(M8.1)
南海地震 60%程度(M8.4)
首都直下型地震 70%程度(M6.7〜7.2)
(ちなみに、交通事故や火災で30年以内に死傷する確率は約0.22%。)
今後30年以内にM7クラスの大震災が首都圏を襲うのはほぼ確実だということだ。

大地震に遭遇すると、大都会では「高層難民」「帰宅難民」「避難所難民」という三大「震災難民」が発生する。
この三大震災難民は1923年(大正12年)の関東大震災や、1995年(平成7年)1月17日の阪神・淡路大震災、2004年(平成16年)10月23日の新潟県中越地震では発生していない。今回の東日本大震災で強く認識された部分だ。

内閣府中央防災会議が2005年に公表した「首都直下地震被害想定」(想定:東京湾北部地震 M7.3 冬午後6時 風速15m)によると、死者1万3000人、建物全壊約85万棟、避難者約700万人、112兆円の経済被害、エレベーター閉じ込め事故が30万件発生し、1万2500人もの人が長時間閉じ込められる(これに加えてマンションで18万基のエレベーターが停止、1500人が閉じ込められるとされている)ことが想定されている。

首都圏直下地震の際には、帰宅難民が首都圏で約650万人(都内で約390万人)、地震発生1日後には約540万〜700万人の避難者が発生すると予想されている。
そのうち避難所での生活を強いられる人はおよそ350万人〜460万人と想定されるが、この数字には「帰宅難民」が含まれていないので、地震発生 1日目から大勢の「避難所難民」発生する。

悲しいかな、都内勤務であればかなりの確率で帰宅難民になるということだ。
著者の渡辺実氏は、帰宅難民になったら帰ろうとしないということを提唱している。
どうせ帰り着くことができずに帰宅難民になるくらいなら、首都直下型では恐らく多数発生するであろう負傷者の救助をすべしということだ。

家庭での防災として、災害用備蓄がある。一人一日2〜3リットルということはよく言われているが、震災後の対応でなるほどと思ったのが冷蔵庫の活用だ。
停電になったら、冷凍庫から中身を冷蔵庫の最上段の棚にギッシリ詰め込む。
そして残った冷蔵庫スペースに食材をあまり詰め込まない程度にいれる。
閉めた冷蔵庫のドアをガムテープ(剥がすのが楽な布のガムテープが理想的)で目張りして、開けられないようにすると、これで昔の氷冷蔵庫に早変わり。
食べる時まで絶対に冷蔵庫のドアを開けないことが肝心。
備蓄していた非常用食料で、地震後1〜2日はしのぎ、2〜3日目に冷蔵庫からほどよく解凍された冷凍食品をとり出し、バーベキューを楽しむ。その際、食品には必ず火を通すこと。(だからカセットコンロおよびガスボンベは必需品)

また、非常時のトイレだが、ゴミ袋を便器にかぶせて、猫のトイレ砂を中に入れると簡易「非常用トイレ」となる。(猫のトイレ砂は吸水機能、消臭機能に優れている)

首都圏勤務者の一人であるので、有事には帰宅しない前提で家族と考えておく必要があると強く認識させる本であった。

2011年8月28日日曜日

『なぜ、「これ」は健康にいいのか?』

さまざまな身体の仕組みを”自律神経”という切り口から解き明かそうという医学&健康マニュアル本。

自律神経系は、「交感神経系」と「副交感神経系」の二種類に大別される。
体がもっともよい状態で機能するのは、実は、交感神経も副交感神経も両方高いレベルで活動しているとき。
なにもしなければ、我々の自律神経の力は、10年でおよそ15%ずつ低下していく。これは自律神経を意識的にコントロールしなければ、人生の質は10年でおよそ15%ずつ低下していくということ。
どうやって自律神経をコントロールするのかというと、ポイントは「ゆっくり」。

成人の血管を全てつなぐとなんと約10万kmにも及ぶと言われている。(赤道2周半)
自律神経は、その膨大な長さの血管全てに沿って走っている。
自律神経とは、体のライフラインである「血流」を支配することで、我々の体を構成する60兆個の細胞全てを無意識のうちにコントロールしている、ある意味脳以上に重要な組織。

健康な人が病気になる原因は、大きく分けて二つしかない。
一つは「免疫系」のトラブル。もう一つは「血管系」のトラブル。

免疫の中心を担っているのは白血球。白血球には、細菌など比較的大きめな異物を処理する「顆粒球」と、ウィルスなどそれよりも小さな異物を処理する「リンパ球」の二つがある。
交感神経が優位になると顆粒球が増え、副交感神経が優位になるとリンパ球が増える。
秋から冬にかけては顆粒球は増えるが、リンパ球が減少する。このリンパ球の減少がウィルスや細菌への抵抗力を下げてしまい、風やインフルエンザなどの感染症を発症しやすくなる。決して寒いからということではない(別に寒い北国の方が風邪が多いわけではない。)
逆に春になって暖かくなってくると、リンパ球が増えるので感染症は減るが、うつ病などのメンタルな病気が増える。
自律神経のバランスが、交感神経に大きく傾くかたちで体調を崩すと感染症になりやすく、副交感神経に大きく傾く形で体調を崩すとうつ病などメンタルな病気になりやすくなるということ。

自律神経のバランスが崩れると、白血球のバランスも崩れるので、免疫力が下がる。
顆粒球は異物を取り込み、自らが持つ分解酵素と活性酸素によって処理する。顆粒球の数と体内に侵入してくる細菌のバランスがいいときは問題ないが、あまり細菌がないのに、交感神経が過剰に優位になることで顆粒球が増え過ぎてしまうと、健康維持に必要な常在菌まで殺してしまい、却って免疫力を下げることになってしまう。
また、使われない顆粒球が残ってしまうことも問題。顆粒球の寿命は2〜3日と短い上、顆粒球は死ぬときに持っていた「活性酸素」をばらまいて細胞を傷つけてしまう。
副交感神経が優位になると、リンパ球が増えるので基本的には抗原に対する反応が早くなり、ウィルスに感染しにくくなるが、やはりリンパ球も増え過ぎは良くない。
リンパ球が増えすぎると、抗原に敏感になりすぎて、ほんのわずかな抗原にも反応してしまう疾患「アレルギー」を起しやすくなる。

もう一つの病気の原因である「血管系」のトラブルで深刻なのは脳梗塞や心筋梗塞だが、これらはいずれも「血栓」という塊が血管の中にできることが原因で起きる病気。
血栓ができる原因はいくつかあるが、最大の理由は、実は「血流」が悪くなること。
ところが自律神経のバランスが崩れ、優位性が「過剰」になるとどちらも血流は悪くなる。
自律神経のバランスが崩れた状態でいるということは、血栓ができやすい体の状態をつくり出してしまうことになる。

交感神経と副交感神経の理想のバランスは1対1。どんなに差がついても1対1.5まで。それ以上の差がつくと、体には様々な弊害が現れる。

以上が医学的解説。
以下が知見を健康維持に活用するための方策。
○現段階で自律神経を確実にコントロールできるのは「呼吸」。吸う時間と吐く時間を1:2でゆっくり行う「1対2の呼吸」が自律神経をコントロールする。
○朝の貴重な能力を活用するコツはたった二つ。
①良質の睡眠を十分にとること。
②前日の夜のうちに、翌朝すべきことを決めておくこと。
万一朝寝坊してしまった時には「歯磨きをゆっくりすること」
○飲酒時の危険な脱水を防ぐためには、お酒を飲むとき一緒に同量のお水をのむこと。
○深酒してしまった翌朝は、朝起きた時にコップ一杯の水を飲むこと。
○腸に刺激を与えるという意味で、一日三回の食事がベスト。
○「食後に眠くならない食べ方」
食後、睡魔に襲われるのは副交感神経が上がるから。眠くならないようにするポイントは二つ。
「食前に300〜500cc程度の水を飲むこと」
「腹八分目の量を、できるだけゆっくり時間をかけて食べること。」

自律神経をコントロールする重要なポイントの一つが、腸内環境をよくし、その働きを安定させることにある。そのために有効なのが、「朝一番のコップ一杯の水」と「食前のコップ一杯の水」、そして乳酸菌をとることなのだそうだ。

ストレッチの方法についても著者は現在の常識と異なる見解を述べている。
多くの人は、運動前に筋肉を伸ばしておくことで筋肉の動きが良くなると思い込んでいるがそれは間違い。筋肉には一度伸びてしまうとなかなか元に戻らないという性質がある。伸びてしまった筋肉は、柔軟性が損なわれるとともに可動域が狭まるので動きが悪くなる。
ということで、以下の4つのストレッチだけで十分なのだそうだ。
①手の先を持って体側を伸ばす
②手の先を持って横に伸ばす
③肘を固定して手首を回す(肩甲骨の運動)
④反対側の膝の上で足首を回す(股関節の運動)

面白く感じたのは、「自律神経のバランスはなぜか周りに伝染する」というもの。
医療スタッフの中にもたった一人で雰囲気を改善してしまう人がいるらしいのだが、負の連鎖を止めてしまう彼女達の秘密は「口調」。
どのような言葉を使うか、言葉選びも大切だが、それ以上にその言葉をどのような口調で伝えるかが重要とのこと。
何を言うかよりも、どう言うかが大切というメラビアンの法則と結論は似ているが、更に進化させて、それにより「自律神経のバランスも伝染する」としたものだ。
今後、研究が進むにつれ、自律神経とコミュニケーションの関係も解き明かされていくのかも知れない。


facebook

仕事の関係もあり、知らないわけにもいかず、といって始めたフェイスブック。
早半年以上になる。
人の投稿をみるのは非常に楽しく有益なのだが、どうも自分で投稿することが少ない。
ブログに書いたり、社内SNSに投稿するの以上にローペースなのはどうしてなのだろうと考えてちょっと、気がついた。

人間は社会的動物なので、色々な面を併せ持っている。
家庭の中の自分、仕事の世界の自分、趣味の世界での自分、地域の中での自分。。
そういった様々な面を使い分けて人間は生きている。
スターバックスのコンセプトである「third place」も、”家庭”、”職場”の次にくる”第三の場所”をスターバックスは提供しますということだ。
そういった様々な世界の中で、人は自ら発信する内容を変えている。各々の世界における自らの立ち位置は違うということだ。(だから、ほぼ全ての”世界”で「先生」と呼ばれる人達は、その幅が狭くなり、驕りが発生しやすくなるということだ)
家庭内では、仕事関連でいくアフターファイブの話はほとんどしないだろうし、家庭内の込み入った痴話を職場ですることもない。
たとえ仕事という”世界”ひとつとっても、グループによって話す話題は全て違うものとなる。

そういった中で、フェイスブックはあまりに360度に発信することになるので、自分のどの”世界”に向けて発信するのかが絞れない。
フェイスブックの「友達」は会社の上司から後輩、昔の同級生までいる(下手すると奥さんを「友達」にしている人もいる)ので、発信した情報は全て筒抜けとなる。
悩みをアップして相談するにしても、友人や上司に対して打ち明ける表現と、後輩に向けて話す表現とでは自ずと違うはずなのに、フェイスブックではそのコントロールが効かない。
それゆえ、全方位で話せる内容に限り発信することになる。

実名制の善し悪しもさることながら、フェイスブックには個々人の持つ世界を統一してしまう怖さがある(仮面ライダーディケイドみたいなものか?)
果たしてフェイスブックは、世界を融合する「人類補完計画」(byエヴァンゲリオン)たりうるのか、はたまた人間の様々な世界をぶちこわす破壊者(by仮面ライダーディケイド)なのか。
それとも、単に第4のネット上の”世界” が増えたというだけのことなのか。

 どちらにしても、自分は色々な”世界”を持ち続けることで、色々な自分を演じていきたいと思う。

2011年8月21日日曜日

資生堂パーラー

久しぶりに妻と二人で銀ブラに。
ちょっと贅沢ということで、資生堂パーラーに入ってお茶をした。
季節メニューの「マスクメロンと夕張メロンかき氷」1,890円也を頼んだのだが、これが激ウマ!
ほんのり薄甘のメロン風味のかき氷と、様々なフルーツ類が奏でるハーモニーが絶妙。
食べ進めると下にもフルーツの層があって、上部を彩る甘いメロン系から下の各種ベリー系の酸味と真ん中の2種類のアイスクリームの味が渾然一体となって、味がどんどん変わっていく。
資生堂パーラーだから高いというより、これはこの商品としてそれだけの価値がある感じのスイーツであった。

それにしても資生堂パーラー、色んな人がいて、それも楽しめた。

2011年8月20日土曜日

KIRIN アイスプラスビール

KIRINのICE+BEER。ビールを半分注いでから氷をそ〜っと入れて飲むんだそうな。
試しに買って飲んでみたら、これが中々Good!
ちょっとアルコール分も高め(5.5%)で、飲み口も中々。似た飲み物のホッピーよりも喉越し&味覚は上と感じた。

こういう”際物”を大手のKIRINがやっている所がスゴい。
ビール業界も気を抜くと首位が入れ替わる戦国時代だけに、大手と言えど殿様商売していられないということか。
Try&Errorの精神は我々も見習わなければ。

『一日で読める『源氏物語』』

東進ハイスクールの古文講師、吉野敬介氏の源氏物語の入門版。
現代語(更にいうと若者語)で書かれている部分が感情もこもっていて非常に分かり易い。
恥ずかしながら、これまで『源氏物語』は名前や作者については知っていても、どのようなストーリーなのかについてはほとんど知らなかった。
著者も「『源氏物語』と出会って国文学に目覚めたが、通常の現代語訳は正直みんな難しい。」と述べているが、この本は『源氏物語』の分かりにくさをクリアしつつ、『源氏物語』の深さを感じさせるには十分の内容である。

そもそも、源氏物語は言葉以前に登場人物の関係性が難しい。
今と違って「一夫一妻多妾制」なのでただでさえ相関図がつくりづらいのに加えて、義理のお母さんと子供を作っちゃうようなオイタをする輩が主人公なので、誰と誰がどのような関係なのかを理解するのが非常に難しい。
「一夫一妻多妾制」なので、現代の感覚からするとタブーっぽいことがたくさん出てくるのだが、『源氏物語』の平安朝時代においては通常のこととして描かれる。
一方、源氏と朧月夜の恋沙汰や、浮舟の入水自殺騒動についてはスキャンダルとなるとの判断が、現代の感覚だとどの程度の”ヤバさ”なのかがピンとこない。
”ヤバさ”加減がわからないということになると、平安時代の年齢感覚もよく分からないものの一つ。
10歳で「可愛い!」と思っていた若紫(紫の上)と源氏が結婚したのは、源氏22歳(大学2年生)、紫の上14歳。当時は当たり前なのかしら??
(この、今でいうと何年生という比較も吉野氏によるもの。イメージしやすくてvery good!!)

と、わからないことだらけながら、源氏物語の全体のあらましが理解できる良書である。
また時間があったら『源氏物語』を深堀り(深読み)してみたいと思わせるところも、この本が良書たる所以と思う。

2011年8月19日金曜日

『相手に9割しゃべらせる質問術』

自称「対談師」のおちまさと氏の著作。
相手に色々話しをしてもらうため、お風呂に入ったときのように気持ちよくなってもらおうという「お風呂理論」をベースに色々なノウハウが紹介されている。


・第一問目は「自分のことは好きですか?」→「その理由は?」
・4つの”恋バナ”(初恋、初キス、初デート、失恋)は欠かせない。
「今の仕事をやっていてよかったと思った瞬間、やらなきゃよかったと思った瞬間を教えて下さい」
「好きな物、嫌いな物は何ですか?」
嫌いな物とその理由は、心理学的には、その人自身の自己評価が投影されている。
・”そもそも力”で相手の核心に迫る
「そもそも(なぜ)」で核心に迫る。(これは自分の初期設定の振り返りにも使える)
「マジっすか?」は魔法の相づち
「現在」→「過去」→「現在」→「未来」の順できく。
などなど。

・相手の話を印象的なキーワードでタイトルづけしてあげる。
・雑談の中に質問の伏線を仕込む。
など、おちまさと氏じゃないとそりゃできないでしょ!と突っ込みたくなるようなノウハウもあるものの、「お風呂理論」については非常に共感できるものもあり、そのノウハウも使えそうなものが多い。
この手の本は全てそうだが、後は如何に日々実践できるかが「本当に読んだ」といえるかどうかの分かれ目だ。
 



2011年8月17日水曜日

『9割は伸ばせる できる人の教え方』

東進ハイスクール人気講師の安河内哲也氏の「教え方」本。
予備校という究極の人材育成機関にあって、20年以上の経験を伴った知見には説得力がある。

企業においては、人材育成だけを目的とした「人材育成部」というのは一般的ではなく(今だと人事部の一セクションか)、OJTという名のもとに各ライン部署に「人材育成」の実行責任が降りてきている。
そのことを考えると安河内氏の教えは、企業においては誰しもが意識しなければならないということだ。

安河内氏曰く、教える人は「5つの役割」を担う。(これは安河内氏の独創ではなく、教育界においては結構いわれることなのだそうだが、初耳である)
教える立場に立つ人は、「学者」であり、「役者」であり、「易者」であり、「芸者」であり、「医者」でなければならない。
【学者】
・分かり易さは、教える側の膨大な知識があることによって初めて生まれてくる。
・自分が勉強する姿を見せて、それを部下、生徒、子供などに波及させる。
【役者】
・教えるとは、人前にたって、人を惹き付ける行為である。
【易者】
・相手の不安をキッパリ切り捨てる
・相手が「自分は成功に向かっている」と思えるように働きかけ、サポートする。
【芸者】
・学ぶ場を楽しくする。
・相手が退屈しないように「笑い」を盛り込む。
【医者】
・相手のタイプ(思考型か暗記型か)を見抜いてアドバイスする。
 (暗記型には思考するように、思考型には暗記するようにアドバイス)

教師の評価軸であるが、安河内氏曰く、教えると言う仕事は、次の二つの柱から評価すべき。
「部下・生徒・子供の満足度」
「部下・生徒・子供の伸び率」
それぞれについて、達成率が70%以上をキープできている人は、上司として、教師として、親としてかなり優秀だといえる、とある。
企業において何をもってして部下の伸び率の達成率70%というのか定量的な基準が難しいが、360度評価を用いて数値化するというようなことは可能な気がする。

また、話をまとめる時のコツも披露されている。
論理的に話すコツは、内容を4つに分けること。
「トピックの提示」(小さな主張)
「サポート」
「具体例・反論」
「結論」(最後まで引っ張っておく大事な主張)
  これは教師のみならず、一般の企業人にも活用できる素晴らしい技だ。

また、教える立場と教わる立場の距離感についての考察も面白い。
教える側と教わる側の距離は、遠くても近くてもダメ。追いつけそうだと思わせておいて、追いついてきたら突き放す。そのようにして、追いつけそうで追いつけない距離を保つ。
教える立場に立つ人は、ときに圧倒的な力の差を見せ、適度な距離感を保つことを意識する必要がある


伸びにくい人間の特性についても述べられている。
中途半端にできる人ほど、伸びにくいことが多い。
一番教えにくいのが、全体のレベルを5段階に分けたら、上から2,3番目のあたりの層。
彼らに共通していえるのは「プライド」が高いということ。そのため、自分のやり方を捨てようとしない。
間接的に彼らのプライドを挫いて、ガチガチに固まったプライドやコンプレックスを崩してあげると、この層は飛躍的に伸びていく。
この考察などは,正に一般企業でも同じこと。

テストの数字で”伸び(成長)”が明確に定量化しやすい予備校における人育ての様々なノウハウは非常に参考になるところが大であった。

『哲メン図鑑』

柏の葉でもご一緒させていただいたアーティストの高橋信雅さんがイラストを描いている哲学の入門書。
現在、仕事でご一緒させていただいているE社の齋藤社長が、たまたま高橋信雅さんをプロデュースされているとのことで、頂戴して読んでみた。
70人の哲学者の人となり、考え方を高橋氏の楽しげなイラストで魅せる哲学入門書ではあるが、お堅い感じが全くなく、我々の世代にはわかりやすい樫辺勒氏の解説が楽しい。(哲学書は喩えが無いと全く理解できないが、その喩えがマンガやらアニメやら現代社会の登場人物やらで非常にユーモアに富み分かり易い)

恥ずかしながらこの歳で初めてしったことも多々あった。
○哲学というものは最初は自然科学に対する洞察(自然哲学)から始まったこと。
○ソクラテス辺りまでは、哲学とは”実践”するものであったこと。(著作がなくてもソクラテスは大哲学者!)
○キリスト教というものは、哲学においては思考の足枷となっている要素が大きかったこと(中世スコラ学における「神」の位置づけは間違いなく自由な思考の足枷となっていたはず) 。
○「愚行権」という素晴らしい考え方は多湖輝先生の独創とおもっていたらミルが提唱したものであったこと。
○思想についても、政体と非常に関わりがあり、流行すたりがあるということ。
476年のゲルマン諸族の大移動と西ローマ帝国の崩壊に伴う混乱で、ギリシアの哲学者の写本がヨーロッパから失われてしまう。
その後およそ1000年におよぶ「中世」のヨーロッパ社会での知の主役を担ったのは神学者達だった。それが学問として高度に体系化されたのが「スコラ(哲)学」。
そして、その際に重用視されたのが、13世紀にイスラーム世界から逆輸入されたアリストテレスの哲学だった。
アリストテレスに遅れること200年あまり、プラトンの哲学もまた東からやってきた。
1453年に東ローマ帝国がオスマン・トルコに滅ぼされると、学者達が貴重なギリシャ語写本を携えてイタリアに逃れてきた。当時の中世末期のイタリアでは、ルネサンスが全面開花しようとしていた。)
などなど。

それにしても哲学者というのは変わった人が多い。
ソクラテスあたりまでは”実践”するのが哲学者だったから、わからなくもない。
中世以降は、裕福な家の出が多い気がするのは、忙しいと哲学なんてやってられない(考えていられない)からであろうか。
そういう意味では久しぶりのオフで、ゆっくり哲学に思いを馳せる時間がとれるのはありがたい。

チャンネル争い

子供が自分の誕生日に仮面ライダーのソフトを買ってきた。
そんなことから昔、仮面ライダーを見ていたときの話になった。
「昔はチャンネル争いでな〜」という話をしたら子供達は怪訝な顔。
そういえば今はHD付きDVDのお蔭で録画して後で観るというのが当たり前になっているので「チャンネル争い」というもの自体が存在しない。
昔は「チャンネル争い」により、親父の絶対感や長幼の序を学んだり、誰が何を観たがるので何は観るのが難しそうだという見立てから、はては民主的なジャンケンという方法を確立したりと、そこからも色々学べたものだ。
便利になり、家族内においてさえ個人個人のプライバシーが重要視されている時代、意識して過ごさないと、明らかに”のりしろ”が少なくなっている気がする。

2011年8月9日火曜日

『CRM』

10年以上前にアクセンチュアから出された本。
CRMを概括してみるのにお勧めとのことで購入し読んでみた。

10年前に書かれた本であるので、正直、若干の古さは否めない。(アマゾンの事例で、「今後トイザラスとの提携により書籍以外の分野で業容を拡大」とあるのだが、この10年間でトイザらスとは喧嘩別れになってしまっているのは周知の通りである。)

とはいえ、基本的な柱については10年程度で変わることはなく、分かり易く学ぶことができた。

CS活動からの教訓
その1 顧客は一律ではない。
その2 顧客には儲かる顧客と儲からない顧客がいる。
その3 顧客ごとの異なる扱いの実現には高い企業能力が必要とされる。

アクセンチュアの提唱するCRMモデルがあって、ピラミッド型で4層に分かれているのだが、特徴的なのは
「顧客インサイト(顧客理解・識別)」
という層を設けていること。
これは「顧客戦略(Customer Strategy)」と「業務プロセスおよび人・組織層(Process and People)」の間にあって、CRMにおいてはこの「顧客インサイト」における仮説とその検証こそが肝とされている。

また、「顧客インサイト」につながるが、「顧客ゼグメンテーション」についても重要視されている。
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セグメンテーション手法と言った時に、実はその内容には二種類の話しが混ざっている。
一つはどのような情報を基にするかであり、大きく分けて属性情報(Attribute)、意向情報(Attitude)、行動情報(Behavior)の3タイプがある。
また一つはどのような数学的方法で顧客を区分していくかで、主成分分析、数量化Ⅲ類、クラスター分析、多次元尺度構成法などさまざまなものがある。

顧客第一主義を標榜する企業において、顧客セグメンテーションは単なるマーケティング上の部品ではなく、全社員にとっての行動基準であり攻略すべき敵陣の地図のような存在だ。
顧客セグメンテーションをどう取るかは「こういうお客様は大切。こういうのは切り捨てろ」という経営トップからの全社員へのメッセージであり、その後の商品開発・営業活動・ロジスティクス等々すべての企業活動に重大な影響を及ぼす。
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顧客を理解し、識別するには、人のスキルの面・組織の位置づけの面が非常に重要になってくる。
組織面では、インサイト担当(販促企画)が、現場任せでなく、本社にかなり集中化・集権化されていること。この業務の担当者には非常に幅広い経験と洞察力・情報処理能力が求められる。そのような人材は希少であり、現場に分散配置させられないので、どこかに集めて集中的にやってもらうしかない。
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顧客インサイトを行うためには、集権化して行うべしというのがアクセンチュアの見立てだ。

なかなかのボリュームであるが、一通りCRMについての基礎を知ることができた(ような気がする)本である。

2011年8月8日月曜日

柏の葉 納涼ナイトマルシェ

柏の葉で毎月やっているマルシェが今月は『星空ピクニック 納涼ナイトマルシェ』と銘打って18:30〜開催されてました。(通常は日中の開催)
生演奏の隣で、何故か自転車をこいでいる人(恐らく自家発電?)がいたり、『K-STREAM』と称してU-STREAMで世界に発信したり、色んな仕掛けが相変わらずという感じで駅前の交流施設UDCKも夏祭りの夜店風に仕上がっていて楽しげでした。
知らないうちにUDCKのとなりに、オープンテラスカフェの『えだまめ』なるものがオープンしていて、日々進化する柏の葉を感じました。
マルシェ自体は毎月開催してますので、機会がありましたら皆様も是非。


2011年7月31日日曜日

組織とは

セブンイレブン 井阪社長の「変化を止めたら死んでしまう。だから変化のエンジンを組織に備え付ける。」というコメントが日本経済新聞に載っていた。

セブンイレブンのような優良大企業ですら「変化し続けること」に必死だということだ。

生物においては一種の平衡状態にみえるものでも、細胞レベルでは常に変動しており、それを称して福岡伸一氏は「動的平衡」(dynamic equilibrium)と呼んだ。

組織においても同様のことが言えるのかも知れない。
社員がだれしも一喜一憂する人事異動。しかしこれは企業という生物においては細胞の入れ替えに過ぎない。
企業と言う”生物”が生き残るために行っている生業についても、外部環境が変化すれば変えていく必要がある。
強いものが生き残るのではない。外部環境に適応したものが生き残るのだ。

我々”細胞”がどの部分の細胞となるのかが、”細胞”が生命体の生存期間のどの程度一緒に存続できるかの鍵を握るということなのかも知れない。
外部環境の変化をいち早く捉えて、企業という生命体がどのようにしたら今の(そして次の)変化に対応できるのかを脳細胞(すなわちトップ)に提言することが、脳細胞になれる道を拓き、ひいては”細胞”レベルでの生き残りにつながるということなのだろうか。

いずれにせよ、企業は変わり続けていく必要がある。
そのためには失敗を恐れずチャレンジしていくことが必須であり、チャレンジしないことが最もリスクであることを”脳細胞”が認識する必要があるということだ。
そういう意味だけでみても、やはりセブンイレブンは優良企業である。
今は一隅を照らすことで精一杯であるが、脳細胞になったときのことも常に考えるようにしておきたいものだ。

「KAITEKIのかたち展」

柏の葉でおつきあいのあったアート集団”ワーコールアートセンター/スパイラル”企画の「KAITEKIのかたち展」が表参道のスパイラルガーデンで行われるというので行ってきた。

三菱ケミカルホールディングスが共催ということで、様々な最先端の化学素材がアートに使われていた。
実はこの日、午前中は三菱一号館美術館に行って正統派アートを堪能してからスパイラルホールに向かったのだが、子供の食いつきは間違いなく午後の現代アート。
柏の葉でも「敷居が低いこと」「触発されるものであること」「飽きないこと」というのを軸に現代アートを取り入れているが、交流ツールとしてのアートはやはり「あり」だと再認識。


谷尻誠氏の「HORIZON」
水平線を描いているのは「温度計」。目に見えない「気温」というものを可視化するアート。


今回の展示で個人的にはNO1の、印デザインによる「Light3D Sculpture」。
光ファイバーの素材を使って、後ろの人型がそのまま表で3D光で表現される優れもの。子供のみならず大人もハマってました。

柏の葉でもお世話になったジャン=リュック・ヴィルムートの「Dome with Sounds Plants」。
ドームの中でお茶したかったのですが、叶わず。